超妹理論

『新たな隣人』前編


 暖房全開。
 どてらを羽織る。
 ホットコーヒーを飲む。
 大気と皮膚と内臓を同時に温める僕だった。
 冬対策だ。
 地球が太陽に対して傾いていなければこんな苦労はせずに済むのに。
 言って意味のある思考でもないけどさ。
「なんだかなぁ……」
 僕と華黒のアパートにはコタツが無い。
 ダイニングは高いテーブルと椅子の連合軍が占拠しているし、私室で暖まりたいならベッドに潜ればいい。
 そんなわけでエアーをコンディショニングすることによって寒さをしのいでいるというだけだね。
 いまだ冬休み中。
 宿題は終わらせているためやることもなくだらだらと。
 例外を除いて外に出るのも億劫なためアパートで時間を潰す僕だった。
 ちなみにコタツが恋しいのなら実家にいればいいんだけどそこはそれ。
 華黒とのことをからかわれるのが鬱陶しいの一言に尽きる。
 神社にお参りには行ったし、昨日はデートもした。
 その辺の機微を感じ取ったのかは定かじゃないけどルシールも黛もまだ今年に入ってからは見ていない。
 元より中学生での友達同士だ。
 二人仲良く参拝に行ってたりしてね。
「に・い・さ・ん?」
 歌い上げるように華黒が僕を呼ぶ。
「なぁに?」
「コーヒーのお替りはいりませんか?」
「それじゃもらおうかな」
「はいな」
 そしてキッチンへと消える華黒だった。
 その間、僕は実家から持ってきた昆布を齧っていた。
 新しくコーヒーを注いで僕に渡してくる。
 受け取る。
 嚥下。
「美味しいですか?」
「ん。香り高い」
 本音だ。
「えへへぇ」
 華黒は嬉しそうだ。
 こういった簡単な喜びに関しては素直で美麗な微笑みを見せる華黒だ。
 いきすぎると、
「えへへぇ」
 が、
「うへへぇ」
 になって僕視点で見てだらしない笑顔になるんだよね。
 ちなみに第三者から見たらソレさえも完成された笑顔と映るわけだけども。
 コーヒーを飲む。
 昆布を齧る。
「兄さんがそんなに昆布が好きだなんて思いませんでした」
「別に好きじゃないけどね」
「では何故?」
「口寂しいから」
 コーヒーを飲みながら昆布をガジガジ。
「口寂しいなら私にキスの一つでも……」
「…………」
 それで何を噛めというのか。
「あるいは私の乳房の先を……」
「下品」
 チョップ一撃。
「あうう……」
 と頭を押さえて涙目になる華黒だった。
 が、今回に限って言えば華黒が悪い。
 というか僕の方が悪かったことなんて数えられる程度なんだけど。
 コーヒーを飲む。
 立ち直って華黒。
「そう言えば隣が騒がしいですね」
「だね」
 ちなみにルシールと黛の部屋とは(僕と華黒の部屋を挟んで)反対側に位置する部屋のことを言っている。
 ガタゴトと大荷物を運ぶ音からして引っ越し作業かな?
 別に誰が住もうと迷惑さえかけなければ問題はないんだけどさ。
 昆布をガジガジ。
 中略。
「さて、そろそろ時間ですね」
 華黒がそんなことを言った。
「今日の夕食は肉じゃがのつもりなんですが」
 おお。
 家庭的。
「他にリクエストはありますか?」
「ないかな」
 だって、
「華黒の肉じゃがは美味しいしね」
 それに尽きる。
「いつでもお嫁にいける準備は万端です!」
 ふーん。
「華黒を娶る男性は幸せだね」
「兄さんのことを言ってるんです!」
「知ってる」
「そ、そうですか……」
 口ごもる華黒だった。
 可愛い可愛い。
 そんなコントをしているとピンポーンと玄関ベルが鳴った。
「はいはいはーい」
 と華黒が玄関対応。
 そして、
「げ」
 と華黒の声がヒキガエルになった。
 あんまり楽しくない想像だ。
 昴先輩あたりが訪問したのだろうか?
