ピコピコ。 タッチパネルを押して文章の作成。 「今度の日曜日。午後は予定ある?」 そんな文面。 「ふむ……」 素っ気ないような気もするけどご機嫌をとってもしょうがない……と思う。 ので、送信。 完了。 返事はすぐ来た。 「暇ですが……」 そんな文面。 「今度の日曜日なんだけど」 つまり三月最初の日曜日。 「午前中に三年生の卒業式があるんだけど、それが終わったらデートしない?」 「お兄様とデートですか!?」 ネットの向こう側。 白花ちゃんが興奮した……のだろう。 「駄目?」 と返信。 次の着信には数分ほど間があった。 「でも何ゆえ? お兄様にはクロちゃんがいるでしょう?」 先の数分は訝しがっていたのだろう。 「いくら私でもお兄様がクロちゃんに依存しているのは理解してますよ?」 そうだね。 華黒には世話になりっぱなしだ。 ええと、 「一応バレンタインのお返しと云うことで早めのホワイトデーとしたいのです」 上手い言葉が見つからない。 まぁ美辞麗句で飾ってもしょうがないコミュニケーションではあるんだけど。 「チョコ美味しかったよ」 さらに駄目押し送信。 「本当に本当に本当なんですか?」 「一応華黒は黙らせた」 暗に、 「納得および理解はされなかったけど」 とほのめかす。 華黒は事情を知っているけど、 「なら最低限でいいじゃないですか!」 という意見。 気持ちはわかるんだけど、スーパーお金持ちに図書券進呈してもねぇ。 夜に火をつけて玄関を照らしかねない。 「ふぅん?」 と白花ちゃんはそんなメールを返信してきた。 概要は掴めていないだろうけど事情が有ることぐらいは悟っているだろう。 小学生らしからぬシビアな子だ。 帝王学を学んできたのだから自然とそうなるのも頷けはするんだけど。 「じゃあ日曜日ね」 「はいな」 そういうことに相成った。 「やれやれ」 続けてピコピコ。 スマホのタッチパネルを操作。 メールの作成。 「今度の日曜日は暇ですか?」 送信。 こちらも返信は早かった。 「君の事情次第だね」 らしいっちゃらしい。 「ちょっと早いですけどバレンタインのお返しにデートでもどうかと」 送信。 「ふむ……」 と返信。 三点リーダが目についた。 大方こっちも僕の背後を思案しているらしい。 色んな女の子と付き合ってきている分経験豊富な直感が何かを告げているのだろう。 酒奉寺昴先輩とはそういう人だ。 「私と真白くんだけかい? 華黒くんは?」 「華黒は来ません」 「ということは二人きりではないのだね」 叙述トリックはあっさり見抜かれた。 恐るべし。 聡いってレベルじゃないなぁ。 「もう一つ」 「何でしょう?」 「その日は瀬野二の卒業式ではなかったかな?」 「ですから午後からですね」 しばし返信が来るまで間があった。 「わかったよ」 承諾のメール。 「いいお話にまとまって安心しました」 「真白くんとデートできるならこれ以上は無いよ。華黒くんもいればこの上なかったけどね」 あはは……はぁ……。 「ブレませんねぇ」 しみじみとそんなメールを送ると、 「真白くんの愛苦しさがそうさせるのさ。言っておくけど誤字じゃないよ?」 そんな返信が返ってきた。 昴先輩がそう言うのならそうなのだろう。 少なくとも昴先輩は僕と華黒の過去を知っている。 その上で華黒を保護したこともある。 僕に対して偽悪的な言動に出たこともある。 知識と認識で『あの地獄』を再現することは不可能だろうけど、それでも忌避しないで愛してくれる。 昴先輩はそういう人だ。 「では後日だ子猫ちゃん? あまりデートの最中にスマホを弄り続けるのもアレなので今夜はここまでとしよう」 あ、デート中でしたか。 まぁ愛情仕事無限主義者だからわからないではないけど。 「ちょっと早まったかな?」 ポツリと失礼な言葉を呟いてしまった。 * 三月に入った。 その某日。 日曜日。 時間は午前中。 僕と華黒は『仰げば尊し』を歌っていた。 今こそ別れめ。 いざ、さらば。 此度の卒業式で別れを惜しむ卒業生はいなかったため感傷はなかったけども。 それから正午にショートホームルームがあってしばし。 後の解散。 「終わった終わった」 問題はここからだ。 白花ちゃんと昴先輩にはそれぞれと二股デートすることを伝えていない。 無論わざとだ。 場の混乱を抑えるためにさらなる混乱を利用するのは定石の一つである。 