超妹理論

『クリスマスキッス』中編


 それから幾つか打ち合わせをした後、僕と華黒……ルシールと黛はそれぞれにわかれて教室に呑みこまれた。
「あ、おはようございます」
 華黒はパッと僕の腕から腕を外し、女子の輪に入っていった。
 社交的な(たとえそれが欺瞞でも)華黒には感服する。
 僕は早々に自身の席に着く。
 と、
「はよっす」
 ツンツンはねた茶髪の男子が僕に声をかけてきた。
 名を酒奉寺統夜。
 この辺りの名家……酒奉寺家の長男だ。
「おはよ。統夜」
 そして僕の親友でもある。
 親友……か。
 あるいは心友。
 まさかの辛友か。
 それについては後世の研究者たちに解釈を任せるとして、
「憎いな」
 統夜はくつくつと笑った。
「何の話?」
 わかっていたけど話を続けるために僕は問うてみた。
「懸想文……もらったろ?」
「見てたの?」
「ある意味で……な」
「?」
 わからないと態度で示す僕に、
「ちょっとした情報網って奴だ」
「え?」
 表情が渋くなるのも当然だ。
「もう広まってるの?」
「あー、いや、そういうわけじゃない」
 慌てたような統夜の言。
「じゃあどうやって知ったのさ?」
「第六感」
「…………」
 ジト目になった僕に飄々とする統夜だった。
「ま、こっちにも色々と情報の収集の仕方があるってことだ」
「…………」
「別にいいだろ懸想文くらい」
「…………」
「お前、可愛いしな」
「…………」
 統夜が言葉を発する度に僕の視線は暗く深くなっていく。
「まさか統夜……」
「それはない」
 即答だった。
 こっちの質問を事前に察知していたとしか思えない。
 ま、ならいいんだけどさ……。
「俺には心に決めた奴がいるからな」
「そなの?」
「そなの」
 コックリ頷く統夜だった。
「誰?」
 野次馬根性を存分に発揮。
「言っても信じられないような奴でな」
「あ、二次元?」
「三次元だ」
 ムッとさせてしまった。
 そりゃそうか。
 先の言は僕が悪かった。
「ともあれお前も今日は来るんだろう?」
 予定のことだろう。
 それくらいはわかる。
「まぁお邪魔させてもらうよ」
 苦笑してしまう。
「姉貴のお気に入りだしな」
 統夜も苦笑した。
「昴先輩……なにか言ってる?」
「まぁ色々と」
「例えば?」
「真白を暴漢に襲わせて自分が颯爽と助け出すとか……」
 笑えないなぁ。
 そういうのは十八禁ゲームでやってくれ。
「姉貴は完璧超人だしな」
「それは否定しないけどさ」
「だから自身に惚れない人間なんかいないとさえ思っている」
「それもわかってる」
「であれば手に入らない物にこそ情がうつるというか」
「迷惑な話だ」
 僕が苦笑すると、
「違いない」
 シニカルな笑みを浮かべる統夜だった。
「それで?」
「とは?」
「真白は懸想文をどうするんだ?」
「無視してもいいけどどちらにせよ付き合わなくちゃならないしね」
「華黒ちゃんとルシールちゃんと楓ちゃん……か」
「そゆこと」
 しょうがないけど憂世のしがらみだ。
「モテモテだな」
「否定はしないよ」
「問題は……」
 問題は?
「お前がそれだけの美貌を持っていながら男ってことだな」
「僕のせいじゃないよぅ」
「ゲラゲラ。それも然りだ」
「当事者としては笑えないんだけどね」
 心底本音だ。
「さて」
 統夜は肩をすくめる。
「今日が二学期最後だ。互いに、な」
「どうせこの後もしがらみがあるけどね」
「違いない」
 くつくつと統夜は笑う。
 不本意だ。

