超妹理論

『そして文化祭』後編


 それから、
「では私は子猫ちゃんとニャンニャンしてくるからここでお別れだ」
 そんな捨て台詞を吐いて昴先輩は去っていった。
「嵐が去った……」
 他に言い様もない。
「うう、汚されました……」
 華黒が化粧室から出てきた。
 ブラの再装着をするために一時的に化粧室に籠る必要があったのだ。
 服の上からでも女性のブラを外すことができるのが昴先輩の持つ特技の一つ。
 無駄な技能だけど……知ったこっちゃないね。
 僕はブラとは無縁だから。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃありません」
「まぁ許してやってよ」
「兄さん以外にブラを外されるのは屈辱以外の何物でもありません!」
「大声でそんなこと言わないの」
 声が大きすぎる。
 周りに誤解されたらどうするつもりだ。
 いや……既に百墨真白に対する評価は散々だけど。
 それでも華黒の言は危うかった。
「落ち着いて」
「これが落ち着いていられますかっ」
「ほら、いい子いい子」
 僕は華黒の頭を撫でる。
 それだけで、
「あう……」
 真っ赤になって恥じらう華黒。
 可愛い可愛い。
「さて」
 僕は言う。
「そろそろルシールと合流しようか」
「本当になさいますの?」
「駄目?」
「駄目です」
「でもルシールだよ?」
「それは……」
 そうですが、と華黒は呟く。
 主食は華黒。
 ルシールはまぁ三時のおやつ。
 それが華黒のルシールに対する態度の全てだ。
 ここまで華黒が譲歩するのは珍しいけど……それについてはルシールが無害だと知っているからのこと。
 実際に僕こと百墨真白をルシールが独占する意志を持てば流血沙汰に発展するのは言わなくてもわかることである。
 そしてそれをこそ華黒は危惧しているのだ。
「僕がルシールに心を奪われないかを危険視しているんだね」
「当然です」
「わからないじゃないけどね」
 僕は頷く。
 華黒は渋い顔をする。
「ということはその可能性もあるんですか?」
「少しは自身の兄さんを信じなさいよ」
「…………」
 ギュッと僕の腕に抱きつく華黒。
 震えている。
 当たり前だ。
 いくら過去体験が過去体験とはいえ華黒は高校二年生。
 そこまで大人にはなりきれない。
 むしろ子どもであることに固執している節がある。
 それが、
「…………」
 僕にはとても愛おしい。
 自然……僕は華黒のほっぺにキスをしていた。
「ふえ……?」
 華黒は突然の僕の凶行に呆然とした後、
「くぁwせdrftgyふじこlp!」
 言葉にならない悲鳴を上げた。
 お。
 可愛い反応。
 もっとも僕から直接的な愛情表現をするのは稀だからそれも手伝っているのだろうけど。
「あう……」
 やっぱり紅潮する華黒。
 自身は時に躊躇いなく僕にディープキスをするくせに、僕から頬にキスされることには動揺するらしい。
 勝手と言えば勝手だけど、
「華黒は可愛いね」
 当然と言えば当然だった。
 そして僕と華黒は一階の……というのも一年生のクラスは一階にあるため……ルシールの教室に顔を出す。
 時間はちょうど午後二時半。
「いらっしゃいませ」
 と歓待を受けて席に案内される。
 それから紅茶とケーキを頼んで味覚を楽しませる僕たち。
「………………真白お兄ちゃん」
 とウェイトレスの衣装を身に纏ったルシールが近寄ってきた。
「………………ご愛顧……ありがとうございます」
「スルーするのもなんだしね」
 肩をすくめてみせる。
「………………華黒お姉ちゃんは……納得してるの?」
「まぁ一部は」
 紅茶を飲みながら華黒。
「………………ふえ」
 ルシーるルシール。
「それじゃここを出たらルシールとデートということで」
「兄さん?」
「大丈夫」
 華黒の杞憂を払拭する。
「単なるデートだから」
 そーゆーことなのだった。

