超妹理論

『その想いの向かう先』


 二月某日。
 水月が学業に復帰した。
 聞いた話だと薬の量が増えたらしいけど。
「クラスメイトたちは一様に水月を心配してくれたらしい」
 とは黛の言。
 いつもの日常。
 いつもの席。
 いつもの時間に、
「お前も罪な奴だな」
 統夜はくっくと笑う。
 この男は〜。
「事情を知ってるの?」
「ああ、見事にな」
「先輩から聞いたの?」
「それもある」
 それ以外もあるわけね。
 どうせはぐらかされるだけだろうから何も言わないけどさ。
「先輩から聞いたよ。自己同一性ストレス障害……でしょ?」
「ああ」
 さっぱりと統夜は頷いた。
「まぁ生きる事って……きついよね」
「お前が言うと割とガチになるから止めようぜ?」
「失敬」
「バレンタインももうすぐだし。また一波乱ありそうだな」
 僕の何がいいんだろね?
 女顔で躊躇い傷持ちで卑怯で横柄で、取柄は顔だけ……みたいな。
 難しい顔をしていると、
「そう思い詰めることでもないだろ?」
 統夜は気楽そうだ。
「統夜も恋人からチョコ貰うの?」
「無理だなぁ」
 無理なんだ……。
「もしかして統夜の恋人って形而上?」
「まぁ外れてはいない」
「二次元?」
「違う」
「3Dモデリングとかいうオチじゃないよね?」
「それも違う。一応相思相愛だ」
 サブカルチャーじゃないのに形而上的な恋人って……。
「遠距離恋愛?」
「残念。というかシチュエーションパズルだな」
「良問?」
「クソ問だな。解けたら絶賛してやるよ」
 つまり解読不可能……と。
「そんなことよりチョコだよチョコ。今回はいくつ貰うんだ?」
「さぁてねぇ」
 華黒。
 ルシール。
 黛。
 昴先輩。
 白花ちゃん。
 鏡花……はどうだろう?
 ……後は臼井さんからも欲しいね。
「天然ジゴロめ」
「僕のせいかなぁ?」
 不敬だろうけどそう思ってしまう。
 いやまぁ好きでいてもらっていることには感謝するけど。
 華黒以外に応えられないのが残念ではある。
 影分身の術でも使えればいいんだけど。
 憂世は無理ゲーすぎる。
「統夜は浮ついた話は無いの?」
「まぁたまに告られることはあるが……」
「あるの?」
「まぁ一応姉貴と設計図一緒だし」
「遺伝子を設計図って言うのやめない?」
 なんだか生々しいんだけど。
「特に意識してるわけでもないんだがなぁ」
「ちなみに結果は?」
「一応断ってるな。義理を欠いたら殺されるし」
「誰によ?」
「悪魔に」
「呪いでもかけられてるの?」
「まぁ因果と言い換えればそこまで間違った解釈でもないな」
「いちいちわからないなぁ」
「別段理解することは無いさ」
 そこでソレを言う?
 気になるじゃんか。
 悶々とする僕に、
「千夜寺はどうするか聞いてるか?」
 統夜は話をずらした。
「水月が華黒にチョコ渡すんじゃないの?」
「鏡花の方は?」
「そんな勇気のある女の子とは思わないけど」
「衆人環視の中でキスするほどの逸材だぞ?」
「う……」
 それは……否定できないけど……。
「まぁきばりぃな」
「と言われてもなぁ」
 僕が華黒を好きだとは既に言ってるんだけど。
 何せ積み重ねた経験が違う。
 僕と華黒は互いに視界を補完する仲。
 僕は華黒がいないと人間として生きていけない。
 華黒は僕がいないと人間として生きていけない。
 そういう風に育った。
 そういう風に創られた。
 そういう仕打ちを受けた。
 華黒は僕の命の恩人で、僕は華黒にとっての欠かせないピース。
 だから僕らはここまで生きてこれた。
 それを懇切丁寧に説く義理は無いけど。
 だからこそため息をついてしまう。
 何だかなぁ。

