目を覚ました。 辺りを見渡す。 狭い空間だった。 石を積んで出来た個室。 そう呼ぶのが妥当だろう。 湿気が充満して、残暑の厳しい季節だというのに冷ややかな水分の支配する空間だった。 まるで、 「地下牢か何かだね」 決して的外れでもない僕の言葉だ。 で、僕自身はその地下牢でどうなっているかというと、 「趣味の悪いことで……」 手錠で両手両足を拘束されて、身動き一つできない状況だった。 芋虫みたいにクネクネと動いて移動する可能性は……首についている首輪と鎖に固定されて出来そうもない。 真っ先に出てきたイメージは、 「拉致監禁か……」 妥当なソレだった。 ちなみに記憶がとんでいる。 たしか僕は黛と一緒にファミレスにいたはずだ。 そしてルシールについてアレコレと議論し合い……、 「……えーと」 それからどうしたんだっけ? 思い出せない。 気づけばこの状況だ。 「起きましたかお姉さん」 そんな声がかかった。 存分に聞き覚えのある声だ。 黛。 他にいない。 「ああ、知り合いがいて良かった。ちょっとこの手錠と首輪外してくれない?」 「断ります」 「何で?」 「捕まえた獲物をなんで解放しなきゃならないって話ですから」 「…………」 ということは、 「この状況は君がつくったの?」 「忌憚なく言えば」 コクリと頷く黛だった。 「で?」 僕は拉致監禁の首謀者たる黛に問うた。 「ここは何処?」 「酒奉寺姉さんの屋敷の地下牢です」 「昴先輩の……」 ついつい納得してしまう。 ん? 「ということは酒奉寺家がこれには関わっているってこと?」 「まぁ手伝いくらいはしてもらいました」 「何で僕はこんな状況になってるの?」 「簡単ですよ。ドリンクバーに催眠薬を溶かしてお姉さんの意識を奪い、酒奉寺姉さんの使用人にお姉さんを運んでもらい、拘束して地下牢に監禁。ただそれだけのことです」 「なるほどね」 あのメロンソーダか……。 納得がいった。 前提については。 「で?」 「とは?」 「こんなところに僕を拉致監禁して何をしようっていうの?」 「まぁ率直に言えば懇願を」 「脅迫じゃなくて?」 「別にそう捉えてもらっても間違いじゃありませんが……」 「何だかなぁ……」 苦笑する僕だった。 「ちなみに僕はどれくらい気を失っていたの?」 「三時間ってところですね」 十分範囲内……か。 「ちなみにここは通信も効きませんから」 助けを求めるだけ無駄ってか。 「昴先輩の意見は?」 「面白そうでしたよ?」 「…………」 あの人らしい。 「風呂やトイレはどうすればいいのさ?」 「大丈夫です。自己申告していただければ使用人が処理しますから」 それの何が、 「大丈夫」 になるのかわかんないけど……、 「さいですか」 他に答えようもなかった。 「二人きりですね」 黛は淡々と言った。 「二人きりだね」 僕も淡々と言った。 「さて……」 といって鉄格子の扉を開けて僕の監禁されている地下牢に入ってくる黛。 「で?」 「とは?」 「僕を凌辱でもするの?」 「まさか」 黛は苦笑した。 「黛さん自身はお姉さんに興味はありませんよ」 「にしては手枷足枷首輪の拉致監禁状態だけど」 「まぁ色々ありまして」 色々……ね……。 「助けてって言えば助けてくれる?」 「助けてじゃ足りませんよ」 「…………」 ど〜するかな〜。 嘆息する。 身動き一つできないので他にしようがなかったのが事実なんだけど。 「そんなに僕とルシールを取り持ちたいの?」 「よくわかりましたね。エスパーですか?」 「いつもより皮肉が効いてるね」 「あっははは」 軽快に黛は笑った。 状況は最悪だ。 まさか黛がここまでするとは。 「では問いましょうか」 「何を?」 「お姉さん……」 「…………」 「ルシールと恋仲になってくれますね?」 「断る」 躊躇すら必要なかった。 即断即決。 少なくともそこに躊躇いは必要無かった。 「こうまでされてまだそんな妄言が吐けるのですか?」 「ま〜ね〜」 いやらしく笑ってあげる。 