超妹理論

『優しさに流れる血』


「ん〜。むにゃ〜」
 コーヒーをズズズ。
「にゃはは。ここまでくればお姉さんの得意技っすね」
 何が?
 寝起きの悪さが。
 起きれるときは日が上るより早く起きれるけど、それはここで論じるには値しない。
「何で学校って昼からじゃないんだろね?」
 コーヒーをズズズ。
 およその学生にとって永遠の命題だろう。
「………………真白お兄ちゃんは……壮大だね」
「でしょ?」
「………………うん」
 おずおずと苦笑。
 可愛いなぁルシールは。
 こっちも苦笑で返す。
「兄さん?」
「何?」
 コーヒーをズズズ。
「今ルシールを可愛いと思いましたね?」
「ソンナコトナイヨ〜」
「なら何でカタカナ発音になるんです!」
「ていうか何を根拠に?」
「兄さんがルシールに苦笑した場合は往々にしてそうなんです!」
「コールドリーディングもそこまでいけば本物の魔術だね」
 またしても苦笑する。
 目が覚めた。
 そう云う意味ではこんなやりとりも悪くない。
「………………あう」
 ルシーるルシール。
「………………お兄ちゃん……私のこと……?」
「うん。可愛い可愛い」
 クシャッとルシールの金髪を撫でる。
「………………あう」
 るしーる。
「黛さんは?」
「可愛いけど今は別に……ねぇ?」
「私は?」
「可愛いよ? だるいから愛情表現はしないけど」
「………………あう」
 るし〜る。
「なんでルシールだけなんですかぁ!」
「こういうのは出し惜しみした方が有難味があるからね」
 コーヒーをズズズ。
「ところで今日の朝食は?」
「フレンチトーストとコンソメスープとレタスサラダです」
 宣言通りの物が出てきた。
「いただきます」
「いただきます」
 ルシールと黛がコーヒーを飲んでいる対面で僕と華黒が朝食をとる。
 これも既に慣れたもの。
 たまに黛が、
「一緒に朝食取りませんか?」
 と提案してくるけど頑として華黒は譲らなかった。
 そもそもにして、
「私の作った料理以外が兄さんの血肉になるのが有り得ない」
 という前提だ。
 華黒に根差した歪み。
 真白しか見れない病気。
 無論世界を見てほしいため華黒の意見をねじ伏せてルシールと黛の夕餉に御呼ばれしたりもするのだけど本来ならそれすら華黒の懊悩の種だ。
 知ったこっちゃない……と言うのは簡単なんだけどそう出来ないのも僕の歪みなわけで。
「…………」
 フレンチトーストをはむはむ。
 華黒に言わせれば僕とて壊れているらしい。
 いや、自覚はしてるし病院にも通ってはいるんだけど……。
 どっちがより日常生活に不利益を与えるかと云えば間違いなく僕だ。
 前科もあるしね。
 傷痕もあるしね。
 左手首の深い斬痕。
 華黒との契約書だ。
 だから華黒は僕に縛られて、僕は華黒に縛られる。
 そう云う意味では最近は華黒がピリピリするのも頷ける。
 的夷伝纏子。
 白井亨。
 彼女らは……ヤバい。
 少なくとも僕の本質をついてくる。
 特に纏子。
 それがどういった化学反応を起こすのか。
 わかっているからこそ華黒は不安なのだろう。
 別に血が流れた程度で大騒ぎする必要は無いと思うのだけど、それが通じないのも華黒の業なわけで。
 僕の血の一滴は数億人の流血に勝る。
 極端かな?
 でも事実だし。
「やれやれ」
 僕はそこで思考停止。
 そして朝食を手早く片付けて学校制服に着替える。
 ルシールと黛が朝食の後片付けをして、その間に僕と華黒が身支度を整えた。
 そして、
「今日も一日頑張ろう」
 と暗鬱たる気合を入れて僕らは部屋を出た。
 ガチャリ。
 これは施錠の音であり、同時にお隣さんの扉が開く音。
「おや、真白様。奇遇ですね。これも縁でしょう。一緒に登校しませんか?」
 纏子と白井さんが出てきた。
「…………」
 この沈黙は纏子と華黒のもの。
 そこに含まれる感情は対極にあるとしても。
「さて、どうしたものか」
 僕は困っちゃって頬を掻くのだった。

