超妹理論

『天敵論』後編


 次の日。
 その朝。
 僕は、
「むにゃむにゃ」
 と睡魔と闘っていた。
 フレッシュジュースを飲んで、トーストの上に目玉焼きを乗せてかぶりつく。
 うむ。
 美味。
「華黒先輩に慕われるとこんな風に尽くしてもらえるんですね……」
 感嘆として言ったのは水月。
 いやいや。
 君のところは使用人に溢れてるでしょ。
「真白先輩」
 へぇへ。
「華黒先輩を俺にください」
「却下」
「じゃあ分けてください」
「いきなりグロに話が飛んだね」
「いえ、この際割くのは華黒先輩の固有時間です」
 にゃるほど。
 トーストをがじがじ。
「何納得してるんですか兄さんは」
 プクッと膨れる華黒だった。
「だって華黒……僕以外に靡く時間を作れる?」
「無理ですね」
「無理なんですか……」
 肩を落とす水月くん。
 南無八幡大菩薩。
「黛さんとしては是非とも水月に頑張ってほしいところですね」
 強力なライバルが減るだろうからね。
「でも現実問題華黒が脱落してもルシールがいるよ?」
「………………ふえ……」
 顔を真っ赤にするルシール。
 可愛い可愛い。
「ルシールとは親友ですしお姉さんは共有財産にします」
 さいでっか。
 さて、
「御馳走様でした」
 一拍して僕は朝食を終えた。
 それから身だしなみを整えて制服を着る。
 それから奇妙なクインテットは登校する。
「行ってきます」
 と誰もいない虚空に声をかけて。
 ガチャリと施錠。
「華黒先輩。今度の日曜は俺の家に来ませんか? 歓迎しますよ?」
「謹んでごめんなさい」
「行ってあげたら?」
 僕は僕の腕に抱き着いている華黒に言葉を差し向ける。
「兄さん以外の人間にはあまり時間を割きたくないんです」
 愛い奴め。
「よしよし」
 僕は空いている方の手で華黒の頭を撫でた。
 華黒はトロンと瞳を歪める。
「えへへ。至福です」
「そりゃ重畳」
「じゃあ真白先輩もご一緒に……」
「別にいいかなぁ」
「そう言わず」
「クラスメイト同士ルシールと黛でも誘えば?」
「無論来てくださるなら大歓迎ですけど」
「…………あう……」
「黛さん教養無いので富豪の家はちょっと気後れするっすよ」
 にゃはは。
 なんて笑う。
 どうやらルシールと黛も乗り気ではないようだった。
「豪華な御馳走だしますよ?」
「僕の場合は華黒の手料理が何よりだしなぁ」
「やん。兄さんったら……」
「華黒先輩は?」
「特別歓待を受けようとは思えませんね」
 真白ニズム全開だった。
「………………あう……ごめんね……?」
「謝られることでもない気がしますが」
「なはは。黛さんはむしろ料理をふるまう方が好きっす」
 まぁ黛ならそうだろう。
 そんなことを話しながら登校中。
 衆人環視の視線も今更。
 元より自分が見えないため気にするこってもない。
 気後れはするけどね。
 そんなこんなで昇降口。
 僕らは上履きに履き替えて、それぞれの教室へ。
 ルシールと黛と水月は一年のクラスへ。
 僕と華黒は二年のクラスへ。
 この瞬間だけ僕と華黒は公で二人きりになれる。
「えへへ。うへへ。うえっへっへ」
 ええ、まぁ、なんというか。
 今日も華黒は平常運転です。
 クラスに着いたら猫を被らなくてはならない身のため、廊下を歩いている間くらいは好きにさせよう。
「兄さん?」
「愛してるって?」
「先に言わないでくださいよぅ」
 あら?
 正解?
「まぁいいんだけどさ」
「なんか兄さんの周りに女の子が増え続けて危惧してしまいます」
 嘘つけ。
 嫉妬してるのは事実だろうけども。

