超妹理論

『いざ避暑』後編


 夕食はバーベキューだった。
 カレーと並んで夏の旅行の定番メニューだ。
 とは言っても白坂のメイドさんたちが準備し、振る舞ってくれたんだけど。
 僕と愉快な仲間たちは焼けた肉や野菜を食すだけだった。
「何だかなぁ……」
 と思わざるをえない。
 有難味もへったくれもない。
 まぁ美味しくはあるんだけど。
 赤外線によって焼かれた串に刺さった牛肉をかじる僕。
「どうですかお兄様?」
 白花ちゃんが声をかけてきた。
「何が?」
「食事です。美味しいですか?」
「そりゃまぁ」
「なら良かったです」
 ニッコリと笑う白花ちゃんはまぶしかった。
 純粋とは白花ちゃんみたいな女の子の笑顔を指して言うのだろう。
 まぁ小学生ではあるんだけど……むしろ小学生だからこそ演技ではない素の表情だとわからせる何かがある。
「お兄様?」
「あいあい?」
「はい、あーん」
 白花ちゃんは僕の口元に焼かれた豚バラを近づけた。
 もちろんメイドさんが焼いてくれたモノだ。
「あーん」
 僕は豚バラを食べる。
 ここまで整えておきながら食材がグラム百円のソレではあるまい。
 噛んだ豚肉はジュワッと油と旨みと豊潤さを以て味覚を凌辱するのだった。
「美味しい?」
「うん。まぁ」
 否定はできない。
 するつもりもないけどさ。
「なら良かった」
 くつくつと白花ちゃんは笑う。
「でも申し訳ないね」
「何がです?」
「食事の準備をメイドさんに任せるのが……さ」
「給料の内ですよ?」
 そうはいうけどさぁ……。
「それにお兄様は忘れていらっしゃいます」
「何を?」
「お兄様が白坂の血脈に繋がる者だと」
「意識した覚えはないけどね」
 皮肉ってあげた。
「お爺様が亡くなったことをもって……真白お兄様は白坂家に帰順する権利と義務とを持っているんですよ?」
「今の僕は百墨の父さんと母さんに養われてる身だからね」
「無論手切れ金は積みますが?」
「銭金の問題じゃないよ。こういうのは」
「むぅ……」
 白花ちゃんは怯んだ。
 まぁね。
 確かに名家……白坂家に帰順すれば贅沢な暮らしが出来るのだろう。
 少なくとも白花ちゃんはそのつもりだし……白花ちゃんの母親である白坂百合さんもそのつもりではあるはずだ。
 でもそれが僕にとっての幸福かと問われれば否という他ない。
 少なくとも僕にとっては。
 金や名誉ではなく愛に生きる。
 華黒風に言うのなら命を賭した恋愛事情。
 それが僕の幸福だ。
 少なくとも現時点においては。
 そう白花ちゃんに言うと、
「……そうですか」
 俯かれ憂えられた。
「悪いとは思ってる」
 僕はフォローする。
「でも僕には既に華黒がいるから」
「クロちゃんは……!」
 白花ちゃんは僕たちの事情を知っている。
「クロちゃんはズルいよ……」
「…………」
 言いたいことはわからないでもない。
 華黒はズルい。
 僕の心を独占している。
 そしてそれは根深い問題だ。
 少なくとも誰かが肩代わりできる問題ではない。
 僕と華黒で完結して、それ以上隙間のない問題だ。
 でも他に選択肢はなかった。
 少なくとも過去の僕と華黒には。
「…………」
 もしかして僕と華黒は傷を舐め合っているだけなのかも……とは思わないでもない。
 でもそれが僕で……それが華黒で……。
 だから他の方法を僕たちは知らないのだ。
 そんなことは白花ちゃんだって百も承知のはずだ。
「クロちゃんは……ズルい……!」
 繰り言。
 そこに込められた想いは先の言よりなお深い。
 僕は串に刺さった牛肉を齧る。
 咀嚼、嚥下。
「ともあれ」
 結論を急ぐ僕。
「僕にとって華黒は大切な妹だから」
「恋人じゃなくて?」
「そう言ってほしいの?」
「……意地悪」
 拗ねたように白花ちゃん。
「でもお兄様の意見はわかりました」
 そして白花ちゃんは焼きトウモロコシを食べ始める。
 僕も新たに焼けた肉を食べ始めた。

