超妹理論

『お正月カプリッチオ』後編


 それから統夜を通り過ぎると主賓席(とは言っても立食パーティであるから正確には『席』ではないのだけど)に僕と昴先輩は顔を出す。
 そこには柔和な笑顔をたたえた女性がいた。
 着物を着ている。
 茶髪。
 どことなく昴先輩を想起させるけど年齢的に女性といって問題ない。
「あらあらまぁまぁ」
 女性は昴先輩を見やって、それから手を繋いでいる僕を見やると、
「あらあらまぁまぁ」
 と再度言った。
「どうもお母様」
 と昴先輩。
 お母様?
 首をひねる僕。
「こちらが件の百墨真白です」
 そう言って僕を紹介する。
「あらあらまぁまぁ」
 女性は納得したらしい。
「真白くん」
「何でしょう?」
「こちらは」
 と着物の女性を示す。
「私と統夜の母で酒奉寺真珠と云う」
 さいですか。
「あけましておめでとうございます」
 僕は頭を下げた。
「はい。あけましておめでとうございます」
 真珠さんも頭を下げた。
 視線を交わして、
「本当に男の子なの?」
 疑念を口にする真珠さん。
 言いたいことはわかる。
 僕だって鏡を見れば疑うくらいだ。
「ええ、まぁ」
 他に返答しようがなかった。
「とても可愛らしい子ね」
 それ。
 褒め言葉になってません。
 野暮なツッコミはしないけど。
「真白くん?」
「何でしょう?」
 昴先輩の母親ともなれば、その立ち位置は重要なのだろう。
 少し緊張。
「あなたが昴のお婿さん?」
「違います」
 即否定。
「恋人がいますし」
「あらあらまぁまぁ」
 真珠さんは穏やかに苦笑する。
「違うらしいわよ?」
「今はまだ……だね」
 昴先輩はそう言った。
 今はまだって。
 昴先輩が諦めていないのは重々承知してるけど、青写真で未来を語られてもなぁ……。
「真白くんはそれでいいの?」
「良くありません」
 そこだけははっきりさせておきたい。
「大丈夫だよお母様」
 何が?
「きっと近い将来……真白くんは私に惚れる」
 ……自信満々ですね。
 嘆息する他ない。
「あらあらまぁまぁ」
 真珠さんも何考えてんだか。
「昴をよろしくお願いしますね」
 ええ〜?
 この天然母娘に何を語れと?
 そんなことを思ってしまう。
「真白くん? 君は私の王子様だ」
「百合上等の先輩の発言じゃないですね」
「狂おしいほどに愛らしい」
「華黒に刺されますよ?」
「華黒くんになら本望だ」
 これを本気で言うからなぁ。
 嘆息せざるを得ない。
「あらあらまぁまぁ」
 真珠さんも苦笑した。
「愛されてるわね真白くん?」
「業が深いのは認めます」
 ハンズアップ。
「それにしても本当に女の子にしか見えないわ」
 否定はしない。
 僕のせいでもないけど。
 ムスッとする僕に、
「あらあらまぁまぁ」
 と真珠さんが苦笑した。
「もしかしてコンプレックス?」
「ええ。まぁ。人並みには」
「でも酒奉寺を継ぐならこんなお婿さんでも良いわね」
 不和の白坂の血統ですけどね。
 やっぱり言葉にはしないけど。
「昴は結婚する気なんでしょう?」
「ええ」
 即答。
 おーい。
 こっちの意向は?
「なら何としても掴み取ってね? これに関しては制限を設けないから」
「ありがたいお言葉です。断じて行えば鬼神も之を避く……という故事があります。私の全霊を以て真白くんを陥落させて婿に迎えましょう」
 ……多分ツッコミは野暮なんだろうね。

