超妹理論

『いざ避暑』前編


「かっきごっおりーっ」
 これは黛。
 約一年ぶりにキッチンの棚から発掘されたかき氷器を利用して僕たちはかき氷を楽しんでいた。
 シロップは新調したけどどうせ使い切られることもなく捨てられる運命だろう。
 というか去年もそうだったのだ。
 時代は巡る。
 南無。
 クーラーで蒸し暑い夏の空気を中和して、かき氷で胃から体を冷やして、僕たちは涼しい夏を体験していた。
「兄さん、あーん」
「あーん」
「ほらほらルシールも」
「………………真白お兄ちゃん……あーん」
「あーん」
「真白くん、あーん」
「あーん」
 ちなみに僕の分のかき氷は無い。
 女の子たちが食べさせてくれるからね。
 さらに自身の分なんて用意すれば腹を壊す。
 ていうかこの状況を百墨隠密親衛隊やハーレムの面々に知られたら僕は磔にされて炎で浄化されるんじゃなかろうか?
「どうかしたのかい真白くん?」
 覗き込むように見つめてくるのは酒奉寺昴先輩。
 無邪気とニヒルという相反する二つの感情を器用に同居させた瞳だ。
 それはとても綺麗だったけど当然ながら言葉にはしない。
「何でもありませんよ」
 そう言って昴先輩の差し出してくるかき氷を食べる。
「嘘だね」
 断定された。
「何を根拠に?」
 多少なりとも不満を表して問う僕に、
「乙女心によって、だよ」
 自信満々に先輩は言い切った。
「そんな殊勝なものがあなたの中には残っていたのですか?」
 この皮肉は華黒。
 かき氷をぱくつきながら冷笑する。
 多分表情の半分くらいは演技だろうけど。
 ちなみに僕としても全面的に同意。
「先輩に乙女心ってあるんですか?」
「何を今更」
 何をってあーた……。
「私は大多数の少女と同じく可愛いものが大好きだ。私ほど純情な乙女がいるものか」
 言葉だけ捉えれば真実だと思えるから不思議だね。
「はい、ルシールくん、あーん」
「………………あーん」
 ルシールはルシーりながら先輩のかき氷を受け入れた。
「それで?」
 ハードボイルドな笑みを浮かべて再度問い直す先輩。
「どうかしたのかい真白くん?」
 あんまり言いたくないんだけど……、
「この状況がありえないなぁって」
 白状するのだった。
「状況というと?」
 まさか本気で言ってるんじゃあるまいな?
 僕はダイニングテーブルに座っている人物らを見やる。
 カラスの濡れ羽色の長髪に奇跡的な美貌を兼ね備えた義妹……百墨華黒。
 茶色の癖っ毛と挑発的な瞳が特徴的な大人びてしかし可憐な女性……酒奉寺昴。
 金髪碧眼の西洋人形のように整った美少女にして従妹……百墨ルシール。
 黒いショートカットに元気花丸な笑顔を持つ中性的な美少女……黛。
 各々が一級の美少女でありながら、しかしてここにこうして集まっている。
 誰のせいかと言えば多分に僕のせいなんだけどね。
 黛は違うけど、他の美少女は僕を憎からず想ってくれている。
 祇園精舎の鐘の声……とは言うものの熱が冷める気配は一向にない。
 どうしたものやら。
「そもそもにして先輩」
「なんだい?」
「僕と華黒にちょっかいをかけるのはハーレムに対する裏切りじゃないんですか?」
 昴先輩は独特の恋愛ネットワークを持っている。
 先輩を中心にハブ型に構築されたこのネットワークを俗称として「ハーレム」と呼ぶ。
 要するに二股や三股と云った概念に近いのだが決定的に違うのは昴先輩が、
「私は複数の美少女を愛でることを至上の喜びとしている」
 と明言しており、ハーレムの美少女達がソレに納得していることだ。
 愛情定量論者の僕や華黒と違って昴先輩にとって愛情とは心の奥底から無限にあふれるもの……らしい。
「今は何人くらいいるんです?」
「九人だね」
「減りましたね」
「まぁ長続きはしないね」
 それは本当の恋愛じゃないと思うのだけどどうだろう?
「かといって勘違いされては困るよ? 別に一時的に遊べればいいなんて思っているわけじゃない。美少女に真摯に対応しての変遷だ。私としては乙女の意思を尊重したいのだよ」
「外道ですね」
 華黒が断定した。
 華黒にとって恋愛の概念はひどく視野狭窄だ。
 ロミオとジュリエットに見られる命すらかける炎のような苛烈な恋こそ本物だと信じて疑っていない。
 巻き込まれる僕の身になるとどうだかなぁといった感じだけど否定するものでもない。
 何を言おうか言葉を選んでいるとピンポーンとドアベルが鳴った。
 ちょうどよかった。
 緊張をときほぐす僕。
 客はわかっている。
 イレギュラーでも無い限りある女の子だろう。
 玄関対応は僕。
 扉を開けると、
「お久しぶりですお兄様……」
 パッツン髪の美幼女……僕と血の繋がった本当の従妹……白坂白花ちゃんが白い日傘をさしてそこにいた。
「早かったね」
「一刻でも早くお兄様にお会いしとうございまして」
 そう言って無邪気に笑う白花ちゃんだった。

