超妹理論

『クリスマスキッス』後編


 というわけで、
「あ〜あ」
 校門前にデンと待っていたリムジンに乗せられて僕たちは酒奉寺屋敷に向かった。
 正直良い思い出は無い。
 初めて来訪した時は華黒と諍いがあったし、その次は黛による拷問だ。
 これで警戒しなければ嘘ってものだけど、せっかくのクリスマスを血で汚すようなことはないだろう。
 ……多分。
 一抹の不安を拭い去れない辺り業が深いけど、ね。
 そんなこんなで酒奉寺屋敷。
 少女たちは、
「準備があるから」
 と屋敷の奥の部屋へ誘われた。
 ドレスで着飾るのだろう。
 着替えや化粧の最中に昴先輩にセクハラされるに百万円と世界一周旅行ペアチケットを掛けたっていい。
 とまれ今日は楽しいクリスマスパーティ。
 まして酒奉寺家主催ということもあって政治家や財界人まで来るという話だ。
 暇人どもめ。
 ……と云いつつ状況に流されている僕に他人の事は言えませんね。
 さて、
「じゃあ真白、こっちだ」
 統夜が僕をとある一室に案内する。
 そこにはスタッフと衣装とがあった。
「あー」
 何と言うべきか……。
「そういうの要りませんから」
 辞退しようとした僕の首根っこを引っ張って統夜は無理矢理に僕にタキシードを着せた。
 姿見で自分を確認しながらぼやく。
「僕こういうの苦手なんだけど」
「ま、クリスマスパーティでくらい格好つけろよ。学校制服じゃ浮くだけだぜ?」
「統夜はそうだろうけど実際僕は庶民だし。パーティでは厳密じゃないけど壁の花になる気満々なんだけど」
「白坂の御曹司が良く言うぜ」
「今の僕は百墨真白だよ」
「悲しいこと言わないでよシロちゃん」
 答えた声は、
「…………」
 統夜のモノではなかった。
 というか僕を、
「シロちゃん」
 と呼ぶ人間を僕自身は一人しか知らない。
 そっちの方向を向くと可愛らしいボブカットのドレスアップした幼女がいた。
「えーと……」
「久しぶりシロちゃん。楠木南木だよ」
 先回りして釘を刺された。
 どうやら今日の彼女は、
「楠木南木」
 らしい。
「…………」
 しばし沈思黙考。
 僕はナギちゃんを指差して統夜に質問した。
「いいの?」
「何が?」
「酒奉寺と白坂の家とは仲が悪いんじゃなかったっけ?」
「お前が言うか」
「言うんだよ」
「結論から言って今日の彼女はナギちゃんさ。どこぞの白坂何某とは別人だ」
 酒奉寺がそれでいいならいいけどね。
「ナギちゃんはもう準備を済ませてるの?」
「シロちゃんたちより先に来たからね」
 なぁる。
「シロちゃん?」
「なぁに?」
「お姫様抱っこして?」
「まぁ構いやしないんだけど……」
 ピンクのドレスを着たナギちゃんをタキシード姿の僕が抱える。
「統夜は写真撮って」
「あいあい」
 カメラを構える統夜。
 何と言うべきか……。
 振り回されてるなぁ僕。
「シロちゃん」
「何?」
「チュッ」
 お姫様抱っこされたナギちゃんが僕の首に腕を回してほっぺにキスしてくれた。
 そしてそのシャッターチャンスを逃す統夜ではない。
 明確かつ致命的な証拠が地上に発生したことになる。
「華黒にばれたら流血沙汰なのわかってる?」
「単なるクリスマスキッスだよ」
「当人が満足なら僕はそれでいいけどさ……」
 ナギちゃんの未来に幸福在れ。
 心中十字を切る。
 それがしたかっただけなのか、
「じゃあ会場で」
 とナギちゃんは部屋を出ていった。
「これで真白に対するアドバンテージを得たわけだ」
「…………」
 察する。
 ナギちゃん……というか白坂白花ちゃんにとってはさっきのシャッターはクリスマスの思いでの一枚であるはずだ。
 が統夜が握れば兵器になる。
 華黒の暴走リミッター解除のキーとして交渉の材料になるわけだ。
 底意地が悪いというかなんというか。
 さすがに先輩の弟だけはある。
 そんな統夜は僕同様にタキシードを着て珍しく茶髪をオールバックにしていた。
 おお。
 紳士が目の前に。
 元より昴先輩と同じ設計図で出来ているのだから顔自体は悪くない。
 タキシードにオールバックにすればそれなりの貫録がついてきていた。
「ちなみにお前用のドレスを姉貴が用意しているが?」
「勘弁」
 両手を挙げて降参だ。
 冗談じゃないね。
 多分向こうは冗談のつもりでさえないのだろうけど……。