    *

 的夷伝纏子のリスカは電撃的に瀬野二の生徒間において流布された。
 当然と云えば当然。
 必然と云えば必然。
 話題性は十分だろう。
 そして学校中からドン引きされることになったのだった。
 で、孤立したかと言えば、
「元から必然性が有ったようなものだしね」
 孤立したとも言えるし違うとも言える。
 仲間は出来た。
 だがその仲間があまりに例外で、孤立していて、それ故に、
「孤立していない」
 とは胸を張って言えない状況だ。
 つまりどういうことかというと、
「…………」
「まぁ学食ならこんなところでしょうね」
 纏子と白井さんと昼休みに学食で昼食をとっている最中というわけだ。
 本来四人掛けの四角いテーブルの側面に二つの椅子を追加して、
「…………」
「…………」
「…………」
 僕と華黒、ルシールと黛、纏子と白井さんが席についている。
 胡乱げな視線が刺さる。
 不可思議との視線も刺さる。
 妬み嫉みの視線も刺さる。
 いいんだけどさ。
 僕としては。
 ただまぁ華黒とルシールと黛はそうではないらしく、
「…………」
「…………」
「…………」
 ジト目で纏子と白井さんを見ていた。
 そんな不機嫌だと昼食の味がわからなくなると思うんだけど……どうかな?
 フォローしようにも出来ないのでしないけど。
 何度言ったかわからないけど華黒は不世出の美少女だ。
 そして同レベルのルシールが席を同じくしている。
 次に目立つのは赤髪の白井さんだろう。
 そこから一歩……いや半歩下がって黛と纏子。
 とはいえあくまで比較対象が対象なのであって黛と纏子も十二分に超のつく美少女であることに変わりはない。
 あくまで、
「真白くんの周りの女の子たち」
 としての序列で後れを取っているだけで、昴先輩のハーレムにも劣ってはいないのだ。
 何だかな……。
 何故そこまで僕に入れ込めるのかは自身の見えない僕にはさっぱりだ。
 衆人環視の視線は鬱陶しいし女の子たちのジト目も勘弁してほしい。
 纏子のリスカは僕のリスカと同一視された。
 正確には僕のソレはリスカというには深く切りすぎてはいるのだけど、そんな機微を感じれるほど聡い人間は瀬野二にはいまい。
 危険信号は真っ赤に染まっている。
 ウーウーウー。
 流血沙汰注意流血沙汰注意。
 華黒とルシールと黛と白井さんには羨望の眼差しが、そして纏子には畏怖の眼差しが、それぞれ刺さる。
 僕への視線は既に先述した。
 なんだかなぁ。
「結局」
 これは黛。
「的夷伝先輩と白井先輩はお姉さんに惚れたと見ていいんすか?」
 こういう直球なところは惚れ惚れするね。
 言葉にはしてやらないけど。
「ええ」
 と答えたのは白井さん。
 というより失語症の纏子が喋れないだけなんだけど。
 学校ではスマホ禁止だしね。
「お嬢様の恋路を応援するためについてきたのですけど思いのほか真白様が美少年でどうしたものか……といったところです」
「…………」
 この沈黙は纏子の物。
「お嬢様も同意見らしいです」
 その沈黙から白井さんは纏子の意見を抽出したらしい。
 さすが。
「一目惚れ……ねぇ?」
 苦笑する他ない。
「………………あう」
 ルシーるルシール。
 容姿に惚れたという点では事を同じくするため異を唱えられないのだろう。
 その後ろめたさは賞賛に値する。
 そうでなくともルシールは僕の内面をよく見ている。
 であるから本来なら遠慮する必要もないのだ。
 言ってもルシーるだけだろうから言わないけど。
「お姉さんは黛さんが唾をつけているんですけど……」
 薫子の一件以来黛は僕に好意を寄せている。
 別にそうして欲しくておせっかいをやいたわけでもないんだけどな。
「…………」
 意気消沈する纏子。
「駄目?」
 と視線で問うてくる。
「駄目じゃないけどさ」
 僕は言う。
「でも」
 と更に問われる。
「好きにしなよ」
 カモ蕎麦をすすりながら僕は気楽に言った。
 次の瞬間、
「……っ!」
 僕は反射的に剃刀を握りつぶしていた。
 当然纏子の取り出した剃刀だ。
 リスカなぞ僕の目の黒い内はさせるわけもない。
 発症故に痛みも感じないしね。
 衆人環視の目がある学食でのいきなりな流血事件。
 纏子が学内におけるアンタッチャブルの地位を確保するのは必然だった。

