超妹理論

『黒の歪み』前編


 文化祭はつつがなく終わり生徒たちも家に帰す。
「うちあげだ」
 と称して飲酒し停学になる生徒が出てくるに一票。
 ともあれ僕と華黒は帰るなり一緒にお風呂に入っていた。
 華黒やルシールを連れ、午後いっぱいをかけて食べ歩いたのだ。
 夕食の必要は無かったし、なら余計な手間を華黒に取らせなくてもよい。
 それより問題があった。
「え? じゃあルシールをふったんですか?」
「愛人契約の撥ねつけに『ふる』って単語が適用されるならね」
 僕と華黒は重なるように湯船に浸かっていた。
 僕が下で華黒が上。
 僕の胸板に華黒が背中を預ける格好だ。
 水着姿ですら華黒は神々しい。
 そういう意味では後頭部しか見えないのは僕にとっても良好かもしれない。
 もう一人の僕が水着越しとはいえ華黒のお尻に当たっているのが問題と言えば問題だけど……それについては最小限の被害と云うことで納得。
「何故です?」
「何故って言われてもね……」
 言葉に窮する僕。
「ルシールに限って言うならば二号さんくらい問題ありませんよ? ルシールの心は澄み切っている。アレは天性のモノでしょうね。兄さんに次いで恐くない他者というのは私にとっても異例のケースです」
「…………」
 それについては同意する。
 おどおどして他者を恐がるのは華黒とルシールの共通項だ。
 二人の態度に違いがあるとすれば、
「決意があるかどうか」
 だろう。
 それは、
「猫を被れるかどうか」
 と言い換えてもいい。
 華黒にはその決意がある。
 僕が手首を深く切った時、華黒は自身に決意を求めた。
「今度は私が兄さんを守るために強くなる」
 と。
「もう兄さんが私のために犠牲にならなくて済むような人間になる」
 と。
 元が優秀な素体だ。
 その決意さえあれば優秀な人間になるのも必然だった。
 華黒にとって僕は王子様で、僕以外は十把一絡げだ。
 そして愛されたいと想い、その愛に応えられるだけの人間へと相成った。
 若干未熟な部分があるけど、それはお互い様だ。
 だから僕は壊れてしまって、そして華黒は玄冬巌を殺したのだ。
 歪み。
 一生の呪であり、一生の絆だ。
「かくあらねばならない」
 そんな縛りを受けて僕と華黒は生きている。
 閑話休題。
「ルシール、可愛いじゃないですか。私が嫉妬するくらい……」
「華黒も可愛いよ」
 僕は華黒の髪を撫ぜる。
 水に濡れても艶やかな髪は神に愛されている証拠だ。
「誤魔化さないでください」
「おや、通じないとは珍しい」
 僕に可愛いと言われれば忘我の境地になるのが華黒だろうに。
「兄さんは何故そんなルシールの申し出を撥ねつけたのです?」
「僕には華黒がいるから」
 キッパリと断言してやる。
「…………」
「僕も華黒と同じく愛情定量論者だ。他者に割ける愛情には限度があると思う。その全てのコストパフォーマンスを華黒に捧げると決めた」
「…………」
「僕は確かに言ったよね? 華黒に世界を見せてあげるって。華黒が世界を恐がるならば僕が隣にいて背中を支えてあげるって。もしそれで世界が広がらなかったら、その時は華黒の隣で死んであげるって。そうやって二人で生きていこうって。結婚……しようって」
「……っ!」
 気づけば、華黒の肩が震えていた。
「どしたの?」
「兄さん……」
「何さ?」
「本気ですか?」
「あのね……答える余地もない質問だよソレは」
「ですか」
 華黒の肩が震えているわけに要約気付く僕。
「華黒……泣いてるの?」
「当然です」
 当然なんだ……。
「何か僕に不備があった?」
「ある意味では」
 そりゃすまんこってす。
「どうやったら泣き止んでくれる?」
「私を絶望させてくれれば……あるいは」
「そんなこと出来ないのは知ってるでしょ」
 何を言うんだこの妹は。
「泣いてる相手を絶望させられるわけもないじゃないか」
「だってこれは嬉し涙ですから……」
 あ、なるほど。
「でも無理だね」
 僕は優しくそう言って、僕に背中を預けている華黒を抱きしめる。
「僕は華黒のことが大好きだから」
「私も……」
 華黒の声はかすれていた。
「私も兄さんのことが好きです」
「ん。よろしい。ならルシールの介在する余地なんてないでしょ?」
「はい。はい」
 コクコクと頷く華黒。
「愛しています兄さん」
「僕もだよ」
「今夜こそ抱いてくれますね?」
「却下」
 台無しだよこの野郎。