    *

 パーティは酒奉寺屋敷の一部である巨大なホールにて行われた。
 あくまで名目はクリスマスパーティだが酒奉寺に媚を売りたい大人たちにとっては重要な社交界としての側面も持つらしい。
 昴先輩は豪奢なドレスを着て社交的に微笑んでいた。
 本人の意思を全く汲み取らずに僕と結婚するつもり満々なのだけれど、それを面に出したりはしないのだろう。
 タキシードを着た若い男性たちに積極的に話しかけられていた。
 さすがにこの程度は猫を被れるらしい。
 まさか、
「女の子が好きです」
 なんぞと告白することもないはずだ。
「兄さん」
「………………真白お兄ちゃん」
「お姉さん」
 何?
「助けて」
 かしまし娘の言葉には強制力があった。
 というのもドレスを着てメイクアップしたかしまし娘は目が潰れるほど華やかだ。
 下心露わの男に絡まれるのも当然の帰結。
 僕としては関わりたくなかったけどこれも憂世の常か。
 なんとか華黒とルシールと黛の気を惹こうと誘いをかけてくるナンパ男たちをどうやってか撃退せねばならないらしい。
「お、そっちの子も可愛いじゃん」
「タキシードなんて着て男装の麗人のつもり?」
「俺に付き合わねぇ?」
「良い目見せてやるって」
 結局ナンパなんてものは何処の世界でも変わりはないらしい。
「華黒……」
「はいな」
「ルシール……」
「………………はい」
「黛……」
「はいはい」
「早めのクリスマスプレゼント」
 僕は華黒とルシールと黛の唇を唇で奪った。
 そしてナンパ男たちに視線をやる。
「この子たちは僕のモノだから金輪際コナをかけないでください」
 そんな牽制に舌打ちしながら別の標的を探しに行く十把一絡げさんたち。
「えへへぇ」
「………………ふえ」
「あは」
 僕からのクリスマスプレゼントを受け取ったかしまし娘は幸せ絶頂らしかった。
 安い乙女心だことで。
 ところで黛とまでキスしたけど華黒の反応は愉悦のソレだ。
 ちょっとは病気が治ってきたのかな?
 もしそうなら良い傾向なんだけど。
 あるいは本気で三号と目しているわけでは……ないと信じたい。
 いい加減誰かに刺されるよ僕……。
 それが必然の結果なら受け入れるけどさ。
 さて、
「じゃあナンパ野郎も撃退したことだしパーティを楽しんでおいで」
 僕はかしまし娘を送り出す。
「兄さんは?」
「統夜のとこ」
 多分一番の安全圏だ。
 そんなわけで僕は発泡ブドウジュースの注がれたグラスを手に持ったまま、ホールの壁際に寄りかかっている統夜と合流した。
「楽しんでるか?」
 こちらから近寄ったのに先に口を開いたのは統夜だった。
「食事は美味しいね」
 僕も忌憚なく答える。
「色気より食い気かよ」
「色については食傷気味」
「違いない」
 くつくつと統夜は苦笑した。
「そういえば統夜のところには人は来ないね」
「まぁ後を継ぐのは姉貴だ。俺に酒奉寺を支える器量は無いからな」
「謙遜を」
「いや事実。ちょっと裏技を使ってな」
「裏技」
「まぁそれについては守秘義務を適応させるとして……」
 秘密なんだ。
「ルシールちゃんと楓ちゃんにまでキスするのは気前が良くないか?」
「そうなんだけどさ」
 弁解の余地もない。
「でもま、助けを求められると手段を選ばないのが僕の常だから」
「因果だな」
「まったくもって」
 苦笑し合う。
 と、
「麗しの君よ。待たせたね」
 そんな声と共に僕のお尻が撫でられた。
 裏拳を放つ。
 簡単に受け止められた。
 足払い。
 バランスを崩す僕のワイングラスを奪い取って僕の体を支える人物。
「何するんです先輩?」
「いい加減猫を被るのに飽きた。癒しを求めてこちらに来た次第さ」
「華黒やルシールや黛がいるでしょう?」
「今は真白くんの気分なんだよ」
「でっか」
「白花からは白坂に回帰するように言われているんだろう? もしそうなれば酒奉寺と白坂の御曹司同士が恋仲になって余計な睨みあいも起きなくて済むのだがね」
「しったこっちゃないですね」
「君はなぁ。いい加減私の物になりたまえ」
「華黒一筋なもので」
 肩をすくめてみせる。
「だから華黒くんとの交際を否定してはいないだろう? 他者に対する愛情は並列できる。私がそれを体現しているのを君は見て取っている。なら答えは一つだろう?」
「三段論法にもなってませんよ」
「むぅ」
 何をそんなに。
「では逆の状況を想定しようか。私が好きでもない男と結婚することに君は同情や憐憫を覚えないのかい?」
「その程度なら」
「だろう?」
 我が意を得たりとばかりに切れる目を細める先輩だった。
「なら答えは一つじゃないか?」
「ノーコメントで」
「可愛いねぇ君は」
 そしてパーティの主役であり衆人環視の注目の的である先輩が僕の頬にキスをするのだった。
 何だか今日はキスしたりされたりばっかりだ。
 節操ないのは今に始まったことでもないけど。

