「…………」 引き続き冬休み。 僕は華黒の淹れてくれたコーヒーを飲んで体を暖めていた。 「私の私の私の兄さん?」 「華黒の華黒の華黒の僕だけど何か?」 「昼食は何にしましょう?」 「外で食べよ」 「デートですか?」 「まぁ」 コーヒーをズズズ。 ちなみに昆布はもう尽きた。 口寂しい。 「どこで食事を?」 「百貨繚乱でいいんじゃない?」 「パックですか?」 「別にどこでもいいけどさ」 「では早速出かけましょう!」 「華黒」 「何でしょう?」 「ポニーテールにしてみない?」 「兄さんの仰せのままに」 そして慇懃に一礼する華黒だった。 僕はコーヒーをズズズ。 中略。 「いってきまーす」 と誰もいない空間に声をかけて玄関から外に出る。 施錠。 僕は黒いコート姿。 華黒はセーターにジーンズ。 ちなみに長い髪をポニーテールにしている。 一昨年のクリスマスに僕がプレゼントしたシュシュによるものだ。 「可愛いよ」 と言ったら、 「ありがとうございます」 と相好を崩された。 おかげで華黒は上機嫌。 僕の腕に腕をからめて百貨繚乱を目指す。 ラブラブモード全開。 すれ違う誰もが僕らを見て……ギョッとするか、見惚れるか、目で追うか、の三択を迫られる。 華黒の尊貌の完成度はもはや神の領域である。 あまりに整いすぎた美の極致。 美少女と呼んでまだ足りない。 百人が百人ともに華黒を美しいと断ずるに躊躇は一分も差し挟めないだろう。 面や言動には出さないようにしているけど僕だって華黒を見ればドキドキする。 ただ華黒は嫉妬や暴走が多いためツッコミに気をとられて普段は呆れることが多いだけで、こうやって二人きりで親密にすれば多幸感に包まれる。 一種の麻薬だ。 問題は、 「…………」 僕の方だろう。 なんといっても僕とて顔が整っているらしい。 中性的を超えて女性に傾いた貌面。 美少女にしか見えない顔。 僕にしてみればひどいコンプレックスの対象なんだけど。 さもありなん。 で、皮肉ではあるんだけど美少女にしか見えない僕と、真正の美少女である華黒。 二人がラブラブコメコメしていたら百合だと思われるらしく、背徳感全開だというのが昴先輩の言。 先輩にだけは言われたくなかったんだけどね。 ともあれ僕と華黒は他愛無い愛有る睦言を語り愛ながら百貨繚乱へと赴いた。 巨大なショッピングモール。 だいたいこの辺りに住む人にとっては定番の娯楽スポットだ。 ついでに言えばデートスポット。 冬休み故に学生の姿も多々見受けられる。 僕らもその内に含まれるのだろう。 華黒が僕の腕に腕を絡ませたまま、 「どこで食事をとりましょう?」 と問うてくる。 百貨繚乱の外食コーナーは色んな店がひしめき合っているので選ぶのも一苦労だ。 「華黒が食べたいものは無いの?」 「兄さんに合わせます」 「僕が華黒に合わせるよ」 「いいんですか?」 「特に意見を持ってないからね」 すると華黒は既に寄り添っている僕の肩にコトンと頭部を乗せた。 「えへへ」 この際華黒の微笑は万金に値する。 「ではラーメンでも食べて暖まりましょう」 「ん。了解」 僕らは腕を絡めたままラブラブコメコメしてラーメン店の暖簾をくぐった。 華黒は味噌ラーメンメンマ増し増し。 僕は豚骨ラーメン固麺味玉。 豚骨ラーメンは専門店で食べた方が美味しいんだけど、チェーン店に文句をつけても始まらない。 ズビビと麺をたぐって暖まる僕たちだった。 * 昼食を終えて百貨繚乱をブラブラしていると、 「兄さん兄さん」 と華黒が呼ぶ。 「嫌な予感しかしないなぁ」 本音だ。 「むぅ」 口ごもる華黒。 やっぱりか。 「で? 何よ?」 「ランジェリーショップに行きませんか?」 「またそういうことを……」 「兄さんに選んでほしいんです」 「見せる機会が無いのに?」 「機会は作るものです」 さいですか。 