超妹理論

『新たな隣人』前編


「兄さん?」
「…………」
 僕は疲れ切った目で華黒を見やった。
 華黒お手製のおにぎりを食べながら。
 僕と華黒はエアコンの暖房を利かせてどてらを羽織っている。
 実家にはコタツがあるけどアパートには無い。
 しょうがないから別の手段をとっている、と。
 そゆこと。
「兄さん……怒ってます?」
「怒らないと思ったの?」
「可愛い妹の茶目っ気じゃないですか」
「なら僕の不機嫌も茶目っ気だと思ってね」
「はい!」
 即座に首肯された。
 多分あてつけや皮肉だとわかって尚……だろう。
 その程度はやってのける人間だ。
 しょうがないからおにぎりをもむもむ。
「兄さん?」
「…………」
「旦那様?」
「…………」
「あなた?」
「…………」
「あんまり意地悪してると兄さんの下着で自慰しちゃうんですから」
「それは勘弁」
 しょうがないから口をきく。
 どうやらこういった駆け引きで僕は華黒に劣るらしい。
 わかっていたことではあるんですけどね。
 云うことを聞かせるだけなら僕に利があるんだけど。
「だいたい何で怒るんですか?」
「自分の胸に聞いて」
「私の乳房に興味が?」
「ならぬ堪忍の線引きについて話そうか?」
「むぅ」
 困ったような表情をして、

「下着姿で兄さんのベッドに潜り込むなんて妹として当然のことですよ?」

 そんな問題発言を平然と口にする華黒だった。
「本当なら裸がよかったのですけど兄さんの立場も考えて下着姿で妥協したのに何で怒られなきゃいけないんですか?」
「ボーダーラインの振り切れ方について論じても意味がないと思うんだ……」
 とにかく疲れる妹だった。
 朝。
 目が覚めたら華黒が隣で寝ていた。
 下着姿で。
 ちなみに頬をつねると、
「いひゃいです!」
 と狸寝入りを取り止める華黒さん。
 僕の健康快男児の朝の宿命に、
「兄さんったらエッチ」
 と頬に手を当て赤面した。
 弁解の余地なしとはこのことだ。
「妹は無条件で兄さんを好きなものです。兄さんの裸を見たり兄さんに裸を見てもらったりするのが至福なのです」
「だから?」
「兄さんの寝顔を見たいというのも妹として当然ですし、兄さんに自分で興奮してもらいたいというのも愉悦なのです」
「あっそ」
 おにぎりをもむもむ。
「兄さんは嬉しくないんですか?」
 ご褒美です。
 口が裂けても言えないけど。
 もともと華黒はスレンダーでありながら出るとこが出ている。
 そのプロポーションは天性のもので、中学時代から特に目を見張った。
 当然劣情を催すこと数多であるため思春期の僕には辛い日々だ。
 だから、
「嬉しくない」
 つっけんどんに言った。
「むぅ」
 と華黒。
「兄さんは私を好きですよね?」
「愛してる」
「わ……はわ……!」
 赤面するなら聞かないでよ。
 エッチと純情の二律背反する華黒らしいと云えばそうなんだけど。
 おにぎりをもむもむ。
「なら私で欲情してください!」
「してる」
「わ……はわ……」
 やっぱり狼狽える華黒だった。
 こういうところは素直に愛らしいね。
 後はエッチな部分をもう少し抑えてくれれば言うことなしではあるのだけど。
「やっぱりもっと過激な下着の方が好みです?」
「興味ない」
 大嘘つき。
「やっぱり下着より全裸の方が?」
「さすがにそこまでされたら僕も華黒との関係を再確認する必要が出てくるかなぁ」
「事業仕分け?」
「事業仕分け」
 コックリと首肯。
「兄さん……! なんて恐ろしい子……!」
「原因が誰か考えようね?」
「太陽が熱いから中てられたんですか?」
 今は冬。
「もうちょっと自重してくれると嬉しいんだけど」
「私の業は兄さんも知ってるでしょう?」
「なら僕の業も華黒は知ってるはずだよね?」
「はい」
 爽やかに肯定。
「ですからその擦り合わせのためにデートしましょう」
「どこの宇宙理論?」
 いや本当に。