    *

 クリスマスパーティはつつがなく終了して、僕と華黒は我が家へと帰っていた。
 実家ではなくアパートの方である。
 念のため。
 明日はクリスマス当日。
 しがらみから解放されて華黒とデートをする予定だ。
 なんというか両想いでなおかつ気持ちは通じあっているのに周りに振り回されているせいで外ではあまり二人きりにはなれない僕たちだった。
 それもこれも誰が悪いって僕が悪いんだけど。
 元より気持ち通ずる前から白花ちゃんや昴先輩にちょっかいをかけられて、今年度からはルシールと黛まで追加された。
 華黒もいい加減僕に愛想が尽きても良い所だろうけど、それが出来るのならこんな状況ではないわけで。
 久方ぶりに二人きりのデートを楽しむ予定だった。
 今日は一緒のベッドで眠る。
 常識論に則って寝る以上のことはしないけど。
「兄さん?」
「なぁに?」
「今日はたくさんの人とキスしましたね?」
「うん……まぁ……」
 言葉が濁るのもしょうがない。
「兄さんは私の物だと理解してますか?」
「恋人であるということは理解しているよ?」
「であれば証明を求めます」
「えい」
 僕は掛け声一つ華黒の両頬をプニッとつねった。
 ブルドッグ。
「何をするんです?」
「嫉妬は可愛らしいけど裏を返せば不信のタネでもあるよ?」
「ならば信じさせてください」
 やれやれ。
 じゃあとびっきりのを。
 僕は華黒の唇に唇を重ねる。
 ついばむように華黒の唇を何度も奪う。
 それから唇の隙間に舌を潜り込ませて口内を凌辱する。
 唾液の交換。
 吐息の交換。
「ん……はぁ……!」
 酔ったように声を上げる華黒。
 可愛い可愛い。
「……! ……!」
 グチャグチャに華黒の唾液を舐めとって、その舌で華黒の口の端を濡らす。
 その延長線上にあるのは耳。
 華黒のブラックシルクもかくやという黒髪を丁寧に払って、僕の舌は華黒の耳をツイーと舐める。
「に……ぃ……さん……!」
 感じ入ってる華黒には悪いけど取り止める気は毛頭ない。
 クチュクチュと耳を舐め、その裏側を舐め、そして今度は人体基準で下方へ向かう。
 首筋だ。
 僕と華黒の唾液が華黒の首を濡らす。
「もうちょっと」
 僕は華黒のパジャマの上のボタンを解放して首筋をねっとりと舐めつくす。
 最後に強く華黒の首をついばんで終わり。
 キスマークをつけたのはつまり、
「華黒は僕の物」
 という証だ。
「これで信じた?」
「あう……」
 言葉もない、と。
 うっとりとしていた華黒の眼が、
「…………」
 時間が経つにつれ剣呑な光を映し始めた。
「兄さん!」
「嫌」
 けんもほろろ。
「何も言ってませんよぅ……」
「言わなくてもわかるし……」
「兄さんは私が欲しくないんですか?」
「別に人並みに欲はあるけど……」
「躊躇う必要もない事柄じゃないですか」
「あんな過去を背負っておきながら良く言えるね」
「だって兄さんはあんな男とは違いますもの」
 なんだか言葉の語尾にハートマークとか付いてそう。
「僕は少し怖いな」
「そなんですか?」
「うん。まぁ……」
 トラウマレベルだ。
 本能と心情がいつも同じ解を出力するとは限らない。
 性欲はあるけど交合は怖い。
 それが正直な僕の気持ち。
 もっともタガが外れないための努力もしてるし、いつかコトをいたすにあたってのイメージトレーニングもしてるんだけど。
「兄さん?」
「なぁに?」
「私は何時でも何処でもウェルカムですからね?」
「…………」
 何時でも何処でもですか……。
 それは何とも……。
 らしいっちゃらしいんだけどさ。
「それにしても情熱的なキスでした」
「僕からのクリスマスプレゼント」
 語尾にハートマーク。
「この高ぶりをどうやって沈めましょう」
「場合によってはたたき出すからね?」
「そんな!」
「驚くところじゃないと思うんだけど……」
 どこまでいっても華黒は華黒らしい。

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