    *

 ちなみに文化祭は日曜日に行なわれる。
 そうでもなければ父兄が参加できないからだ。
 で、それがそうである以上……日曜日は登校と云う形になり月曜日は振替休日ということになるのだった。
 僕と華黒は昨夜の風呂の中で……もちろんのこと健全な意味で……愛を確かめ合った後であるから一緒のベッドで寝た。
「昼まで起こすな」
 そう華黒には厳命していた。
 したはずなのだけど……、
「…………」
 僕は朝からコーヒーをすすっていた。
「はい兄さん! ベーグルサンドです!」
 華黒は絶好調だった。
 昨日のやり取りが響いているのだろう。
 まぁ華黒がこんなに喜んでくれるのならたまには調子のいい言葉を吐くのも悪くはない……のかな?
 なんとなく致命的な状況に向かっている気がするのは……さてさて。
 愛って何だろね?
 形而上学的なことを考えながら寝ぼけ頭で状況を整理する。
 僕はコーヒーを飲んでいる。
 華黒はダイニングテーブルの僕の隣の席に座ってベーグルサンドをさも嬉しそうに楽しそうに頬張っている。
 それから、
「…………」
 ジト目の黛が僕の対面に座り僕を睨み付けていた。
 何だかな。
 僕、何か悪いことした?
 黛は僕を睨むかコーヒーを飲むかのどちらかでしかありえなかった。
「…………」
 無言でモシャモシャとベーグルサンドを齧る。
 さすが華黒の手作り。
 丁寧に作られていた。
「美味しいですか! 兄さん!」
「美味しいよ」
「ありがとうございます!」
 華黒絶好調。
 感嘆符無しで喋れんのかチミは?
「なんだかお姉様ご機嫌じゃないですか?」
 不機嫌そうに言う黛に、
「まぁ色々あって」
 僕は誤魔化す。
 コーヒーを一口。
 まさかルシールをダシに華黒との愛情を強化したことをわざわざルシールの親友であるところの黛に話すことでもないだろう。
 モシャモシャ。
 ベーグルを食べる。
 チーズが薫り高く、レタスがシャキシャキ、パンはふんわりとして火の味がする。
 全てを呑みこんで、
「で?」
 と僕は本質を切り出す。
「何か用?」
「…………」
 ジト目でにらむ黛。
 黙られると恐いんですけど。
「はぁ……」
 と嘆息する黛だった。
「お姉さん?」
「何々?」
「黛さんとデートしてください」
「いつ?」
「今日」
「フシャーッ!」
 最後の威嚇は華黒ね。
 まぁ黛まで僕に手を出そうとしていることに納得がいかないのだろう。
 少なくとも華黒は黛に心を許してはいない。
 猫を被って対応しているだけだ。
 化けの皮はすぐに剥がれるのだった。
 道理である。
「ふむ」
 僕はコーヒーを一口。
 カフェインによって目を覚ましはじめる。
「で?」
 問う。
「なんでデート?」
「男女が互いに理解し合うならそれはデートでしょう?」
「…………」
 まぁね。
 そりゃね。
「でもこれは僕の偏見だけど黛と理解しあえてその先に何があるのさ?」
 遠回しな拒絶。
 それをわからない黛ではあるまい。
 しかして、
「少なくとも黛さんにとっては利益があります」
「どういった?」
「まだ秘密です」
 つっけんどんに言って黛はコーヒーを飲む。
「で? デートしてくれるんですか? それとも断りますか?」
「僕はいいけど華黒がね」
「フシャーッ! グルルル!」
「というわけだから」
「黛さんはお姉さんの答えを聞いているんです。他者は不要でしょう?」
「何か僕に言いたいことがあるの?」
「然りです」
「それならば付き合ってあげるよ。ただしデートは人情的に出来ない。あくまで付添という形でどうかな?」
「それでお姉様が納得するならば」
「…………」
 警戒しながらも威嚇をやめる華黒だった。
 つまり認証したということだろう。

