超妹理論

『夏休み突入』後編


 結論から言って冷やし中華は美味しかった。
 まぁ華黒においては不味い料理を作る方が難しいだろう。
 まして採点するのが僕ともなれば寿命を削ってでも最高のモノを用意するはずである。
 スズキのあらいは瑞々しく美味しかったし……ちなみにこれは出来合いのモノで華黒の力量ではない……冷やし中華も爽やかだった。
 食べた僕本人が言うのだから間違いない。
 手伝った黛の能力も既に体験しているため、その点についても言及する意味や意義はまったく無いだろう。
 そして夕餉はデザートへ。
 ルシールの選んだヨーグルトにざっくばらんに切ったバナナをまぜた代物だ。
 甘く美味しかったし、それは全体の総意でもあった。
 そうやって夕餉を終えると、
「ゴチになりました」
 黛がそう言った。
「いや、君も手伝ったでしょ?」
 とは僕は言わなかった。
 不毛だからだ。
「………………ごちそう……さまでした」
 ルシールもおずおずと頭を下げる。
 どうにも自分のぶきっちょを責めている節がある。
 料理を手伝っていないのは僕も同じだ。
 むしろ昼間……図書館にて黛に勉強を指導できただけでもルシールは役に立っていると思うんだけど……。
 勉強も家事も華黒任せの僕とはえらい違いだ。
 ん?
 僕ってヒモ?
 とまれ、
「お粗末さまでした」
 華黒はルシールの言に笑顔で答えた。
 そして僕と華黒は部屋を出ていくルシールと黛を見送るのだった。
 もっとも隣の部屋なんだけど。
 そして恐縮しきる後輩二人が僕たちの玄関を閉めるまで僕と華黒は手を振って、
「……それで?」
 穏やかだった華黒の瞳に敵意に似た何かの感情が浮かんだ。
 その視線が僕に向けられる。
 正直なところプレッシャーが半端ないんだけど……華黒が何を言いたいか……何を言おうとしているかは簡単に予測できた。
 つまり、
「懸想文の件でしょ?」
 そーゆーことなのだった。
「兄さんはおモテになりますものね」
 ツーンと捻くれる華黒。
 とは言っても……ねぇ?
 この義妹は言葉にしなきゃわからないんだろうか。
 ……そうなんだろうけど。
「とりあえず華黒」
「何です?」
「紅茶」
「はいな」
 そして華黒が紅茶の準備をする間に僕は薫子さんからのラブレターを封筒を開けて読むのだった。
 そこには甘い愛が綴られていた。
 僕の容姿を褒めるところから始まって、その精神性に心を打たれたと言い、申し訳ないと謙虚に己を諌め、それでも百墨真白を愛していると結論付ける。
 既に何度か受け取っている薫子さんの手紙だったけど、変わらないのは僕への慕情ばかりではなく文の内容にしてもそうだった。
 まぁそれについてはつっこむまい。
 ただ薫子さんの意図がわからない。
 九回裏十対零の諦めムード全開の文面ではあるのだけど、ならばどうして次の恋に移ろうとしないのか。
 そればっかりが不明だ。
 僕には華黒がいる。
 それを薫子さんも認識している。
 理解しているはずなのだ。
 僕が華黒にだけ愛情を注ぐということを。
 そして文面上、
「それはしょうがないこと」
 として諦観を示している。
 ならば薫子さんの意図はどこにあるのか?
 懸想文を送ることで僕と華黒の仲に穴をあけようというのか?
 ならば無駄と言うほかない。
 少なくとも僕と華黒の共依存は根深い精神レベルでの問題だ。
 他者には理解などできず……干渉もできず……ましてやり直すこともできない……醜い依存症なのだ。
 ベラベラと喋ることじゃないから薫子さんには関係ない事情ではあるんだけど。
「兄さん。お風呂が入りましたよ」
 悶々と思考のスパイラルに陥っていた僕に明朗な声がかかった。
 華黒に言われた通りに風呂に入る僕。
 おして華黒が押し入ってくるのは目に見えていた。
 さすがにそうだろう。
 華黒は僕を必要としている。
 そんな僕が赤の他人から懸想文をもらったのだ。
 誘惑しなければと華黒が焦るのも無理なからぬことである。
「兄さん?」
「あいあい?」
「まさか薫子からの手紙を承認するわけじゃないですよね?」
 怒りと……それから幼児のような嫉妬を乗せて僕を見つめる華黒の瞳。
「大丈夫だよ」
 なるたけ安心させるように僕は言う。
「僕は華黒にベタ惚れだから」
「では私を抱いてくださりますね?」
 それとこれとは話が別だ。
 何度言えばわかるんだこの愚妹は。
「兄さんに近づく者……想いを寄せる者……皆私の敵です」
 わかっちゃいるけどね。
 湯船に肩までつかる。
「まぁあの……薫子さんもあくまで片思いで決着しているし、さして過敏に反応することもないんじゃないかなぁ……と」
 他に言い様もなかった。

