超妹理論

『お正月カプリッチオ』前編


 僕と華黒は実家にいた。
 年は取った。
 おせちも食べた。
 今日は元旦。
 一月一日だ。
「あう〜」
 コタツにくるまって正月特番を見る。
 並行して僕は昆布を齧りながら緑茶を飲んでいた。
 華黒が淹れてくれたモノだ。
 その華黒は母さんと一緒に洗い物。
 カチャカチャと食器の鳴る音がリビングにまで響いてくる。
 やることがない。
 冬期休暇の宿題は去年の内に終わらせた。
 というか終わらせられた。
 元々進学校である瀬野二において僕は中の中と云った成績だ。
 この点について(つまり勉強について)華黒は僕にスパルタだ。
 血の汗流せ。
 涙を拭くな。
 そんな精神で華黒の講義を聞きながら宿題の整理に没頭したのだ。
 ちなみに華黒は勉強しなくても勉強できる子で、説明も上手い。
 僕としては、
「華黒の宿題を写せばいいのでは?」
 という意見があるのだけれどこの件に関して華黒に妥協は無かった。
 南無。
 ともあれすべきことも終えたので安穏と正月特番を見ながら茶をすする僕。
 暇だ。
 昆布を齧る。
 それにしても何だね。
 テレビに映るお笑い芸人さんたちは正月がいらないのかな?
 正月早々生放送に出てコントをするのは立派だけどこんな時くらいは休めばいいのに……というのはお笑い芸人の事情を知らないから言えることなのだろうか?
 茶をすする。
 昆布を齧る。
 ボーっとしてる。
 することがないというのも難儀なモノだ。
 かといって家事一切は百墨家において男子禁制だから手伝うわけにもいかないし。
「男が稼ぐ。女が支える」
 そう言ってはばからない両親だ。
 ちなみに華黒にその意思はない。
「兄さんは私が養ってあげますからね」
 とルンと気持ちを高ぶらせて僕を甘やかしてくれる。
 それなら宿題見せてというとこれは駄目らしい。
 何故か?
 華黒は僕と一緒の大学に進学したいらしく、その布石としてせめて国公立の大学に行けるくらいの勉学能力は持たせねば、とこういうこと。
 実際の僕の成績で云えば国公立と言っても上さえ目指さなければ十分射程内なのだけど、少しでもいい大学に入るための伏線として華黒は勉学に関してのみスパルタとなる。
 今現在の国際情勢において国力とは武力ではなく教養だ。
 少なくとも先進国においては。
 昔のスペインみたいに侵略を良しとする風潮は過去の物。
 教養教育によって発言力を持つことこそが国を押し上げる力になる。
 そういう意味では日本のゆとり教育は失敗だ。
 知ったこっちゃござんせんが。
 茶をすする。
 昆布を齧る。
「華黒〜」
「何です兄さん?」
 洗い物もそこそこにキッチンから顔を出す妹。
「お茶」
「はいな」
 にっこり微笑んで茶を出してくれる。
「ありがと」
「兄さんのためですもの」
 良い子だね。
 後は心の病気さえ完治すれば。
 どの口が言うのかって話だけど。
 医者曰く、
「何を以て完治とするのかも定かではないから波の起伏は有れど一生付き合っていく覚悟で」
 とのこと。
 言いたいことはわかる。
 頭蓋骨をかち割って脳髄に特効薬を注射すれば話は早いんだろうけど、まだそこまで医学は精神を理解できてはいない。
 僕や華黒のカルテジアン劇場に住むホムンクルスは致命傷のまま日々を過ごす。
 人生と云う名の映画を見ながら……ね。
 茶をすする。
 昆布を齧る。
「ようようようよう」
「チェケラッチョ」
 父さんの声に面倒くさげに返す僕。
「華黒はどうだ?」
「何に対して?」
「体の相性とかあるだろ?」
「…………」
 茶をすする。
 昆布を齧る。
「なんだな」
「…………」
「まだ抱いてないのか?」
「校則で取り締まられていますから」
 あまりの話題に他人行儀な口調になってしまう。
「若い性の暴走とかあるだろ?」
「それについて否定はしませんがね」
 父親が息子に聞く話題じゃないと思ふ……。
「別に父さんも母さんも止めはしないぞ?」
「普通コンプレックスなもので」
 後トラウマとか。
 茶をすする。
 昆布を齧る。
「早めに捕まえておいた方がいいと思うがなぁ」
 清酒を呑みながらぼんやりと父さんは言った。
「別に華黒が僕に見切りをつけたとしても構いやしませんし」
 嘘だ。
 けど納得は出来る。
 華黒に聞かせれば激怒するだろうけど。
 茶をすする。
 昆布を齧る。

