超妹理論

『そして文化祭』前編


「暇だ……」
 状況を一言で表す的確な表現である。
 今日は楽しい楽しい文化祭。
 三年生は受験勉強や就活があるから積極的には参加しないけど……してる人も多々いるけどね……一年生や二年生にとってはお祭りだ。
 僕も三年生になったら華黒にみっちり絞られることになるのは目に見えているため多分文化祭を楽しめるのは今年が最後だろう。
 華黒が僕と同じ大学に行くのは……少なくとも華黒の思考の中では……決定事項なので後は僕の学力でどれだけ偏差値の高い大学を受験するかが境界となる。
 ちなみに華黒の家庭教師は一年生の頃より濃密になっており、僕のテストの成績も徐々に良好になってきている。
 もとより瀬野二においても悪い成績ではないのだ。
 中の上が上の下になった……それくらいの進歩はしている。
 後は……推薦さえもらえれば楽なんだけど……。
 こと情操教育の面において僕の評価は最底辺に位置するだろう。
 健全な男女交際を真白くん本人はしているつもりなのだが、衆人環視の目にはフィルターがかかっている。
 それは教師とて同じだ。
 何だかなぁ……。
 閑話休題。
 さて……、
「暇だ……」
 一字一句間違いなく繰り返す。
 重ね重ね文化祭である。
 僕たちのクラスの催し物は展示会。
 それも地域密着型時間遡行流展示会である。
 意味がわからなければ、
「学校周辺の歴史についての展示会」
 と思えばいい。
 最初からそう言えって?
 残念ながらそこまで真っ当な育ち方はしていない。
 それについては別述しよう。
 さて……反響の方だけど、お客は零。
 当たり前だ。
 何が悲しくてせっかくの文化祭で歴史の造詣について詳しくならねばいかんのか。
 もちろん一人も来なかったわけじゃないけど、来たのはジジババばかり。
 そして今は僕と華黒で閑散としている教室の見張りをやっているだけだった。
 たとえお客の来ない催し物とはいえ見張りは誰かがやらなければならない。
 無論のこと時間単位の交代制で僕たちは朝から昼にかけての一時間を割り振られていた。
「王手」
 むぅ……。
 僕は眉を寄せる。
 で、暇を持て余している僕と華黒が何をしているかというと要するに将棋である。
 マグネット式の。
 これは僕や華黒が用意したものではなく、朝一番に見張りになったクラスメイトが残していったものである。
 ちなみにこういった知的ゲームで僕が華黒に勝ったことは一回も無い。
 当然と言えば当然だ。
 特に運や偶然に左右されない読み合いの勝負で、凡夫の僕が優秀な華黒に敵うはずもないのだから。
 いいんだけどさ。
「ところで華黒……」
「何です兄さん?」
「今日のスケジュールだけど」
「兄さんと私がイチャイチャする以外に予定がありましたか」
「午後三時からは別行動としよう」
「何故ですっ!」
 うあ。
 そこに飛車を持ってくるか……。
「ちょっと用事があってね」
「女……ですね……?」
 鋭いね君は。
 相も変わらず恐れ入る。
「誰に何を言われました?」
「ルシールに文化祭に興じようと言われました」
「二歩ですよ」
「うえ」
 しまった。
 とはいえ公式戦じゃないのだからやり直しがきくんだけど。
「相手がルシールなら華黒も少しは安心でしょ?」
「むぅ」
 納得と不納得が半々……か。
 さすがに華黒の表情から……とくに妬み嫉みの感情から……思考を推察するのは兄である僕にとっては造作もない。
 それ以外に関してはそうでもないけどね。
 とまれ、
「後半はルシールに譲ってあげて」
「まぁ……ルシールなら……下手なことにはならないでしょうが……」
「…………」
 信用というか侮りというか。
「ルシール……可愛いよねぇ」
「否定はしません」
 パチリと桂馬を動かす華黒。
「でも私だってそう悪くはないはずです。そうでしょう?」
「否定はしないよ」
 こりゃそろそろ積みだね。
 僕は飛車を動かす。
 すかさず新たな桂馬を突き出す華黒。
「ルシールが兄さんを慕っているのは知っています」
「僕も僕も」
「しかして兄さんは?」
「さぁて。自分でもわかんない。ルシールが可愛いということに嘘偽りはないけど、それが恋愛感情に直結してるかと聞かれれば首を傾げるほかないね」
 両手を上げて降参を示す。
 二重の意味で。
「よかった……」
 華黒はこの手の話題にしては珍しく、撫子のように笑ってみせた。
 それはとても艶やかで……僕の心をつく。
 最先端科学でさえ再現できない美的価値観という意味ではストラディバリウスにも匹敵する華黒である。
 その微笑みは黄金よりも価値のあるものだった。