 僕もヒョコッと玄関を覗き見る。
 そこには華黒とは別に……茶髪おさげに茶色い瞳の少女がいた。
 鼻筋の通った美少女だ。
 その子を僕は知っていた。
 忘れようはずもない。
 僕と華黒と白花ちゃんの前でリスカをしたのは記憶に新しい。
 的夷伝纏子が……そこにいた。
「…………」
 的夷伝さんは華黒を見ておろおろとたじたじの間くらいの感情を見せていたけど、ヒョコッと厳寒の玄関を覗く僕を見てパッと瞳に光を映した。
 喜色のソレだ。
 無論……見逃す華黒ではない。
「…………」
 僕と的夷伝さんを交互に見やって、
「排除してもいいですか?」
 僕に問うてきた。
 遠慮も躊躇も屈託もない。
 おそらく気負いさえないのだろう。
 僕はカップに入っているコーヒーを飲む。
 昆布をガジガジ。
 そして結論付けた。
「駄目」
「理由を聞いてもいいですか?」
「まだ理由を聞いていないから」
「むぅ……」
 懸念はわかるけどさ……。
 そもそもにして僕に近づくなら誰であろうと(この際老若男女関係なくという意味だ)抵抗を覚えるのが華黒である。
 ルシールだけが例外で、それもある条件下において許されている類のモノである。
 白花ちゃんや昴先輩や黛には相も変わらず敵意を封じ込めるのに苦労すると当人が語っていた。
 華黒は過去が過去だからしょうがにゃーっちゃにゃーんのだけど。
 さて、その上で、
「…………」
 的夷伝さんの訪問だ。
 勘ぐるなという方が無理だ。
 失語症。
 自傷癖。
 そんな的夷伝さんが何を以てここに来たか。
 可能性自体は多数あるけど、この場合の引き算は簡単だ。
 なにより瞳が答えを示している。
 が、それはあくまで可能性。
 事実はいつだって認識されて初めて確定する。
 シュレディンガーの猫を引き合いに出さなくとも、そんなものは至極的な道理というものだろう。
 人は結局知りえることしか知りえないとすれば人間原理も捨てたモノじゃない。
 極論かな?
 閑話休題。
「的夷伝さん」
 僕は名を呼ぶ。
「…………!」
 怯えるようにビクッと震えらっしゃった。
 何かに怯えているようだ。
 その根幹はわからないとしても気持ちそのものは僕にも華黒にも理解可能だ。
 もとより道化が人間のふりをしている僕と華黒にとって『怯え』は自身を構成する精神単位に相当する。
 再び閑話休題。
「何か用?」
 とりあえずはまぁ状況を確定させなば始まるまい。
「…………」
 黙して語らぬ的夷伝さん。
 というか失語症だから答え様も無いのだろうけど。
「…………」
「…………」
「…………」
 しばし三者三様に沈黙。
 僕は状況を憂慮して。
 おそらく華黒は攻撃性を封じるため。
 的夷伝さんは……なんだかな。
 多分もっとも言語思考を駆使しているのは的夷伝さんだろう。
 何を以て僕と華黒の城を訪問したかはわかりたくないけど、概ね察してしまっている。
 宿業ってこういう時に使うのかしらん?
