超妹理論

『誰も触れない二人だけの国』


 目を覚ました。
「……っ!」
 最初に感じたのは痛みだった。
 全身が痛い。
 爪先から頭まで。
 起きたばっかりで発症も出来ないからこればっかりは享受するしかない。
 しかして、
「痛い?」
 その感覚は困惑を呼んだ。
 記憶があやふやだ。
「…………」
 どうやら僕はベッドに寝かされているらしい。
 体が痛いから起き上がることは出来ないけど首を動かして周囲を見る。
 どうやら病室の様である。
 清潔な白色の支配する部屋だった。
 それも個室。
 ジャラリと金属のこすれる音がする。
 首に違和感。
 何かしらが首に巻かれていて金属が繋がっているのが感じ取れた。
 予想は簡単だ。
「首輪……」
 に他ならない。
 病室で首輪に繋がれて眠っている。
 その因果が思い出せない。
 さて、どうしたものだろう?
 しかして疑問は簡単に氷解した。
 個室にある扉が開き一人の女の子が入ってきたからだ。
 女の子は花束を持って、暗鬱たる表情で僕を見る。
 そして僕と視線が交錯した。
「にい……さん……?」
「華黒……」
 ブラックシルクの様に艶やかな髪。
 ブラックパールの様に輝かしい瞳。
 華黒は相も変わらずの美人さんだ。
 その瞳に涙が溢れた。
 パサリと華黒の手から花束が落ちた。
 華黒は震える両手が口元を隠す。
 それが激情を押し殺す仕草だと僕は知っている。
「兄さん!」
 華黒はベッドに寝たきりの僕に駆け寄ると、
「兄さん! 兄さん!」
 僕の手を取って頬ずりした。
 その行為は可愛らしいけど、
「華黒、痛い」
 正直な僕。
「兄さん……!」
 華黒は涙をボロボロとこぼしながらただ僕を慈しんだ。
 三十分後。
 漸く泣き止んで慟哭から解放された華黒が問うた。
「兄さん。お加減はどうですか?」
「全身が痛い」
「でしょうね」
 あっさりとしたものだ。
「全身骨折していますから。しばらくは動けませんよ」
 でっか。
「で?」
「とは?」
「何で僕はこんなことになってるの?」
「覚えてないんですか?」
「記憶が混乱してる」
 率直。
 まぁ他に言い様が無いだけなんだけど。
「…………」
 沈黙。
 これは華黒の分。
 漆黒の瞳に映るのは無明の怒り。
 妹さん。
 ご立腹の様子。
「僕、何かした?」
「ええ」
「ふぅん」
 まどろっこしいことは嫌いだ。
 自白を促すために素っ気なく同意するに留める。
「兄さんは纏子と一緒に飛び降り自殺したんですよ」
 その言葉に、
「っ!」
 思考の靄が開けた。
 外れた歯車がかっちりと噛み合う。
 そうだ。
 そうだった。
 生きることに絶望し、しかして死ぬ勇気の無かった纏子を後押しするために、一緒に瀬野第二高等学校の三階から飛び降りたはずだ。
 全身の痛みはそういうことか。
「なら何で僕は生きてるの?」
 ある種当然の疑問。
「偶然見回りをしていた警備員が物音を察して駆けつけ救急車を呼んでくれたんです。助かったのは奇跡ですね」
 そっか……。
「纏子は?」
「死にました」
「本当に?」
「葬式も既に終わりました。骨になって墓の下です」
 それはまた。
「僕はどれくらい寝ていたの?」
「正味二か月と云ったところでしょうか」
「三学期は?」
「もうすぐ春休みです」
「さいでっか」
「では私は兄さんが起きたことを他の人にも伝えますので」
 スマホを手にとって華黒が言う。
「お願いね」

    *

 で、華黒を除くカルテットが終結した。
「………………真白お兄ちゃん……!」
「お姉さん……!」
 ルシールと黛が抱き付いてきた。
「痛ぅ! ちょっと優しくして……」
「………………あう」
「ごめんなさい……」
 全身骨折故に今の僕は全身が急所だ。
「息災で何よりだ」
 昴先輩がニヤリと笑う。
 何処が息災だ。
「お兄様に目覚めてもらえてホッとしました」
 白花ちゃんは慈愛の瞳でそう言った。
「心配かけたね」
「全くです」
「全くだよ」
「………………全く」
「全くっす」
 あれ?
 僕、悪者?
「当然だろう」
 これは昴先輩。
 当然なんだ……。
「会って数日の人間と心中するなど愚昧の極みだ」
 そうだろうけどさ。
「纏子ちゃんはお兄様になんと仰ったのです?」
 これは白花ちゃん。
 だから僕は語った。
 纏子の苦悩を。
 纏子の懊悩を。
 纏子の屈折を。
 纏子の絶望を。
「だから一緒に死んであげるのも優しさかなって」
 生き汚い自分とか。
 生き辛い世界とか。
 纏子はそういうものに振り回されていた。
 絶望していた。
 観念していた。
 終了していた。
 でも死は空虚だ。
 そんなことは誰だって知っている。
 だから惰性で生きる。
 それは間違っているだろうか?
 いや違う。
 間違ってなどいない。
 少なくとも僕にも理解の出来ない話じゃないのだから。
 人間として壊れた僕に自命は勘定に入らない。
 であればこそ、だ。
 纏子が苦悩の末に自殺を選ぶのは全く合理的。
 だからこそ付き合ったのだ。
「死ぬ」
 という結果に。
 何が正しくて……。
 何が誤っていて……。
 そんなことは勘定に入らない。
 そんなことはどうでもよくて。
 正しいとか。
 誤ってるとか。
 そんなことに意味は無くて。
 ただ泣いている一人の女の子を救えるのなら自殺に付き合うのは必然だと思ったのだ。
 そこに道理は無くて。
 そこに真理は無くて。
 そこに審理は無くて。
 纏子はどう思っていたのだろう?
 僕を巻き込んでの自殺。
 今も生き汚く生きている僕。
 死んだ本人。
 纏子は救われたのだろうか。
 それだけが僕の胸を締め付ける。
 優しさと云うものが目に見える形なら、きっとそれは優しさだ。
 僕は自分が見えない。
 だからこそ人に優しく出来る。
 それに負い目を感じたことはない。
 でも、
「本当にそれは優しさだったのか」
 そんな心残りもあるわけで。
「兄さん?」
 華黒はジト目だった。
「まさか後追い自殺しようなんて考えていませんよね?」
「まさか」
 僕は否定する。
「死んだ者は死んだ者だよ」
「ならいいですけど……」
 華黒はどこまでも不機嫌だ。
 僕が一方的に悪いから反論は出来ないんだけどさ。
「………………真白お兄ちゃん?」
「なに?」
「………………今後……こんなこと……しないでね?」
 さぁてねぇ。
「お姉さんはもっとしがらみを大切にすべきです!」
 黛は大切にしすぎているけどね。
「ま、真白くんが生き残っただけでも今回は儲け物だ。今後は有り得ないしね」
 待て。
 それはどういう意味?
「お兄様の処遇は既に決まっております」
「…………」
 白花ちゃん?
 それはどういうこと?
「兄さんはもう何も心配しなくていいという意味ですよ」
 華黒がニッコリ微笑んだ。