    *

 で、つまらない教室の見張りからも解放されて僕と華黒は文化祭を見て回った。
 当然のごとく腕を組んで。
 今日は学校も開放され生徒の父兄も参加している。
 そんな彼らは当然ながら僕や華黒を知らないわけで、
「……っ!」
 すれ違うたびギョッとされるのはどうにかならないものか。
 中には華黒を見て鼻の下を伸ばす男もおり、僕は少しばかり不機嫌になる。
「華黒……」
「何でしょう?」
「華黒は僕に惚れてるよね?」
「ゾッコンですが?」
「ん。ならいいんだ」
「何を……ああ……」
 自問自答する華黒。
 聡い子だこと。
「大丈夫ですよ。私が兄さん以外に心を許すことはありえませんから」
「その言葉は微妙だ」
「諸手を挙げて万歳じゃないのですか?」
「慕情については僕に向けても別にいいから、他者にも心を開いてほしくて僕は華黒に連れ添っているんだよ?」
「他者は……恐いです」
 だろうね。
 華黒の人間嫌いは徹底している。
 例外が僕とルシールくらいのものだろう。
 ちなみにルシールに関しては要熟考といったところで……立場や環境が変われば即座に牙をむく。
 少なくともその危険性は把握していなければならない。
 僕以外に心を許さないことは僕一人に愛情を注ぐことと同義だ。
「えへへぇ」
 華黒は至福だとばかりに相好を崩す。
「何さ?」
「いえいえ?」
 ニヤニヤ笑いは収まらない。
「兄さんが私への下心に嫉妬してくださるのが嬉しくて……」
 でしょうね。
「…………」
 憮然とする僕だった。
「ああ、やっぱり私には兄さんしかいません」
「だからソレが微妙だって……」
 何回言えばわかる。
 いや、わからないのが華黒の歪みなんだけど。
 重々承知したうえで、
「何とかならないか」
 と思うものの、
「何ともならないか」
 とも思う。
 どうしたものかな……本当に。
「兄さん兄さん」
「はいはい。華黒の兄さんだよ?」
「プラネタリウムですって。入りませんか?」
「そりゃ構わないけどさ」
 二年生の教室だ。
 金銭を払って中に入る。
 当然中は真っ暗。
 中は夏の星座を再現しているらしかった。
 天の川。
 さそり座。
 夏の大三角形。
 こと座に白鳥座にわし座。
 よく作りこまれたプラネタリウムだった。
 おどおどとした学生による星座の説明を受けながら、僕と華黒はブルーシートに寝転んで星座を見た。
「兄さんは星が好きですもの……ね」
 それが華黒の言葉だった。
 うん……まぁね。
 否定するほどの事でもない。
 僕は星が好きだ。
「天動説が主流にならないかなぁ」
 なんて思ったりもする。
 数十年から数千年の時を経て……地球へと届く光の一つ一つにドラマがある気がして仕方がないのだ。
 そう言えば去年の七夕祭りではルシールに織姫と彦星と催涙雨の話をしたっけ。
 ロマンあふれる話だ。
 少なくとも僕にとっては。
 それからボーっとプラネタリウムを眺めて一刻。
 上映が終わって外に出る。
「うーん」
 と背伸びをする僕。
 プラネタリウムを見るために床に寝転がっていたから節々が。
 まぁカーペットを用意しろなんて主催者側に言えないからしょうがないけど。
 さて、
「これからどうしよう」
 と僕が言葉を発するより先に、
「ねえ〜君〜」
 と馴れ馴れしい声が華黒にかかった。
 一瞬で負のオーラを発したのはさすがだけど、しかして鈍感なネズミには気づいてもらえないのも事実。
 南無。
「可愛いねえ。名前なんて言うの? 番号は? メルアドは? そこの女男より俺と一緒の方が楽しめるって絶対」
 汚物を擦り付けるように下卑た言葉をかける男に、華黒は僕の腕を引いてその場を立ち去ろうとした。
 懸命だ。
 しかし男はそんな華黒の態度に対して、
「お高くとまってんじゃねーぞ!」
 罵倒を吐きながら華黒の肩を掴む。
 華黒が敵意剥き出しにして凶行に及ぶより早く、別の人間の手によってナンパ男は撃退された。
「酒奉寺……昴……!」
 そう……酒奉寺昴先輩が現れたのだった。
 統夜と同じ茶色いツンツンした癖っ毛。
 自信と自望に満ち溢れた瞳。
 男の顔近くの高さまで跳躍する足のバネ。
 男に飛び膝蹴りをかます度胸。
「…………」
