超妹理論

『リミットは三学期』


 二月に入った。
 まだ鏡花水月は入院している。
 その間に僕と華黒はイチャイチャして、そこにルシールと黛を巻き込む形となる。
 二月某日。
 その日曜日。
 僕はまったりと華黒の淹れてくれたホットコーヒーを飲んでいた。
 というのも今日の天気は雪なので外に出たくないのだ。
 華黒は食器を洗っている。
 そこにピンポーンとドアベル。
「はいはいはーい」
 と華黒が玄関対応。
 そして、
「チャオ。シニョリーナ」
 そんな声と、
「キャーッ!」
 華黒の悲鳴。
「ああ」
 それだけで客が誰だかわかってしまう僕。
 因果な人間だ。
「やあ真白くん」
 ツンツンはねた癖っ毛の茶髪。
 自負に満ちた切れ目の双眸。
 何より完成された美貌が目を惹いた。
 酒奉寺昴。
 僕らの先輩だ。
 ちなみにほっぺに紅葉。
 華黒に引っ叩かれたのかな?
 どうせまた華黒のブラのホックを外したのだろう。
 そういう技術を昴先輩は持っている。
 役に立つかと云えば微妙なところだけど。
 そして昴先輩は僕のおとがいを持つと、
「真白くんはいまだ愛らしいね。雪の妖精も君には敵わない」
 そんな睦言を紡いでくる。
「華黒に刺されたいんですか?」
 僕は冷静に状況を指摘する。
「大丈夫だよ。少なくとも華黒くんに真白くんと隔絶する環境に至ることは出来ない……と思うよ」
 自信無さ気な辺りは昴先輩も華黒をよく知っているということだろう。
「それで?」
「とは?」
「今日は何の用です?」
 僕から聞いた。
「ふむ」
 と顎に手を添えて、
「君に謝りたくてね」
 真摯に僕を見る昴先輩。
「何を?」
 と僕。
「それより華黒くん」
 話が大いにズレた。
「何ですか?」
 不機嫌丸出しで華黒。
 まぁ面白い状況ではないよね。
 華黒にとってはさ。
「茶をくれ。コーヒーでもいい」
「何故あなたなんかに」
「僕からもお願い」
「むぅ」
 嫌々ながら華黒は昴先輩に紅茶をふるまった。
「うん。いい香りだ」
 昴先輩は手放しで褒めた。
「それで何の用です?」
 言外に、
「早く帰れ」
 と云っていた。
 まぁ歩く災害だろうから華黒の気持ちもわからないじゃないけどさ。
「先にも言ったが謝りたくてね」
「何に対してでしょう?」
 僕はクネリと首を傾げる。
 特に昴先輩に迷惑を掛けられた覚えは正月以来無いはずだけど。
「千夜寺鏡花についてだよ」
 今も入院中の鏡花水月についてらしい。
「千夜寺鏡花」
 と言う辺り、どちらが基本人格でどちらが交代人格なのかは理解しているようだ。
「別に先輩に謝られることもされてませんよ?」
「君は心を奪われているだろう?」
「そんなことはありませんが……」
「その躊躇いだけで透けて見えるよ」
 むぅ。
「申し訳なかった」
 昴先輩は謝る。
「だから先輩のせいじゃないでしょう?」
「引き合わせたのは私だからね」
「それは……」
 そうだけど……。
「鏡花がストレスを覚えた原因を君は理解しているのだろう?」
「…………」
 黙るしかなかった。
 そうではあるんだけど……。
「それだけのために訪問したんですか?」
「いいや」
 否定。
「真白くん」
「何でがしょ?」
「鏡花に会いたいかい?」
「無事ですか?」
「まぁもう数日すれば退院できるよ」
「お見舞い程度なら行きたいですけど……」
「だったら行こう。ああ、華黒くんは留守番していたまえ。君がいると鏡花を刺激する」
「そんなことが許されるとでも……!」
「大丈夫。別に華黒を裏切ったりしないから」
 少なくともそんなことが不可能なのは華黒とて知っている筈だ。
「あう……」
 と華黒は赤面しながら納得した。

