超妹理論

『お正月カプリッチオ』後編


 ピンポーンと玄関ベルが鳴った。
 僕はと言えば茶をすすって昆布を齧る。
 コタツでぬくぬく。
 立ち上がる素振りすら鬱陶しい。
 玄関対応は華黒の仕事だ。
 ……と実はそこまで割り切っているわけではなく、
「やれやれ」
 客に予想がついていただけなんだけどね。
 で、そうである以上華黒を刺激するのも何だかな。
 僕にはこういったことに関していくつかの前科がある。
 故に玄関対応は華黒に任せた。
 多分そうでもしなければまた問答無用に拉致されるのは火を見るより明らかだ。
 案の定玄関対応をした華黒は訪問者とキンキンキャンキャンと言い争っていた。
「まぁそりゃそうなるよね」
 僕はどてらを羽織ると昆布を齧りながら玄関へ。
 もちろん争いを止めるために。
 僕が姿を現すと、
「あ、お兄様」
 来訪者が僕をお兄様と呼んだ。
 黒いボブカットが似合う小学生。
 七五三を連想しそうな着物を纏っていて梅の花の簪を髪にさしている。
 名を白坂白花という。
 名家白坂のお嬢様だ。
 そして血縁関係では僕の本物の従妹となる。
「あけましておめでとうございますわお兄様」
「はいはいあけおめことよろ」
 ぞんざいに僕は返す。
「お約束は……忘れておりませんよね?」
「まぁそれで貸し借りが無しになるなら安い買い物だけどさ」
 全てが通じている……とでもいうかのような僕と白花ちゃんのやりとりに我慢できずに激昂する妹一人。
「どういう意味です!」
「実はかくかくしかじかで」
 僕はしがらみを語って聞かせた。
 一部を除いて。
 要するに白花ちゃんに頼んで黛の背景を洗ってもらって、その代償として正月に白坂の家に顔を見せると約束したことだ。
 無論、その原因となった黛による僕への拷問は伏せた。
 当然だ。
 流血は避けるべきものであるからね。
「そんな約束なんて反故にすればいいじゃないですか!」
 とは言ってもねぇ。
 約束は約束だし。
「きっと白坂白花の脳内は煩悩にまみれていますよ! 兄さんを独り占めしてグヘヘ今夜は寝かせねぇぜ的な思考を持っているに違いありません」
 あの……その言は盛大に墓穴を掘ってはいやせんかね?
「ていうかそんなこと思ってたの華黒?」
「無論です!」
 無論なんだ。
 まぁ思想の自由は憲法で認められてるけどさ。
 昆布をガジガジ。
「だいたい白花ちゃんは小学生だよ? 性欲の対象外だって」
「むぅ」
 呻く華黒。
 どこまで信用ないんだ僕は。
 と、ここで白花ちゃんが口を挟む。
「逆に考えてください」
 と。
「お兄様が大人になった時にはクロちゃんはおばさんです。そして私はピチピチです。お兄様にとって私の青田買いは決して悪い買い物じゃないはずです」
 死にたいのかな?
 この子は……。
 ギラギラと瞳に灼熱をともす華黒。
 そんな華黒の頭にポンと手を置く。
「大丈夫だよ」
「何が?」
 とは華黒は問わなかった。
 わかりきっているからだ。
 同じく地獄を体験した者として。
 等しい罪悪を執行した者として。
 僕の隣に立てるのは華黒だけだ。
 言葉にはしない。
 する必要が無かった。
 しおしおと殺気を収める華黒。
「ま、そういうわけですから」
 これは白花ちゃんの言の葉。
「お兄様をお借りします」
「私もついていきます」
「はぁ?」
 困惑ではなく挑発の言だ。
「私にとって用があるのはお兄様だけなのですけど?」
「私は兄さんの恋人です」
 照れるね。
「なるほど黛の件を借りにして兄さんを縛ろうというのは尤もですが、私がついてきてはいけない道理はありますか?」
「むぅ」
 今度は白花ちゃんが唸った。
 大変だね君たち……。
 ものすごい勢いで棚を上がる僕だった。
 昆布をガジガジ。
「ともあれ」
 僕は場を治めに入る。
「出掛ける準備をしなければいけないから白花ちゃんは待ってて。華黒はついてきたいというならそれもいいさ。以上解散」
 そして僕は実家の自身の部屋へと向かうのだった。
 どてらを脱いでシャツとジーンズとコートを纏う。
 コートは華黒と合わせで買ったモノだ。
 僕が黒色。
 華黒が灰色。
 というのも華黒は黒髪ロングなので黒いコートなぞ着せると視覚的に重くてしょうがないなんて事情がある。
 コートを羽織って僕と華黒は白花ちゃんに招かれ車上の人となった。
 外気に晒されると息が白くなる。
 ああ、冬だ。
 今更ながらにそんなことを思う。
 こういう感情を指して雅と云うのかな?

