超妹理論

『心の置き場と散る桜』


「に・い・さ・ん?」
 軽やかな声が聞こえてきた。
 凛と鈴振るような声だ。
「ん〜……? 華黒……?」
「はいな。兄さんの恋人の華黒ですよ?」
 知ってる。
「さあ、起きてください。昼食の準備が出来ています」
「うい」
 起きる。
 今日は三月某日。
 ホワイトデーに最も近い日曜日。
「そういえばデートの約束してたっけ」
「はいな。いい天気ですよ?」
「そ」
 欠伸をしながらダイニングへ。
「おはようございます真白先輩」
「うい」
 水月がダイニングの席について茶を飲んでいた。
「デート日和ですね」
「まぁね」
「午前が潰れてしまいましたが」
「丸一日デートに費やしてもしょうがないでしょ」
「真白先輩を放っておいて華黒先輩とデートしようと言ったのですが……」
「けんもほろろだったでしょ?」
「不本意ながら」
 基本的に百墨真白を羅針盤にする華黒だからしょうがないっちゃない。
 今日の昼食はお茶漬け。
 出汁とゴマ。
 それからわさびとかつお節。
 シンプルで胃にも優しいから寝起きでもスルリと入る。
「それで?」
 食後。
 お茶漬けを食べ終わった僕たちは茶の時間を満喫した。
 まったり。
「デートは何処に行くんですか?」
「ここでまったりするのもデートの一環だと思うけど」
「…………」
 水月がジト目で睨んできた。
 三学期が終われば離れてしまう身だ。
 華黒とのデートは何よりの思い出になるだろう。
 である以上ここでまったりはダメらしい。
 インドアだろうとアウトドアだろうと時間の積み重ねは変わらないと思うんだけど。
「ルシールと黛は?」
「遠慮してるんじゃないですか?」
 でっか。
「じゃあ茶を飲み終わったら出よっか」
「ですね」
 華黒も賛同した。
「ところでさ。水月と鏡花が戻ることになる学校ってどんなところ?」
「どこにでもあるお嬢様学校です」
「全寮制?」
「まぁ。俺は例外的に車で通学していますが」
 権力万歳だね。
「やっぱり偏差値高いの?」
「瀬野二とそう大差はありません」
「うへぇ」
 瀬野二の授業についていくのが精いっぱいな僕にしてみれば胃の痛くなるような話であった。
 昼食がお茶漬けでよかった。
 華黒ファインプレー。
「さて、デートの件だけど」
「っ」
「どこか行きたいところは? ちなみに無い場合は部屋デートになるからそのつもりでよろしく」
「百貨繚乱でいいのでは?」
 これは華黒。
「都会まで足を伸ばしてみませんか?」
 これは水月。
「電車ですか?」
「いえ、リムジンをまわしてもらいましょう」
 ブルジョアめ。
 僕の場合出自的には人の事は言えないんだけど。
「都会ねぇ……?」
 ふむ。
 クリスタルキング。
 とかいう冗談は置いといて。
「それなら昴先輩一押しの手芸屋なんてどうだろうね? コスプレして記念撮影とかできるよ?」
「私は構いませんが兄さんが大丈夫ですか?」
「…………」
 緑茶をすする僕。
 たしかに色々と思い出したくない記憶が蘇るけど今日の僕と華黒はホスト役だ。
 主賓は水月と鏡花。
 多分華黒の方にはその意識は無いだろうけど。
 さもありなん。
 というわけで一応予定は立った。
「鏡花?」
「水月です」
「鏡花にも聞こえてるでしょ?」
「ええ、まぁ」
「どんな様子?」
「色々と不安定です」
「可愛いね」
「余計な混乱を与えないでくださいよ」
「それについては謝るよ。ところで鏡花もそれでいいのかな?」
「いいとのことです」
「水月は?」
「俺も大丈夫ですよ」
「ん」
 僕は頷いた。
 お茶が美味しいなぁ。