    *

「あー……うー……」
 僕は呻いた。
「サインコサインタンジェントなんて何の意味があるんだよぅ」
 場所は市立図書館。
 時間は昼頃。
 既に昼食はとった後である。
 僕と華黒は宿題を遅々としながら、あるいはテキパキと、それぞれ片付けていた。
「兄さんが土木関係に進むのなら必須の知識ですよ」
「そんな予定はないなぁ……」
 体力に自信はない。
 デスクワークが僕の本領だろう。
 土木作業の監督になれば話は別だけど。
 ドカタ作業に終始する未来像を描けない僕だった。
 華黒はサラサラと僕の愚痴に付き合いながらペンをプリントに走らせる。
 その動きは洗練されて隙が無い。
 背筋もスラッと伸びカリカリとペンを動かす様は一個の芸術として完成されている……って僕は何を思っているんだろうね?
「あーうー」
 自身の知識を総動員して数学の課題を解く。
 なんだよ虚数って。
 誰だこんな斬新な概念を閃いた奴は。
 その天才性は高く買うけどその分苦労する学生のことも憂慮してほしかった。
 だいたい存在しながら実在しないって辺りがもうね。
 何考えてんだか……。
「兄さん?」
「なにさ?」
「お困りですか?」
「お困りです」
「私を抱いてくださるなら反則技を行使できますよ?」
「謹んでごめんなさい」
 他に言い様があるか。
 僕は後頭部をガシガシ掻きながら虚数と睨めっこする。
 ちなみにこの場にいるのは僕と華黒だけじゃない。
「………………つまりこれがこうで」
「ほうほう。黛さんとしてはなるほどです」
 ルシールと黛もこの場にいることを明記しなければなるまい。
 四人でテーブルを囲んで夏休みの宿題を消化しているのだった。
「………………で、こうなるから……ここに代入して」
「あー……なるほどねぇ」
 ルシールはぶきっちょではあるけど、こと勉強に関しては屈指の冴えを見せる。
 勉強担当のルシール。
 家事担当の黛。
 中々ナイスなコンビだった。
 少なくとも無知無能の百墨真白に万知万能の百墨華黒の一方的な関係と違いバランスが取れている。
 僕が華黒の恩恵を受けられるのは偏に偶然の結果だ。
 華黒はそれを必然と呼ぶのだろうけど知ったこっちゃない。
「兄さん?」
「ん」
 閑話休題。
 ともあれ今は課題を消化するのが先だ。
「このグラフで虚数がこうなってですね……」
 手取り足取り教えてくれる義妹に対して、
「…………」
 我ながら無常になるけど、
「聞いてますか?」
「無論」
 他に手段がないのも事実ではあるのだった。
「華黒は教師に向いてるんじゃない」
 勉強を教えられてる身としてはそんなことを考える。
「無理ですね」
 快刀乱麻だった。
「なして?」
「他者は嫌いです」
「…………」
 これが
「子どもが嫌いです」
 ならまだ救いようはあったけど、
「他者が嫌い」
 と華黒は言った。
 僕以外の老若男女が嫌いというのは華黒のレゾンデートルではあるけど……それにしたって言葉を選ばない普通?
「お姉様はこじらせてますね」
 黛がコロコロと笑う。
 笑い事じゃないと思うんだけどどうだろう?
「黛さんとしてはルシールも勉強ができますし教師にむいているんじゃないかと」
「………………ふえ……無理」
 ルシーるルシール。
「………………多分……生徒に……なめられる……よ?」
 同感だった。
 もしルシールが教師を務めたら確実に生徒に泣かされるタイプだ。
 手に取れるようだ。
 人情の手前、言わないんだけどさ。
「兄さん、そこ虚数です。マイナスですよ」
 色々考えながら数式を解いてる僕にしっかりとツッコミが入る。
 当然華黒だ。
「…………」
 だいたいさぁ。
 横軸が実数で縦軸が虚数ってのはどうなの?
 誰がそんなこと考えたの?
 グラフで表せる虚ろな数ってどうなの?
 そんな不条理に対する疑問ばかりが浮かんでくる。
「あーうー」
 頭を抱えながら数式を解いていく僕だった。
「また間違いです」
 華黒の指導も容赦がなかった。
 まぁ無理して瀬野二に入学した僕だ。
 これくらいの労力は必要なのだろうけど。
 ああ、まったりとコーヒーが飲みたい。

