超妹理論

『夏は過ぎ風あざみ』後編


「Ppp! Ppp! Ppp!」
 目覚まし時計が鳴る。
 手に届く範囲に置いたのが致命的だった。
「ん……」
 僕は寝ぼけた頭で反射的に時計を黙らせる。
 朦朧とする意識の中で、その微睡に身を任せる。
「……まだ寝る」
「駄目です!」
 明朗な声が聞こえてきた。
「か……ぐ……ろ……?」
「はい。兄さんの兄さんの兄さんの華黒です」
「僕の華黒……」
「はい。そうですよ。私の私の私の兄さん」
「もうちょっと寝かせて」
 そんな僕の願望に、
「はぁ」
 溜息をつく華黒だった。
「うんざりだ」
 という思念が含まれている。
 微睡の中でもそれはわかった。
「では実力行使に出ます」
「ん?」
 次の瞬間、華黒は僕にディープキスをしてきた。
 そして、
「…………っ!」
 強烈なミントの刺激が口内に広がって認識したニューロンが意識を覚醒に導いた。
「がはっ……げほっ……ぐへっ……!」
 あまりに強烈な刺激に舌が悲鳴を上げる。
 お口爽やか。
「お目覚めですか兄さん?」
「悪魔か君は……」
 ミントの錠剤を何とか噛み潰して飲み込んで、そんな不平不満を言いながら、僕は覚醒した意識で状況を把握した。
 華黒が手に持っているケースには、
「超刺激! 眠たげな君にゴッドミント!」
 と書かれていた。
 要するに眠気覚ましの錠剤だ。
 それを口に含んでディープキス。
 口移しで僕の口内に放り込んだのだろう。
 無茶をする。
「でも目をお覚ましになられたでしょう?」
「否定はしないけどさ」
「昼食の準備は出来ております」
 これは予定通り。
「昼飯時に起こして」
 と昨夜華黒に通達していたからだ。
「今日の昼食は?」
「起きたばかりの兄さんには胃の重いのはありえないだろうと思いまして軽いサンドイッチにフレッシュジュースです」
「ありがと華黒」
 起き上がってポンポンと華黒の頭を優しく叩く。
「えへへぇ」
 幸せを噛みしめる華黒だった。
 ……お安い出来で。
 まぁしょうがないことだ。
 それに……何より恥じらう華黒は可愛いしね。
 ならそれで十分だ。
 さて、
「くあ……」
 と欠伸をして寝間着のままダイニングに顔を出す。
「コーヒーを淹れましょうか?」
「フレッシュジュースがあるんでしょ? いたずらに舌に刺激を与えたくはないね」
「ですか。ではどうぞ昼食を」
 そう言って僕と華黒はダイニングテーブルについて食事を開始する。
 サンドイッチは丁寧に作られており、素人判断ながらも美味であった。
 シャキシャキのレタスとキュウリに……薫り高いトマトとチーズ。
 レタスとキュウリとトマトの水分をパンに染み込ませないようにバターが薄く丁寧に塗られている。
 総合して再びになるけど美味だった。
 フレッシュジュースを飲む。
 グレープフルーツのソレだ。
 ほどよい酸味がサンドイッチに合致する。
「どうですか兄さん?」
 おずおずと華黒が問うてくる。
「ん。美味しいよ華黒」
 ところで、
「今日はルシールと黛はいないんだね」
 僕は今更ながらそう言った。
 今日は日曜日。
 いつもなら僕とかしまし娘で食事をとっているはずだ。
 いい加減かしまし娘の扱いにも慣れてきていたから、いなかったらいなかったで疑問を覚える僕だった。
「ルシールと黛は文化祭の準備に奔走してますよ。喫茶店をやるそうです」
 さいでっか。
 チラリと時間を見やる。
 現在十二時半。
 正午も後三十分……といったところだ。
 テキパキと食事を片付けると僕はシャツを羽織ってジーパンを穿いた。
 対して華黒も純白のワンピースに麦わら帽子という夏真っ盛りな服装をしていた。
「なんのつもり?」
「私も兄さんについていきます」
「却下」
 僕は快刀乱麻に断ち切った。
「私を置いて碓氷さんとデートするつもりですか!」
「ただの取材だよ。色っぽいことは何もないから安心して。僕の好感度を上げたいなら美味しい夕食を準備して待ってるのが一番」
「むぅ」
 華黒は不満らしかった。
 要するに文化祭の展示会の取材に碓氷さんと行く様約束を取り付けているのだ。