「しょうがありませんねぇ」 はふ、と黛は嘆息した。 「形而下的に懇願するとしましょう」 そう言って懐からスタンガンを取り出した。 「…………」 さすがに沈黙する僕。 「威力交渉のつもり?」 「ただの拷問です」 さいでっか。 「スタンガンを持ち出すほど?」 「少なくとも拷問にはピッタリですよ」 「気絶したら意味なくない?」 「大丈夫です」 ニッコリと黛は笑った。 「苦痛だけを与えて決して気絶できない電流と電圧に設定されていますから」 「…………」 ですか。 他に言い様もない。 バチバチと電気の流れる音がする。 そのスタンガンを僕の鼻先に突きつける黛。 「で? どうします?」 「とは?」 「ルシールと恋仲になってくれますよね?」 「…………」 僕は押し黙った。 なんと返すべきか。 それを迷ったのだ。 「ほらほら」 とスタンガンをちらつかせながら黛は迫る。 それを僕は《唇を読み取ること》で把握するのだった。 聴覚器官が働いていない。 故に自身の吐息さえも聞こえない。 それでも僕は言った。 「断る」 次の瞬間、僕をショックが襲った。 スタンガンの適応。 それによる電気ショックと神経の麻痺。 「もう一度言えますか?」 そんな言葉を黛は放つ。 無論僕が唇を読みとっているだけなんだけど。 「断る」 再度電気ショック。 しかして痛痒を覚えない僕。 「ふむ」 と黛は言ったのだろう。 聴覚が働いていないから多分ではあるけど。 「スタンガンじゃ足りませんか?」 「まぁね」 飄々と僕。 《真っ赤》に染まった視界の中で黛に向かって苦笑する。 それが僕の全てだった。 「じゃあやり方を変えますか」 そう言って黛が取り出したのは鋭利な針だった。 それも一本ではなく無数に。 「どこから持ってきたの……そんなの」 「酒奉寺姉さんの使用人に頼んで」 何だかなぁ。 「昴先輩は純情を好む」 それはわかるけど、だからってこれはやりすぎじゃないかな? 華黒に嫌われる覚悟を持っているのか怪しいところだ。 別にいいけどさ。 「で?」 「とは?」 「その針で何をするのさ?」 「刺す以外に何があるんです?」 「だろうね」 嘆息する僕。 「してほしくないですか?」 「そりゃまぁ」 「ならルシールと恋仲になってくれますね?」 「断る」 次の瞬間、太ももに針を刺された。 もっとも《痛覚の働いていない》今の僕には些事に過ぎないけども。 スタンガンをちらつかされた辺りから僕は“発症”している。 視界は真っ赤なフィルターを通したように映しているし、聴覚は悲鳴を聞こえないように押し黙っているし、痛覚はそれ自体が沈黙している。 黛は針で僕の体を刺したり、スタンガンで痺れさせたり、爪を無理矢理剥いだりして苦痛を与えたけど、痛覚を遮断している僕には何かしらの痛痒も与えなかった。 「……なんで」 驚愕する黛。 「なんで拷問に耐えられるんです……!」 言ってもしょうがないので僕は黙っている。 というかスタンガンのせいで舌が上手く働かない。 痛覚の遮断という“発症”を起こしているのだから拷問に意味なぞないのだけど。 音をあげたのは黛が先だった。 「なんでそんなに飄々としていられるんです……!」 「まぁ痛覚が働いていないからね」 ぼんやりと僕は言う。 「無痛症?」 「まぁある意味で」 別に説明してあげる義理は無いけど僕は言う。 「無痛症患者が最初に駄目にする器官は何だと思う?」 「……え?」 「歯……なんだよ。無痛症患者は力の加減がわからない。当然それは咀嚼力にも関係する。だから無痛症患者は噛む力の加減が出来ずに真っ先に歯を駄目にする。で、それを踏まえた上で僕の歯は健全だ。これがどういうことかわかるよね?」 「一時的なものと……そう言いたいのですか?」 「ご明察。僕はとある条件を満たすことで無痛症になることが出来る。だから拷問にすら耐えられる。当然感覚は無くなるけど、一時的なものだから別に不利益はないしね」 肩をすくめるのも手枷足枷では難しいけど。 「それより問題は君だよ。