    *

「よ、真白」
 僕の親御さんへの紹介が終わった後、僕に声をかけてくる人がいた。
「とりあえずまぁお疲れ」
「何に?」
「難儀な憂世だな」
「何を以て?」
「うちの母親に認められたろ?」
「聞いてたの?」
「間接的にな」
「僕に盗聴器でも?」
「機械的ではないが似たようなもんだ」
「…………」
 ジト目。
「特にプライバシーを侵害しようなんて思ってねえから気にすんな」
 と言われても。
「それにしても……」
 しても?
「お前は着物が似合うね」
 嬉しくないなぁ。
「着物って胸の小さな方が似合うんじゃなったっけ?」
「お前スットントンだもんな」
 ていうかそういう問題でもないけど……。
「でも華黒も綺麗でしょ?」
「ああ」
 統夜は頷く。
「天は二物を……ってのが如何に嘘か物語ってるな」
 そういうこと。
「ところで華黒ちゃんのところに急いだほうがいいぞ」
「なして?」
「ナンパされてる」
「いつものことじゃん」
 まぁ行くけどさ。
「真白」
「なぁに統夜?」
「あけおめ」
「ことよろ」
 それだけで言葉は足りた。
 で、パーティ会場を縦断して壁の花になっている筈の華黒のところへ向かう。
 途中で一度ナンパをくらったが謹んでお断りさせてもらった。
 着物姿に美少女の顔が引っ付いていれば誰でも思慕を持つだろうけど、あいにくそんな趣味は無い。
「そんなことはありません! どうか俺と付き合ってください!」
 そんな声が聞こえた。
 変声期を迎えていない少年の声だ。
「ですから私には恋人がいますと」
 こっちは華黒の声だ。
 パーティ会場はがやがやとざわめいているため声を拾うのにも一苦労。
 おかげでエクスクラメーションマークが付きそうな声でもけっして騒音にはならないのだけど。
 どうやら華黒がナンパされているらしい。
 そちらを見やる。
 簪で髪をまとめた着物姿の似合う大人っぽい美少女だ……というと兄馬鹿だろうか?
 そんな華黒に熱心に愛を説いているのはスーツを着た少年。
 年の頃は僕や華黒とそう変わらないだろう。
 ただし顔は美少女とうっかり間違えそうになる美貌だ。
 黒髪のセミロング。
 後ろの余った髪はシュシュで纏められている。
「その恋人より俺の方が華黒さんを幸せにしてやれます」
「無理ですよ」
「無理じゃありません。相応の立ち位置を持っていますから」
「そういう問題じゃないんですけど……」
 困ったような表情を見せる華黒が放っておけなくて僕は華黒に声をかけた。
「ただいま華黒」
「兄さん!」
 華黒はパッと表情を華やがせると僕に寄り添い手を握ってきた。
「こちらが私の恋人です。というわけで諦めてください水月さん」
 どうやら少年は水月と云うらしい。
「人が口説いているのに横から……っ!」
 と毒を吐こうとした水月と、僕との視線が交錯する。
「…………っ!」
 同時にボッと水月は赤面した。
「………………あ……う」
 呼吸すら忘れたように僕を見つめる。
「あら?」
 惚れられたかな?
 そんなことを思っていると水月は僕の胸に飛び込んできた。
「わ」
「水月さん!?」
 僕ら兄妹の困惑も無視して、
「………………ん」
 水月は自身の唇を僕の唇に押し当てた。
 つまり……その……キス……。
 数秒ほど世界が止まった。
 そして、
「みゃー!」
 ドンと僕は突き飛ばされる。
「何考えてんだ鏡花の奴!」
 水月が意味不明なことを叫んだ。
 それから華黒に目をやって、
「今のは違うんです! 俺だけど俺じゃないっていうか……! とにかく俺が惚れたのは華黒さんであって、こんな人とは……!」
「なら何故キスしたんですか?」
 華黒のプレッシャーはそれだけで心臓を鷲掴みにする。
 こと僕との色事情の弊害においては、そのプレッシャーは最大ともなろう。
「だから今のは俺の本意ではなくてですね……! 俺が心底惚れたのは華黒さんのみであります! 信じてください!」
「兄さん?」
「……何でしょう?」
 華黒が怖い。
「私にもキスを」
 はい。