    *

「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬってね」
 そう言って僕の隣に座る昴先輩。
「私を恋という名の不治の病に陥れたのだから真白くん、君には責任を取ってもらわないとね?」
 僕の耳元でそう囁く昴先輩だった。
「お兄様……」
「なに白花ちゃん」
「この人何か何処かを患ってるんじゃありませんか? 例えば脳とか」
「大丈夫」
 僕は否定の意味を込めて縦に首を振る。
「これで平常運転だから」
「ふうん?」
 昴先輩の逆側の位置……つまり僕のもう一つの隣に座る白花ちゃんだった。
「両手に花だね」
 苦笑する他ない。
 ちなみに僕たちは水着を着ている。
 各々が水着を着て、そして浴室にいた。
 お風呂である。
 最初に言ったのは当然華黒である。
「兄さん。今日も一緒にお風呂に入りましょうね?」
 優越感たっぷりに。
「…………」
 僕は聞こえなかったフリでもしようかと考えたけど状況がソレを許さなかった。
「………………あう」
 何を想像したか真っ赤になるルシール。
「ほう。それは強力な……」
 黛はいっそ感心したように。
「ふむ。らしいね」
 昴先輩はくつくつと苦笑。
「お兄様……」
 責めるような白花ちゃんの言。
「かーぐーろー……」
 うんざりとして僕は言った。
「それをここで宣言することで君に何のメリットがあるのさ?」
「兄さんが私のモノだと主張できます」
 さいですか。
 怒る気力さえごっそりと持っていかれた。
 当然黙ったままの乙女たちではない。
「私も」
 そんな主張があがった。
 うんざりだ。
 誰か助けて。
 そんな祈りも虚しく僕は五人の美少女とお風呂に入ることになった。
 ただし全員水着着用。
 これだけは譲れない。
 そもそもにして華黒にしてみれば、
「私以外の人間が兄さんと風呂に入るなぞ有り得がたいことです!」
 とのことだったけど、
「なら言わなきゃよかったじゃないか」
 としか返しようがない。
 そんな経緯で酒池肉林の如き状況を再現するに至ったのだった。
 滅ぼされても文句は言えない。
「あーっ!」
 と叫んだのは華黒。
 僕は背中を向けていたけど……無論のこと乙女の肌を見ないためである……華黒が僕を指さして狼狽しているのは手に取れるようだった。
「酒奉寺昴! 白坂さん! 私の兄さんに何をするんです!」
 そんな華黒の抗議に、
「「愛情表現」」
 あっさりと二人は返すのだった。
 うーん。
 何だかなぁ。
 虚無的な何かを感じる今日この頃。
「離れなさい!」
「「やだ」」
 会話になってるようでなってないよね、君たち?
 介入する気にはならなかったけど。
「ならばこちらにも考えがあります……!」
 ザブンと水音がする。
 華黒が湯船に入ってきたのだ。
 そして華黒は湯船に浸かっている僕の前方に位置取って、背中を僕の胸板に預けてくる。
 シャンプーの香りがした。
 右と左には先輩と白花ちゃん……それから前方には華黒。
 身動きが取れなくなる僕だった。
「ルシール……出遅れましたね……」
 これは黛。
「………………あう……だって」
 控えめなルシール。
「真白くん? 私の肢体を好きにしていいと言ったら君はどうする?」
「軽蔑しますね」
「お兄様? やはり時が経てば若い私が一番だと思えるのではないでしょうか?」
「でもそれは今じゃないよね」
「兄さんは私のモノですよね?」
「今のところはね」
「………………あう」
「無理して介入する必要は無いよルシール」
「黛さん的にはなんだかなぁ……って感じです」
「無理もないね」
 苦笑する。
「ていうか暑苦しいんだけど……」
「愛の熱だよ」
「お兄様への愛ゆえです」
「兄さんが私を感じてくれている証拠じゃないですか」
 三者三様に言ってくれる。
「僕……貞操観念の薄い女性は嫌いだよ?」
 そんな僕の問いに、
「でも愛してます」
 答えになってないような答えを三人は返す。
 ですかぁ。