 相も変わらずと言ったところだった。
 無論、
「てめ……っ!」
 男……以後チンピラと表記……は黙っちゃいなかった。
 が……相手が悪い。
「女だからって容赦しねーぞコラァ!」
 昴先輩に襲い掛かるチンピラだったけどいなされ躱され拳も蹴りも通用しない。
 そうこうしている内に、
「止めなさい!」
 風紀委員が飛んでくる。
 学校全体を警邏中なのだから見つかるのも時間の問題だったろう。
 風紀委員はこちらの騒動に近づき、
「お姉様!」
 と昴先輩を呼んだ。
「やあ穂波くん」
 チンピラの関節をギリギリときわめながら先輩は風紀委員を呼ぶ。
 そのやりとりだけど風紀委員がハーレムの一員だとわかる。
「何があったんです?」
「この男がナンパ行為かつ暴力的恫喝を百墨華黒くんに行なっていたため、それを阻止したんだよ」
「ですか」
 はい。
 チンピラさん連行。
「俺は悪くねえ」
 とか、
「先に手を出したのは向こうだ」
 など、色々言い訳をしていたものの……相手が悪い。
 風紀委員がハーレムである以上昴先輩の言葉が絶対だ。
 聞く耳を持たないとはこのことだろう。
「愛の勝利だね」
 連行されるチンピラの背中を見送りながら昴先輩はそう言った。
「…………」
 ただの権力構造の癒着にしか思えないのは僕の思考が腐っているのだろうか?
 そもそもどこに愛があったのかも不明だ。
 昴先輩とハーレムの間には愛はあるだろうけど、暴行の件とは無関係。
 僕と昴先輩には当然……華黒と昴先輩の間にもあるとは思えない。
 無粋だから言わないけどさ。
 ともあれ、
「助かりました」
 僕は謝辞を述べた。
「なに。気にするな」
 そりゃどうも。
「私と真白くんとの仲じゃないか」
 前言撤回。
「フシャーッ!」
 華黒は縄張りを犯された猫のように昴先輩を警戒していた。
 ギュッとさらに強く僕の腕に抱きつく華黒の……その胸が強く押し付けられたけどそれは言わぬが花だろう。
 言葉は時として力を持つ。
 特に僕の言葉は華黒にとって重大な意味を持つ。
 責任をもって言葉を選ばねばならないのは……もう言わなくてもわかるよね?
 そんなわけで、
「フシューッ! グルル……!」
 威嚇する華黒の頭を撫でて何とか宥める。
「さて……」
 パンパンとチンピラを蹴った膝を払って、昴先輩が閑話休題。
「久しぶりだね真白くん、華黒くん。白坂家主催の避暑以来かな?」
「お久しぶりです」
 素直に挨拶を返す僕にツーンとそっぽを向く華黒。
「華黒くんは何が不満なんだい?」
 意味がわからないと昴先輩は言う。
 どうせ悟っているくせに。
 もっとも捻くれていることを僕が責める理屈は無い。
 御相子だ。
「まさか私と兄さんのデートに首を突っ込むつもりじゃないでしょうね?」
 警戒最大で問う華黒に、
「そうしたいのは山々だけどね」
 昴先輩は肩をすくめる。
「瀬野二の子猫ちゃんを相手取らなきゃならないんだ。今回に限っては真白くんや華黒くんに構っている暇はないんだよ」
 安心すればいいの?
 それとも呆れればいいの?
 呆れる方にしておこう。
「平常運転ですねぇ」
 どこまでも率直な僕。
「可愛い子が私を慕っているんだ。報いるのが本道だろう?」
「では何も求めるものは無いと?」
「そうだねぇ」
 しばし考えた後、
「三秒だけ華黒くんを抱擁させてくれ」
「構いませんよ」
「兄さん!」
「大丈夫。そんなことで華黒への愛が薄れる僕じゃないから」
「可愛い可愛い可愛い妹が別の誰かに抱擁されようとしているのですよ!」
「だからいいってば」
 ギャーギャーと言い争う僕と華黒の隙をついて昴先輩が華黒に抱きつく。
「ひゃっ!」
 乙女特有の困惑の声をあげて動揺する華黒。
「うん。私の贈った香水をつけてくれているね。光栄だよ」
 そして昴先輩の抱擁が終わった。
「ひあ!」
 同時に華黒が狼狽えた。
「ブラのホックを外すのはやめなさいといつも言ってるでしょう!」
 どうやら抱擁と同時に華黒のブラジャーのホックを外したらしい。
 呼吸するようにそんなことをする昴先輩だ。
 らしいと言えばらしいんだけどね。

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