ともあれ一度帰ろうと華黒とルシールと黛と水月と昇降口を出て校門に向かって歩く。 当然視界は前方。 そこに高級外車が二台止まっていた。 そして白花ちゃんと女子の群れ。 「あー……」 さすがに想定してなかった。 やるやるとは聞いてたけどまさか校門で待ちかまえられているとは。 一度帰ってからのつもりだったので、意表を突かれた形だ。 白花ちゃんは、 「お兄様!」 僕と目が合うとパッと笑顔になって駆け寄ってきた。 自身の幼児性を最大限利用するための子供っぽい服装だ。 ジャケットは光沢のある……そして値段を聞くのが怖い類のソレだ。 苺柄のスカートは愛嬌があり、履いているブーツも煌いている。 「わが岡の、おかみに言ひて、降らしめし」 「雪のくだけし、そこに散りけむ」 らしい開幕パンチだ。 「お兄様ごきげんよう」 「息災で何より」 ポンと白花ちゃんの頭に手を乗せる。 「むーっ!」 華黒が威嚇したけど、 「我慢我慢」 華黒の頭をよしよしする。 「やっぱり納得できません!」 だろうけどさ。 「華黒は僕を信頼してないの?」 少しズルい言い方をするけど、 「兄さんを試してはならないと聖書に記述してあります!」 そんな反論。 どこの宗教の戒律だろう? 真白神の真白教かな? 信仰者が片手の指では数えきれない辺りちょっと危険な宗教と云えるかもしれなかった。 「ところで」 華黒の正論を何食わぬ顔でスルーして白花ちゃんが言葉を紡ぐ。 「酒奉寺と対面しましたけどそういうことですか?」 「そういうことです」 コックリ。 「食べ合わせくらい考えてほしかったんですけど……ああ、もしかしてわざと?」 「です」 少なくともパワーバランスの面ではつり合いがとれる。 「とはいえ悪趣味なのは否定できないよ」 子供っぽい口調に切り替えて言う。 「その辺りについては真摯に謝るよ」 申し訳ないのはその通りだからね。 「いっそ酒奉寺を無視してデートしませんか? アレは相手に事欠かないようですよ?」 ちなみに校門にある女子の集団の中心人物がもう一人のお相手……昴先輩だ。 ハーレムの卒業生だろう。 数人の女生徒に花束を渡してイチャイチャしていた。 よく警備員が飛んでこないものだと感心してしまう。 多分学校側も諦観の境地なのだろう。 酒奉寺の名に怯えている側面もあるだろうし。 「いっそあのまま放置していれば誰にとっても得する環境になると思うんですが……」 華黒が納得しないけどね。 「とりあえず夕餉には戻るからルシールと黛とご飯を作って待っててね?」 「む〜」 嫉妬する華黒は可愛いけど危険でもある。 華黒は僕が他の女子と関わり合う時……アンビバレンツに襲われる。 曰く、 「兄さんが私から離れてしまう」 曰く、 「兄さんが私を見放すわけがない」 疑念と信頼。 その狭間で苦悩するのだ。 依存度で言えばヒフティヒフティなのだけど視界の悪さは華黒の方が折り紙付きで酷い。 何せ僕しか見えていないのだから。 「僕抜きでルシールや黛と仲良くするのもリハビリだよ」 ポンポンと優しく華黒の頭を叩いた。 「そ〜ですけど〜……」 幼稚で愛らしい嫉妬だった。 「少なくとも華黒がこんなことに嫉妬してくれるだけでも僕には嬉しい事柄だけどね」 「あうう……」 華黒はしぶしぶと言った様子で納得はしてないけど肯定した。 「ん。いい子」 「やあ、真白くん」 今度はハーレム卒業生の輪から抜け出してきた昴先輩が声をかけてきた。 「まさか白坂とかち合うとは思わなかったがいい卒業日和だ。来年もこうであることを願うよ。ともあれ早速デートしようじゃないか」 「へぇへ」 「ちゃんとこの日のために真白くんのための服を用意していたんだ。ぜひ着てくれたまえ」 あー……すっごい嫌な予感。 予測してしかるべきだった。 失念していたこっちの不覚。 オチはわかってるのでツッコミは虚空に消えるのだった。 * で白花ちゃんと昴先輩とで高級レストランに入って昼食となった。 二人には二人とも僕とのデートのプランがあったらしく、開幕パンチの昼食の場所で揉めに揉めた。 ジャッジは僕。 というか高級レストランで食事という点では五十歩百歩だったから結果的にどちらでもよかった。 白花ちゃんが予約していた方を選んだのは昴先輩へのちょっとした抗議行動ゆえだ。 何せ今僕が着ているのはアフタヌーンドレスなのだから。 元が男装していても女子に見られがちな僕だからそんなものを着せられたらもはやどういう評価なのか。 