    *

 そんなわけで僕たちは避暑をすることになった。
 この《僕たち》は僕こと真白と華黒とルシールと黛と昴先輩と白花ちゃんのことである。
 ルシールと黛についても事情は説明してあるのでトラブルは起きなかった。
 手ぶらでリムジンに乗り白坂家が所有する別荘まで。
 去年も行った海沿いの別荘である。
 先にも言ったけど手ぶら……荷物の一つも僕たちは持っていない。
 そもそもにして白坂の根回しの前には必要ないと言うべきだ。
 着替えも食事もその他諸々も全て白坂家が段どってくれている。
 唯一無いのは水着だけ。
「それもこちらで用意する」
 と言った白花ちゃんに、
「駄目だ。乙女にとって水着選びは夏の儀式だ。疎かにするわけにはいかない」
 と血の涙を流しながら反論したのが昴先輩だった。
 どこまでも欲望に忠実な人だ。
 ある意味で尊敬すら覚える。
 そんなわけで避暑地の行く前に先輩御用達の水着ショップに寄るのだった。
 多種多彩な水着、水着、水着。
「兄さん。紐ビキニなどどうでしょう?」
「駄目です」
「真白くん、今年こそパレオの水着を……」
「却下」
「お姉さんは水着買わないんですか?」
「女性用の水着しか売ってないこの店で何を買えと?」
「………………お兄ちゃん……どの水着が好み?」
「ルシールは出るとこが出てるからビキニがいいんじゃない?」
「お兄様! ほら! スクール水着」
「あー……いいんじゃない?」
 去年は否定したけど今年はもう反論する気力さえごっそりと抉り取られていた。
 きゃいきゃい言いながら美少女たちが水着を試着する。
 その度に感想を求められ、僕の気力は減じざるをえないのだった。
 誰か変われるものなら変わってくれ。
 贅沢な悩みだけど悩みは悩みだ。
「兄さん」
「なにさ」
「どうですか?」
 華黒は水着を強調してモデルよろしくポーズをとる。
 黒いビキニだ。
 去年昴先輩が着たものに似ているけれど面積はアレよりさらに狭い。
「自分の気に入ったものを買えばいいんじゃない?」
 僕は答えに窮してそんな感想を紡いだ。
 そしてそれを悟られた。
 ニマァといやらしく笑う華黒。
「ではこれにしますね」
 できればもうちょっと刺激の少ない水着が良かったんだけど……そう進言するには遅すぎたようだ。
 いいんだけどさ。
「お姉さーん」
 これは黛。
 桃色ワンピース。
 慎ましやかな胸ながら端正なボディラインを強調してやまないチョイスだった。
「どうです?」
「いいんじゃない」
 僕としては一刻も早くこの場を退散したかった。
 が、状況はそれを許してはくれない。
「真白くん。どうだい?」
「びゅうてぃふぉお」
 昴先輩の波模様のパレオビキニに賞賛を贈る。
 無論、投げやりに。
「ほらほら。ルシールも恥ずかしがってないで」
 黛が試着室からルシールを引っ張り出していた。
「………………あう……でも……これは」
 ルシールはルシーるっているようだった。
「いいからいいから」
 そうやってルシールが僕の視界に映る。
 当然ながらルシールは水着を着ていた。
「………………あう」
 ルシーるルシール。
 僕はズキズキと痛むこめかみを指で押さえた。
 ルシールが着ているのはスクール水着だった。
 それも純白の。
 ちなみにルシールのプロポーションは整っている。
 華黒には及ばないものの昴先輩よりは上だ。
 そんなルシールがスク水を着ているのだ。
 胸は窮屈なスク水を拡張してめいいっぱい主張していた。
 大きな胸がスク水にぎゅうぎゅうに詰め込まれている光景はまさに目に毒だ。
 ちなみにこの水着専門店はフォローやアフターサービスも完備しており、ルシールのスクール水着の胸元に、
「るしいる」
 と刺繍するのも仕事の内だとか。
「いいねえいいねえ最高だね」
 昴先輩はご納得の様子だった。
 こういうところは敬ってしまう。
 少なくとも僕には無理だ。
「………………お兄ちゃん……駄目?」
 上目づかいに問うてくるルシールに反論できるはずもなく、
「よく似合っているよ」
 おべんちゃらをかます僕。
 会計は白坂家のブラックカード。
 各々が各々の水着を持って白坂の別荘へと向かうのだった。
 とは言ってもリムジンで運ばれるだけなんだけど。
「そういえば」
 僕は昴先輩に問う。
「白坂家と酒奉寺家は仲良くないと聞いてるんですが大丈夫なんですか?」
「構うまい」
「僕を狙っているという意味では白花ちゃんとも相反するでしょ?」
「構うまい」
 当人がそう言うならいいんだけどさ。
 僕はリムジンの扉の内側に肘をついて流れる景色を眺めた。
 そしてリムジンは僕たちを白坂の別荘へと運ぶ。