    *

「さて……」
 終業式は終わった。
 現時点を以て冬休み〜。
 そして今日は勉学からの解放と共にクリスマスイブまでついてくる。
 浮かれ気分になるのは思春期の人間には必然とも言えよう。
 僕は懸想文を取り出して、
「はぁ……」
 溜息。
 勇気と無謀は違う。
 が、熱に浮かれてしまうのもしょうがない。
 今日が聖夜を迎えるならば誰しも好きな人と時間を共にしたいというのは決して間違った理屈じゃないのだけど……、
「やれやれだ」
 それは、
「告白される側にも言えることだ」
 というのも理屈なわけで。
 どうにもこうにもこればかりは。
「兄さん?」
 華黒が近寄ってきて問いかけた。
 ブラックパールの瞳に映るのは憂いのソレ。
 まぁ僕が溜息をついたり「やれやれ」なんて言ってたら心配もするか。
 原因の二十五パーセントは華黒にあるんだけどね。
「何か憂慮することが?」
 とぼけないの。
「問答の余地なくわかるでしょ?」
「…………」
 困ってる困ってる。
「別に切り捨てても構いませんし、無視することも心を守るためなら必要な作業と存じますけども……」
 防衛機制って奴ね。
 誰しもが通る道ではあるけど、
「古典理論とは少し違うけど」
 フロイト先生を少しだけ否定しながら、
「この寒空の下でいつまでも待たせるわけにはいかないしね」
「兄さん?」
 あ。
 危ない瞳だ。
「なぁに?」
 心中冷や汗をかきながら僕は問う。
「兄さんは私にだけ優しくしてくださればいいんですよ?」
「たまに思うんだけどさ……」
「何でしょう?」
「華黒も浮気とかしないの?」
「…………」
 怒ってる怒ってる。
「言って良い事と悪い事があったね」
 よしよしと華黒の頭を撫でる。
「いつまでもそれで誤魔化されるとは思わないでください……!」
「じゃあ機嫌を取るだけ無駄だね」
 頭を撫でるのを止める。
「うう……」
 怒りたいけど怒ったら僕が冷めていく。
 そんな二律背反の葛藤が華黒を苦しめていた。
 それはつまり、
「まあ僕が必要ってことか」
 ということであり、
「それ以外の選択肢が有り得ない」
 という視野狭窄でもある。
 高校の卒業までには何とかしたいけど、はてさて。
 ともあれ今は精神的茨姫の呪いを解放するのが責務だろう。
「華黒……」
「……何ですか?」
「ごめんね」
 チュッと軽くキスをする。
「…………」
 僕はニコニコ。
「…………」
 華黒はポカン。
 一秒。
 二秒。
 三秒。
「くぁwせdrftgyふじこlp!」
 真っ赤になって華黒は狼狽することしきりだった。
 うんうん。
 やっぱり僕の妹は可愛いなぁ。
「ななな! 何を!」
「クリスマスキッス」
 ウィンク。
 後の投げキッス。
 男がやるもんじゃないけどね。
 そしてソレが様になる辺り業が深いというべきか出生に問題ありというべきか。
 多分両方。
「兄さん!」
「なぁに?」
「大好きです!」
「僕もだよ」
「フライングボディハグ!」
 華黒は僕に飛びつき抱きしめてきた。
 いいけど今朝それを敢行しようとした黛を止めたのは誰だっけ?
 衆人環視の視線が痛い。
 ある種公然の事実だから仕方ないけど申し訳なさも立ってしまう。
 僕らのクラスにとってこの光景はもはや必然だ。
 が、今回ばかりは抗議がきた。
「あーっ! お姉様ズルい!」
 こんなことを言うのは黛に決まっている。
「………………あう」
 廊下の扉からこっそりこっちを覗いているルシールも憂鬱そうだった。
 いっそ僕が死ねば色んな人間が僕から解放されるんじゃないか?
 そんなことすら考えてしまう。
 多分後追いする人間も出てくるだろうからそれはそれで問題なんだけどね。
「お姉さん? 黛さんとルシールにも適切な処置をお願いします」
「僕よりいい男なんて幾らでもいるよ?」
「謙虚は時に嫌味ですよ?」
 さいでっか。