    *

 で、どうなったかというと、
「…………」
 僕と黛はファミレスにいた。
 ドリンクバーでコーラを注ぎ僕は飲んでいた。
「なんでファミレス?」
「ゆっくり出来ていつまでも駄弁れるからですかね」
「なら図書館の方がよかった」
「図書館にはドリンクバーがありませんから」
 納得。
 コーラを飲む。
「で?」
「とは?」
「何の用?」
「わからないんですか?」
「君の口から聞きたい」
「当然ルシールについてです」
 だろうね〜。
「あれからルシールの調子どう?」
「どん底です。落ち込み具合が半端じゃありません。正直見ていられなくて外出したと言っても過言じゃありません」
「慰めなかったの?」
「昨夜はやれる限りやったんですが……正直お手上げです」
「そ」
 僕は飄々とコーラを飲む。
「で?」
「とは?」
「なんでルシールの申し出を断ったんですか?」
「僕には華黒しかいないから」
「別にルシールはそれでいいと言ってるじゃないですか」
「うん。だから断った。なんの矛盾も生じてないでしょ?」
「それがルシールを傷つけるとわかっていて……ですか?」
「知ったこっちゃないね」
「鬼ですね」
「そう? 少なくとも不本意な妥協をするより誠実だと思うけど……」
「二号さんじゃ駄目なんですか?」
「僕が愛情を注ぐに足る人間は華黒だけだよ」
「何を以て?」
「言ってしまえばしがらみなんだけど、だからこそ余計に絆と呼びたい今日この頃」
「妹だからですか?」
「はずれ」
「本当にルシールに目は無いんですか?」
「何度言わせるの」
「ルシールは可愛くありませんか?」
「まさか」
 僕はコーラを飲む。
「僕の記憶の中では華黒に次いで可愛い女の子だよ。ハーフってのもいいよね。金髪碧眼でお人形さんみたいだし」
「そこまで認識しておいて告白を断るってのが有り得ないんですけど」
「まぁ人間として色々壊れているからね、僕は」
「ん?」
「まぁそれはいいとして……」
 コーラを飲む。
「つまり何か? 黛……君は僕に撤回を求めているのかな?」
「当然です。当たり前です。お姉さんも……ルシールの気持ちは懸想文を通して十二分に理解しているでしょう?」
 まぁね。
「ああ、なるほど」
 僕は納得した。
「薫子さんの懸想文は君の入れ知恵か……」
「否定はしません」
「まぁそうだよね」
 少なくとも誰の後押しも無しにルシールがあんな積極的な策を用いるはずがないのだ。
「結果論になるけどある意味で黛がルシールを追い詰めたんじゃない?」
「否定はしません」
「そうまでしてなんで僕とルシールをくっつけたがるのさ?」
「友達の恋を応援するのは悪いことですか?」
「そうは言わないけどさ……」
 コーラを飲む。
「まぁ遅かれ早かれ僕がルシールに決定的な一言を放つのは当然の帰結だった。それは間違いない。そういう意味では僕とのしがらみが早期に断ち切れたのはルシールにとって良いことだし黛の功績でもあるよね」
「ルシールに次の恋を模索させると?」
「忌憚なく言えば」
「殺しますよ?」
「別にいいけどその場合華黒が復讐に走るよ? 黛を殺すだけならいいけど……黛にとって大切な人にまで被害が及ぶと思うな」
「……ですか」
 はぁ、と嘆息する黛だった。
 コーラを飲み干す僕。
 空になった僕のグラスを目敏く見つけて、
「お代わりを注いできましょうか?」
 そんな心温まる提案をする黛。
「じゃあお願い」
 そして黛がメロンソーダを注いできて僕に渡した。
「で、話を戻しますが……」
 黛もメロンソーダを飲みながら言葉を紡ぐ。
「どうにか妥協案は無いものですか?」
「あるよ」
「どんな?」
「ルシールが妥協して僕を諦める」
「つまりどうあってもルシールと関係を持たないと……そうお姉さんは言うのですか?」
「ん」
 首肯してメロンソーダを飲む。
「ならやり方を変えますか……」
「どんな風に?」
「実力行使」
「形而上学的な話じゃないんだ……」
 呆れてメロンソーダを飲む僕。
 そして意識を失った。

ボタン
inserted by FC2 system