    *

「古墳の成り立ち……豪族が……地域住民の話によると……中から出てきたのは……要するに歴史的遺物を逆算すると……なるほど……つまり三角縁神獣鏡が……」
 僕と碓氷さんは適当な喫茶店に立ち寄り取材の情報をプレートに変えるための再認識を行なっていた。
 とある古墳の調査を任された僕と碓氷さんであるから、二人して文化祭のための資料作りに奮闘しているというわけだ。
 僕はコーヒーを、碓氷さんは紅茶を飲みながら、アレコレと議論を交わす。
 ちなみに取材といっても古墳の写真を撮って、古墳の土地の権利者に話を聞いただけだ。
 まぁ高校生の展示なぞそんなものだろう……と思う僕に碓氷さんも同意してくれた。
 良好良好。
「じゃあ後は任せていい?」
 僕がそう問うと、
「うん……預かります……」
 力強く碓氷さんは頷いた。
「助かるよ」
 苦笑いをして苦いコーヒーを飲む。
「ところで」
 閑話休題。
「あれからどう?」
「どう……とは……?」
 主語が欠落したのは僕のミスだ。
「イジメ……起きてない?」
「大丈夫……」
「ならいいんだけどね」
「今季の生徒会長もハーレムの一人だし……来季の生徒会長候補の最右翼もハーレムの一人だよ……?」
「お姉様……か」
 あんなザ・俗物を崇拝する気には僕にはなれないけど、他者の意見を否定するほど傲慢にもなれない。
「もとより瀬野二は酒奉寺家と密接に繋がっている……。だから私がイジメをお姉様に告発すれば自動的に敵を追い落とせる。それがストッパーになってるのは否定できない」
 まぁ可愛い女の子が苛められているのを良しとする性格じゃないのは僕も重々承知してはいるんだけど……。
「まぁイジメが起きてないならいいんだよ」
 杞憂に終わったようだ。
 ほっとする僕。
 何せある意味で碓氷さんをハーレムに入れたのは僕が一因だからだ。
「百墨くんは……?」
「は?」
「百墨くんはイジメとか受けてないの……?」
「僕が? 何で?」
「だって……」
 言いにくそうにムズムズと唇を波立たせ、
「百墨さんと百墨ルシールさんをはべらせているんでしょ……?」
「耳が痛いね」
 苦笑してしまう。
「百墨さんとは……去年の文化祭から付き合い始めたよね……?」
「まぁね」
 その後色々あったけどそれをここで言ってもしょうがない。
「そして百墨ルシールさんまで恋人にした……」
「否定はしないよ」
「男子からはよく思われていないよ……?」
「いいんじゃない?」
 もとより僕は排斥されることを良しとする人種だ。
 今更恨み言の一つや二つに構ってなぞいられない。
「もしかして……」
「もしかして?」
「百墨くんは……お姉様みたいにハーレムを作りたいの……?」
「まさか」
 僕はコーヒーをすする。
「でも……百墨さんや……百墨ルシールさんや……他の一年生や……お姉様を……誘惑してるでしょう……?」
「向こうから寄ってきてるだけだよ。僕には関係ない案件だ」
「そうなの……?」
「そうなの」
 首肯する僕。
「じゃあ誰が好きってわけじゃないの……?」
「華黒が好き」
 それだけは譲れない。
 碓氷さんの目の端が煌めいた。
 真珠のような涙だった。
「そっか……」
 憂いを含んだ表情には狼狽えるほかなかった。
「もしもし碓氷さん? 何故泣く?」
「意味は無いよ……」
 んなわけあるか。
「勝手に泣いたとでも言うの?」
「うん……。勝手に泣いた……」
 んなバカな。
「そんな途方もないことを信じろと?」
「別に何処で私が泣こうが百墨くんには関係ないでしょ……?」
「でも美少女が涙する理由は百万の言葉に勝る」
「ふえ……私のこと……美少女だって言ってくれるの……?」
「うん……まぁ……。そうでなきゃ昴先輩のハーレムに入れないでしょ?」
「だね……」
 涙を拭いて納得する碓氷さんだった。
「やっぱり私じゃ届かない……か……」
「何が?」
「何でもないよ……?」
 誤魔化す様に碓氷さんが言う。
「ともあれ今日の取材を元に展示物として再構築するから……百墨くんは気兼ねなく過ごしてくれて構わないよ……」
「ん。助かる」
 そう言って僕は喫茶店の領収書を握る。
「いいの……?」
「碓氷さんに仕事を押し付けているからね。ここの払いくらいは僕に任せてよ」
 そう言って笑うと、
「あう……」
 碓氷さんは言葉を失うのだった。

