超妹理論

『キスの罪』


 一月某日。
 日曜日。
 そろそろ二月が見えてくる頃合い。
 寒さは相変わらずだけどふとした拍子に日差しの暖かさを感じいる。
 で、僕と華黒は午前中いっぱいのんべんだらりとして昼食と相成る。
「御馳走様でした」
 パンと一拍。
「お茶にしましょうか」
「だね」
 そんなわけで食後の茶の時間となってまったりしているとピンポーンと玄関ベルが鳴った。
 受け皿がカチンと鳴った。
 玄関対応は華黒の役目だ。
 入ってきた客は可愛らしかった。
「いにしへの、奈良の都の、八重桜」
「けふ九重に、にほひぬるかな」
 こんなやりとりが出来るのは白花ちゃんしかいない。
 美少女と云うより美幼女と言った方が適切だろう。
 小学生だから当たり前なんだけど。
 もこもこしたジャケットを着たボブカットの幼子だ。
「お久しぶりですわお兄様」
「正月以来だね」
「クロちゃん。私にもお茶を」
「図々しい……っ」
「僕からもお願い」
「わかりました」
 こういうところはチョロいんだけどなぁ。
 そうして三人でお茶を飲んでいると、
「お兄様?」
 と白花ちゃんが僕に視線をやる。
「私とデートしましょう」
「ダメです」
 完。
 次回をお楽しみに。
 となればよかったんだけど生憎と終わりゃしないのが憂世の辛いところ。
 ムッとする白花ちゃん。
「なんでクロちゃんが否定するのよ?」
「兄さんの恋人は私です故」
「お兄様もクロちゃん見限った方がいいよ? 大学卒業する頃には私の方が熟れた果実になってるから」
「白花ちゃんは僕と華黒の業を知ってるでしょ」
「むぅ」
 黙す。
 するとまたピンポーンと玄関ベルが鳴った。
 入ってきたのは水月。
「おや、見知らぬ幼女」
「そういうそっちこそ見知らぬ男の人ですね」
 ちなみに水月は休日の私服は男物だ。
 美少年でも通る美貌を持っているため白花ちゃんが勘違いしてもしょうがないだろう。
 しょうがないから他己紹介。
「白花ちゃん。こっちは千夜寺水月。僕と華黒の後輩。水月。こっちは白坂白花。僕の従妹」
「千夜寺……!」
「白坂……!」
 どうやら苗字くらいは知っているらしい。
「へぇ。千夜寺の御曹司が瀬野二に?」
「そういう白坂本家が真白先輩の従妹とは」
 このままだとギスギス牽制しあうだけになるので僕が割り込んだ。
「それで? 水月は何の用?」
「はい! 華黒先輩!」
「何でしょう?」
「デートしてください」
「嫌です」
 完。
 次回をお楽しみに。
「ちょうどいいですね」
 何が?
「私はお兄様とデート。水月はクロちゃんとデート。ダブルデートしましょう」
 またそうやって火に油を注ぐ。
 華黒が激昂したのは言うまでもない。
 ドタバタやって華黒の怒りが収まったのちに、僕は華黒の頭を撫でて機嫌を取った。
「あう……」
 と大人しくなる華黒。
 愛い奴愛い奴。
「お兄様としてはどうなんですの?」
 と白花ちゃん。
「まぁ華黒がいるからデートは無理だけど遊びにいくだけなら付き合うよ?」
「兄さん……」
 華黒がポーッと魂を幽離させた。
「僕の恋人は華黒だし」
「ジゴロですね」
 とは水月。
「ルシールに黛に白坂までいるなら華黒先輩くらいは俺にくださいよ」
 そんなこと言われても……。
「お兄様……」
 はい。
「もしかして千夜寺は……」
 はい。
 コックリと頷く。
「余計なことは言わないでね?」
「はい」
 素直な良い子。
「じゃあパーッと遊びに行きましょう」
「都会まで足伸ばすの?」
「ええ。金貨英雄伝説の劇場版をやっていますのでお兄様と見に行きたかったんです」
「金英伝ね。どうする華黒?」
「まあ映画くらいなら……」
 複雑な心境のようだ。
「よしよし」
 頭を撫でる。
「あう……」
 華黒は懐いた子猫のように機嫌を直した。