    *

 滞りなく授業が終わり、ホームルームも終わる。
「じゃあ気を付けて帰りなさい」
 という担任の教師の声を聴いて僕は帰宅の準備をした。
「兄さん。帰りましょう」
「だね」
「仲睦まじく帰りましょう」
「周りの反感買ってどうするのさ」
「気にするなんて兄さんらしくもない」
「華黒に冷たい目線を向けられるのも、ね」
 統夜に聞いた話では僕は一年生から少なからず支持されているらしい。
 この支持と云うのがどこまでのことを指しているのかわからなかったけど、聞くのが怖かったため問うてはいない。
「お姉さーん。お姉様ー。かーえりーましょー」
 こんなことを言うのはナチュラルハイテンション黛さんに他ならない。
 廊下側のクラスの扉からヒョコヒョコと手をふっている。
「華黒先輩」
 物怖じせずに教室に入ってきたのは水月。
 この子も恐い者知らずだな。
「デートしましょう」
 ざわっ。
 あっけらかんと言った水月の一言にクラスメイト達が射すくめられた。
 表現が的確かどうかはともあれ。
「兄さんが良いなら良いですよ?」
「どうです真白先輩?」
「別に構いやしないけどさ。そういう健気なところは可愛いね」
 変化は劇的だった。
「………………あ……う……」
 ボンと一瞬で顔を真っ赤にする水月。
 頭のてっぺんからプシューと湯気を立ち上らせる。
「………………あ……う……」
 そして艶っぽい光を瞳に湛えて、
「………………ん……」
 無防備だった僕の唇を唇で奪った。
「な……っ!」
 華黒の絶句。
「………………あうう……!」
 ルシールの言失。
「おやまぁ」
 黛の平常運転。
 そしてクラスでどよめきと云う名のビッグバンが炸裂した。
「キャー!」
 とミーハーが騒ぐ。
「また真白か! また真白なのか!」
 と嫉妬に騒ぐ男子ども。
「女の敵ね」
「害虫」
「淫獣」
 蔑視してくる女子ども。
 もはや瀬野二における僕の評価は最底辺を振り切れてマイナスに突入した。
 そりゃ華黒とルシールと黛と水月とともにイチャコラやってたらそうなるよね。
 華黒と云う本命がいながら、まだ誰も唾をつけていないはずの水月までもが僕に好意を寄せているとなれば爆殺されてもおかしくない。
「なーっ!?」
 と驚いているのは水月も同じだ。
 顔を真っ赤にして、
「あわわ……! あわわ……!」
 と狼狽える。
「水月さん?」
「何でしょう?」
「何で華黒が好きなのに僕にキスするの?」
「だからアレは俺じゃなくて鏡花のせいで……!」
「鏡花?」
「俺じゃない俺です!」
「意味わかんないんだけど」
 いくら僕とてこうまでキスされれば意識せざるを得ないんだけど。
 というか華黒が怖い。
 そこに一人動揺していない生徒が僕らに近づいてきて、ポンと僕の肩に手を乗せた。
 統夜だ。
「はーいはい。そこまで。事情話すからとりあえず帰ろうぜ?」
 そんな提案。
 いきなりのキスでぐちゃぐちゃしていた脳内ホムンクルスの暴走が少しだけ鳴りを潜める。
 カルテジアン劇場が沸騰から冷める。
「統夜は知っているの?」
「まぁ概ねの事情はな」
 そして統夜は水月を見て、
「な?」
 と皮肉気に言う。
 そんなわけで今回はセクステットでの帰宅と相成った。
 僕とカルテットの少女たちと統夜。
 珍しい六人組だ。
 基本的に統夜が僕に話しかけてくるのは僕が一人の時だからなぁ。
 ともあれ学校から逃げるように下校。
 近場の喫茶店にて六人掛けのテーブルの席に着く。
 僕と統夜はコーヒー。
 カルテットはそれぞれの紅茶を。
 ジャズの流れる雰囲気の良い喫茶店だ。
 木目が至る所に奔り、和洋折衷と相成っている。
 手作り感を重視しているのだろう。
 メニューも流麗な手書きだし、テーブルも巨大な樹を輪切りにしたような木製のソレ。
 コーヒーも苦みが強くすっきりとしていて脳に活力を与えてくれる。
 冷静になると頭を抱えてしまう。
「明日から僕は学校でどうすればいいんだ……!」
 切実な問題だ。
 泣きたい。
「法が無ければ殺しているところですのに」
 華黒も華黒で切実な問題らしい。
「さて、話していいか?」
 コーヒーを飲んだ後、統夜はそう口火を切った。

