デートはした。 夕食もとった。 時間は午後九時。 とっぷりと日が暮れて。 「…………」 「みゃ〜」 僕と纏子は瀬野二……僕たちの通っている瀬野第二高等学校に来ていた。 真っ暗闇だ。 日曜日でも部活はあるだろうけど今は先述したように午後の九時。 生徒のいようはずもない。 教師すらいないだろう。 いるのは警備員くらいかな? そんな中で校舎の奥まった場所に僕と纏子は立っていた。 真っ暗闇の冬の夜に包まれながら僕は問う。 「こんなところで何するの?」 至極真っ当な意見だったろう。 「校舎に侵入するんだよ」 纏子はそう返した。 言の葉で。 「……は?」 ポカンとしてしまう。 ラインによるメッセージではない。 メールによる文章でもない。 纏子の口から、 「校舎に侵入するんだよ」 という言の葉が紡がれた。 「話すこと……出来たの?」 「出来ないなんて言った覚えはないよ」 「失語症だと聞いたんだけどな」 「ま、色々あってね」 つらつらと言葉を紡ぐ纏子。 困惑する僕。 そして纏子は奥まった校舎の片隅でガラス窓を取り払った。 ガコンと小さな音がして窓が外れる。 トイレにつながる窓だった。 「侵入するの?」 問う僕に、 「そのためにここに来たんだよ真白」 纏子は平然と答えた。 コスプレだけど瀬野二の制服を着ていることは確かだ。 警備員に呼び止められても厳重注意で済むだろう。 しかして纏子の意図がわからない。 ともあれヒョイヒョイと学校に侵入する纏子を追って僕も夜の瀬野二に侵入する。 「真白は私の過去を知ってる?」 「ある程度は白花ちゃんに聞いたよ。家に刻苦勉励を強要されて言葉を封じ込めたって」 「五十点」 「さいでっか」 低空飛行だ。 「私は勉強が大嫌い」 「僕も好きじゃないけどね」 「だから嫌だって両親に言ったんだ」 「…………」 …………。 あー……。 何と言ったものか……。 「勉強が辛いよって叫んでも伝わらなかった」 だろうね。 「厳しいよって言っても通じなかった」 だろうね。 「悲しいよって話しても聞いてもらえなかった」 だろうね。 「だから……」 「だから訴えることの意味を……言葉にすることの意味を見失った……と?」 「うん」 コクリと頷かれる。 「真白ならわかってくれると思ってた」 「まぁ気持ちはわからないじゃないからね」 自分を捨てた僕には自分を封じ込めた纏子の気持ちは手に取るようにわかった。 きっと纏子は言葉で救いを求めて。 きっと纏子は言葉で同情を求めて。 きっと纏子は言葉で安らぎを求めて。 きっとその言葉のことごとくが届かなかったのだろう。 言葉で伝わらないこともある。 「甘えるな」 その一言で哀願は切って捨てられる。 それがどれほどの苦痛か。 僕は良く知っている。 だからそれはとても地獄で。 だから言葉に意味が無く。 だからどんな哀惜も慟哭も。 却下された。 破却された。 否定された。 もう言葉の通じない纏子には自殺の真似事をして狂っている様に見せつける他に選択肢はなかった。 そしてそれ故に壊れた人間と云うレッテル張りが為され、見限られた。 それはなんと愚昧で。 それはなんと蒙昧で。 それはなんと盲目で。 だから……なんて……愛らしいんだろう。 胸をつく。 そんな言葉が似合うほど纏子の心的外傷は同情を呼ぶ。 そりゃ言葉を無価値と断じるに躊躇いは無いだろう。 「だから私は壊れたふうを演じなければならなかった。リスカして。失語症を装って。そうやって壊れた人間を演じなければならなかった」 壊れた人間。 僕は華黒を顧みる。 生憎と僕自身は顧みれないからね。 