    *

 で、結局懸想文のことなんだけど、
「絞殺死体」
 ということで間違いないんだろう。
「問題は……」
 どうあっても拒絶は傷を生むということだ。
 心から血が出るのならば誰しも傷つけ合うことはないのに。
 言っても始まらないんだけどさ。
「気にしては始まりませんよ」
 と華黒は言う。
 真理だけど残酷だ。
「………………お兄ちゃんは……優しすぎる」
 かっこ美少女に対してのみかっことじ、ね。
「黛さん的には博愛主義でもいいと思いますけど」
 それは昴先輩の理論だ。
 少なくとも僕と華黒の過去共有においてソレは全き意味の無い事柄だと断言せざるを得なかったり……。
 別にいいんだけどさ。
「真白くんは私だけを見ていればいいのさ」
 と言われてもなぁ。
 ……。
 …………。
 ………………。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 唐突な第三者の声に僕らは状況を察しえなかった。
 時が止まる。
 プチッと音がする。
 状況の認識から現実への回帰は一瞬。
 反応は苛烈を極めた。
「きゃあああああああああああ!」
 悲鳴が上がった。
 華黒のモノだ。
「あー……」
 だいたいわかって嘆息する僕。
 華黒はダッシュで昇降口に一番近い化粧室へと特攻。
 場には百墨華黒の代わりに……百墨華黒の背後をとって百墨華黒の背中、そのブラジャーのホックを服越しに外すという離れ業を見せた第三者が残った。
 ツンツンはねた癖っ毛は統夜と同じ。
 挑戦的に切れる瞳に不敵な笑み。
 自信と自負に満ち溢れた美女。
 その身を引き締めるのは艶のあるコートとビンテージジーンズ。
 言わずと知れた酒奉寺昴がそこにいた。
 毎度毎度華黒のブラジャーを外す人間が他にいるはずもないのだけど……。
「お迎えですか?」
「うむ。リムジンを待機させてある」
 そりゃご苦労なこって。
 今日がクリスマスイブなのは何度も言ったけど、実は今年のクリスマスイブは酒奉寺の屋敷で行なわれるパーティへの参加を予定に入れていることを補足する。
 別段断っても問題ない案件だったのだけど、
「いざ」
 という先輩の言葉に押し切られて僕と華黒とルシールと黛が参加することになった。
 迎えが来るとは聞いていないけど。
「やあ真白くん。ルビーの瞳の君よ。君の輝きの前には大輪のバラさえ色褪せる。ヴィーナスとて道を譲るだろう」
 僕のおとがいを片手で持ち上げながら先輩はうっとりと僕の瞳を覗き込む。
「おべんちゃらは結構です」
 皮肉気に言ったんだけど、
「事実さ」
 先輩の反応は苦笑だけだった。
 元より何かに「まいる」ということをしない人間だ。
 それくらいは認識していないと昴先輩とは付き合えない。
「さて、邪魔者は消えた」
 華黒のことだろう。
 いまだ僕のおとがいを持った先輩はクイと僕の顔を上方に傾かせて、自身の唇を僕の唇に重ねた。
「………………あう」
「やや!」
 ルシールと黛が狼狽える。
「何をしてます?」
「クリスマスキッス」
「華黒が見てたら殺されてましたよ?」
「大丈夫さ。罪を犯せば隔離される。それは即ち真白くんとの乖離だ。で、ある以上華黒くんは酒奉寺に喧嘩を売れる立場じゃないよ」
 ごもっとも。
 閑話休題。
「パーティは夜でしょう? しばし迎えが早すぎませんか?」
「なに。ドレスや化粧には時間がかかる。これくらいがいい塩梅なのだよ」
 さいでっか。
「ちょっと野暮用があるんですんで待ってくださることは出来ますか?」
「野暮用?」
「懸想文をもらったんですよ」
「ふむ。では早く済ませたまえ」
 話が早くて助かるなぁ。
「………………酒奉寺先輩……ズルい」
「黛さん的には酒奉寺姉さんにはもうちょっと遠慮を感じてほしいのですけど」
「ふふ」
 自信満々に微笑すると、
「可愛い妖精たちだ。愛するに十分な処女だが……接吻するかい?」
「………………嫌」
「お断りです」
「たとえそれが真白くんとの間接キスでもかい?」
「…………」
「…………」
 そこで黙らないで。
 そこで悩まないで。
「可愛い処女たちだ。聖夜の相手にふさわしい」
「………………真白お兄ちゃんじゃなきゃ……駄目」
「お姉さん以外に体を許す気はありませんよ?」
「ツンデレだね」
 いや本心でしょ。
 つっこむのも疲れるから言葉にはしないけど。
「さて……では君たち乙女を待つ場所へと向かおうじゃなぐふぇあ!」
 昴先輩の声が途中で乱雑になったのは化粧室から舞い戻ってきた華黒のドロップキックによるものだ。
 まぁ当然っちゃ当然だけど。