    *

 どこからか現れたリムジンに乗って都会へ。
 最近こういうことにも慣れてきていたり。
 良い事か悪い事かは別の話として。
 目的の手芸屋まではちょいと渋滞だったためリムジンでは少し都合が悪かった。
 ので途中から下車して歩き。
 僕と華黒は(勝手知ったる)手芸屋だ。
 正装から民族衣装からオートクチュールからコスプレまで色々と揃っている。
 ここで鏡花と水月の望む出で立ちで記念撮影をするのが本日のデートの第一手。
「華黒先輩は俺より真白先輩が好きなんですよね?」
「ええ」
 間髪入れず頷く華黒。
 鬼か。
 まったくうちの妹は……。
「真白先輩のどこが好きなんですか?」
「格好良くて優しくて妹想いでツンデレで……何より王子様的な立ち位置ですから女の子なら皆惚れます」
 照れるね。
 そんな自覚も自認も存在してないけど。
「王子様……ですか」
「ええ、それはもう」
 地獄を見た。
 ひたひたと悪霊のように忍び寄る影を見た。
 影の足音に振り返ればいつもそこには地獄があって。
 まるでペンキの飛沫のようにこびりついて離れない。
 どれほど忘れようとしても不意の暴力のように襲い掛かる僕らの原風景。
 悪夢に苛まれる感覚はいつまで経っても慣れない。
 世界は怖いことだけじゃない。
 昴先輩ならそう言うだろう。
 理屈としてはわかる。
 華黒もそうだろう。
 でも。
 だからこそ。
 世界には怖いことが確かにあるという逆説的証明でしかなかった。
 僕では華黒を救えなかった。
 本当に、
「華黒にとっての王子様としての振る舞い」
 を出来なかった僕の後悔。
 当然水月は想像の欠片さえ掴めないだろう。
 ここでするには下世話な話ではあるし、知っても耳を汚すだけだから黙ってるけど。
 そうこうしている間にも水月は自身と華黒のコスチュームを選んだ。
 水月はスーツ。
 華黒はウェディングドレス。
「こ……これは……」
 あうあうとたじろいで華黒が僕に救いを求めるように見やる。
 僕は両手の平を華黒に向けて差し出した。
「気にしてないから付き合ってあげて」
 一分も漏らさず華黒は意を酌んでくれた。
 ウェディングドレスを着て正装姿の水月と並ぶ。
 これを言ったら華黒は怒るだろうけど、中々見栄えのする二人の写真だった。
「家宝にします……!」
 出来上がった写真とデジタルデータを抱きしめて水月は嬉しそうにはにかんだ。
「水月が喜んでくれたなら僕らにとっても有意義だね。ね、華黒?」
「むぅ」
 納得できないらしい。
 次は僕がスーツを着て鏡花がウェディングドレスを着た。
 水月の時に後ろ髪を纏めていたシュシュを外してセミロングのストレート。
 ちょっと新鮮。
 女の子らしさが二割増しだ。
「………………う……あ……真白お兄ちゃん……」
「忘れないよ」
 鏡花が何を言いたいかは予想がつく。
 生きていることが心的外傷の少女。
 その傷を忘れられるのは僕を想っているときだけ。
 我ながら因果な対象だけど、泣いている女の子のポプラの枝になれたら僕はそれだけで十分だ。
「鏡花」
「………………な……に……?」
「鏡花の心をここに置いていって」
「………………え……?」
「大切な宝物にする。距離が離れても鏡花が泣かなくて済むように」
「………………いい……の……?」
「うん」
 鏡花に向かってニッコリと笑ってあげた。
 赤面する鏡花。
「鏡花の心を僕に預けて。会えなくても僕を想って。それで君が苦しまなくて済むのなら僕はそれだけで満足だ」
「………………あ……う……」
 言葉もない、と。
 耳まで真っ赤になる鏡花はそれはそれは愛らしかった。
「そろそろいいですか?」
 カメラマンがスーツの僕とウェディングドレスの鏡花に向かって言う。
「はい」
 頷いてパシャリ。
 そして写真とデジタルデータを鏡花が受け取る。
「もし生きることが我慢できないほど辛くなったら心を預けた僕を思い出して。記憶でもいいし写真でもいい。時には会いに来てもいい。鏡花にとって僕が救いであるのなら、決して君の命に『一切の救いがない』なんてことは無いんだから」
「………………う……あ……」
「僕以外に救いが見つかるならそれもいいんだけどすぐには見つからないでしょ?」
「………………うん……」
「それまでは僕が鏡花の心の安置する対象になってあげるから。きっと僕らは生きることを祝福されていない。でもこうやって生きている。なら……その先に幸せを願わなきゃ嘘だ」
「………………うん……お兄ちゃん……」
 ウェディングドレス姿のまま、鏡花は僕の胸に飛び込んできた。
 抱擁する僕。
 涙を流す鏡花。
 やっぱり僕は女の子を泣かせてしまう存在らしい。
「ごめん……ね……」