    *

「「「「「お帰りなさいませお嬢様」」」」」
 使用人さんたちが列を為し一斉に一礼して白花ちゃんを出迎えた。
「使用人さんたちに正月休みは無いの?」
 単純な疑問だった。
「これでも屋敷で働いてる使用人の数は少ない方だよ?」
 さいでっか。
 獅子堂さんもその内の一人かな?
 ちなみに屋敷の中は完璧に暖房が行き届いていた。
 コートを脱ぐ。
 と、
「真白様、上着をお預かりします」
 使用人の一人がさりげなく僕の腕からコートを奪った。
 どうも。
「そちらの……」
 華黒の名を知らぬ故に困惑する使用人に、
「百墨……百墨華黒だよ」
 白花ちゃんがフォロー。
「百墨様、上着をお預かりします」
「ありがとうございます」
 灰色のコートを使用人に預ける華黒だった。
 ところで僕が、
「真白様」
 と呼ばれ、華黒が、
「百墨様」
 って呼ばれてることに若干の違和感が。
 もしかしてこの屋敷の住人にとって僕こと真白の、白坂への帰順が既成事実の予定と化しているんじゃあるまいな……。
 怖くて聞けないけど。
「お飲み物はいかがいたしましょう?」
 使用人の一人が尋ねてくる。
「私は緑茶」
「僕も」
「私も緑茶で」
 よどみない僕らだった。
 そして僕たちは白花ちゃんの私室へと向かう。
「ところで」
 とこれは華黒。
 気後れしない辺りはさすがだ。
「なぁにクロちゃん?」
「白坂は名家と聞きましたがその御曹司が正月に安穏としていていいんですか?」
「だって、ねぇ?」
 白花ちゃんは肩をすくめた。
「私はまだ小学生だし」
 理屈だ。
「一通りの応対は出来るけど子どもの出る幕じゃないってのが本音。親戚一同や白坂本家および分家は迎春大会で出払ってる。お母様もね」
 百合さんか。
「元旦の年取りはしたけどそれ以降は大人の時間って奴」
「ですか」
 華黒としても一定の理解はしたらしい。
「で、何ゆえ兄さんを呼んだのです?」
「特に意味は無いよ」
 これを真顔で言うからね。
 使用人が淹れてくれた緑茶を湯呑ごと与り、僕らは会話を続ける。
「お兄様に白坂の人間であることを自覚してもらいたいってのもあるけど……」
「兄さんは私が養います」
 ちょ〜ひもりろ〜ん。
「なんならクロちゃんも白坂になれば?」
「どうやって?」
「簡単だよ? お兄様が白坂に帰順してクロちゃんを愛人にすればいい」
 本妻って言わない辺りが何だかな……。
「兄さんと結婚するにあたって苗字はなんでも構いはしませんが……」
「だってよ? お兄様」
「緑茶が美味しいな〜」
 現実逃避する僕だった。
 華黒と白花ちゃんと昴先輩のかしまし娘は僕と結婚する気満々だ。
 華黒とルシールと黛のかしまし娘は僕に抱かれる気満々だ。
 どうしたものかね。
 このシンメトリカルツイントライアングルは。
 現実の一つや二つや三つほど逃避したくもなろうと云うものだ。
「とまれ」
 暴走にはブレーキを。
「まだ先の話をぐちぐち言ってもしょうがないでしょ?」
「兄さんがハッキリしないから白坂白花が調子に乗るんです……」
「お兄様の心を溶かすのに時間がかかるのは否定しませんが……」
 僕の何がそんなにいいんだろう?
 僕より恰好よくて優しい男の子は他にもいるよ?
「わかっていませんね……」
「わかってないね……」
 二人に嘆息されてしまった。
 と、コンコンと白花ちゃんの私室の扉にノックの音が鳴って、
「畏れ入りますお嬢様。的夷伝様が参りました」
 そんな使用人の声が聞こえた。
 まといでん?
「通して構いません」
「了解しました」
 そして使用人の足音が遠ざかる。
「まといでんって誰?」
「白坂の分家。本名は的夷伝纏子」
「まといでん……まといご……」
「白坂の分家の一つたる的夷伝の元後継候補者。今は違うけど。たしかお兄様やクロちゃんと同じ学年だったはずだけど」
 なら友達に成れるだろうかと考えていると、また扉がノックされた。
「入っていいよ纏子ちゃん」
 白花ちゃんに遠慮は無かった。
 扉が開かれる。
 入ってきたのは一人の美少女。
 茶色い髪は括られておさげになっており、同じく茶色の瞳には愛嬌が宿っていた。
 着ているのは和服の着物。
「…………」
 的夷伝のお嬢様は無言で白花ちゃんの私室に入り、僕と華黒とを見た。
 視線が交錯する。
 次の瞬間、的夷伝は懐から剃刀を取り出してリストカットを実行した。
「……ええ?」
 僕と華黒は状況についていけなかった。

