超妹理論

『夏は過ぎ風あざみ』前編


 始業式は退屈のさなかに終わった。
 何だかなぁ。
 今日から二学期。
 とは言っても九月の頭。
 残暑というにも暑すぎる気温だ。
 よくもまぁ恒温動物たる人間を体育館に大量に収納しようと思うものだ。
 体温が室内の温度を上げて蒸し風呂状態だった。
 そして当たり前だが体育館にはクーラーなんて気の利いたものは設置されていない。
 灼熱地獄がそこにはあった。
 ぞろぞろと流れに流れる人の波に流されながら外に出ると、風が吹いて涼しやかに思ったほどだ……。
 で、教室。
 案の定なロングホームルーム。
「あー」
 と担任が呻いた。
 無論教卓に肘をついて。
 要するに教師が言いたいことは二週間後の文化祭に向けての連絡事項だった。
 ちなみに何をするかは八月の登校日に決まっている。
 そうでもしなければ僕たちのクラスはともかく喫茶店および飲食関係のイベントは間に合わないからだ。
 検便。
 材料の調達。
 水源の確保。
 衣装の縫い物。
 やることがいっぱい有りすぎて二学期初日から二週間後の文化祭までの期間で準備しても間に合わないのである。
 実際去年は苦労した。
 で、今年がどうなったかというと、
「展示会」
 に収まった。
 無難なところだ。
 やりたいことの見つからない無気力な青春学生諸子にはうってつけの内容だと言っても過言ではない。
 実際僕も、
「助かった」
 と思った。
 派手さは無いけど知ったこっちゃないね。
 展示会。
 要するに資料を集めてボードに張り付けるだけだ。
「誰が見るんだ」
 という意見はあるが、
「誰も見なくていい」
 というのが僕の意見だ。
 ベッタベタ。
 でもまぁ他に最適解は無いだろう。
 そんなわけで何を展示するかを八月の登校日にアレコレ議論して、
「地域の歴史」
 に決まった。
 要するに、
「妥協案だね」
 ということになる。
 決まった後はスムースだった。
 クラスメイトは僕を含めて三十人。
 そして八月の登校日に、
「地域の歴史の展示会」
 に決まった後、担任の教師がチョイスしたのが十五か所の歴史的スポット。
 つまるところ、
「そこに行って取材してこい」
 という命令だった。
 ちなみに文化祭まで二週間。
 取材するなら休日を利用するしかない。
 クラスメイトは三十人。
 歴史的スポットは十五か所。
 ならば二人で取材するのは当然と言えた。
「好きな人と組め」
 というと混乱必至なので担任の教師は、
「くじを引いてもらう」
 と実に健全な提案をした。
 暑中見舞のクッキーの缶に折りたたまれた紙を三十だけ入れて、生徒に引かせる……という案である。
 僕は某町の古墳の取材に決まった。
 正直なところ古墳なんて鍵穴みたいな前方後円墳くらいしか資料では見たことがなかったのだけど……まぁ無理を言っても始まるまい。
「ああ、藤原は江戸時代の建築物か……」
 カリカリと引かれたクジの結果を黒板に書きだす教師。
「百墨は……」
 ちなみにこの場合に百墨は僕こと百墨真白のことである。
「古墳ね」
 カリカリとチョークを鳴らす教師。
 それから十五か所に三十人を納めるのだった。
「おや……まぁ……」
 僕は感嘆とした。
 僕とコンビを組んで某町の古墳について調べる相方に見覚えがあったからだ。
 それは僕の目がどうかしていない限り、
「碓氷幸」
 と読めた。
 碓氷さんとか。
 そういえば去年の学園祭の準備にも碓氷さんと関わったっけ。
 チラリと碓氷さんの方を見る。
 視線が交錯した。
 照れたのだろうか?
 碓氷さんは紅潮して目を逸らした。
 どこからか殺気を感じるのは気づかない方向で。
 ちなみに、
「…………」
 その殺気の原因だけど、
「ですか」
 幸か不幸か、とある女子のクラスメイトと某町の江戸時代の逸話について調べることに相成ったのであった。
 まぁ男子と組まずに済んだだけでも僕には朗報だ。
 上手くいくかは……本人次第だけど。

