「…………」 目が覚めた。 まだまだ冬休み。 「ふぅ」 吐息をつく。 部屋は暖かくされているから白い息は出なかった。 ベッドに寝転んだまま隣を見やる。 華黒が静かな寝息をたてていた。 それはそれで趣があったけど刺激が強いのも事実で。 ちなみに今日の華黒のパジャマは着ぐるみ猫さんパジャマ。 可愛い。 言葉にはしないけどさ。 「さて……」 コキコキと首を鳴らす。 冬の一番寒い時間。 即ち早朝。 華黒でさえ起きていない時間に僕は起きたことになる。 まれにこういう日はある。 そしてだいたいこういう日は、 「平常運転か」 と相成る。 僕は優しく華黒の腕を解きほぐし、代わりに抱き枕を絡ませて、 「くあ」 と欠伸をして寝室を出た。 キッチンで牛乳を一気飲み。 静かに寝室……私室に戻り、着替えを確保するとダイニングに。 パジャマからコート姿に着替えて、 「行ってきます」 とアパートを出た。 カチャリと施錠を忘れない。 ついでに書置きも。 「今日は一人にしてね」 と書いたメモをダイニングテーブルに置いておいた。 とはいえどうしよう? そんな思案をしながら駅へ。 二駅先の都会への切符を買う。 「結局こうなる、か」 ガタンゴトンと電車に揺られる。 吊革につかまって早朝出勤のサラリーマンたちと並んで。 「…………」 さわさわ。 「…………」 なでなで。 何とも愛らしい表現ではあるけど電車と云う空間においては話が別だ。 何より、 「さわさわ」 と、 「なでなで」 は僕のお尻で発生している。 撫でられているというか……痴漢されている。 まぁね。 確かにね。 僕は外見だけなら美少女だ。 華黒曰く、 「儚げな桜の面影があります」 とのこと。 華奢で線が細くて並みの美少女より美少女らしい男の娘。 自認はしていないけど納得はしている。 元よりそうでなければ華黒と出会えてなかったのは……何だかな? さわさわ。 なでなで。 ……うーん。 男の尻を触って何が嬉しいのだろう? そういう問題じゃないのは先述したけど。 さわさわ。 なでなで。 そろそろ警察に突き出すか……。 そんなことを思って僕のお尻を擦っている手を掴もうとした……、 「…………」 次の瞬間、 「乙女に痴漢を働くなんて紳士じゃないね。あなたは……」 事件は勝手に解決した。 僕の意図とは無関係のところで。 振り向く。 背後には二人の関係者がいた。 一人は中年サラリーマン。 一人はツンツンはねた茶髪の美少女。 後者は名を酒奉寺昴と云う。 昴先輩は濃緑のコートを着てジーンズを穿いている。 のはどうでもいいか。 おそらく痴漢なのだろう中年サラリーマンの手首を掴んでいた。 「現行犯逮捕だね」 「何を言っているんだ君は」 中年サラリーマンは空っとぼけるけど、生憎相手が悪い。 「私の子猫ちゃんに不届きを働いたのは既に確認している。言い訳は署でね」 「冤罪だ」 「ということだけど真白くん? 本当かい?」 「いいえぇ痴漢されました」 「だとさ」 前科のある昴先輩に言う資格があるかは難しい所だけど。 そんなわけでサラリーマンさんは警察に突き出された。 痴漢を体験した僕。 痴漢を目撃した昴先輩。 現行犯逮捕である。 なんやかやで警察に付き合っていたら時間は昼を過ぎていた。 「ん〜」 背伸びなんかしてみる。 一人の人生を壊したわけだけど罪悪感は湧いてこない。 「先輩、助けてくださってありがとうございました」 「何。自分のモノに不逞を働かれるのが見過ごせなかっただけさ」 何時から僕は先輩のモノになったんだろう? ツッコんでも意味が無いから言わないけどさ。 「それよりお昼にしよう。ちょうど都会で行きたかったレストランがあったんだ」 「星いくつですか?」 「二つ」 「そんな高級レストランに入れるような金も服装も用意していないんですが……」 「気にするな」 無茶言うな。 * 「うん。似合うじゃないか」 これは昴先輩の言。 「皮肉ですね? 皮肉なんですね?」 これは僕の言。 何がどうなったかというと、スーツを着せられました。 ただし女性用。 見た感じOLだ。 