    *

「ご馳走様でした」
 パンと一拍。
 僕は夕食を終えた。
 はたして今だ日曜日。
 今日の夕食は焼き素麺だった。
 梅肉の香り爽やかな……食欲の湧くメニューである。
 ちなみに製作者は黛とルシール。
 僕と華黒は招待された形になる。
 もとより僕こと真白と華黒とルシールと黛はこうやって食事を共にすることが多い。
 そのせいで僕の立場は危うくなっているけど閑話休題。
「美味しかったよ」
 僕は笑ってそう言った。
「………………本当?」
「嘘でもいいけど」
 僕は爪楊枝で歯に挟まった梅肉を取り出す。
「………………あう」
 と怯むルシール。
「おねーさーん?」
「悪かったよ」
 僕は爪楊枝をくわえたままハンズアップ。
 つまり降参。
「嘘でもなんでもなく美味しかったよ」
 おべんちゃらを口にした。
「………………お粗末さまでした」
 ルシーりながらルシール。
 何この可愛い生き物?
 しかしてそんなことはおくびにも出さず僕は問う。
「そういえば昼はいなかったみたいだけど文化祭の準備だったって?」
「はいな」
 答えたのは黛。
「黛さんのクラスは喫茶店をするので教室の模様替えや衣装作成……茶葉の選定に四苦八苦……といった感じです」
 去年の僕たちだね。
 苦笑する。
「ところでお姉さん?」
「なぁに?」
「黛さんはアイスを食べたいです」
「さいでっか」
「ルシールを連れてコンビニまで一往復してもらえませんか?」
「別にいいけどさ」
 しかして黛の意図がどこにあるかがわからない。
「兄さんが行くなら私も……!」
「お姉様は黛さんとイチャイチャしましょう?」
「私の体は兄さんの物です!」
「そう言わず。たまには酒奉寺姉さんの趣味に浸ってもいいかと」
 まぁ華黒と黛の爛れた関係について言及する気力もわかず、
「じゃ、行こっかルシール」
「………………はい」
 僕はルシールを連れて夏の夜に出ていった。
 アパートから歩くことしばし。
「それで?」
 僕は問う。
「………………それで……って?」
「誤魔化さないの」
 僕は断じる。
「黛は僕とルシールの二人きりにする口実があったんでしょ?」
「………………あう」
 追い詰められてルシーるルシール。
「………………あの……ですね」
「ふんふん」
「………………来週の文化祭……ですけど」
「ふんふん」
「………………私とデートしてくださいませんか?」
 なるほどね。
 華黒の前じゃ言えないわな……それは。
「別にいいけどね」
 楽観論で僕は頷く。
「………………本当?」
「嘘でもいいけどね」
 皮肉気になるのはしょうがなかった。
「ま、ルシールは僕の愛人ってことになってるし……学校内でデートしたって不思議には思われないだろうさ」
「………………ありがと」
 紅潮しておずおずと言われる。
 可愛いなぁもう!
 僕は思わずルシールを抱きしめた。
「………………でも……華黒お姉ちゃんが……許すかどうか」
「ああ、気にしなくていいよ。僕がダメっていえば最終的には譲る妹だから」
 そも、そうでなければ僕と華黒の関係は有り得ない。
「………………じゃあ真白お兄ちゃんは……私とデートしてくれるの?」
「そう言ってる」
 抱きしめて、それからクシャクシャとルシールの金髪を撫ぜる。
 体温の共有。
 それは最も愛に近い行為。
「………………じゃあ……当日はよろしく」
「うん。ルシールもね」
「………………あう」
 ルシーるルシール。
 僕はルシールと手を繋いで恋人のように振る舞った。
 それからアイスを四人分買ってルシールと黛の城へと戻る。
「兄さん?」
 その一言だけで華黒の意図は察しえた。
「何もしてないよ」
 僕は弁解する。
「他の女子と仲良くするだけでも裏切りですよ」
「だから華黒は世界をもっと広く定義すべきだと言ってるじゃないか」
「兄さんに近づく者皆敵です!」
「さいでっか」
 やれやれ……。

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