超妹理論

『白井亨』


 三学期最初の日曜日。
 僕は一人、都会の駅地下を歩いていた。
 特に理由はない。
 あえて見繕うなら早起きしたからだろう。
 こういうことは稀にある。
 そしてそういった事態において一人になりたい気分になるのもしょうがないことではあった。
 習慣だ。
 華黒には書置きを残しているからそちらに問題はない。
 こういう時に限って現れるはずの昴先輩も今日は出てこない。
 というわけで僕は一人都会を歩いていた。
「…………」
 自覚はしてるんだけど認めたくないというか……。
 僕は女顔だ。
 それも知人に言わせれば、
「ちょっと言葉の表現では足りない」
 ほどの。
 それについては過去体験もあるし否定は出来ないんだけど、
「何だかなぁ」
 というのが本音。
 ともあれ都会の駅の地下街をブラブラと歩いている。
「何か華黒にお土産を買っていってあげようかな」
 なんて思いながら駅地下を歩いていると、
「ねぇねぇねぇ」
 気安く声をかけられた。
 チラとそちらを見やる。
「…………」
 男性が居た。
 歳の頃二十代前半といったところか。
 髪を金色に染めてスーツを着ている。
 ブランドの腕時計と金製の腕輪とが手首に巻かれていた。
 ホスト……なのだろうか?
「君、いいね」
「何が?」
 とは問わなかった。
 言いたいことはだいたいわかる。
 そしてソレを僕は認めたくなかった。
 歩き去ろうとする僕に、
「待って待って待って」
 ホストはついてくる。
「君すごくいいよ。うーん。学生でしょ? 学校じゃ敵無しじゃない?」
「急いでますんで」
 さらに歩みを早くするが、ホストはついてきた。
「ままま、そんな警戒しないで」
 この場合、
「無茶言うな」
 というのはポストに、
「赤いですね」
 というくらい無駄なことだ。
「怪しい者じゃないって」
「自分でそれを言いますか」
「ああ、何、疑ってる? だいじょーぶ。出版社の人間だから。ナンパじゃないよ? はい。名刺」
 そう言ってホストは名刺を差し出してきた。
 確かに大手の出版社の名前が名刺に乗っている。
「本物ですか?」
「あー、よく言われるんだよね。怪しげな勧誘? みたいな。でもこれは俺の趣味。仕事に制服ないからさぁ」
 ほう。
「で、何の用です?」
 最終的にお断りするにしても警戒すべき相手じゃないのは何となくわかった。
「ちょっと待って。君改めて見たら余計可愛くない? モテるでしょ?」
「まぁそれなりには」
 事実だ。
 嫌ってる人間の方が多いのはこの際言わなくていいだろう。
「その可愛さを活かした仕事したくない?」
「…………」
 さすがに再度警戒せざるを得ない。
 が、ホストは笑い飛ばした。
「だからそんなんじゃないって。なんなら名刺の電話番号で会社に聞いてみて。俺の名前は……」
「いえ、間に合ってます」
「待って待って待って。本当に怪しい仕事じゃないんだって。読モ読モ。読者モデルって言ったらわかる?」
「僕じゃなくてもいいでしょう」
「あれ? 僕っ娘? かーわいい。可愛い服着て写真撮られるだけだから。給料も出るよ。したくない?」
「ありません」
「そんなこと言わないでさ。その可愛さを武器にしないのは勿体ないって。君ならすぐ人気出るよ。ファッションの世界で天下とれるって」
 さいでっか。
 華黒を連れてこなくて正解だった。
 まぁ連れてきたからと言って華黒がホイホイついていくことはなかろうけど。
「十年に一人の逸材だよ。今までもアイドル勧誘とかされなかった?」
 あるけどさ。
 苦い記憶だ。
「あ、もしかしてメディアに顔出すの渋ってる? 大丈夫だって。君って十分可愛いから広まったって勲章にしかならないよ」
 喧嘩を売られているのだろうか?
 そんなことを思う。
「ね? いいでしょ? 一回だけでも読モしない? 嫌だったら止めればいいし。悪い様にはしないから」
 いい加減しつこい。
 そう思ってカッとなった僕としつこいホストを諌める声が聞こえた。
「そこまでにしておいてください。嫌がっている人に強制させるような仕事ではないでしょう? これ以上纏わりつくというのなら警察を呼びますよ?」
 そんな声。
 血濡れたような赤い髪にルビーのような赤い瞳の持ち主……白井さんが牽制してくれた。
 そして白井さんは僕の手を取ると、
「行きましょう真白様」
 そう言い僕を引っ張ってホストから引き離した。