    *

「ビックリしたでしょ?」
 あの後……つまり的夷伝が手首を切って治療のために退室した後……白花ちゃんが苦笑しながら言った。
 ビックリどころの話じゃない。
 何ゆえ初対面でリスカされるのか。
 意味不明にもほどがある。
 そう言うと、
「そういえば珍しいね」
 ふむ、と白花ちゃんは思案した。
「特に困った事態が発生しない限りにおいては纏子ちゃんの自傷癖は表に出ないはずなんだけどな……」
「自傷癖持ちなの?」
「リスカが趣味らしいよ?」
「…………」
 僕は自分の手首を見る。
 いまだ傷跡残る手首だ。
「違います」
 華黒が断言した。
 僕の瞳から憂いを掬い取ったのだろう。
 こういうところには聡い華黒だ。
「兄さんの手首の傷は私を守った証です」
「そんな御大層なものじゃないよ」
「それを決めるのは兄さんではありません」
 でっか。
「そうである以上兄さんが的夷伝に共感を覚えるのは的外れです」
「ん」
 こっくりと頷く。
「ありがとね華黒……」
 優しく華黒の髪を撫ぜる。
「えへへ」
 華黒は、
「至福だ」
 と言わんばかりに相好を崩した。
 可愛い可愛い。
 閑話休題。
「で、事情は聞いても良いものかな?」
 当然的夷伝についてだ。
「別に秘密ってわけでもないんだけど……」
 こめかみを人差し指でトントンと叩きながら言葉を練る白花ちゃん。
「纏子ちゃんは自傷癖持ちで失語症なんだよ」
「重いね」
「お兄様ほどじゃないけどね」
 白花ちゃんの瞳に自嘲の光が宿る。
「さっきも言ったけど纏子ちゃんは元々的夷伝家の後継候補者だったの」
「今は違う」
 ……と。
「うん」
 いっそさっぱりと言われた。
「両親による教養の押し付けが纏子ちゃんの業だった」
「教養というと……」
「もちろん勉強だね」
「やっぱり?」
「ただ纏子ちゃんは成績は良いけど勉強が苦痛の種でね。今はその妹が的夷伝の後継候補者。こちらは器用かつ柔軟な思考を持っているらしくて優等生みたいだね」
 にゃるほど。
「纏子ちゃんは妹が出来るまでは胃腸が不具合を起こし吐血し巨大なストレスに晒されようとも勉強を強要されたらしいんだよ」
「…………」
「で、神経がパンクして言葉と自己保存を失ったってわけ」
「言葉?」
「失語症っていうんだっけかな? 言語の理解は出来るし発声の運動に問題は無いんだけど言葉を生み出すことが出来ないの」
「…………」
「要するに喋ることが出来なくなったってわけ」
 さいか。
「で、言葉を失ってリスカに奔るようになったからとても的夷伝の後継者にはなれないってことで位置的に宙ぶらりんの状態」
 それはわかった。
「で?」
「とは?」
「何で僕と華黒を見て手首を切るのさ?」
「さあ?」
 諸手を挙げる白花ちゃん。
「案外お兄様に一目惚れだったり」
 いやいや。
「仮にそうだとしてもリスカと結びつかないでしょ」
「困惑したら手首を切るのが纏子ちゃんだからね。気分的にどうしようもないって思っちゃえばリスカするのは必然だよ」
 そんなものかなぁ……。
 クネリと首を傾げる僕だった。
 もっとも、そんな常識が通用しそうにない相手と云うのは理解できるけど。
 何より美少女だったし。
 茶髪おさげの美少女。
 華黒や昴先輩やルシールほど完成されたソレではないけど十二分に美少女の範疇だ。
 また一人……僕の周りに美少女が増えたわけだ。
 しかも失語症と自傷癖のおまけつきで。
「……なんだかなぁ」
 僕の周りの美少女は心に闇を抱えないといけないってルールでもあるのかな?
 出てこいロマンスの神様。
 こうなるとルシールや碓氷さんの顔が見たくなる。
 純朴にして純粋。
 裏が無い。
 そんな女の子だ。
 それ故に僕への想いを淘汰されているわけだけど。
 というのは碓氷さんに失礼かな?
 ルシールは黛に後押しされてるし。
 ズズと緑茶をすする。
「兄さん」
「何?」
「すっごく嫌な予感がするんですけど……」
 聡いね。
 華黒は。
「僕も同感」
 苦笑の他に対応があるなら聞いてみたいものだ。

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