 三度閑話休題。
「……ええと」
 カップに入っているコーヒーを飲み干すと、
「華黒」
 と妹を呼ぶ。
「何でしょう?」
「コーヒー淹れて」
「はいな」
 声に気がない。
 僕への奉仕より的夷伝さんの事が気になるのだろう。
 可愛い奴め。
「かーぐーろっ」
「はいな?」
 振り返った華黒に、
「チュ」
 軽くキスをした。
 ただしほっぺに。
 真水に食紅を多量に突っ込んだかのように華黒の顔が真っ赤になる。
「これで安心した?」
「敵いませんね……」
 苦笑した華黒だったけど瞳の色から憂いが消える。
 同時にそれは的夷伝さんへの牽制にもなる。
 僕はコーヒーを用意し始めた華黒の傍を横切って玄関に応対する。
「何か用があって来たんでしょ?」
「…………」
 コクリと頷く的夷伝さん。
「失語症だっけ?」
「…………」
 コクリと頷く的夷伝さん。
「何かしら意思表示が出来るものでも持ってきたの?」
「…………」
 コクリと頷く的夷伝さん。
 なら話は早いね。
「それで? 何の用?」
「…………」
 的夷伝さんは懐から剃刀を取り出した。
「あ」
 嫌な予感。
 が、止める間もなく的夷伝さんの持つ剃刀は所有者の手首を切り裂いた。
 自傷癖。
 勘弁してよ……もう……。
 辟易していると、

「失礼しますお嬢様」

 血のような艶やかな赤が視界に飛び込んできた。
 自傷した的夷伝さんの血……ではない。
 そも、噴血するほど深くは切っていない。
 ジワリとにじむ程度の可愛い出血だ。
 切られた手首にはいっそ鮮やかに治療された。
 血のように赤い美少女によって。
 血の雨を浴びたかのように危うく揺れる赤の色彩。
 ルビーをはめ込んだような脆くも尊い赤の色彩。
 赤髪に赤眼。
 着ている物は白と黒のツートンカラーメイド服カチューシャ付き。
 メイドさんはこれあるを察していたのだろう……素早い判断で的夷伝さんの出血した手首にガーゼを当てて包帯を巻いた。
 使用人。
 とっさに浮かんだのはそんな単語。
「…………」
 的夷伝さんが一歩下がる。
 とは言っても玄関口から通ずるアパートの廊下はそんなに幅が無いため一歩の後退も間を開けるには十分だ。
 代わりに鮮血色の美少女がルビーの瞳を閉じて慇懃に一礼した。
「お嬢様が失礼しました。わたくしは的夷伝纏子お嬢様の専属使用人を任じております白井亨と申します。お嬢様ともども真白様、華黒様の城の隣に越してきた者です。袖擦り合うも他生の縁。隣り合う者として親しくさせてもらえれば恐悦の極みでございます」
「……はあ」
 あまりの饒舌にポカンとするより他は無い。
「…………」
 この沈黙は僕と華黒と的夷伝さんと白井さんのモノ。
「あの……」
 口を開いたのは意外にも僕だった。
 自分でもビックリだ。
「白井亨さん……救急車呼びましょうか?」
「心配は恐縮ですが心安んじてくだされば、と。お嬢様にとってリスカは挨拶のようなものです故」
 それもどうよ?
「それから真白様におかれましては白坂本家の直系でありますれば……分家たる的夷伝の、そのまた使用人に対して敬語は必要ありません。どうぞ呼び捨ててくださいまし」
 気が向いたらね。
 僕が的夷伝さんの怪我の心配をしていると、今度は華黒が口を開いた。
「聞き捨てならないことを言いましたね……」
 何よ?