    *

 金英伝は作画、ストーリーともに素晴らしいものだった。
 久々の映画に興奮したまま近場の喫茶店に入る僕ら。
「ホットコーヒー」
「紅茶とケーキのセット」
「同じく」
「ダージリンを」
 そんなわけでお茶の時間となった。
 しばし金英伝の話で盛り上がる。
 かしまし娘に僕一人。
「なんとまぁ」
 と云った気持ちだ。
「お兄様はどうでした?」
「面白かったよ。批評できるほど器用ではないけどね」
 ホットコーヒーを味わいながら僕。
「だよね。だよね」
 僕の機嫌を取って嬉しくなるのはどうやら僕に惚れた人間の業らしい。
 因果なことで。
 喫茶店の内装は落ち着いたものだった。
 少し前に流行った邦楽がオルゴールバージョンで流れている。
 ホットコーヒーも薫り高いし、全体的に良い店と云えるだろう。
 観葉植物もそこそこ置いてあるが決してプレッシャーは感じない。
 センスがいいのだろう。
 おひげのマスターは丁寧にグラスを磨いていた。
「それで?」
 と白花ちゃん。
「なんで水月はクロちゃんが好きなの?」
「むしろ何で好きにならないんですか?」
「え?」
「え?」
 まぁそうなるよね。
「華黒先輩の美貌は三千世界で一等賞ですよ?」
「可愛いのはそうだけど……」
 そこは認めるのね。
 そんな華黒は、
「…………」
 目を閉じて紅茶を飲んでいた。
 淡々と。
 華黒のおもてについてあーだこーだと議論したのち、
「ですよね?」
 と水月が僕に水を向ける。
 何のことかと云えば、
「華黒がいかに洗練された美貌を持つか?」
 という問いだ。
「まぁね」
 コーヒーを一口。
 華黒が、
「ふにゃっ!」
 と奇声を発する。
 華黒の悪い癖だ。
 他の人間の評価は微塵も気にしないものの僕の評価には繊細になる。
 だからこそ愛らしいというのも嘘ではないんだけど。
「…………」
 ちょんちょんと華黒が人差し指で僕の肩を叩く。
「?」
 僕が華黒の方を向くと、
「っ!」
「っ!?」
 一瞬のうちに華黒が僕の唇を奪った。
 無論、唇で。
「あーっ!」
「先輩っ!」
 白花ちゃんと水月は驚いた顔をした。
 そりゃそうだろう。
 想い人が他者にキスをすれば誰だって不満になる。
 想い人が他者にキスされれば誰だって不平を言う。
 白花ちゃんは僕を。
 水月は華黒を。
 それぞれに好きなのだから。
 華黒のキスは紅茶の味だった。
 僕の唇はコーヒーの味だろう。
「ふふ」
 と悪戯の成功した顔で不遜に華黒は笑う。
「可愛い妹からのキスはどうでした?」
「愛のないキスをされてもなぁ」
「愛たっぷりですよ?」
 君にとってはね。
「牽制のためのキスなんて嬉しくない」
「では後で」
「ん」
 そんなことを言い合っていると……、
「………………ひ……は……」
 押し殺したような呼吸音が聞こえてきた。
 見れば水月が顔を真っ青にしている。
 苦しそうに服の胸の部分を強く握って、
「………………あ……あ……」
 ぜぇぜぇと過呼吸に陥っていた。
 元々白い顔色ではあるけど不自然なほど血の気が失せている。
 そのまま隣の白花ちゃんによりかかる。
 どうやら体勢を整えられないらしい。
「大丈夫!?」
「華黒」
「何でしょう兄さん?」
「救急車を呼んで。ここからなら僕らの病院が近いはず」
「わかりました」
 とにかく苦しそうな水月を横たえて僕たちは救急車を待つ。
 喫茶店のマスターが心配してくれたけど打つ手は何もない。
 とにかく今は救急車を待つしかない。