    *

「まったく兄さんは……!」
 実家に帰っても華黒はプリプリ怒ってた。
「兄さんが美少年なのは今更ですけど、だからこそああいった場合に気を付けてもらわねば困ります!」
「そんなこと言われてもなぁ」
 おでんを食べながら僕。
「何々? 何の話よ?」
 食いついてきたのは父さんだった。
 あらかたの説明をすると、父さんは腹を押さえてくっくと笑う。
「笑い事じゃないんですけど……」
 華黒は冷ややかだ。
「ま、真白ならありうるわな」
 僕らのトラウマを知ってるでしょう?
 そう言いたかったけど止めた。
 泥沼にはまりそうだ。
 昆布巻きをもむもむ。
「兄さん」
「なぁに?」
「今日は一緒にお風呂に入りますよ」
「とか言ってるけどどうしますこの妹さん?」
「風呂ぐらい一緒に入ってやれ」
 それが父親の言うことか。
「むしろまだ間違いが起きてないのが驚異的なんだが」
 それが父親の言うことか。
「ですよね? パパもそう思いますよね?」
「ああ」
 ダメだこいつら。
 早くなんとかしないと。
 というわけで、
「いいお湯ですね」
 おでんを食べた後に一番風呂に入る僕と華黒だった。
 ちゃんと水着着用。
 さすがにそこだけは譲れない。
 こっちの理性にもタガがある。
 仮に華黒の裸でも見ればいつ外れてもおかしくない。
「じゃあ水着なら大丈夫か?」
 と問われれば全然大丈夫じゃないんですけどね。
「に・い・さ・ん?」
「何さ?」
 飄々と(表面的には)僕は答える。
「親も公認したことですし間違いに至りましょう?」
 華黒は僕に抱き着いてきた。
 僕の胸板にムニュウと二つのふくらみが押し付けられる。
 あわわ。
 六根清浄。
 六根清浄。
「ダメ」
 何とか絞り出した答えがソレだった。
「パパもママも良いって言ってくれてるんですよ?」
「そうだけど……」
「なら遠慮する何物がありましょうや?」
「華黒を都合のいい女にしたくない……」
「誠実ですね」
 残念だけどね。
 本当は抱きたい。
 キスしたい。
 乳房を揉みたいしセックスしたい。
 けど心のどこかで引っかかる。
 喉の小骨に例えてもいい。
「華黒はさ……怖くないの?」
「何がでしょう?」
「あんな過去があった後にそういうことするの」
「怖いですよ?」
「やっぱり?」
「ええ。でも兄さんと愛を確かめられない方がもっと怖いです」
 まぁたしかに僕の言動には熱がない。
 だからこそ華黒は僕に好き好きアピールをして気を引こうと一生懸命なのだ。
 であるから、
「ご褒美」
 僕は華黒にキスをした。
 それもしっかりディープな奴を。
 お湯とは別の要因で茹だる。
「……ん……ぁ……」
「……う……ぅ……」
 唾液を交換して愛を確かめる。
 ルシールや黛には見せられないけどね。
「ぷは」
 さすがに呼吸が苦しくなって僕はキスを取り止めた。
 華黒の顔は真っ赤になっていた。
 風呂でのぼせた……わけもなく。
 僕に中てられたのだろう。
 その程度の客観的な判断は出来る。
「兄さん……大好きです。愛しています」
 僕も僕も。
 言葉にはしないけど。
「昼間の事は水に流してくれた?」
「ええ。兄さんを信用します」
 というかこっちからアクションを仕掛けたわけでもないんだけどね。
 言うのも野暮だろうけど。
「今日は一緒の布団に寝ましょうね?」
「嫌」
「何でですか!」
「秘密」
 僕は唇に人差し指を当てた。
「強制的に潜り込みます。スニーキングミッションです」
 嫌われたいのかな?
 この妹は。

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