    *

 皆で風呂に入った後、それぞれがそれぞれの使用人によって寝床を用意してもらった。
 ビバ金持ち。
 アーンド権力。
 太陽の匂いのする布団に潜り込んで横になる僕だった。
 別荘は大きく……十二人を泊めてなお広い。
「あー……疲れた」
 もちろん風呂でのことである。
 美少女五人とお風呂に入ったのだ。
 これで気疲れしない人間がいるのなら見てみたい。
 部屋はエアコンが効いており風呂で茹った体温を静かに下げてくれる。
 心地よい一瞬。
 ふと窓を見る。
 窓から夜の海が見えた。
 エアコンを止めて窓を開ける。
 ザザーンと波音が響いた。
 夜風が涼しい。
 夏の夜の風が僕の上半身を叩いた。
「…………」
 僕は風を受けた後、
「ちょっと……ね」
 外に出ようと部屋を後にした。
 寝間着姿のままサンダルを履いて別荘を出る。
 夏の夜ではあるけど蒸し暑さはなかった。
 まぁ避暑地だ。
 このくらいは考慮の内だろう。
 海に流れ着いた流木に腰を下ろして月と海とを肌で感じる。
「…………」
 多分昼間や風呂のバカ騒ぎが動なら、これは静の楽しみだろう。
「中々ロマンチックなことをしてますね」
 ふいに。
「…………」
 声がかかった。
「黛……」
 僕はその声だけで人物を言い当てる。
「何か用?」
「いえ、黛さんも涼みに」
「そう」
 他に言葉も見つからず僕は肯定した。
「隣……いいですか?」
「ルシールに譲らなくていいの?」
「はて? 何ででっしゃろ?」
 まぁ君がそれでいいならいいんだけどね。
 黛は隙あらば僕とルシールをセットにしたがる。
 おそらくだけどルシールが僕に惚れていることに気付いているのだろう。
 だけど残念ながら僕には華黒がいる。
 それが楔となっているはずだった。
 そういう意味では海から流れ着いた流木に腰かけている僕こと百墨真白を見つけたならルシールに声をかけるのが必然というものだ。
 だが今回はそれをしなかった。
 何故だろう?
 考えたけど答えは出なかったため思考を放棄した。
「で、何か用?」
「別に用があったわけじゃないんですよ」
 だろうね。
「単に涼みにきたらお姉さんを見つけた次第で」
 だろうね。
「でも黛さん驚きました」
 ん?
「お姉さんは色んな人に愛されてるんですね」
「あー……」
 否定はできない。
 少なくともする資格がない。
「ルシールも……お姉様も……酒奉寺先輩も……白坂さんも……みんなみーんなお姉さんが大好きなんですから」
「…………」
 まぁ否定はしない。
 ふ、と吐息をつく。
 黛が苦笑した。
「お姉さんはいいですよね。憧れます」
「僕としては悩みの種だけどね」
 目下それ以外のモノではない。
「女の子の……生涯を賭けるに足る想いを掌握してるんですから」
「前も聞いたね。その言葉……」
「黛さんは友情としてそれをルシールに見出しているんですよ」
「いいことじゃないか」
「そうでしょうか?」
「何か問題でも?」
「高校はいいですよ。まだ……」
 吐息をつく黛。
「でも同じ大学に? 同じ就職先に? いつも一緒にいて苦楽を共にする関係がこの先一生続くと思いますか?」
「…………」
 まぁ無茶ではあるね。
「でも先輩は学校も年齢も違うのに酒奉寺先輩や白坂さんとも仲良くなっている。その絆を断ち切ろうとしない。率直に言えば……嫉妬してしまいます」
「別々の場所に身を置いたって電話やメールがあるでしょ?」
「でもその内そんな想いも廃れて摩耗していくとは思いませんか?」
「否定はしないけどさ」
「生涯を賭けるに足る想い……それを私は本当にルシールに持っているんでしょうか。ルシールは私に持っているんでしょうか」
「さてね」
 僕の答えはいっそそっけない。
「そこまでして何故ルシールに入れ込むの?」
「親友……だからでしょうか。ルシールには幸せになってほしい」
「十分な友情だよソレは」
「でもまだ足りない」
「何が?」
「ルシールを幸せにするには最後のピースが足りてない」
 それは僕には理解不能な言葉だった。
 そして避暑旅行の時間は過ぎて行く。

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