「隣に越してきた?」
「はい」
 白井さんの即答。
「お嬢様と僭越ながらわたくしは隣に越してきました。刻が来ればわかりますが今年からお嬢様とわたくしは瀬野第二高等学校の生徒にして真白様および華黒様のクラスメイト……ということに相成ります。隣人として、それから学友として、親しくしてくだされば恐悦の極み」
「…………」
 三学期。
 転校生。
 クラスメイト。
 的夷伝纏子さん。
 自傷癖かつ失語症。
 白井亨さん。
 使用人……というかメイド。
 厄介事の予感しかしないんだけど……。
「あえて聞きますが……」
 華黒の眼は炯々とギラついていた。
 漆黒の瞳はぶれずに来訪者たちを打ち据える。
「何が目的で転校を? 必然を必然足らしめる理由があるのでしょう?」
 ……聞きたくないなぁ。
「お嬢様が切に希望するやためです」
「的夷伝さん?」
「…………」
 失語症故に黙して語らない的夷伝さん。
「お嬢様に答えを欲するには手順が必要です。とりあえず今日はこちらに越してきた挨拶として引っ越し蕎麦を用意させてもらいました。真白様と華黒様を夕食へ招待したいのですが如何でしょう?」
「…………」
 華黒はチラリと僕を見る。
 意図は察しえた。
「ま、肉じゃがはまた今度でいいんじゃない?」
「しかし兄さん……この人たちは……」
 その憂慮は痛いほどわかる。
「でも知らなきゃ始まらないし」
 クシャッと華黒のきめ細やかな黒髪を撫ぜる。
「招待されましょ」
 ということになったのだった。
 的夷伝さんと白井さんの部屋は僕らの部屋以上に遠慮なく暖房が効いており、どてらを脱いでよそ行き用に着替えた僕でさえ寒さを感じることはなかった。
 ダイニングテーブルには四つの椅子が。
 その内の一つだけ作られた空席の人間……白井さんがキッチンに立ってカモ蕎麦を料理していた。
 残る三つの席に座った僕と華黒と的夷伝さんは白井さんのふるまってくれたコーヒーを飲みながらスマホの番号とアドレスを交換していた。
 的夷伝さんは失語症だ。
 それは精神的な理由で思念を言語化できないだけであって言語思考そのものに欠損が無いこととイコールである。
 故に現代ツール(ぶっちゃけスマホのライン)を通せば文化的交流は計れる。
 で、三人でラインにログインして会話をした。
「それで? まだ答えをもらっていませんでしたが何ゆえ兄さんと同じ学校に転校してきて尚且つ兄さんの隣に引っ越してきたんですか?」
 答えを言ったも同然だろう。
 嫌な予感はいつでも当たる。
 特に僕や華黒みたいな人間にとっては星の巡りのようなものだ。
「みゃ〜。真白様に一目惚れしたからだにゃ」
 そんな的夷伝さんの返答。
 ふざけてるのかなこの子は?
「無論白花様を差し置くわけにはいかにゃいんだけど私も真白様の傍に居たいにゃ」
「それについては光栄だけど親御さんは何も言わなかったの?」
「瀬野二は進学校だから説得もしやすかったにゃ」
 にゃるほど。
「先に言っておきますが兄さんの精神も肉体も私の物です。細胞の一つまで的夷伝さんに提供できるモノはありませんから」
「みゃ〜。百墨華黒は欲張りだにゃ」
「私と兄さんの縁はそれほどまでに強固なのです」
 呪いとも言うけどね。
「だいたい一目惚れということは兄さんの本質を理解しないで、その美貌にだけ価値を見出しているのでしょう? そんなものはあの男と同じく唾棄すべき価値観です」
『あの男』……ね。
「にゃら百墨華黒は違うと?」
「華黒で構いません。私も兄さんも纏子と呼びます」
 まぁ呼ぶに吝かじゃないけどさ。
「私にとって兄さんは代替が効かず兄さんにとって私は必要たるべき存在。故に私たちは生きていけるのですから」
「みゃ〜?」
 さすがに僕と華黒の背後までは洗っていないらしい。
 まぁ知られても耳汚しになるだけだから別にいいんだけどさ。
 関係を深めればその内耳にも入るだろう。
 僕や華黒から情報が出ることはないけど、皮肉にも白花ちゃんは事情に精通している。
 そちらから漏れないという保証はない。
 僕が『あの男』と白坂の混血である以上避けられない業だ。
「お待たせしました。カモ蕎麦です。」
 白井さんが人数分のカモ蕎麦を用意してくれた。
「ともあれこれからよろしくにゃ」
 そんな文章に対して答えを返すのも億劫で、僕と華黒は箸をとった。
 追記……白井さんのカモ蕎麦は美味しゅうございました。

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