ピタリと脚部に纏わりつくタイトスカートは冬の風の前には虚しく、下着が見えそうで恐い。 何の下着をつけているかって? 僕の名誉のために黙秘権を行使します。 この間に強烈な嘔吐感が入るんだけど、現在発作は収まっている。 そして僕と昴先輩はレストランで昼食をとっていた。 ファミレスじゃないモノホンのレストランだ。 ちなみに先輩はスリーピースのスーツ姿。 かっこ男性用かっことじ。 因果の逆転というか男女の逆転というか。 何で僕が女装して、昴先輩が男装しているのだろう? 言っても詮方無きことではあるんだけどさ。 「しきりに恥じらう真白くんの仕草も可愛いね」 誰のせいだ。 「真白くんはどうする?」 何が? 「私は無難にコースを頼むつもりだが」 「先輩に任せます」 他に言い様がない。 昴先輩はウェイターを呼び止めると、 「コースランチを二つ」 と注文した。 どうせ昴先輩のおごりさ。 「しかしてよく僕が一人になると先輩は現れますね」 「まぁ色々あってね」 「統夜ですか?」 「だね」 「…………」 思案する。 「まさか僕の事情を逐一把握しているわけじゃないですよね?」 「私はそうさ」 「統夜は?」 「知らないよ」 昴先輩は肩をすくめる。 「統夜の奴……」 妙に何かを見透かしたようなところがあるからね。 「私は統夜の挑発に乗っただけさ」 乗るんだ。 「真白くんと二人きりに成れる機会なんてそうないからね」 それはわかる。 基本的に僕と華黒はいつも一緒だ。 最近はそこにルシールと黛まで加わっている。 あとは纏子と白井さんか。 「見限ったらどうです?」 そんな提案。 「却下だね」 却下なんだ……。 「真白くん?」 「何でっしゃろ?」 「白坂に帰服したまえ」 「敵対することになりますよ?」 「だから私と真白くんで酒奉寺と白坂の確執を溶かそうじゃないか」 「興味ありません」 心底本音だ。 「華黒くんも白坂に帰服すればいいだろう?」 「華黒は僕を他者に委ねることはしませんよ」 それは絶対だ。 万物の理論にも勝る。 くつと笑ってしまう。 「華黒は僕を養う気まんまんですから」 「愛されてるね」 「否定はしません」 皮肉気に苦笑する。 「しかしなんだな」 昴先輩は言葉を紡ぐ。 「真白くんはそれでいいのかい?」 「まぁ別に悩むことでもないかと」 華黒に養われるのも一興かと。 本心じゃないけどね。 「なら私を結婚するといい」 「理論の飛躍」 「私なら真白くんと華黒くんを養えるだけの能力は持ってるさ」 「代わりに玩具にされそうですけど……」 「愛らしいものを愛でるのは私の業だ」 さいでっかー。 それから会話を交えながら時間を潰していると、ウェイターがコース料理の初めであるウミガメのスープを出してきた。 レストラン特有の空気に馴染めない僕。 「気にすることはないさ」 そんな僕を慮ったのだろう。 昴先輩が苦笑した。 「自身の食べやすいやり方で食べればいい」 透明なスープをスプーンですくって口に運ぶ昴先輩。 そこには上品さが伴っていた。 世界が違うなぁ。 そんなことを思う。 それから僕と昴先輩はコース料理を楽しんだ。 生ハムサラダ。 パスタ。 グリル。 デザート。 どれもが一級品だった。 星を抱えるレストランなんだから当然っちゃ当然なんだけど。 「さて」 これは昼食を終えた昴先輩。 「華黒くんもいないことだし二人っきりの蜜月を楽しもうじゃないか」 華黒に殺されたらしいね……昴先輩は。 * 「そういえば白の一族が転校してくるんだって?」 ミックスベリーを食べながら昴先輩。 都会の喧騒を少し離れた場所で公園を見つけ、ついでにそこでクレープ屋も見つけ、クレープを食べながらブランコに座ってブラブラと。 ちなみに先の発言は聞き流せるものではない。 「あの……マジで僕らのプライバシーはどうなってるんです……?」 驚愕諤々。 非難轟々。 僕の脳内ミニ真白くんたちが縦隊を組んでシナプスと云う道をデモ行進中。 「別に監視カメラも盗聴器も発信機も利用しちゃいないよ。トイレと寝室になら是非とも設置したいところだけど」 ありえない言葉が絶賛炸裂中。 