    *

 というわけで屋内プールの裏手に向かう僕たち五人。
 僕こと百墨真白。
 華黒。
 ルシール。
 黛。
 酒奉寺昴。
 それで五人だ。
 いやぁ罪な人だね。
 自虐しても事実は変わらないんだけど。
 そしてプール裏に待っていたのは四人の男子生徒。
「…………」
 沈黙以外に反応があるなら聞いてみたい。
 単純な引き算の問題だ。
 僕と華黒とルシールと黛はそれぞれ一通の懸想文をもらった。
 そしてそのどれもが、
「屋内プールの裏手で待ってます」
 とのことだった。
 元より人目のつきにくい場所で屋上と並び告白のスポットとして有名だ。
 で、四人が四人とも男子生徒。
 僕たちが呼び出されたのも四つの封筒。
 四引く四は零。
 つまりプール裏で待っていた四人の男子生徒の内の一人は僕に告白を……、
「…………」
 空を仰ぐ。
 発症しないかな?
 なんとなくそんなことを思う。
「萎えるねぇ」
 これは昴先輩。
 忌憚なき意見だけど空気を読んでください。
 まぁ……美少女にしか食指を動かさない先輩にとっては男なぞ有象無象でしかないのだろうけど。
 できれば僕もその範疇に入りたかった。
 今更だけどね。
「それで?」
 これは華黒。
 ニコニコと猫を被った爽やかスマイルで場の進行を取り仕切る。
「誰から告白してくれるのでしょう?」
 男子生徒たちは、
「あーでもない」
「こーでもない」
 と議論して、まずは、
「真白先輩!」
 と一人が言い出した。
 いきなり僕か。
 僕を先輩と呼ぶということは一年生なのだろう。
「一目惚れです! 付き合ってください!」
 勇気ある選択ではあるけど、僕にとっては地獄の再現だ。
「ごめんなさい」
 あやうく発症しかけているの気力でねじ伏せる。
 視界がチラチラと万色と赤色とを行き来するけどなんとか発症だけは避けた。
 多分相手に悪意は無いのだろう。
 けど、それでも僕にとって男色はアンタッチャブルだ。
 正直に言って蟻走感さえ引き起こす。
「兄さん」
 華黒がギュッと僕の手を握って熱を送ってきた。
 僕と地獄を共有しただけあって華黒にだけは僕の今の心情が読み取れるはずだ。
 眩暈が華黒の優しさによって融解のちに拡散する。
「どうしても駄目ですか?」
 食い下がる男子生徒に、
「しつこいですよ」
 これは僕ではなく華黒の言。
「真白くんは私の婚約者だからね」
 昴先輩……あなたは黙っていてください。
 ええと、
「ほら。父さんと母さんにはお孫さんの顔を見せたいしさ」
 遠回りに男色を否定する。
「ですか」
 男子生徒……しょんぼり。
 残る三人の男子生徒は華黒とルシールと黛に告白して撃沈した。
「そんなに百墨真白がいいのか?」
 という質問は誰が放ったか。
「ええ」
「………………まぁ」
「ですね」
 遠慮のないかしまし娘であった。
 華黒が僕の右腕に抱きつく。
 ルシールが僕の左腕に抱きつく。
 黛が僕の胸部に抱きつく。
 昴先輩が僕の背中に抱きつく。
「だから諦めて?」
 それがかしまし娘の総意だった。
 モテる男はつらいなぁ……なんて言いはしないんだけど。
 もはや何時刺されても文句の言えない状況だ。
「君たちにこんな可愛らしい美少女たちはやれないね」
 とどめを放ったのは先輩だった。
 らしいっちゃらしいんだけど。
「えーと……」
 それは傷口に辛子を塗る行為だと思うんですがどうでしょう?
「ともあれ……」
 僕は申し訳なさを感じていないのに申し訳なさを言葉にして、
「僕たちのことは諦めて」
 傷口に辛子を塗るのだった。
「さて」
 パチンと指を鳴らす先輩。
「では野暮用も済んだことだし」
 ここで口にしていいセリフではないんだけど……。
「可愛らしい処女たちよ。私の愛ある腕に抱かれようね」
 ちなみに言っておけば僕と華黒は処女ではない。
 気にする先輩でもないだろうけど。
 そして項垂れている一億総玉砕の雰囲気を醸し出していた四人の勇者を無視して僕たちは場を離れる。
 せっかくのクリスマスイブだ。
 好きな人と一緒にいたい心理は何も彼らだけに限定するものじゃない。

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