「ついでに言えば女の子にとってランジェリーとは勝負服も同然です」 さいですか。 「いっそのこと兄さんも……」 「怒るよ」 「冗談ですよぅ」 「本当に?」 「少なくとも私にとって兄さんは格好いい男の子ですから」 うーん。 そう言われると照れちゃいます。 「えへへ」 華黒は僕の腕をギュッと抱きしめる。 「ですから格好いい兄さんに並ぶために勝負下着を見繕う必要があるわけです」 あ。 そこに話が戻るわけね。 「兄さんの好きな色は何でしょう?」 前後の会話では危ない言葉になるんだけど……どうせ自覚はあるんでしょうね。 はいはい。 「虹色」 「むぅ」 僕の答えに華黒は黙り込む。 仮に虹色のランジェリーがあってもお披露目に際して色々と台無しになるんだろうけど。 「黒と赤と紫で云えば?」 「なんでそんな蠱惑的な色の三択?」 「嫌ですねぇ。兄さんの好きな色をリサーチしているだけですよ?」 「じゃあ白」 「それだと無難すぎます」 好きな色をリサーチしているだけじゃなかったの? 「下着を買いたいなら好きにすればいいけど僕をそこに関わらせないで」 「ではパジャマなどどうでしょう?」 「新しいのが欲しいの?」 「クマさんパジャマ以外のバリエーションがあってもいいと思います」 「猫の着ぐるみパジャマとか華黒に似合いそうだね」 「それを着たら兄さんは手を出してくれますか?」 「それはない」 「兄さ〜ん……」 あうう、と華黒が唸る。 コトンと僕の肩に頭部を乗せる仕草は可愛らしいけど騙されないぞ。 そんなことをしていると、 「おや、真白様に華黒様。奇遇ですね」 最近耳にした声が聞こえてきた。 そちらを見やれば、 「白井さん……」 が纏子と一緒に居た。 「…………」 纏子は紅潮しながら白井さんの背中に隠れる。 それからスマホを取り出して打鍵。 僕のスマホにラインでメッセージが来る。 「みゃ〜。奇遇だにゃ」 相も変わらず沈黙と文章のギャップがありえない。 もっともこの文章を素で言葉に出来る女の子がいたらドン引きするだろうけど。 「奇遇だね」 僕は言葉で返す。 「そっちは何かにゃ? デートかにゃ?」 「まぁ恋人同士だし」 事実だ。 僕と華黒は愛し合っている。 ラブラブコメコメだ。 「華黒はズルいにゃ」 そう? 「みゃ〜。私だって真白様の傍に居たいにゃ」 間に合ってます。 「みゃ〜」 次の瞬間、 「っ」 僕と纏子が動いた。 視界が赤く染まる。 鼓膜が音を遮る。 浮遊を覚えるほどの無痛感。 発症だ。 僕は剃刀を取り出してリスカしようとした纏子を止めた。 その剃刀を握り潰すことで。 「…………!」 三者三様に美少女が驚く。 唇を読むのも億劫だったため何を言ったかは判別がつかないんだけど。 怪我自体はそう大したものではないけど出血量は無視できない。 そんな怪我を僕は負う。 左手が剃刀を握って血で床を塗らす。 「真白様。失礼します」 そう言って(正確には唇を読んだんだけど)纏子の使用人である白井さんが迅速に動いた。 元より纏子のリスカに対する覚悟を持っているのだろう。 手早く消毒液とガーゼと包帯をカバンから取り出すと怪我した僕の左手の処置をする。 手慣れたものだ。 纏子の専属使用人ともなれば当然かもしれないけどね。 華黒を見やる。 「兄さん。大丈夫ですか?」 そう唇が動いた。 「大丈夫」 自身の声すら聞こえないけど多分僕はそう言った。 「これは……問題ですね」 華黒の瞳は物騒な光を宿していた。 どうでもいいけどパジャマは? * 「ふい」 僕は小さく唸った。 シャワー千両。 お風呂万両。 華黒に頭と体を洗ってもらって、それから僕はお風呂に浸かった。 包帯を巻かれた左手を湯船につけるわけにもいかないので「肩まで」とはいかないんだけど。 それから華黒が自身を洗い、お風呂に入ってきた。 「…………」 僕に重なる形で。 ちなみに水着着用です。 