言いたくないし認めたくないけど殺意を抱くときは意外と平静な気持ちになるもので、それが結果的に良い方向に作用していた。 ところで昴先輩……仮にも僕と結婚を望んでおきながら女装させて愛でるとは何事か。 式では二人揃ってウェディングドレスを着るおつもりなのでしょうか? そんなことを聞くと、 「そのつもりだが?」 何を当たり前のことを。 平然と首肯されてしまった。 「お兄様は渡しません。白坂の血統なのですから白坂に帰順させるべきです」 「では白坂に帰順した後に私と結婚すればいいだろう。お互いの確執もこれで解決だ」 「こちらの利益圏に侵食しておいてよくもいけしゃあしゃあと」 「それについてはお互いさまだろう。酒奉寺がホワイトナイトとなった案件だけでも片手では数えきれんよ」 やいのやいのと言葉は尽きない。 その端で僕は女装によるストレスを抱え込んでいそいそと食事をしていた。 作法については白花ちゃんと昴先輩の見よう見まねだ。 「お兄様は私と結婚しますよね?」 「真白くんは私と結婚するだろう?」 「どっちも気が進まないなぁ……」 ぼんやりとぼやいた。 特に絢爛豪華に憧れる性質ではない。 「こんな事態にはなっているけれど華黒さえ傍にいれば僕はいいかな?」 それが偽らざる僕の本音だ。 本人に言うと暴走するのでこの二人にしか漏らせない類の言葉ではある。 「クロちゃんも白坂に迎えていいですよ?」 「大丈夫だ。華黒くんもろともに幸せにしてみせるよ」 ほらね。 通用しないし痛痒しない。 そういう意味では気楽な二人だった。 「ところで水月くんとはよく出来てるかい?」 「ええ、まぁ、そこそこに」 いまだ衆人環視の視線は痛いけど乙女救済交渉団もなりを潜めている。 基本的に悪意を内に秘めて睨みつけられる程度の害しかない。 鼻歌モノだ。 「千夜寺も牽制する必要がありますか……」 そりゃ悲しいね。 真摯にそう思う。 「鏡花くんもアレさえなければ魅力的な女の子なんだが……」 自己同一性ストレス障害。 自分が自分として生きていることが心的外傷と云う少女。 僕は素直に、 「可哀想だ」 なんて思うんだけどアレな世界で生きている昴先輩には受け入れがたい精神の有り様だろう。 「生きることが素晴らしい」 と、 「生まれたことが間違いだ」 は決して相いれない。 昴先輩をして天敵となす千夜寺鏡花の愛くるしさだ。 僕にとっては華黒やルシールと同じ目線で語れるし恋慕の情を覚えてもらえて恐縮なんだけど。 「まぁ真白くんは自己認識が壊れているからね」 とは昴先輩の言。 一分の反論の余地もないけど、それだけで済ませられるのも何だかなぁ。 「ちなみにお兄様?」 「何でしょう?」 「日曜日デートをするならホワイトデーに最も近い来週のソレが適当だと思うのですが、その辺りは如何に?」 鋭いね。 「来週の日曜は華黒と鏡花水月とデートの予定だから。一応チョコ貰った人とデートはするんだけど優先順位と懐の深さで塩梅を決めさせてもらったよ」 「ルシールくんと黛くんと先週デートしたのもその一環かい?」 「先輩にそれ報告しましたっけ?」 「愚弟に聞いた」 マジで何者だ彼奴! 千里眼にもほどがある。 「とまぁそういうわけでホワイトデーに最も近い日曜日に華黒とすれ違ったら『兄さんを刺して自分も死ぬ』って言い出しかねませんから先述したけどこういう塩梅に」 「愛されてるね」 「ええ、勿体ないほどに」 苦笑。 「千夜寺も一緒なのは?」 「まぁ僕と華黒がいれば鏡花も水月も嬉しいだろうって……」 伝えておかなきゃいけない言葉もあるし。 それをここで言ったりはしないんだけど。 沈黙は金だ。 「一応三学期でお別れだろう? できれば鏡花くんと真白くんを引き合わせたくはないのが私の本音だ」 それは多分華黒もだろう。 華黒の焦燥は痛いほど伝わってくる。 それでも僕としては味方になってあげたい。 泣いている女の子を見てしまうと、「助けて」って言われると、「怖いよ」って言われると、その肩にコートをかけてしまうのが僕の業だ。 それについては二人とも承知の上だろうし、そうしなければ僕と華黒はこの世に生きていない。 全ては結果論だけど、だからこそ覆らない事実でもある。 僕にもリハビリが必要だけど、それでも鏡花に限り手を差し伸べてあげたい。 少し昔……華黒にそうしてあげたように。 |