    *

 そんなわけでデートと相成った。
 僕はコートにジーパン。
 華黒はセーターにスカート。
 スカートの丈は短くニーソックスとのコラボで絶対領域を創りだしている。
 さらにカバンを肩から下げて、セーターの胸元を強調している。
「うへへぇ」
 だらしない笑顔で(といっても僕だからこそわかることで衆人環視には愛らしい笑顔に見えているだろう)僕の腕に抱き着いている。
 通りすがる他人はポーッと僕たちを見ていた。
 多分仲のいい姉妹に映っているのだろう。
 あるいは百合百合。
「にーさん?」
「なーに?」
「えへへぇ。何でもありません」
 ただその時が至福だと。
 華黒の瞳はそう語っていた。
 ……こういうところは可愛らしいんだけど。
 なんだかなぁ。
 いっそ僕に自制心が無ければ。
「…………」
 それはそれでまずいか。
 うん。
 まずい。
 そんなわけでデートスポット……百貨繚乱へと歩く僕ら。
「にーさん?」
「なーに?」
「えへへぇ。大好きです」
 苦笑してしまう。
「華黒は可愛いね」
「ふえ……はゎ……ふえ……!」
 目に見えて狼狽える華黒だった。
 そういうところは本当に愛らしい。
 言わないんだけどさ。
 ツンデレかな?
「私、可愛いですか?」
「まぁそれなりに」
 大嘘つき。
 絶世にして不世出にして空前絶後の可愛らしさだ。
「色んな男子に告白されてるでしょ? それだけ華黒は魅力的」
「兄さん以外の人に好かれても」
 だろうね。
 ま、それについては僕も同意見。
 僕には華黒が必要だ。
 物理的に。
 僕と華黒は互いに視界が欠陥している。
 華黒が僕を見て。
 僕が世界を見て。
 そうしてなんとか一般人を装ってやっていけているのだ。
 そんなこんなでイチャイチャしながらショッピングモール百貨繚乱に辿りつく。
「で? どうする?」
「ランジェリーショップに行きたいです」
「一人で行ってらっしゃい」
「ああん。兄さん……」
「縋りつかないで」
「兄さんの意見を聞きたいんです!」
「聞いてどうするの?」
「穿きます」
「そ」
「に〜さ〜ん〜」
 華黒は僕に体重を預けてくる。
「ええい。僕はプラスチックな絞殺死体の!」
 あんぎゃあんぎゃと言葉を交わす。
「兄さんは女の子に興味ないんですか?」
「ある!」
「本当に?」
「ルシールペロペロしたい」
「私は!?」
「プラスチックな絞殺死体」
「何でですかぁ」
「まだ責任が持てないから」
「クラスメイトにはやりまくりな生徒もいますよ?」
 だから?
「仮にだけど僕との間に子供が出来たらどうするつもり?」
「産みます!」
「学校……退学になると思うけど?」
「むぅ……」
「一緒に大学に行くんじゃないの?」
「むぅ……」
「というわけで却下」
「じゃあ大学を卒業するまで……!」
「ん。まぁ。しないね」
「我慢できません!」
「僕はプラスチックな子が好みなんだけどなぁ」
 大嘘つき。
「では私はこの劣情をどうすれば?」
「なんとか我慢して」
 他に言い様がない。
 というか兄妹でこういう会話は如何なモノだろう?
 なんとなくブラコンについて考えてみるも、僕は妹と云う存在を体験できない。
 脳の出力は、
「該当するデータは存在しません」
 としか返さなかった。
「華黒は僕が好きなんでしょう?」
「え? はい……」
 コックリと首肯。
「だったら良い子にしてようね?」
「誘惑し続けます。魂にかけて……!」
 これさえなければなぁ。