    *

 外は雪景色。
 であるから外出はあまりしたくないのだけど鏡花の問題だというのなら外に出る他ないだろう。
 さて、鏡花の担当病院は少し遠かった。
 車で三時間ほど。
「帰りは遅くなる」
 と華黒には伝えてある。
 である以上華黒が警戒したのも無理はないけど、しょうがないと割り切ってもらうしかない。
 雪景色を見ながら昴先輩が言った。
「本当は真白くんと鏡花を会わせるわけにはいかないのだがね」
 だろうね。
 ほとんど僕が原因だろう。
「でもまぁ」
 と言って一区切り。
「…………」
「…………」
 しばしの沈黙の後、
「真白くんがいなければ先に進まないのも事実だ。」
「そうですか?」
「会いたがってるよ、鏡花は。そして同時に怯えてもいる」
「なんだかなぁ」
 なんで僕は女の子を追い詰めることしかできないんだろう?
「それは私も一緒だよ」
 サラリと心を読まないでもらえます?
「顔に書いてあるよ」
 そう言ってくっくと昴先輩は笑った。
 そんなこんなで病院につく。
 大学病院だ。
 かなり大きい。
 ……当たり前か。
「見舞いの欄には酒奉寺華黒と書いてくれたまえ」
 そっちの方が話がスマートに運ぶ。
 と昴先輩。
 それから鏡花の病室に顔を出す。
 立派な個室だった。
 さすがに酒奉寺の分家ともなればこの程度は軽くやってのけるらしい。
「あ、昴先輩……と……あ……」
 水月の瞳に憂いが宿った。
「元気かな?」
 そんな愚にもつかない挨拶に、
「はい。おかげ様で」
 寂しげに笑って見せる水月。
「鏡花はどうしているんだい?」
 昴先輩の言葉に、
「怯えてますよ」
 苦笑で返す。
 人格同士で意思疎通が出来るって便利ね。
「やっぱり僕が原因?」
「光の当て方にもよりますよ」
 まぁある意味で誰が原因かは人によって変わるだろう。
 僕かもしれないし華黒かもしれない。
 当人かもしれないし巡り合わせた昴先輩かもしれない。
「でもよく面会通りましたね」
 僕の存在が心の負担になっているためある種当然の疑問だ。
「ま、やり方は色々あるさ」
 偽名を使っただけなんだけどね。
「とりあえず見舞いに花を選ばせてもらったけど良かったかい?」
「ありがとうございます昴先輩」
「では花瓶に」
 そう言って花瓶に水を注いで花を挿す。
「僕がいて大丈夫?」
「鏡花にとっては多少負担でしょうけど何とか」
「ごめんね」
「真白先輩が謝ることではありません」
「本当にそう思ってる?」
「まぁ色々と原因はありますし」
 苦笑。
「真白くんと離れた方が鏡花も安定するんだろう?」
「ええ。ですからリミットを設けられました」
「リミット?」
「三学期いっぱいで元の学園に戻ります」
「そうでもしないと鏡花が持たない……か」
 憂う僕とは対照的に、
「なるほどね」
 昴先輩は面白そうに笑っていた。
 何が面白いんだろう?
 今の僕にはわからなかった。
「純情だね」
 と昴先輩。
「ええ、まぁ。華黒先輩はすごく素敵ですし。鏡花も真白先輩を慕っていますし」
 はにかむ水月。
「まだ好きでいてくれてるの?」
「大好き……だそうですよ?」
 鏡花の意思を代弁する水月だった。
「私も好きだぞ真白くん」
「鏡花のストレスに繋がりますから止めてくださいね?」
「むぅ」
「鏡花大丈夫?」
「またちょっと凹みました」
 水月の苦笑。
 だろうね。
「鏡花?」
 僕は水月の背中に隠れている鏡花に声をかけた。
「元気になったらまた戻っておいで。君たちと一緒に遊ぶのは悪くない」
「了解だそうです」
 水月が微笑みながら鏡花の言葉を代弁してくれた。