    *

「何故水月は兄さんにキスをするのです?」
「キスしたのは水月じゃない……だろ?」
 統夜は水月に視線をやる。
「はい。俺ではありません」
「では誰です?」
「鏡花です」
 そう水月は告白する。
「鏡花?」
 これは統夜と水月以外の全員。
「まぁそれはともあれ」
 統夜はコーヒーカップを受け皿に置くと、話を切り替えた。
「真白?」
 あいあい。
「DIDって症状を知ってるか?」
「ディソシエイティブ・アイデンティティ・ディスオーダーの略だよね」
 すらすらと諳んじてみせる。
 一応精神系の病気に関しては勉強している。
 僕も患者だからね。
「さすが」
「素人に毛の生えたような知識だよ」
 本で読んだ程度だ。
 自慢するこってもない。
「でぃそし……?」
 黛が首を傾げた。
「ディソシエイティブ・アイデンティティ・ディスオーダー」
 繰り返す僕。
「何ですかそれは?」
「統夜。お願い」
「日本語で言うところの解離性同一性障害。俗にいう多重人格障害だよ」
「多重人格って……」
「………………あう……」
 黛とルシールの二人はあまり理解できないらしかった。
「一つの体に二つ以上の人格が形成される症状を指すんだ。千夜寺の中には鏡花と水月の二つの人格が宿っている。二重人格だな」
「本当っすか?」
 黛が水月に水を向ける。
「本当」
「ということは……」
 とこれは華黒。
「兄さんにキスをしたのは水月ではなく鏡花の方だったと?」
「はい」
 理論的帰結ではある。
 まぁたしかにそれなら説明がつく。
 あら?
 そうすると……、
「もしかして」
 嫌な予感。
 虫の報せ。
「多分……だな」
 統夜もぼんやりと肯定した。
「………………どういう……こと……?」
 ルシールはいまいちついてきてないなぁ。
「つまり」
 と統夜。
「鏡花が真白に、水月が華黒に、それぞれ一目惚れしたんだろ」
 そゆことなのだった。
「………………あう……」
 理解してルシーるルシール。
 うーん。
 抱きしめたい。
「兄さん?」
「冗談はともあれ……」
 僕は話の筋を本道に戻す。
「なんていうか。ややこしいね」
 鏡花は僕こと真白に一目惚れ。
 水月は妹こと華黒に一目惚れ。
 で、僕と華黒は相思相愛。
 三角関係と云うか四角関係と云うか。
 いや、鏡花と水月は繋がっていないからコの字関係が適切か。
「そういうわけで鏡花が真白先輩にベタ惚れなのでこれからも粗相をしでかすと思います」
 そんなサラリと言われても……。
「水月が抑えることは出来ないのですか?」
 華黒が問う。
「無理です。体の所有権は鏡花にありますから」
 鏡花が基本人格なんだ……。
「鏡花は真白先輩を想っているときだけ病気の苦しみから救われると言っていました。おそらく事実なのでしょう」
「病気?」
「それについては……今は言えません」
「統夜?」
「なんだ」
「昴先輩は手を出さなかったの?」
 鏡花水月は美少女だ。
 十分昴先輩の範疇だと思うんだけど。
「ああ、鏡花の方が姉貴の天敵だからな」
 ん?
「天敵?」
「天敵」
「どういう意味で?」
「それは……まぁ鏡花が病気について伏せるというのならここで言うことでもないな」
 済ましたようにそう言ってコーヒーを飲む。
「鏡花が申し訳ありません」
「気にしてないよ」
 何でもないように言って見せる。
 というか確かにソレについては何も感じようがない。
「水月と鏡花は華黒と真白をどうするつもりなのか?」
 それだけは後ろ髪を引っ張られるようなしがらみだったけど。
 まぁ毎度のことではあるんですけどね〜。

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