    *

 さて、
「精神的なものだよ」
 医者はそう言った。
 花岡先生だ。
 僕と華黒の担当でもある。
 検査衣を着て(というか着せられて)水月は眠っている。
 あるいは鏡花か。
 おそらく後者だろう。
「急性ストレス障害」
 花岡先生はそう言った。
「何かプレッシャー与えた?」
「まぁ」
 僕はおずおず頷いた。
「え?」
 と華黒と白花ちゃん。
「何かしましたか?」
「何かしたっけか?」
 だろうとは思ったけど。
「何をしたんだい?」
「キスしました」
「真白くんと千夜寺さんが……かい?」
「いえ」
 否定。
「僕と華黒が」
「ふむ?」
 花岡先生は、
「意味が分からない」
 と語った。
「一応そっち方面の患者のデータはもう握っているんでしょう?」
「まぁね」
「ちなみに鏡花は僕に惚れてます」
「それとキスが……」
 そこまで言った後、
「ああ、そういうこと」
 納得してくれる花岡先生だった。
「どゆこってす?」
 そりゃ華黒と白花ちゃんにはわからないだろう。
 ……責任のありかは華黒にあるんだけど。
「華黒が僕とキスをしたからストレスにさらされたんだよ鏡花は」
「何で?」
「じゃあ聞くけど華黒は僕と鏡花がキスをした時どう思った?」
「それはまぁ嫉妬を……」
「嫉妬できない鏡花は何を思うだろう?」
「ああ……」
 納得してくれたらしい。
「?」
 一人白花ちゃんだけが取り残された。
 とはいえペラペラしゃべることでもない。
 要するに簡単な問題だ。
 僕と華黒のキスによって僕に惚れている鏡花がストレスを覚えただけ。
 言ってしまえばそれだけなんだけど、
「なんだかなぁ」
 鏡花にとってそれは苦しいことで、辛いことで、悲しいことなのだろう。
 僕と華黒の仲に自分の入れない世界を見てしまえば。
「とりあえず」
 閑話休題。
「今日はこの病院で過ごしてもらって、それから担当の病院まで移送させるよ」
「千夜寺は大丈夫でしょうか?」
「ゆっくり休憩をとれば自然に回復するよ。君や華黒くんのような特異なケースではないからね」
 いやいや。
 鏡花水月も十分特異なケースだと思うんですが。
「むぅ」
 と不満そうなのは華黒だ。
「まるで私が悪いみたいじゃないですか」
 そうではあるんだけど非難には値しない。
「とりあえず」
 僕は言った。
「鏡花の前で必要以上のスキンシップは禁止だね」
「何でです!?」
「鏡花がまた倒れたら責任もてるの?」
「それは……っ!」
 華黒が声を失って、
「でもそんなことになるなら千夜寺と距離を取るべきじゃないかな?」
 白花ちゃんの妥当な提案。
「まぁ解決策の一つではあるけどさ」
 だからって……ねぇ?
「兄さんの悪い病気です」
「だね」
 華黒と花岡先生が知った風な口を叩いた。
「何が?」
「救いを求めている人を見捨てられない」
「可哀想な人を全力で助けようとする」
「だから兄さんは目が離せないんです」
 うーん。
 だってさあ。
 それを華黒が言うのは酷じゃない?
「兄さんは私だけを救ってくれればいいんです」
「華黒の悪い病気だ」
「少なくとも真白くんほど顕著ではないけどね」
 花岡先生にあらせられましては黙してください。
「鏡花や水月の前では必要以上にスキンシップをとるのは禁じ手だね」
「兄さん!」
「怒らないでよ。他に方法が無いでしょ?」
「鏡花水月に諦めてもらうのが合理的です」
「本気で言ってるの?」
「兄さんこそ本気で言ってるんですか?」
 このあたりの平行線はいつものことだった。
 なんだかなぁ。

ボタン
inserted by FC2 system