    *

 次の日。
 着々とバレンタインが近づいている。
 周りの女の子たちは裏で策謀しているらしかった。
 そう統夜に教えてもらった。
 前から思ってたけど統夜は何処からそんな情報を得ているのだろうか?
 疑問に思うも、
「天啓」
 とすまし顔で統夜は言った。
 誤魔化されていることはわかるんだけど、
「じゃあ何だ?」
 と問われれば口を閉ざすしかないわけで。
 本当になぁ。
 何だろね?
 そんなこんなで今日も華黒を連れて登校。
 華黒に引っ付いているのは水月。
 その背後でルシールと黛が百合百合している。
 というのは僕の現実逃避で、二人は雑誌を見ながら会談していた。
 曰く、
「手作りチョコレートとは如何に」
 というテーゼだ。
 毒にも薬にもならない。
 いや、チョコは薬になるか。
 ともあれ、
「やれやれ」
 僕は嘆息した。
「兄さん?」
「何?」
「溜め息をすると幸福が逃げますよ?」
「つまり溜め息をついた分だけ華黒が僕から逃げるって事?」
「いつでも傍にいます」
「なら問題ないね」
「むぅ」
 不満気な華黒だった。
 黒真珠のような瞳には拗ねた感情が湛えられている。
「ところで」
 これは僕。
「バレンタインの計画はもう立った?」
「まぁ一応」
「でっか」
「兄さんはまた今年も色んな人からチョコを貰うんですか?」
「蔑ろにはできないしね」
「蔑ろにしてほしいです……」
「そんなこと……」
 と、そこまで言って僕の呼気は止まった。
 一瞬だけね。
「…………」
 華黒が憂いの表情でこちらを見やっていたからだ。
 いつもの毅然とした華黒には無い表情だ。
 というか本来の華黒のソレと云えるだろう。
 少なくとも現時点において華黒は僕を必要とする。
 それも絶対的に。
 僕の移り気が華黒には不安を与えるのだろう。
 が、
「大丈夫だよ」
 とは言えなかった。
 僕に引っ付いている華黒に引っ付いている水月の目が笑っていなかったから。
 そうこうして難儀なクインテットは校門を潜る。
 昇降口で分かれて内履きに履き替えると、
「みゃ!」
 と水月の悲鳴が聞こえた。
「…………」
「…………」
 僕と華黒は目を見合わせる。
 そして下級生のスペースにひょこっと顔を出す。
「どしたの?」
 最短で聞く僕に、
「あうう……」
 と泣きそうになる水月。
 何があったんだろう……?
「ええと、お姉さん」
 とこれは黛。
「………………あう……」
 とルシーるルシール。
「うわぁ。ええ……?」
 どうやら水月は混乱しているらしい。
 代わりに黛が答える。
「水月が懸想文を貰ってしまいました」
「でっか」
 さほど珍しいこととも言えない。
 鏡花水月は美少女だ。
 バレンタインの前にアタックする男子が現れても不思議ではないだろう。
「どうしましょう?」
「と言われてもね……」
 僕は人差し指で頬を掻く。
「俺は華黒先輩が好きです」
「なら断れば?」
 他に言い様もない。
「華黒先輩……」
「何でしょう?」
「ついてきてはくれませんか」
「私が……ですか……?」
「はい」
「そんなこと……」
 と言って華黒は水月の瞳を見る。
 怯える小動物にも似た瞳。
 しばし思案した後、
「兄さんが付き合うなら付き合いましょう」
 それが最低ラインらしかった。
「僕はいいけどね」
 つまりそういうことだった。

    *

 時間は昼休み。
 場所は屋内プールの裏。
 それが懸想文の内容だった。
 要するに呼び出しの連絡文書だ。
「でも……悪趣味ですよね……」
 学食で昼食を取っていると華黒がそんなことを言った。
 カモ蕎麦をすすりながら。
「何が?」
 とオムライスを食べながら僕。
「………………あう……」
 とルシールは平常運転。
「多分、虚無感についてですね」
 とは黛の言。
「あう……」
 とルシーる水月。
「ふられることがわかって告白するなんて意地悪としか思えません」
 これを素で言うからなぁ。
 うちの妹は。
「でも真理でしょう?」
 さも当然。
 そう言う華黒。
「まぁそうだけど」
 僕としても否やは無い。
 オムライスを一口。
「………………あのぅ……」
 とルシール。
「黛さんたちはどうしましょう?」
 黛がルシールの憂慮を言葉に変えた。
「ぞろぞろ揃って行ってもしょうがないから待機してて」
 僕はそう答える。
「でもそれではお姉さんがひんしゅくを買いませんか?」
「今更だけどね」
「………………あう……」
 身に覚えのあるルシールがルシーる。
「俺としては俺の想い人が華黒先輩だって伝えられたらそれでいいんですけど……」
「百合百合だね」
「心は男です」
 それについては考えないようにしよう。
 ともあれ食事を終えた僕らは(正確には僕と華黒と水月が、だけど)屋内プールの裏手に顔を出した。
 待っていたのは一人の少年。
 水月の登場に破顔した後、僕と華黒の登場に顔をしかめる。
 さもあらん。
 お邪魔虫以外の何者でもない。
 わかって来ている僕らも何だかな……。
 ともあれ少年は告白する。
「水月さん?」
「なんです?」
「好きです……!」
 思いのたけを。
 水月に惚れたのだということを。
「ごめんなさい」
 それが水月の言葉だった。
 完全なる拒絶。
 完璧なる否定。
 そして水月は華黒の腕に抱き着く。
「俺は華黒先輩が好きです故」
 レズレズ。
 と言っていいモノかどうか。
 少なくとも男の人格である水月にはその意識は無いだろう。
 子供は産めないけどね。
「そんなわけで諦めてください」
 丁寧に断りを入れる水月に、
「華黒先輩は同性じゃないですか!」
 少年は激昂した。
「それが何か?」
 本当に、
「だからどうした」
 と水月は言う。
 心の底から。
 それはきっと純情で。
 それはきっと純粋で。
 それはきっと純朴で。
 だから偽りのない想いだった。
 水月は華黒を愛している。
 一目見て華黒に惚れた。
 華黒の本質は知らなくても……だからこそ今の華黒を好きでいられる。
 そう言ったのだ。
「このレズビアン!」
 そんな少年の罵声に、
「それがどうかしましたか?」
 飄々と水月。
「私は兄さんが好きなんですけど……」
 華黒が僕と水月にしか聞こえない声でボソッと呟いた。
「…………」
 水月が悲しそうな顔をする。
 が、事実だ。
 否定のしようが無い。
「用件は終わりですか?」
 ギロチンを振り下ろす水月に、
「……っ!」
 絶句する少年。
「それでは」
 そう言って水月は華黒の腕に抱き着いたまま、
「行きましょう」
 と言った。
 とどめの言葉……だったろう……。

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