    *

 昼食はパックになった。
 スパイクナルドバーガー。
 ハンバーガーと云えば此処。
 ファーストフードの大御所。
 冬休みと云う事もあって学生がよく見かけられた。
 華黒はハンバーガーをもむもむ。
「鬱陶しい視線ですね」
 華黒は少し不機嫌だ。
 猫を被っていない時の華黒らしい。
 僕はポテトをもむもむ。
「有名税有名税」
「あう……」
 何故そこで照れる?
 そう聞くと、
「だって人目を惹くほど可愛いって兄さんが言ってくださったから……」
 照れ照れ。
 そういう解釈もあるね。
 ポテトをもむもむ。
「むしろ私としては……」
「しては?」
「兄さんに向けられている邪な視線が鬱陶しいです」
「まぁ美少女だしなぁ」
 ぼんやりと僕。
 あまり自覚したくはないんだけど状況証拠がそろえば納得するしかない。
 というかそうでもなければ華黒と出会えなかったのが何だかな。
 ポテトをもむもむ。
「さて、これからどうする?」
「ランジェリーショップ」
「以外で」
「下着売り場」
「何の違いがあるの?」
「まさか兄さんは私にノーパンノーブラで過ごせと? いえ、兄さんがソレを望むというのなら私は達成してみせましょう」
「…………」
「そこで黙られると怖いんですけど……」
「言いたいことはわかるでしょ?」
「でも正直な話、下着は消耗品ですよ?」
 そなの?
「定期的に交換しないといけないんです」
 はあ。
「後は本屋です」
「おお、健全……」
「何故そこで驚きます?」
「自分の胸に聞いてみな」
「そんな……ここで脱げなんて……でも兄さんがそう言うのなら……」
「てい」
 チョップ。
 わりと本気で。
 だいたい真空管時代のテレビを直す時と同じ感覚だったりする。
「私は映りの悪いテレビですか……」
 よくわかってるじゃないか。
 さすが僕の妹。
 などと夫婦漫才をやっていると、
「ちょっとそこのお姉さん方?」
 声を掛けられた。
 チラとそっちを見やると、
「軽薄です」
「軟派です」
 と主張している服装のお兄さん方。
 計二名。
 髪もカラフルに染めてイカしてるぅ。
「何の用でしょう?」
 問うたのは僕。
 華黒は意識のメモリを男たちに使う気がないらしかった。
 代わりに僕が対応。
「俺らとデートしねぇ? いいことしてやるよ?」
「いや、完璧じゃん。これで決まりじゃね?」
「残念ですけどデート中なのでご遠慮願います」
「デート? 女の子同士で?」
「いけませんか?」
 あえて誤解は解かなかった。
「もったいねえって。男との方が楽しめるぜ?」
 華黒の無表情から段々と色が希薄になっていく様が見て取れた。
 こと過去のトラウマに対するタブーに関しては僕より過激な反応をする。
「迂遠に邪魔だと言っているのですから退散しませんこと?」
「何だとてめっ……!」
 カッとなって軟派男が何かしようとした次の瞬間、
「はい。そこまで」
 第三者の声がそれを遮った。
 スーツ姿の美少年。
 黒髪セミロングで後ろ髪はシュシュで纏めている。
 どこで見たかと沈思黙考。
「そういえば酒奉寺のパーティで」
 と思い出す。
 確か名を水月と言ったはずだ。
「何だてめぇ。他人がしゃしゃり出てくるな」
 すごむ様な軟派男に怯むことなく、水月はパチンと指を鳴らした。
 同時にどこから現れたのかメンインブラックもかくやの黒髪黒スーツ黒サングラスという黒尽くめの集団が軟派男たちを取り囲んだ。
 華黒は特に意識を割かずにコーヒーを飲んでいる。
 大物だなぁ。
「連行」
 水月がそう言うと、
「わっしょいわっしょい」
 メンインブラックたちは軟派男二人を担ぎ上げてその場から立ち去った。
「…………」
 あまりにシュールな結末になんとも言えない気分の僕。

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