    *

 三月も下旬。
 春休みに入る。
 鏡花水月はアパートを引き払って実家に戻った。
 来年度からお嬢様学校に再転校するのだろう。
 立つ鳥跡を濁さず……とはいかなかった。
 この情報化社会ではありえないことだ。
 何のことかって?
 電話やメールやラインで距離を超えて意思疎通が出来るのだから早々縁を切ることは現代社会では難しい。
 ともあれ、春休み。
 物理的な意味で鏡花水月と別れた僕と華黒は近くの河川敷を歩いていた。
「桜が咲いてますよ兄さん!」
 仰る通り。
 ソメイヨシノが咲き誇っていた。
「そういえばソメイヨシノって全部クローンだったんだっけ?」
 正確には接木って言葉だった気もするけど。
「鏡花も大変ですね」
「何が?」
「桜が咲くことすら辛いと感じてしまうのでしょう?」
「……だね」
 苦笑する他ない。
「兄さんは可哀想な女の子を見捨てられませんから私は気が気じゃありません」
「ま、それについては追々ね」
「鏡花……可愛かったですもんねっ」
「水月も格好良かったね」
「私は心揺さぶられたりしませんから」
 良くも悪くもブレないってことかな?
 いい子いい子。
「言っておきますけどね兄さん?」
「何でっしゃろ?」
「兄さんを理解できるのは私だけで私を理解できるのは兄さんだけなんですからね?」
「白花ちゃんや昴先輩も認識している筈だけど……」
「予想と体験には雲泥の差があります」
「否定はしないよ」
 桜の花が風に散る。
「憂世に何か久しかるべき……か」
「兄さん!」
「僕と鏡花より華黒と水月の方が密に連絡を取ってる気がするけど?」
「うう……っ」
 いかん。
 図星をついてしまったらしい。
「別にいいけどね」
「よくないですっ」
「何が?」
「私が愛してるのは兄さんだけです! 浮気心と思われるのは不本意です!」
 そこまでは言ってにゃーんだけど。
「三か月の付き合いだったけど業が深かったね」
「それは……そうですね……」
 でもまぁ。
 可愛らしい女の子と知り合えて僕としてはまずまずかな?
 言えば華黒が暴走するから言葉にはしないけど。
 世界が怖いという点で華黒とルシールと鏡花は一致する。
 ルシールは軽度だけど、華黒と鏡花は深刻なソレだ。
 だからきっと僕の琴線に触れたのだろう。
 今はそう思える。
「だからといって兄さんの心の占有率を分けるつもりはありませんよ」
「信用無いなぁ」
「だって……そうでしょう……?」
「まぁ……そうだけどね……」
「むぅ」
 難しい顔だね。
「せっかくの花見デートなんだから笑顔笑顔」
「兄さんがキスしてくれたら笑顔になれます」
「ふむ」
 僕は自分の唇に人差し指の切っ先を当てると、その指を華黒の唇に押し付けた。
「外ではあんまり濃厚なのは勘弁してほしいかな?」
「……ん」
 カプッと僕の人差し指をくわえる華黒。
 唾液で濡らして興奮する。
 それから取りやめると、
「はい。兄さんも」
 と催促してくる。
 僕は華黒の唾液に濡れた人差し指を自身の唇に当てる。
「宜しい」
 何が?
 ツッコミは野暮だろうけど。
「絶対に兄さんは私のモノですから」
「ルシールや鏡花から始めてさ。サークルを広げてみない?」
「兄さんさえいれば他に何もいりません」
「ストイックすぎるよ……」
「良い事でしょう?」
「一概にそうは言えないね」
 少なくともそうならないために僕は華黒に寄り添うことにしたのだから。
 去年度の約束を僕は忘れていない。
「――だから支える。――離したりなんかするもんか」
 その誓いはまだ胸に。
 呪いと共に確かに存在した。
 閑話休題。
「桜が散ればまた鏡花の重荷になるのでしょうか?」
「森羅万象がナイフみたいなものだからね」
 自己同一性ストレス障害。
 生きていることがトラウマと云う地獄を渡り歩く少女。
「兄さんは桜は好きですか」
「儚いモノは皆好きだよ」
「私も……ルシールも……鏡花も……?」
「華黒が僕を必要としなくなる日が来るまでは華黒を雨から守る桜の木になろう」
 そのために花が散るならば本望だ。
「ならば寄り添う少女は散る花の趣に心を痛めましょう」
 艶やかに華黒は笑った。
 僕も笑った。
 風が吹いて桜を散らせるのだった。



Fin

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