「壊れた人間はどこか歪だ」 そう思う。 だからきっと纏子は僕に惹かれた。 僕の壊れ具合を目に耳にして、 「こいつとなら共有できる」 と思ったのだ。 「だから聞きたかった」 纏子は言葉を止めない。 今まで封印した分を使い尽くす勢いで言葉を紡ぐ。 「真白は世界を憎んでいないの?」 「疎ましくは思っているよ」 「やっぱり」 「しょうがないんじゃない?」 「うん。その気持ちはよくわかる」 わかられちゃったかー。 ちなみに瀬野二の校舎に侵入した僕と纏子は三階の教室に来ていた。 そのベランダに出て、纏子が僕を真摯に見る。 「真白」 「何?」 「私のことどう思った? 辟易した?」 「まさか。愛らしいとさえ思った」 嘘じゃない。 あまりのストレスに晒されて言葉を封じ込めた少女。 そに肩入れしなければ嘘だ。 「そっか」 「そうです」 「じゃあ真白」 「何でがしょ?」 「私と一緒に死んで」 「どうやって?」 言われなくともわかるけどね。 ここは三階の教室のベランダ。 飛び降りるには十分な高さだ。 「私はもう生きることに辟易している。救われないことはわかっている。だから私の人生にピリオドを打ちたい」 「その気持ちはわかるよ」 「だけど一人で死ぬのは寂しい。だから真白? 一緒に死んでくれる?」 僕が死んだらどうなるだろう? 華黒は後追い自殺をするだろうか? 白花ちゃんは香典を包むだろうか? 昴先輩は悼むだろうか? ルシールは泣くだろうか? 黛は悲しむだろうか? でも……それより何も……、 「いいよ」 目の前の生きることを嘆き悲しむ女の子を見捨てることは出来なかった。 例え僕がいなくとも纏子は自殺するだろう。 弱者の言葉が蔑にされるこの世の中では生き難い性格なのだろう。 だから死ぬ。 まっこと自然だ。 でも一人は寂しい。 だから僕を選んだ。 なら僕はそれに応えるだけだ。 絶望した少女の心添えになるならこれ以上は無い。 そう云う風に僕は出来ている。 必然、僕は纏子の手を握っていた。 「うん。行こうよ」 ギュッと握る。 悴んだ纏子の手が震える。 「本当にいいの?」 「そっちから言ってきたんでしょ?」 「でも死ぬんだよ?」 「いいよ」 僕は優しく言った。 「纏子の言葉は何処にも届かないわけじゃないって教えてあげる」 「…………」 「纏子の言葉は誰にも届かないわけじゃないって教えてあげる」 「…………」 「纏子の言葉は……」 「言葉は?」 「僕にだけは届くんだって教えてあげる」 「届いたの?」 「届いたよ」 「ひかないの?」 「ひかないよ?」 「人生が終わるんだよ?」 「それで纏子がしがらみから解放されるならそれもいいさ」 「華黒と会えなくなるんだよ?」 「知ったこっちゃないよ」 それが僕の歪み。 僕は海に浮かぶ木片。 カルネアデスの板だ。 纏子を救うために華黒を切り捨てる。 目の前の女の子の心を安んじるために離れた女の子の憂慮を踏みにじる。 「僕は……そういう風に出来ている」 「真白……」 「だから安心して」 きっと……、 「きっと纏子は救われる」 きっと……、 「きっと死によって救われる」 きっと……、 「きっとこれ以上は生きていられない」 だから……、 「これ以上苦しむことはないんだよ?」 ギュッと泣いてる小さな女の子を抱きしめる。 「嬉しい。ありがとう」 「うん。だから寂しくないよ。僕も一緒に逝ってあげるから」 優しく言葉をかける。 自身なぞ勘定に入れない。 だから躊躇いは無かった。 足場を崩して重力に捕まる。 地面に激突して死ぬまで十秒もいらなかった。 |