    *

 ホストから十分に離れた後。
 僕と白井さんは駅地下から地上に出ていた。
「一つ貸しですね」
 無機質な声で白井さん。
「ていうかタイミング完璧だったね」
「ええ」
「こういう言い方は我ながら嫌なんだけど……狙ってた?」
「と、いうほどのことでもないんですけどね」
「偶然だとでも?」
「守護天使に囁かれたんですよ」
 軽やかに白井さんはウィンクした。
 それがまた様になっていて、
「いや」
 それより守護天使ね……。
 可愛らしい所があるじゃないか。
「信じておりませんね?」
「そんなことはないよ」
 事これに関しては平行線だろう。
 だから妥協的肯定で曖昧に。
「アイツの傍に居るのに……ああ、事情を知らされていないんですね?」
「アイツ?」
「アイツです」
「誰?」
「それは秘密です」
 どうやら僕に近しい人に何かがあるらしい。
 同じく守護天使の声でも聞こえるのかな?
 首を捻って考えてみたけど答えは出ない。
 当たり前か。
「借りっぱなしは性に合わないな」
「では恐縮ですがここから五百二十一メートル先にある喫茶店で紅茶を馳走してもらえませんか?」
 五百二十一メートルて……。
「この辺詳しいの?」
「いえ、初めて来ます」
「そなの?」
「ええ」
 コックリ。
「お嬢様の転校に合わせる形で移住してきたものですからなにぶん土地勘には恵まれておりませんので」
 じゃあ何で喫茶店の位置がわかるのさ……。
「千里眼?」
「とは申しませんが……手品のタネとしては似たようなものですね」
「というと?」
「守護天使の囁きです」
 ウィンクする白井さん。
 うーん。
 マーベラス。
「あ、もしかして」
「何でしょう?」
「僕たちの登校に合わせて玄関を出てくるのも……」
「ええ」
 コックリ。
「守護天使の囁きです」
 それで済まされちゃ何だかなぁ。
「発信器でも付けてるの?」
「そんな非礼は致しません」
「…………」
 ジト目になるのはしょうがなかった。
 不可思議な言動を、
「守護天使の囁き」
 で片づけられれば誰だってこうなると思ふ……。
 そう云えば全てを見通してる感は統夜に通じるものがあるね。
 統夜がオカルトに傾倒するとは思えないけど。
「真白様」
「何?」
「失礼します」
「何が?」
 とは問えなかった。
 それより早く白井さんは僕の腕に抱きついてラブラブバカップルリア充氏ね的な状況を作り出したのだ。
 ムニュウと腕に当たる感触は華黒と同質かそれ以上だ。
「何のつもりさ?」
「真白様におかれましてはラブラブバカップルリア充氏ね的な雰囲気をわたくしと共有してください」
 心まで見透かされた気分になるね。
 ちなみに衆人環視の目が痛い。
 一人は美少女にしか見えない男の娘。
 一人は赤い正真正銘の美少女。
 二人でイチャコラしていたら奇異の視線を感じるわけで。
 まぁ昴先輩の例もあるし今更っちゃ今更なんだけど。
「質問に答えてもらってないね。何のつもり?」
「こうでもしないとまたナンパされてしまいますから」
「ですか〜」
「無礼ではございますが何卒ご理解を」
「それも守護天使の囁き?」
「はい」
 寸秒経たずに返答された。
 躊躇無しかい。
 でもまぁ実際に百合カップルと思われたらしい。
 周囲の目は冒し難い雰囲気を僕たちに感じ取ったらしく、男であっても忌避するような視線であった。
 不本意ではあったけど他に方法が有るかと言えば無いわけで。
 そのまま僕らは喫茶店に直行。
 紅茶を頼んで面向かいに座った。
 白井さんの赤い視線と僕の視線が交錯する。
 なんとなく、
「これが知れたら他の女の子に悪いなぁ」
 なんて思ったけど今更だろう。