    *

「兄さんの馬鹿」
「悪かったって」
「兄さんの馬鹿」
「この通り」
「兄さんの馬鹿」
「キスしてあげよっか?」
「兄さんの馬鹿」
「う。通じない……」
「当たり前です!」
 憤懣やるかたないと華黒だった。
 ちなみに今、保健室です。
 纏子のリスカを止めるにあたって力加減を間違えて剃刀を握ったものだから学食の生徒たちがドン引きする程度には出血してしまった。
 で、保健室へ直行。
 華黒が消毒後の包帯の施術をしているという顛末。
 華黒は泣いていた。
 ブチャイク顔だ。
 とはいえソレは僕にだからこそ言えることで、傍目にはハラハラと涙を流している繊細な美少女と云った様だけど。
「申し訳ありません真白様」
 謝ってきたのは白井さん。
「…………」
 あうあうと纏子。
「………………あう」
 ルシーるルシール。
「出来ればこれ以降、的夷伝先輩にはお姉さんに近づいてほしくないのですけど……」
 ジト目の黛。
 お前が言うなって話なんだけどね。
「それは無理です」
 白井さんはいっそ清々しく拒否した。
「お嬢様が真白様を諦めない限りわたくしは全霊を以てお嬢様をフォローします」
「それでお姉さんの血が流れても?」
「そうです」
 遠慮も気負いもそこにはなかった。
 白井さんはただ、
「かくあるべし」
 というだけのことをしているに過ぎない。
「仮に真白様に拒否されたらお嬢様のリスカはもっと酷くなりますよ?」
「それは駄目」
 これは僕。
「兄さん!」
 非難する華黒に、
「気持ちはわかる」
 思ってもいないことを口にする。
 なるほど。
 こういう状況を見越していたのか昴先輩は。
 相も変わらず聡い人。
「…………」
 飼い主を見失って途方に暮れる子犬のようなシュンとした落ち込み具合を見せる纏子に、
「傍に居ていいからね?」
 安心させるように言う。
「…………」
 パッと纏子の表情が華やいだけど、
「駄目です!」
「………………駄目」
「駄目っすね」
 かしまし娘は非難轟轟。
 けれども、
「傷つく人を僕は見たくない」
 そういうことだった。
 それは僕の業だ。
 華黒を助けるために僕は自分を捨てた。
 僕は僕を勘定に入れられない。
 で、ある以上、人が傷つくのを放置は出来ない。
 それがエゴによって形成されたものでも。
 それが心傷によって形成されたものでも。
 否。
 そうであるからこそ纏子を見捨てることは出来ない。
 まして僕が見捨てれば纏子が更に自分を追い込むともなれば尚更だ。
「君たちの意見は却下」
「兄さんに傷ついてほしくないんです!」
「………………お兄ちゃん……」
「だからってお姉さんが代わりに傷ついては本末転倒っすよ?」
「かと言って纏子を追い込むわけにもいかないでしょ?」
「お姉さん……。その言動がお姉様を追い込んでるっす」
 耳が痛いなぁ。
「そうです!」
 便乗したよ……。
「兄さんは私の気持ちも考えるべきです!」
「考えてるけどなぁ」
「なら態度で示してください!」
「可愛い可愛い」
 頭を撫でてやる。
「あう……じゃなくて!」
「じゃなくて?」
「纏子に優しさを分けないでください!」
「無茶言わないでよ……」
「兄さんは兄さんの歪みを自覚すべきです!」
 簡単に出来るならこんな状況に陥ってないんだけどなぁ……。
「お嬢様を排斥する気ですか?」
 剃刀の様に切れる赤い瞳で白井さん。
「当然です! 纏子が傍に居ればこのようなことは幾度も起こりえます。そうである以上自重してください!」
「とのことですが……」
「…………」
「無理だそうです」
 纏子リンガルの白井さんがそう言った。
 何だかなぁ。

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