何故ルシールの想いを達成させるためだけに酒奉寺家を巻き込んで僕に拷問をするのか……。そにおける動機がわからない」 それだけがわからない。 ルシールの親友と云うだけにしては積極的すぎる。 「生涯を賭けるに足る想い……というのは、お姉さんはあると思いますか?」 「それには既に答えた」 「でも黛さんは裏切られた……」 「誰に?」 「黛薫子……」 「……誰?」 「黛さんの最初の親友です。ともに生きようと……いつまでも仲良しだと……そう誓って……しかして裏切ってくれた存在です」 「もうちょっと深く話してくれる?」 「薫子は私の最初の親友で、親の都合上離れ離れになった友達でした」 「…………」 「ですから文通でやり取りをしていたんです。たとえ距離はあっても……親の都合によって引き離されても……それでも黛さんたちの友情は変わらない。そう言えるはずの関係でした。しかして黛さんは裏切られた。」 「どんな風に?」 「薫子は最後の文通でこう綴ったんです。『もうこれっきりにしよう』と。それが黛さんにとってどれだけのことか……お姉さんにはわかりませんよね?」 まぁね。 「傷心の黛さんが次に出会ったのがルシールでした。だから黛さんは誓ったんです。この友情を大切にしようって。今度こそ不変の友情を構築しようって」 「それとこの拷問とに何の関係があるのさ?」 「要するにお姉さんがルシールに愛を囁いてくれればいいんです。そのためだけに黛さんは行動します」 「…………」 「ルシールの愛する人と結ばれる手伝いをする。それでこそ黛さんとルシールの仲は強固になると云うものです」 「無駄に終わったけどね」 嘆息する。 つまり……なんだ……。 「ルシールとの友情を強固にするために僕とルシールを恋仲にしようと……そうすることで黛は真の友情を勝ち取れると……そう思ったの?」 「他にないでしょう?」 罪悪感もなく言ってくれる……。 「僕がおべんちゃらを言う可能性は考慮してないの?」 「それでも構いません。要するに友達としてルシールの手伝いが出来ればそれ以上は望みませんから……」 「ですか」 面倒くさい話だ。 華黒が、 「自身と近似している」 と言ったのもこうなれば納得である。 華黒が自己を僕に仮託しているのと同義に……黛もルシールに自己を仮託している。 それが愛情か友情かの違いでしかない。 根が深いのは僕たちの方だけど、イカレ具合なら五十歩百歩だ。 「黛さんはルシールの親友で、だからこそルシールの幸せを追及する。そのためにはお姉さん……あなたの承諾が必要なんです」 「要するに……」 黛は《生涯を賭けるに足る想い》をルシールに見出し、その手段として僕とルシールの仲を取り持とうとした。 ルシールが僕と恋仲になればルシールは黛に感謝するだろう。 そうすることで不変の友情が生まれる。 少なくともルシールと黛の仲においては。 そんなところなのだろう。 「やれやれ」 僕は嘆息する。 根性がひん曲がっていることに関してアレコレ言う権利は僕には無いけど……それにしてもこれは酷い。 「少なくとも……」 僕は言ってやる。 「僕が華黒以外に愛情を注ぐことは無いよ。黛が何を以てルシールを支援しているかはわかったけど暴力的なことに屈する僕じゃない」 発症による痛覚遮断もあるしね。 黛は衝動的に僕の太ももに針を刺した。 無論、僕は感じなかったけど。 「なんでですか!」 実際に聞こえなかったとはいえ黛の絶叫は肌で捉えられる。 「ただ愛人として接すればいいと黛さんは言ってるだけじゃないですか! そんなことも出来ないんですか!」 「出来ない」 きっぱりと僕。 「少なくともそんな都合のいい女にルシールをするわけにはいかない」 それが結論だった。 「うう……ううう……!」 「ごめんね。でもそれが僕の本心だ」 他に言い様がない。 痛覚も聴覚も視覚も壊れた世界で僕は慈悲を求める。 だからこそ黛の壊れ具合も理解できる。 そうして僕は解放された。 拷問が通じない以上当然の帰結だ。 「ごめんね」 涙の止まらない黛を抱きしめて僕はそれだけ呟いた。 |