保護者の方は安心してください。 とまぁ馬鹿な言葉は置いといて、 「華黒さ〜ん?」 「……何ですか兄さん」 「なんだか華黒さん……気配がささくれ立っている気がするんですけど……」 気のせいかな。 少なくとも僕のことを、 「好き好き〜」 ってオーラが夕食時から擦り減っているような気がする。 「考え事をしているもので」 端的な、それが華黒の回答だった。 「言わないとわかんないよ?」 嘘だ。 だいたいわかってはいる。 けど華黒の口から聞くことに意味がある。 「………………兄さんは」 多少の躊躇を見せながら華黒は言を紡ぐ。 「あいあい?」 「今、発症してますか?」 「いいえ」 「左手は痛いですか?」 「そこまで」 「…………」 「華黒さん?」 問う僕に華黒はピタリと肌を触れさせてきた。 水着を着ていると言っても、水着は水着だ。 しかも超を付けてもまだ足りない不世出の完成系美少女華黒と触れ合っているのだ。 いくら僕が紳士とはいえ堪忍にも限度がある。 とはいえ華黒が僕に『愛してますアピール』をしないと生きていけないことも重々承知ではあるんだけどさ。 そしてその通りなのだろうことを悟るのはあまりに簡易だ。 「兄さん?」 「なんでがしょ?」 「兄さんは口をすっぱくして私に言ってますよね?」 「愛してるなんてそんなに言ってるかな?」 「睦言を兄さんが出し惜しみしていることは知っています」 だろうね。 「ではなんじゃらほい?」 「華黒は百墨真白以外にも視線をやれと」 「それが華黒の欠点だからね」 「私も言いましょうか。兄さんはもっと自分を見てください、と」 「…………」 うん。 まぁ。 そうなんだけど……。 チラリと包帯の巻かれた左手を見る。 「華黒怒ってる?」 「当たり前です」 ですよね〜。 「私が世界に対して壊れたように兄さんも自分に対して壊れています」 「…………」 「兄さんは私に兄さん以外も見るようにと言いますが、それはあまりに一方的な言い方だと思います。世界に対して壊れた私が世界に向き合うことを強要するのなら、兄さんだって自分に壊れた障害に対して向き合わなければフェアじゃありません」 一分一厘反論の余地が無い。 「私は兄さんさえ傍にいれば世界が滅んでも問題視しません。兄さんが自分を見ないというのなら私だって世界を見ない権利を持ちえます」 ……そうだけどさぁ。 「友達を作った方が人生有意義だよ?」 「統夜さん以外に友達の出来ていない兄さんに言われたくありません。私は上っ面でも猫被りでもクラスメイトと交流をはかっています」 「この場合は知人じゃなくて理解者のことを言ってる」 重要なのは量じゃなくて質だと思うんだけどな。 「私の理解者は兄さんだけで十分です」 愛情定量論者。 「兄さんは私だけを見ていればいいんです」 そういうわけにも……。 左手に巻かれた包帯。 そして必然として見えてしまう左手首の深い傷跡。 僕と華黒とを決定づけた傷だ。 後悔なんてしていない。 懺悔なんか必要ない。 負い目を覚えることもない。 責任の所在も明らかじゃない。 スピッツの『ロビンソン』という曲にこんな歌詞がある。 「誰も触れない二人だけの国」 そして僕と華黒は互いに視界を補完する。 真白の見えない真白と世界の見えない華黒。 状況的には華黒が不利だけど、それでも僕らはこれまで上手くやってきた。 華黒のいうこともわからないじゃないんだ。 専門医からも言われている。 「自身を勘定に入れろ」 と。 それには華黒も同意見だろう。 というかそれだけが華黒の唯一の心配事。 「もっと心配事を他にも増やせ」 という僕の意見は、僕が歪みに克服しない限り空虚に堕すると華黒は言っているのだ。 「ごめんね」 僕は濡れて重くなった華黒の綺麗な髪を撫ぜた。 「でもこれが僕だから」 「知ってます」 問題は山積してるなぁ……。 |