    *

 じゃあ今日は終わり。
 気を付けて帰りなさい。
 一字一句に間違いはあるけど、ともあれ忠告とテンプレに従った言葉を発して担任の教師は教室を出ていった。
 ロングホームルーム……終了。
 時間はまだ昼。
 今日は始業式だけで終わりだ。
 明日からは何事もなかったように七時限授業が始まるけど。
 こういうことに関しては大学生が恨めしい。
 昴先輩は今頃キャンパスでイチャコラやっているのだろう。
 何せ大学生の夏休みは二か月あるのだから。
 ちなみに春休みも二か月。
 合計四か月。
 一年の三分の一が休暇という中高生には有り得ないスケジュールだ。
 閑話休題。
「兄さん」
「あいあい?」
「帰りましょう」
「だね」
 華黒との会話も今更だ。
 僕は軽い鞄を手に持って立ち上がった。
 いつも通り、
「お姉さーん。お姉様ー」
 僕たちのクラスに直結する廊下からヒョコヒョコと手を振って自己主張する黛がいた。
 これもいつもの光景。
「………………」
 扉の陰からちょっとだけ頭部を出して僕を見つめるルシールもいた。
 これもいつもの光景。
 僕と目が合うと、
「………………あう」
 ルシーりながらヒョイと扉の陰に隠れる。
 これもいつもの光景。
「では行きましょう兄さん」
 ごく自然に華黒は僕の右腕に抱きついた。
 腕に押し付けられたフニュンとした感触がなんなのかはわかっていたけど狼狽えもしないし感慨もわかない……フリをする。
 見破られれば華黒が調子に乗るのだからしょうがない。
 そして右腕に華黒をエスコートさせながらルシールと黛と合流する。
「お姉さん、どうも」
 はいどうも。
「ほら、ルシールも」
「………………お兄ちゃん……どうも」
「そうじゃなくて」
「………………そうじゃなくて?」
「お姉さんの左腕に抱きつきなさいよ」
「………………あう」
 これだ。
 黛は僕とルシールをくっつけようとする。
 いや……まぁ……友達の恋を応援するのは悪いことじゃないけども……。
「………………いいの? ……お兄ちゃん?」
「今更でしょ」
 僕は既に諦観の域だ。
 そもそもにして、
「華黒ちゃんとルシールちゃんに二股をかけている男」
 というレッテルを張られている。
 原因は黛だけど抵抗しない僕も一因ではある。
 そんなわけで華黒とルシールをはべらすのは男子生徒諸子には受け入れがたいことながら僕にとっては本当に今更だ。
「おいで」
「………………っ! ……うん」
 ホニャラっと笑って僕の左腕に抱きつくルシール。
 衆人環視の視線が痛いのも今更。
 まぁ僕が不幸の無い人生を送っていて人格の形成に問題がなかったとしたら……僕だって現状の僕を嫉妬するだろう。
 それくらいはわかる。
 ともあれルシールと黛と合流すれば最初の話題は鉄板だ。
「お姉様」
「なんです黛?」
「お昼ご飯はどうしましょう?」
 本来なら、
「晩御飯はどうしましょう?」
 なのだけど今日に限っては昼に学校が終わったのだから致し方ない。
「黛さんとしてはルシールが疲れているみたいですから胃に優しいものを作ってあげたいのですが……」
「兄さんの意見はどうでしょう?」
「僕も夏バテ気味だからあまり濃いのはちょっと……」
「そうですか」
 そんなアレコレを話しながら僕は華黒とルシールを両腕に抱きつかせて、三歩後ろに黛を連れて昇降口へと向かうのだった。
 そこで一旦ルシールと黛と別れて靴箱から外靴を取り出す。
 ヒラリ。
「…………」
 重力に引かれて軽やかに落ちた物が一つ。
 外靴を取り出した勢いで靴箱から落ちたのだ。
 封筒。
 そう呼んで差し支えない代物だった。
「兄さん?」
 華黒が怒気をはらんだ声で僕を呼ぶ。
「僕に怒ったってしょうがないでしょ」
 肩をすくめるほかない。
「おや、お姉さん……またですか?」
「………………あう」
 既に外靴を履いてこちらに合流した黛とルシールが各々の反応をした。
 封筒を拾って裏を見る。
 そこには、
「薫子」
 という自己主張の文字が羅列していた。
 相も変わらず薫子さんからのソレだった。
 いいんだけどさ……別に。