「…………」 「ああ」 と昴先輩が苦笑。 「あくまで願望の一端だ。本気にしないでくれたまえ」 「転校してくる人物まで把握してるんですか?」 「白坂の分家……的夷伝の問題児、的夷伝纏子。それからその付き人……白井亨。どちらも愛でるに値する可愛さだったねぇ……」 「どうやって知ったんです?」 「統夜の奴から忠告を受けて、お世話になっている興信所に頼んでちょっと、ね」 「わざわざ諜報活動してまで調べることですか?」 「真白くんの周りには美少女が集まる。一種の誘蛾灯だ。ならマークするのは必然さ」 「…………」 反論の余地は……無いなぁ。 皆こんな僕のどこがいいんだろうね? クレープを食べる。 「先に結論を言っておこうか」 「?」 「纏子くんには近づくな」 「…………」 なして? 瞳で問いかける。 それは十二分に掬い取ってもらえた。 「ある意味で纏子くんは真白くんと華黒くんの天敵だ」 「華黒の天敵は先輩だと思うんですが……」 「私と華黒くんの軋轢は意見と思想の相違だ。ま、いわゆる一つのツンデレって奴さ」 「…………」 いえ……十二分に嫌われていると思うんですが……。 「ただし纏子くんは違う」 というと? 「話は変わるが私は真白くんと華黒くんの過去に精通している」 「でなきゃ後ろ指さされて生きなきゃいけませんでしたしね」 「同様に纏子くんの事情にも精通している」 「カルテでも見たんですか?」 「まさに」 プライバシーって何だろう? そんなことを思う。 まるで第三の眼を持っているかのような洞察力の統夜。 その言葉に沿って事実を掘り当てる昴先輩。 正直なところ警戒が先に立つけど意味が無いこともわかっている。 何だかなぁ。 「仮に、だ」 「仮に、ですね?」 「華黒くんと纏子くんを選べと言われたら君はどっちを選ぶ?」 「華黒です」 言われるまでもない。 「華黒くんを選べば纏子くんの自傷癖がさらに深刻になる、といった場合は?」 「…………」 ……それは。 「ありえないでしょう?」 「だから仮に、だ」 「詰みの状態じゃないですか? それって……」 「まぁ空論では選べないというのが最適解ではあろうけどね」 クレープをパクリ。 僕にとって一番大切な人は華黒だ。 それは確信を持って言える。 それを華黒も理解しているし信頼している。 だから敵対存在に対して嫉妬するだけで排斥しようとはしない。 ルシールは例外としても、昴先輩や黛はここに分類される。 「あくまで兄さんは私を一番に想ってくれる」 「それ故に過剰な反応は兄さんに嫌われる」 そんなところだろう。 法律がなければ華黒は血の海にゆったりと浸かっているはずだ。 さて、では僕はどうか? 「華黒が一番大切」 「だけど助けてと言われたら拒めない」 そんなところだ。 例えばここに、 「後の百人を助けたければ目の前の十人を殺せ」 という命題があるとする。 華黒は僕さえ関わっていなければまず間違いなく前者をとる。 僕は例え華黒が関わっていたとしても後者をとるだろう。 別にこれは僕が前者と後者の差である九十人分の価値を切り捨てたからでも、必要悪を理解したからでもない。 目の前の人を助けなければならない。 それが僕の歪みだからだ。 ある意味「後のことなんか知ったこっちゃない」とも言える。 「真白くん。君は纏子くんと関わる限りにおいてカルネアデスの板の問題を突きつけられる。そしてそれは決して良い事ではない」 「…………」 「何故なら君の華黒くんへの愛情は絶対としても、目の前の人間を助けるためなら平然と裏切れる人間だからだ」 知ってる。 そもそも華黒が僕に好き好きアピールをするのはそこに原因がある。 僕の心を握っていないと不安で不安でしょうがないのだ。 その心理はわかる。 気持ちはわからないけどね。 「だから出来ることなら君には纏子くんに関わって欲しくない」 「留意しておきますよ」 クレープをパクリ。 と、昴先輩が僕の口の端をペロリと舐めた。 「くぁwせdrftgyふじこlp!」 「ご馳走様。そんなに隙だらけだから華黒くんが不安がるのさ」 そう言って昴先輩は百パーセントのウィンクをした。 |