    *

「海だーっ!」
 飛び出せ青春。
 ちなみに先の言は黛である。
 今回の避暑地にいるのは僕と華黒とルシールと黛と昴先輩と白花ちゃん……それに加えて各々のサポートをする六人の白坂の雇った使用人さんたち。
 使用人さんたちは全員女性。
 そして軽装とはいえメイド服。
 …………。
 僕にどうしろと?
 僕以外全員女性なのだ。
 後ろめたさがパない。
 こんなことなら統夜も誘うんだった。
 遅かりし、だけど。
「ルシール! 冷たくて気持ちいいよ!」
 黛がルシールを海へと引っ張っていく。
「………………あう」
 微笑ましい光景だ。
 少なくとも友情のきらめきを見て取れる。
「に・い・さ・ん?」
 パラソルの日陰にて使用人さんの用意してくれた椅子に座ってノンアルコールカクテルを飲んでいる僕に声がかけられた。
 言うまでもないけど言う。
 華黒である。
「なぁに?」
「日焼け止めを塗ってください」
「昴先輩に頼んだら?」
 嬉々としてやってくれるだろう。
「あんな変態に私の肢体を撫ぜさせろと兄さんは言うのですか!」
「僕に華黒の肢体をどうにかされるのはいいの?」
「当然です」
 ……当然なんだ。
「背中だけだよ?」
「なんならお尻も足も胸も好きにしてくださって構いませんが?」
「それが僕と華黒の最後の言葉だった……」
「何でです!」
 憤慨する華黒。
「日焼け止めを塗るのは背中だけ。譲歩するかどうかはそっち次第だよ。無論のこと撥ねつけてもいいけど結果論で語るなら最善とは言えないね」
「むぅ〜」
 むぅ〜じゃないって……。
「じゃあ背中に日焼け止めを塗ってください」
 そう言って華黒は砂場にうつ伏せに寝転んだ。
 僕はクリームをたっぷり両手につけると華黒の背中に塗りたくる。
「…………」
 まぁこちらの視界にも色々ありまして……華黒の豊かな胸が押しつぶされて背中の陰から多少なりともはみ出してるのが見えた。
 六根清浄……六根清浄……。
 そして煩悩を押し殺して華黒の背中にクリームを塗り終わる。
 華黒は、後は自分で自身の肢体にクリームを塗りたくる。
「真白くん」
「却下」
「まだ何も言っていないよ?」
「華黒だけが特別なんです」
 声をかけてきた昴先輩をけんもほろろ。
「お兄様」
「却下」
「まだ何も言ってません」
「華黒だけが特別なの」
 声をかけてきた白花ちゃんをけんもほろろ。
「おねーえさーん!」
 海からひらひらと手を振って自己主張する黛。
「一緒に泳ぎましょうよぅ! 黛さんとルシールと一緒に!」
「今行く」
 僕は浮き輪を持って海へと飛び込んだ。
「むぅ」
 昴先輩と白花ちゃんは不機嫌そうに僕を見送った。
 最終的に使用人さんに塗ってもらったらしいけど。
 そうやって遠泳をし、ビーチバレーをし、耐水コーティングをしている本を以て浮き輪でプカプカ波に揺られながら読書をし、そうやって僕たちは海水浴を楽しんだ。
 ちなみに一番はしゃいでいたのが昴先輩。
 それはそうだろう。
 花咲きたての乙女たちが水着姿で酒池肉林に海水浴。
 興奮しなければ酒奉寺昴ではない。
 どうやら白花ちゃんは範囲外らしいけどそれを補って余りあるメンツだ。
 ビーチバレーの度に揺れる華黒の胸が……スクール水着という狭い面積にギュウギュウに押し込まれたルシールの胸が……スラリとしたボディラインの黛の体つきが……昴先輩をヘブンへと誘っているらしかった。
「まぁ僕に迷惑をかけなければ好きにしてくれ」
 というのが僕の意見。
 この際誰が昴先輩の毒牙にかかろうが知ったこっちゃない。
 とはいえ絶世とも不世出とも言える容姿を持つ昴先輩に対して今回の乙女たちは一人も魅力を感じていないというのは偶然にしても出来すぎだろう。
 偏に僕が敵視されていないのは僕まで先輩の守備範囲に入っているからに他ならない。
 そうじゃなければジャンヌダルクよろしく火刑に処されているところだ。
「真白くんも女の子の水着を着ればいいのに……」
 残念そうに昴先輩が言う。
 誰が得するんだそれは……。
 僕がそう言うと、
「無論、私が」
 躊躇いもなく先輩。
 さいですか〜。
「………………お兄ちゃん……泳ご?」
 ルシールがおずおずとそう提案する。
 勇気を振り絞ったのだろう。
 頬を赤らめていた。
 可愛い可愛い。
「ん。まぁルシールとの夏の思い出も作らないとね」
 僕はポンとルシールの頭に手を乗せる。
 ルシールはさらに真っ赤になるのだった。

ボタン
inserted by FC2 system