    *

「兄さんには精のつくモノを」
「しかしてルシールは」
「そちらと別に」
「ルシールに関して」
「ええ、一品減らして」
「そんな」
「でも主食で妥協を」
「それでも」
「兄さん本位です」
「マシロニズムですねぇ」
 これら華黒と黛の議論によって今日の昼食は素麺とウナギに決まった。
 無論市販のウナギだ。
 目黒の秋刀魚理論だけど高校生にモノホンのウナギなぞ用意できるはずもない。
 そもそもにして、
「夏はウナギに限る」
 は平賀源内のプロパガンダだ。
 ウナギの旬は冬である。
 とはいえ精が付くのも事実なので否定することもないのだけど。
 そんなわけでスーパーでウナギの蒲焼を買って帰る僕たちだった。
 素麺は既に家にある。
 そして僕たちは帰宅する。
 黛とルシールは一時的に自身の城に帰宅し、私服に着替えるらしい。
 僕と華黒も各々ラフな服に着替える。
 それから華黒はエプロンを纏ってキッチンに立つ。
「兄さん?」
「あいあい」
「昼食までに何か飲みたいものはありますか?」
「じゃあコーヒーで」
 そう言うと華黒は手早くコーヒーを淹れてくれた。
 当然ドリップである。
 さて、
「お待たせしましたお姉様」
「………………あう」
 ルシールと黛が現れた。
 黛は私服にエプロン姿。
 ルシールは普通に私服。
 どちらもカジュアルなシャツとスカートだ。
「ではルシールは邪魔なのでお姉さんと一服しておいてください」
 そう言ってグイと僕にルシールを押し付ける黛だった。
「………………あう……黛ちゃん」
 抗議するような……事実抗議だろう……ルシールの言葉。
「大丈夫です。大丈夫なんですよ」
 意味不明な黛の言。
 何が大丈夫?
 そう聞きたいけど止めた。
 あまり愉快な話になりそうもない。
 僕はズズとコーヒーをすする。
「………………あう」
 僕の対面にルシールが座りコーヒーを飲む。
 ルシーるルシールはとても可愛かったけど、それは胸の詩集に刻むだけでいいだろう。
 しばし沈黙。
 破ったのはルシールからだった。
「………………真白お兄ちゃん?」
「なぁに?」
「………………薫子さんの……手紙についてだけど」
「ああ、これ?」
 僕は懸想文を示してみせた。
「………………うん……それ」
 首肯するルシール。
「………………どう思ってる?」
「というと?」
「………………ウザい……とか」
「まさか。こんなどうしようもない僕を慕ってくれて光栄だよ」
 皮肉げに僕は言う。
「兄さん? 聞き捨てならない言葉が聞こえましたが?」
「お姉さんも移り気ですね」
 華黒は嫉妬……黛は悦楽を……それぞれ示す。
「だって他に言い様もないんだもの」
「その手紙の主が美少女とは限りませんよ?」
「だろうね」
 華黒の中傷に僕は頷く。
「仮に美少女だったらお姉さんはどうします」
「どうもしないよ」
 それだけ。
「兄さん!」
「だーかーらー……どうもしないって言ってるでしょ?」
「本当ですか?」
「本当です」
 そもそもにして、
「僕には華黒がいるんだから」
「そんなにお姉さんはお姉様を愛してらっしゃるんですか?」
「まぁ色々あってね」
 少なくともつまらない話をここでするほど野暮じゃない。
 僕と華黒は共依存の関係。
 それくらいはルシールにも黛にもわかっているはずだ。
 僕は薫子さんの懸想文の封筒を開く。
 そこには相変わらず愛が綴られていた。
 しかして悲しいかな。
 その愛は十把一絡げのソレだ。
 僕の心には響かない。
「………………その懸想文……駄目?」
 おずおずとルシールが問うてくる。
「僕の心を揺さぶるモノじゃないのは確かだね」
 僕は率直に返す。
「………………そう」
 俯いてルシール。
 ズズとコーヒーを飲む。
 ブラック故にほろ苦い。
 それが即ち恋の味だった。

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