    *

 市立図書館からの帰り道。
 四人組……つまり僕こと真白と華黒とルシールと黛は仲良く集団で帰路についた。
 途中スーパーに寄る予定だ。
 今日は黛が僕と華黒とルシールに手料理をふるまうことになっている。
 ルシールも料理に参加することになっているけど……さて、いったいどこまで干渉できるのやら……。
 基本的な料理なら僕も一通り心得がある。
 少なくとも去年の文化祭……華黒と距離をとった時には僕が夕食を準備していた。
 それについては過去の事だからいいとして、
「……ふむ」
 現在のルシールの心境もわからないではないのだ。
「自身の手料理を食べてもらいたい」
 そんなところだろう。
 ある意味で乙女。
 いやまぁ……ある意味じゃなくてもルシールは十分乙女なんだけど。
「そういえばお姉さん」
「なぁに?」
「ラブレター……もらいましたよね?」
「だね」
 数日前にやっぱり市立図書館で勉強した帰り……僕と華黒の城の郵便ポストに差し込まれた懸想文について言っているのだろう。
 それくらいは察せられる。
 なにより僕自身の問題だ。
 華黒にしてみれば憂いの原因だろうけど、だからといってラブレターを押し留めるには情報が足りないのも事実である。
 そもそもにして薫子とは誰なのか。
 なぜ僕を慕うのか。
 なんの意図があって僕に懸想文を渡すのか。
 わからないことは多分にある。
 僕は華黒を想っていたいだけなんだけど、この手紙のせいで華黒が不機嫌になっていくのもまた事実なわけで。
 ん?
 もしかしてソレが狙いなのかな?
「モテますね」
 黛は嬉しそうだ。
「意味不明だけどね」
 僕は憮然とする。
「けれどその……薫子さん? その人は……お姉さんを慕っているのでしょう?」
「それはそうだけど」
 なんだかなぁ。
「薫子さんの愛に心揺さぶられたりしないんですか?」
「…………」
 この沈黙は恐怖故。
 答えを間違えれば僕の身が危ない。
 少なくとも、
「……っ!」
 そんな殺気を華黒から感じた。
 何とか動揺を抑え込み、
「僕には華黒がいるしねぇ」
 平静を装ってぶっきらぼうに僕は言う。
「別に人が愛する人が一人だけでなければいけないのだと……そんなことが決まっているわけじゃありませんよ?」
「…………」
 まぁそうだけどさ。
「それでも、ね」
 僕は苦笑するばかりだ。
「………………ふえ」
 ルシーるルシール。
 残酷だね僕は。
 そんなことは百も承知だけど。
「なんだかなぁ」
 これは黛。
「黛さんとしては修羅場に発展……みたいなものを期待していたんですが……」
 それは華黒と薫子さんとがですかい?
 聞くのが怖いから聞かないけど。
「もうちょっと薫子さんの純情に応えてもらうという方針はないんですか?」
「気が向いたらね」
 他に言い様もないだろう。
「兄さん?」
「大丈夫」
 殺気と怒気とを膨らませる華黒に僕は軽くキスをした。
 うーん。
 カグリズム。
「ふえ……兄さん……」
 ルシーる華黒。
 僕のキスはそれほど華黒の純情をかき乱したらしい。
 いや、いいんだけどさ。
 僕が勝手に思っていることだけど……愛とは証明するものだ。
 言葉で。
 文面で。
 行動で。
 それは薫子さんの手紙もそうだし僕のキスもそうだ。
 少なくとも僕の愛情がまっすぐ華黒に向けられていることは常時証明しなければいけないことは十二分に承知している。
 そして僕は華黒のことが好きだ。
 それ故に……責任のとれる範囲で……愛情を示すのは本意ではある。
「………………ふえ」
 ルシーるルシール。
「薫子さんについても考えてほしいのですけどね」
 何故か薫子さんの肩を持つ黛。
「まぁ……」
 さりとて、
「僕と華黒はラブラブだからね」
 他に言葉は見つからなかった。
「兄さん……! 私も兄さんを愛してます……! 今日こそ愛の契りを……!」
「却下」
 身も蓋もなく僕。
 校則でも不純交遊は禁止されている。
 それを破ろうとは思えなかった。

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