    *

 ルシールと黛と昴先輩と白花ちゃんが帰った後、
「…………」
 病室には僕と華黒が残された。
 日は既に暮れて夜。
「嵐が去りましたね」
「まだ可能性は残っているけどね」
 皮肉る僕に、
「兄さんは冗談が上手いんですね」
 ニコリと華黒。
 冗談じゃないんだけどね……。
「兄さん?」
「なぁに?」
「何で纏子と飛んだんですか?」
「先にも言ったよ」
「纏子が可哀想……だからですか?」
「そ」
「そんなことで兄さんは命を捨てるんですか?」
「それが僕の歪みだよ」
「ええ、知ってはいたはずです」
 華黒は僕が居なければ生きている意味を見失う。
 僕は華黒が居なければ他者のために死にかねない。
 そして今回の一件はそれを如実に表したものとなった。
 僕の歪み。
 自分を見ることが出来ないということ。
 自身を勘定に入れず世界を見るということ。
 即ち、
「無償の優しさだね」
 僕は僕を皮肉る。
「前にも言いましたよね?」
「何て?」
「兄さんは私だけを見ればいい……と」
「前にも言ったよね?」
「何と?」
「華黒には世界を見てほしい……と」
 くつくつと華黒は笑う。
「無責任ですね。兄さんは」
「まぁね」
「自分は自分の歪みを正すつもりはないのに私には私の歪みを正せと仰る」
「僕に関わっても華黒は不幸になるだけだ」
「それを決めるのは兄さんではありません」
 そうだけどさ。
「悲劇だってかまわない。あなたと生きたい」
「それは……」
 僕と華黒の業だ。
「兄さん?」
「何?」
「私と契約しましたよね?」
「…………」
 した。
 今でも覚えている。
「だから今ここに誓う。もう絶対華黒を離さない。突き放すんじゃなくて、一緒に世界に向き合おう。できないかもしれないけど一緒にそれを目指して生きていこう。華黒一人に望むんじゃなくて僕が華黒の手を取って世界を見せてあげる。絶対に支える。離したりなんかするもんか。例えそれで二人だけの世界が外に広がらなかったら……そのときは華黒の隣で死んであげる」
 確かに僕はそう言った。
 それが契約。
 僕と華黒の神聖不可侵の条約。
 そして、
「契約は破られました」
 その通りだ。
 華黒の隣で死ぬという契約を僕は反故にした。
 纏子の隣で死んだ。
 正確には死んではいないんだけど。
「もしかしてこの首輪は……」
「ええ」
 さわやかに華黒は笑う。
「もう兄さんを手元から離しません」
「学校はどうするの?」
「兄さんともども退学しました。安心してください。兄さんはこの病室で私と共に一生を過ごすだけでいいんです」
「そんなことを僕が許すとでも?」
「兄さんの意見は重視されません」
「…………」
 憮然。
「費用については心配なさらないでください。白坂と酒奉寺が支援しますので。必要な物は幾らでも準備させます。兄さんはただこの部屋で慢性的に一生を過ごせばいいんですよ」
「外に出さないってこと?」
「外に出せばまた兄さんは誰かのために死ぬことを選ぶ可能性がありますもの」
 それはそうだけど。
「だからってこれじゃ籠の鳥だ」
「いいんです。兄さんは何も心配しなくて。私が飼殺してあげますから」
「百墨真白しか見えない華黒らしいね」
「自分の見えない兄さんほど壊れているつもりはありませんけどね」
 違いない。
 苦笑してしまう。
 華黒が見張っていないと僕は他者のために死ぬ。
 故に華黒が飼殺す。
 それは当然で。
 それは必然で。
 だから華黒の本心なのだろう。
 首輪を付けられたのが良い証拠だ。
「ごめんなさいこんごはちゅういしますだからぼくをそとにだして」
「駄目です」
 鎧袖一触。
 華黒は僕を自由にするつもりは全く無いようだった。
 だからこの物語はこれで御終いだ。
 僕は華黒に縛られて生きていく。

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