    *

「百墨真白さん。あなたは人に優しく出来る分、自得さえ他人に譲ってしまうところがあります。それは時に優しさとは違う感情と捉えられる場合があり、あなたにとっての長所とも短所ともなります。まず自分と他人を意識するところから始めた方がいいでしょう。今年の運勢は難あり。努力すべきを怠らないことです」
「はあ」
 ぽやっと僕は首肯した。
「………………お兄ちゃんらしいね」
 クスリとルシールは笑う。
 そうかなぁ?
 とても、
「はいそうですか」
 にはならないんだけど。
 いったい誰のことを言ってるのかわからない。
 僕はそんな高尚な存在じゃないのだ。
 占いに文句を言っても始まるまいが。
「それから百墨ルシールさん。あなたは自己中心的な優しさが純粋な優しさと他人に取られ誤解されることが多いです。あなたが憂うほど他人はあなたを意識していません。そのあたりの意識改革が必要かと。今年の運勢は災いあり。精神的自衛手段を準備しておいて損はありません」
「………………あう」
 凹むルシール。
 言ってることはわからんじゃないけどルシールとしては納得したくない評価だろう。
「まぁ占いだから」
 僕はルシールの金髪を優しく撫ぜる。
「………………やっぱり私……自己中心的なんですね」
 だーかーらー……占いだって。
「………………いいんです……わかっていた……ことですから」
「当たってるの?」
「………………全部が全部じゃ……ありませんが」
 碧眼に憂いを乗せてルシール。
「最後に」
 これは占い師。
「お二人の相性ですが……」
「…………」
 僕は飄々と、
「………………っ」
 ルシールはゴクリと唾を飲んで、耳を傾けた。
「良好です。少なくとも苦楽を共にできる関係になれるでしょう。時に優しさが互いを傷つけあうかもしれませんが……それが良き関係の根底にあるのも否定できません。結論として平和的な相性の双方と言えます」
「へえ」
 無感動な僕に、
「………………ふわ」
 ルシーるルシール。
 まぁね。
 そりゃね。
 ルシールの思っていることを推察するのは簡単だけどさ……。
 ちなみに何をやっているかと言うと先述したように占いである。
「占いの館」
 と看板を掲げた一年生の教室があったので冷やかし半分で入ってみたのだ。
 入った瞬間誘導されてこうやって占いの訓示を受ける羽目になった。
 名前と年齢と血液型と星座を入力して結果を出力する占いソフトを使っているらしく、黒いマントに黒いツバあり三角帽の魔女っ娘スタイルの占い師……女子生徒の隣にはノートパソコンが置いてあった。
 有難味もへったくれもない。
 いや学園祭の占いに本格的なものを期待するのがそもそもの間違いなのだけど。
「………………平和的……良好」
 ルシールはさっきから忘我の境地だ。
 僕との相性が良いと言われたのがよほど嬉しかったのだろう。
 この辺りは、
「乙女だな」
 と思わせる。
 パソコンに打ち込まれて出力された妄言を信じられるだけ幸せな性分なのかもしれない。
 そして僕とルシールは手を繋いで占いの館から出た。
 羨望と嫉妬の視線が刺さる刺さる。
「いいんだけどさ」
「………………何が?」
「何でもないよ」
 ギュッと強くルシールの手を握る。
「………………ふわわ……っ」
 ルシーるルシール。
「次はどこに行く?」
 ちなみに時間は午後の四時半。
 あらかたは行きつくして、デートとしては十分満喫できただろう。
 ちなみにタイムリミットまであと三十分。
 午後五時で瀬野第二高等学校文化祭は終了だ。
 少なくとも表向きは。
 夜にはキャンプファイヤーが燃え盛ってフォークダンスをするんだけど、それはおそらく華黒が僕を独占するだろう。
 招かれた父兄や客のように部外者にとっては五時で文化祭は終わりだ。
 そして僕とルシールのデートも。
 結局ルシールの意図は何だったのだろう?
 ルシールが勇気を出して僕を誘ったところで僕は違和感を覚えた。
 何かあるかなと思わないでもなかった。
 しかしてその兆候見当たらず。
 色々なところに行きつくして、ついには僕のクラスのまったく薬にも毒にもならない展示会まで見る始末だ。
「このまま終わるのかな?」
 そんなことを思いつつ、校舎にある自販機でブラックのコーヒーを飲む僕。
「………………真白お兄ちゃん」
「何?」
「………………あのね」
「うん」
「………………あの……あのね……あの……」
「大丈夫。ちゃんと聞いてるから慌てず紡いで」
「………………屋上に……行かない?」
「……ふむ。まぁ別にいいけど」
 案の定ルシールの顔は真っ赤になっていた。
 可愛い可愛い。