    *

 入った喫茶店は手狭で、客はそこそこだけど圧迫感がある。
 ウェイターが紅茶……アールグレイを二人分持ってきて僕と白井さんの前に置くと、そそくさと去っていった。
 そこまで緊張されるほど大層な存在ではないんだけどな。
 僕は紅茶に口をつける。
 白井さんもそれに倣う。
 どうせ僕のおごりさ。
 紅茶を楽しんでいる僕に視線をやって白井さんはカチンと受け皿にティーカップをぶつけると頭を下げた。
 何?
「まずは申し訳ありません」
「助けてもらったのはこっちだよ。その対価としておごってるんだから気にしなくていいって」
「そちらではありません」
「そっちとかどっちとかがあるの?」
「本来ならば冬休みの間に謝らねばなりませんでした」
「?」
 意味不明にもほどがある。
 礼を終えると苦笑する白井さん。
「真白様はお優しゅうございますね」
「僕は僕の心情に肩入れしてるだけだよ。本当に優しい人間とは別ものだ。よく誤解されるんだけどね」
 こっちも苦笑してしまう。
「ですが御身を以てお嬢様のリスカを止めてくださったではありませんか」
「ま、色々あってね」
「自己破却性同一性障害……ですか?」
「……っ!」
 さすがに紅茶を飲む手が止まる。
「どこでソレを?」
「これくらいの調べは白坂家の分家として当然知りえる範囲です」
 違う。
 僕の病名にその《通称》を付けたのは花岡先生だ。
 カルテにすらそんな病名は載っていない。
「趣味が悪いよ」
「失礼とは思いましたが裏付けをとらなば何とも言えないのも事実でして」
 だろーけどさー。
「纏子はそれを知ってるの?」
「はい。それ故に……その真白様の献身的な優しさを知っているが故にお嬢様は真白様に興味を持ったのですから」
 アレ?
「当人は一目惚れって……」
「間違ってはいませんがミスリードをさそう話術であることも否定は出来ません」
 なるほどね。
 既に僕に対する調査は終了しているというわけだ。
「真白様の優しさは捨て身のソレです」
「否定はしない」
「であるからお嬢様は真白様に優しくしていただきたいのです」
「…………」
 なんと返したものか迷って僕は紅茶を飲んだ。
「あんな過去を持つ真白様であるからお嬢様は自身を理解できると……そう思っていらっしゃるのです」
「華黒の前では言わないでね?」
 血を流すのは僕だけで十分だ。
「どうでしょう?」
「何が?」
「真白様はお嬢様を守ってくださるでしょうか」
「そんな義理は無いよ」
「そう仰ると思っていました」
 苦笑と云うには苦々しい微笑。
「別に僕は聖人じゃないんだけどな」
「ですが傷つく人を見捨てられない……」
「それは……」
 そうだけどさ……。
 実際それ故に纏子のリスカを止めたわけだけど。
「なに? 纏子のストッパーになってほしいの?」
「率直に言えば」
「僕には華黒がいるんだけど」
「全て承知しております」
 清々しいね。
 嘆息する。
「ま、気にはかけるよ」
「ありがとうございます」
 白井さんが深く一礼。
「でも華黒がなぁ……」
「二人揃って初めて梵我を俯瞰できる……と」
「そこまで知ってるんだ……」
 さすがに苦笑が止められなかった。
 白花ちゃんに聞いたのかな?
 あるいは白坂の分家としての能力か。
 ともあれ大層なことだ。
「なんで纏子は僕を気に入ったの?」
「先述しました。真白様が捨て身の優しさを持っていらっしゃるからです」
「でも僕は華黒が好きだ」
「けれど華黒様の憂いを無視してお嬢様のリスカを止めてくださいました」
「懐かれたってこと?」
「率直に言えば」
 白井さんは頷いた。
 ……何だかなぁ。
 紅茶を飲む。
「真白様は危うい精神と御姿を持っていらっしゃいます。それは欠陥品にとってとても魅力的に映るのですよ」
 嬉しくないなぁ。
「…………」
 憮然としてしまう。
「何卒お嬢様を突き放しませんよう」
「纏子が僕にまとう限りソレは無いよ」
「ありがとうございます」
 真摯に白井さんは頭を下げた。
「……どうしたものかな……本当に」

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