    *

 面会は終わった。
 病院を出ると雪景色だった。
 広範囲にわたって雪が降っているらしい。
 まぁ珍しいことでもないけど。
 僕は厚手のコートを纏って寒さに対抗する。
 早く春が来てほしい。
 あ、でもそうすると鏡花水月と会えなくなるのか。
「なんだかなぁ」
「なに。少し遠いが会いたいなら会いに行けばいいだろう? その時は私に一言声を掛け給え。連れていってあげるから」
 だからサラリと心を読まないでください。
 雪が冷たい。
 当たり前か。
「そう云えば統夜が言ってたんですけど……」
「何だい?」
「鏡花は先輩の天敵だって。本当なんですか?」
「ん。まぁ。間違ってはいないね」
「何か含みがありますね」
「まぁ色々とね。精神的にそりが合わないというか」
「どういうこってす?」
 この言葉は気楽に発すべき類のソレではなかった。
 が、覆水盆に返らず。
 決定的な言葉を昴先輩から引き出した。
「僕は鏡花があまり好きではない」
「美少女なのに?」
「そちらについては花丸だが心の持ちようが……ね」
 虫歯をこらえるような表情だった。
 雪の中を歩きながら昴先輩は僕に問うてきた。
「そもそも何で鏡花は解離性同一性障害にかかっていると思う?」
「それは……」
 たしかに病名は聞かされたけど、その根幹を疑うことを失念していた。
 解離性同一性障害。
 いわゆる一つの多重人格。
 幼い頃の心的外傷から自身を切り離すために用いられる処理。
 つまり鏡花は何かしらの心的外傷を持っていることになる。
 ではそれは何かと問われても僕は鏡花の過去を知らない。
「自己同一性ストレス障害」
 あくまで暫定的な名前だがね。
 そう言ったのは昴先輩。
「聞いたことが無いですね」
「ああ、正式な病名ではない。あくまで鏡花の担当医が鏡花のためにつけた名だよ」
「自己同一性障害なら聞いたことありますけれど……」
「自身と自身の意識に差異を感じるってアレだろう? 割と近いよ」
 でっか。
「問題は鏡花にとってそれがストレス障害だってことだ」
「…………」
 …………。
「……まさか……」
「正解」
 昴先輩は苦笑いをした。
「自分と云う存在に強烈なストレスを感じる症状だ。つまり『生きているということそのものが辛い』という救いようのない病だよ」
「それでDIDを……」
「ああ」
 つまり先輩の天敵と云うのは、
「そういうこと」
 そういうことなのだろう。
「人は人を愛してしか生きていけない。世界は愛に満ちている。生きているということは素晴らしい。少なくとも私はそう思っているんだよ」
「対して鏡花は生きていることそのものが絶望的に凶害だ……と」
「ああ、私にしてみれば理解不能を通り越して敵意さえ覚える感情……いや病気だ。元より人は未知なるモノを忌避する傾向にあるからね」
「それ、本人に言いました?」
「まさか」
 ハンと鼻で笑う。
「美少女を追い詰める趣味は無いからね。悪戯くらいはするけれども」
 僕は美少女じゃないから追い詰められているのかな?
「私は美少女の内面も大切に想う。乙女の純情も、恥じらいも、情欲も、何もかもが美しいと思う」
「だから……」
「ああ、生きていることが苦痛だと言われてはお手上げだよ。愛らしい美少女ではあるが私では鏡花を受け止めきれない」
 僕にも無理そうだけどなぁ。
「鏡花は水月の背中に隠れて怯えながら生きていくんだろう。むしろ水月から鏡花を引き出した君に脱帽だ」
「一目惚れらしいですよ?」
「愛に定型はないさ。一目惚れだって立派なロマンスだよ」
「……ですね」
「それにしても君は優しいね」
 いきなり何を?
「ここまで心痛められたら鏡花だって満足なはずだ。私とて君の慈悲には感服する」
 言って昴先輩は僕のおとがいを持った。
「華黒に刺されますよ?」
「今はいないだろう」
「そうですか」
 では遠慮なく。
 僕はキスをした。
 昴先輩の唇……とほっぺとの中間地点辺りに。
「意地悪め」
「死にたくなかったら華黒にはバラさないでくださいね」
「ああ。やはり真白くんは愛らしいな。愛の何たるかを知っている」
 そこまで大層なものじゃないけど。
 ただ大切なものが有ると、その重さを感じていられるだけである。
 泣く女の子を見たくない。
 それが僕にとっての幼い頃に植え付けられたレゾンデートルだ。
 大したことじゃない。
 素直にそう思う。

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