    *

 屋上は風が強かった。
 夏の残暑は残っているものの相殺できるほどには。
「うん。いい眺め」
 屋上から見る俯瞰は校庭を捉えており、人がゴミのようだった。
「………………ごめんなさい」
「何が?」
「………………最後に……こんなつまらないところを選んで」
「気にしてないよ」
 苦笑してしまう。
 こういう謙虚さはルシールならではだ。
 朗らかな気持ちになるね。
 何せ僕の周りには我の強い人間ばかりだから。
 例外があるとすれば統夜くらいだろう。
 アレはアレでちょっと人と違うけど。
「で?」
「………………あう」
 ルシーるルシール。
「僕に何か用があるんでしょ?」
「………………はい」
 真っ赤になるルシール。
 わかっていたけどわからないふりをするのが懸命だろう。
 少なくともルシールにとって。
 ともあれルシールは懐から一通の封筒を取り出した。
「………………これ……なんだけど」
 差し出すルシールに受け取る僕。
 封筒には「薫子より」……と書かれていた。
「薫子さんからの手紙……ルシールが届け役?」
「………………違うの」
「じゃあ何さ?」
「………………私が……薫子」
 ルシールはそう告げた。
 ふむ……。
「………………今までの手紙は……全て私の手によるもの」
「つまり架空の人間を演じて僕に愛を綴っていたってこと?」
「………………うん」
 首肯された。
「薫子さんの手紙はベタ惚れっていうか極度の慕情に溢れていたけど……それはつまりルシールの僕に対する正直な気持ちってことでいいのかな?」
「………………うん」
 首肯された。
 何だかなぁ。
「ルシールは僕と華黒が相思相愛だって知ってるでしょ?」
「………………だから……面と向かって言えなかった」
 道理だ。
「で、この手紙を読めばいいの?」
「………………うん」
 ハートのシールをはがして封筒から手紙を取り出す。
 書かれていたのは案の定だった。
「………………私を二号さんにしてください」
 僕が簡素に書かれた手紙に目を通すのと同時に、文面と同じ言をルシールが紡いだ。
「二号さんにしてください」
 それはつまり僕と華黒の仲を認めたうえで自身にも愛を注いでほしいと……そんな手前勝手な意見だった。
「ルシールは僕のどこにそんな価値を見出すの?」
「………………格好良くて……優しいところ」
「…………」
 五十点ってところだろう。
 無論百点満点で。
 ルシール自体にはわかるはずもないだろうけど……本来の僕はそんな高尚な存在では……まったくない。
「そっか」
「………………駄目……かな?」
 不安の瞳で僕を見るルシール。
「ごめんね」
 それが僕の答えだった。
「僕には華黒がいるから……ルシールに割く愛情は無い」
 どこまでも残酷に言を紡ぐ。
「………………っ……そう」
 クシャリと、ルシールの表情が悲哀に歪む。
「………………うう……うえ……」
 ポロポロと真珠のような涙を零し泣き出すルシール。
 悪者だね……僕は……。
「………………うう……ううう……ううううう」
 涙の止まらないルシールが愛おしくて僕は抱きしめた。
「………………うえええええええええええええ」
 僕の腕の中で泣くルシール。
 とても残酷な百墨真白。
 しかして真白には華黒しかいないんだ。
 それはもう信念……僕こと百墨真白に課された魂の形だ。
 そういう風に創られた。
 そういう風に出来ている。
 そうでなければ……僕と華黒は生きている意味が無い。
 だからルシールの勇気と慕情をむげにする。
「ごめん……ね」
 ギュッと泣き止まらないルシールを抱きしめる。
 罪深いことだと自分でも思う。
 こんなに綺麗な子が僕を慕ってくれている。
 それを無かったことにしているのだ。
 本来ならあり得ないだろう。
 でも、
「ルシールを都合のいい女の子にするわけにはいかないんだ」
 それが僕の本心だった。
「………………うええええええええええええええ!」
 ルシールが泣く。
 僕が抱きしめる。
 ウェストミンスターチャイムが鳴る。
 それは終わりの鐘の音。
 僕とルシールの関係の。
 そして文化祭の。

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