    *

「じゃあ華黒ちゃん、お兄ちゃんのことヨロシクね?」
 母さん……わかって言ってるんでしょうね?
「任せてください」
 華黒の分かりやすい返事。
「それじゃ後はお二人で〜」
 不安しか感じられないんですけどそれもどうよ?
 ブロロロロとエンジン音が遠ざかっていく。
 父さんと母さん実家に挨拶回りだ。
 ちなみに僕と華黒はお留守番。
 というのも百墨の親戚に良く思われていないためだ。
 もっとも、そうでなくても今年に限って言えば予定があるからついてはいけないんだけど。
 で、父さんと母さんを送り出した後、僕と華黒の二人きりで百墨家のお留守番。
「兄さん?」
「駄目」
「まだ何も言ってませんよぅ……」
「どうせ姫始めでしょ?」
「むぅ」
 どこまでわかりやすいんだ……うちの妹は。
「たまの二人きりなんですから満喫しましょうよぅ」
「いつも一緒に寝てるでしょ?」
「寝ていません」
「……そっちの意味じゃないよ」
 頭の頭痛が痛い。
「じゃあ僕は近場の古本屋に行ってくるから家事一切よろしく」
「兄さん……愛してますぅ……」
「僕も華黒を愛してるよ」
 ひらひらと手を振って僕は徒歩にて古本屋へと向かうのだった。
 中略。
 古本屋はセール中だった。
 全国にチェーン店を持つ有名どころだ。
 本だけでなく衣類やら玩具やらDVDやらゲームやらを値引きしていた。
 今の時代、本だけで生計を立てるのは難しいということなのだろう。
 とりあえず僕は漫画コーナーにて立ち読みをする。
 跳躍やら日曜日やら雑誌やらに掲載されている漫画の人気作をペラペラとめくる。
 漫画そのものは好きなのだけど、
「購入する」
 ということを僕はしない。
 それはコンビニで立ち読みしているから週刊連載を追いかけていける故のものでもあろうけど、それ以上に漫画の単行本が場所をとる事があげられる。
 対して文庫は小さく場所をとらず一冊ごとの読了時間も長いため暇つぶしなら漫画より文庫だ。
「さて……」
 適当に漫画の立読みを切り上げて僕は文庫コーナーに足を向けた。
 何を読もう?
 最近読んでいたのが外国の推理モノだったから今度は頭を使わないで読めるものでもいいかも……。
 そんなことを思う。
 必然足はジュブナイルのコーナーへ。
 ライトノベル。
 ラノベ。
 そう呼ばれているジャンルだ。
 瞳の大きな可愛い女の子の表紙が出迎えてくれる。
 ジュブナイルは嫌いじゃない。
 伝統も大切だけど商業主義だって大切だ。
 そういう意味ではジュブナイルは認められてもいいと思う。
 ツンデレ幼馴染。
 クーデレ優等生。
 ヤンデレ妹。
 あれ?
 最後のは経験があるような?
 というか僕の状況がある意味でジュブナイルだ。
 色んな女の子に好意を持たれているって時点でね。
 ま、その分衆人環視による嫉妬や嫌悪の視線を浴びているのでヒフティヒフティだろう。
 ともあれ僕はジュブナイルを検分する。
 最近の流行は把握してるけど正直そちらには食指が動かない。
 読んでもいいんだけど波に乗れないというか……。
 転生やハーレムは男の子のロマンだけど僕にしてみれば食傷気味だ。
 それが嫌で外国の推理モノなんかを読んでいたんだけどね。
 ともあれ頭を使わず読めるものを探す。
 あらすじを読みながら取捨選択。
 ふと目にとまったのは可愛らしい女の子が日本刀を持っている表紙のジュブナイルだ。
 殺人をテーマにしている作品らしい。
 衝動買い。
 気づけばレジに持っていっていた。
「中々面白そうだ」
 と思ったのが一つ。
「殺人をテーマにした」
 というのに惹かれたのが一つ。
 セール中故に二割引きで買ったジュブナイルを持って家に帰る。
「お帰りなさいです。兄さん」
「ただいま華黒」
「また本を買ってきたんですか」
「暇だからね」
「暇なんてとんでもありません!」
「なして?」
「兄さんは私の相手をすべきです」
「してるでしょ?」
「言葉では足りません」
「肉体言語ってこと?」
「意味は違えどそうです!」
「…………」
 沈黙。
 他に対処があるなら聞いてみたいものだ。
「華黒」
「何でしょう?」
「お茶淹れて」
「兄さんのためなら!」
 こういうところは可愛らしいんだけどなぁ。
「ちなみに何をご所望で?」
「ほうじ茶」
「了解です」
 そしてパタパタと華黒はキッチンに消えていった。
 僕は買い物袋からジュブナイルを取り出して華黒の茶を待ちながらリビングで読み始めるのだった。

    *

 正月二日目。
 暖房全開かつコタツで下半身を暖めながら僕はジュブナイルを読んでいた。
 昨日古本屋で買ったやつね。
 日本刀を持った少女が大立ち回りする話だ。
 殺人鬼という言葉が出る。
 人を殺す鬼。
 けれども僕は鬼と云うものを見たことが無い。
 となれば殺人鬼はファンタジーの存在と言っていいだろう。
 人はあらゆる理由で死ぬ。
 夏にスズメバチに二度刺されてアナフィラキシーショックを起こしたり、冬にインフルエンザが肺炎に悪化したり。
 人が人を殺すことを特別視するテーマはそりゃ色んな小説に載っているけど正直なところ僕としては人が死ぬことと人に殺されることは別問題……というより後者は前者の小さな一点でしかなかろうと思っていたりして。
 誰だって死ぬ。
 病気。
 怪我。
 障害。
 災害。
 エトセトラエトセトラ。
 では殺人と人死の違いは?
「裁判にかけられるかどうかでしょう」
 華黒は梅こぶ茶を飲みながら僕の疑問にそう答えた。
 ある種正解。
 地震が起きて人が何千人死のうと大地を逮捕なんてできないわけで。
 台風が起きて親が死んだからとて雲を起訴することはできないわけで。
 裁判……つまるところ責任の在処がこの際の分かれ目だ。
 究極的に言えば人は命と云うものを神聖視していない。
 人が神聖視しているのは人だ。
 もうちょっと正確に言うならば偶像だ。
 三秒に一人が死んでいくこの地球で人の死に心を痛めるのならば人類はすべからく漏れなく精神病で死んでいる。
 あるいは涙が止まらず水分欠乏に陥っている。
 実際僕も数えるのも馬鹿らしいほど朝のニュースで殺人の報道を目にしたことがあるけど涙を流したことは一度足りとてない。
 何故か?
 僕が薄情な人間だから。
 ある意味ではそうだ。
 だけどしょうがないだろう。
 テレビ越しの人死に慟哭していたら生きてなぞいけない。
 つまり僕にとって人死……つまり人命に価値は無い。
 価値があるのは人命ではなく大切な人の不幸だ。
 華黒が死ねばおそらく僕は壊れてしまうだろう。
 僕が死ねばおそらく華黒は壊れてしまうだろう。
 心を預けている人間の究極的な不幸即ち死が大切なのであって人命が大切なわけではない。
 地球の裏側で万人が死のうとコタツの暖かさに敵わず、華黒が怪我をすればコタツの中でも心は凍えるだろう。
 結論。
 命に価値は無い。
 命は皆平等だというのなら発言者はウィルスの定義にどう答えるのか?
 興味は尽きないけど無駄だから実際にそんなことはしない。
 そもそも死とは生物の持つ『能力』の一つだ。
 道に転がっている石は死なない。
 僕が今飲んでいる梅こぶ茶も死ぬことはない。
 無機物は死を持たない。
 有機物……その中でも生命だけが死ぬ権利を持つ。
 こういうと誤解が生まれる。
 何事にも例外はある。
 少なくとも死という能力を持たない生命も存在する。
 そしてそれ故に。
 その発見故に。
 生命の死は生まれつき組み込まれた能力なのだと科学者たちは理解したのだから。
 例えばベニクラゲ辺りが有名だろうか?
 不死の存在。
 正確には再生と云った方が正しいのかもしれないけど。
 それは不死鳥を想起させる。
 時至らばシナモンによる巣を造り、その身を燃やして灰となり、幼鳥として再生し、また再生の期間までの生を謳歌する。
 時間による劣化をサイクルの一環として取り込み生き続ける生命。
 別種の不死もある。
 酵母がソレに当たる。
 古き生命。
 栄養さえ与えれば決して劣化しない条件付きの不死性。
 つまり死とは生命の能力であり特権でもある。
 何ゆえ生命が死を持つにいたったかは非才の身にはわからないけど、人間原理に沿うならばロマンスの産物なのかもしれない。
 あるいは自然の流転において生命に限界を与えなば自滅するから……とか?
 閑話休題。
 で、ある以上やっぱり人の死は感傷でしかないわけで。
 殺人と云うのは人の持つ結末の一端でしかない。
 社会的殺戮は何も人間に限った話じゃないしね。
 それに科学が進んで死者を復活させうる手段が発明されれば殺人は無意味と成り下がる。
 これは、そんな時代が来るんじゃないかと云う僕の楽観論だけど。
 そもそも死の絶対性を僕は信仰していない。
 不可逆とさえ思っていない。
 人の死は化学反応の停止でしかなくて、そを克服する手段が現時点の人類には有り得ないから人命が尊重されているだけだ。
 要するにやり直しの能力を《まだ》持っていないだけだね。
 で、ある以上、医学や科学が進歩して死者を万全の状態に戻せる技術が見つかれば人類はきっと死を克服できる。
 宗教的には有り得ない思想だろうけど。
 とはいえ、
「憂世は苦界だ。死して極楽に行きたければ以下略」
 という思想には賛同しかねる。
 生きて幸福にならねば嘘だ。
 それでこそ人命は初めて輝く。
 もっとも……それを気にするのもまた同じ人間でしか有り得ないっていうのも皮肉だけどね。
 人が死ぬことに意味は無い。
 けど死を恐れることには意味があるはずだ。
 世界平和の第一歩。
 ……なんちゃって。
 僕が言えるタチじゃないのは重々承知しているのさ。

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