超妹理論

『夏休み突入』前編


 終業式は退屈だった。
 健全な生活をどうたらこうたら。
 学校の生徒という自覚をうんたらかんたら。
 そんなもの……言われなくともわかる。
 わからない奴は言われてもわからない。
 少なくとも校長の話を真剣に聞いているのはいったい何人いるのか……そもそも存在するのか……さてさて。
 それから各々のクラスに、こう言っちゃ悪いだろうけど分配される生徒たち。
 僕たちもクラスの席に着く。
 教師が何やかやと給料分の忠告をした後、ホームルームは終わる。
「では羽目を外しすぎないように」
 とだけ忠告して担任は教室から出ていった。
 夏休みである。
「に・い・さ・ん?」
 う。
 わけもなく胸が痛くなる。
 チラと見た後方には華黒が。
 カラスの濡れ羽色のロングヘアーに白磁器も道を譲る白い肌。
 それは黒い制服によってコントラスト過多となっていた。
 白いワイシャツに灰色のズボンの男子の夏服と対照的だ。
 華黒に限って言えば黒が何より似合うのだけど。
 名前に黒ってついてるし。
 だからって僕……つまり真白に白が似合うということはないのだけど。
 劣等感。
 閑話休題。
「なに?」
 僕は問い返す。
「夏休みです」
「夏休みだね」
 それはもう間違いない。
「開放的です」
「開放的だね」
 少なくとも一か月とちょっとは学校に縛られることもない。
「乙女が大人になる季節です」
「昴先輩によく伝えておくよ」
「私は兄さんと大人の――!」
「待った」
 即座に華黒の口を封じる。
 周囲を見る。
 誰にも聞こえてなかったみたいだ。
 少なくともクラスメイトたちは各々のグループで固まって会話をしたり駄弁っていたり下校したりしている。
「あのね、華黒……」
「何でしょう兄さん」
「毎回毎回毎回言ってるんだけどさ」
「ならもう言う必要は無いのでは?」
「エロ方面は禁止だって理解している?」
「それでは進展がないじゃないですかぁ」
 進展の必要が無いからね。
 そう言うと、
「私はもう結婚できる年齢なんですよ?」
「僕はまだだ」
「何とかします」
「止めて」
 華黒なら本気で何とかしかねない。
 こと百墨真白に関する限り華黒に不可能はない。
 それは重々承知している。
 だから矛先を変える。
「華黒がそれだけ僕を想ってくれるのが僕にとっての幸福だよ」
「兄さん……」
 憂いと至福の半々の表情で言葉を失う華黒。
「焦らないの」
 淡々と僕は言う。
「僕たちはまだ子どもだ」
 説得するように。
「子どもの内は子どもにしかできない恋をしよう。それが僕と……それから華黒のためだ」
「兄さん……」
「交合はいつでも出来る。やろうと思うのなら今だって出来るさ」
「では今……!」
「でも逆に言えばそれは僕たちの純情を貶めることに他ならない」
「…………」
「華黒は僕の体が目当てなの?」
「違います!」
 だろうね。
「僕も華黒の体が目当てじゃないよ」
「……っ!」
「だからさ……そうすることで僕や華黒の純情が目減りするってことを華黒には理解してもらいたい」
「…………」
「だから子どもの内は子どもの恋をしよう。それとも不満?」
「だって……兄さんには色んな女の子がいるじゃないですか……」
 それは……まぁ……。
「白坂白花。酒奉寺昴。百墨ルシール。黛。碓氷さん。兄さんには自分が無いから他人を求める。そしてそれは私じゃなくてもいいじゃないですか」
 そうなんだけどさ。
「そんなの私は嫌です」
 押し殺したような声で言を吐く……吐き出す華黒。
 ああ……それはなんて感情……。
「大丈夫だよ」
 僕は華黒の髪をクシャリと撫ぜる。
「言ったでしょ? 華黒を支えて一緒に世界と向き合うって。あの時の言葉に偽りはないよ。そりゃ華黒の不安もわからないではないけどさ」
「兄さんがその気になるまで誘惑し続けます」
 華黒には僕しかいないからね。
 自分がない僕と、僕しかいない華黒。
 それはとても歪で……とても曲解な感情。
 しょうがないことではある。
 結局のところ華黒のエロ光線攻撃は止まらないのだろう。
 それについて責める気にはならなかった。
「お姉さーん。お姉様ー」
 クラスの扉の前ではルシールと黛が待機していた……いつものことだ。

    *

「こっちが前置詞で……こっちがAアズB……」
 なるほど。
 わからん。
 僕は図書館にいた。
 僕たちの城からほど近い市立図書館。
 携帯の使用可能な勉強ルームなど色々と設備が充実しているので重宝している場所だ。
 ちなみに時間を言えば夏休み第一日。
 その午後一時。
「先に宿題を終わらせましょう」
 そんな華黒の言葉によって学校から提出された宿題や課題を七月中に終わらせることが決定事項となった。
 うんざり。
 当人には言わないけどね。
「華黒の回答を写すわけにはいかないの?」
「抱いてくださるなら構いませんが?」
 つまり無理ってことね。
 嘆息する。
 英語の宿題を片付けている内に、
「prr! prr!」
 と華黒の携帯電話が鳴った。
 通話ボタンを押して華黒は通信に応じる。
「もしもし。はぁ。それはまぁ……構いはしませんが。場所は市立図書館です。ええ、ええ。では後程」
 そしてピッと電話を切る華黒。
「誰からだったの?」
「黛からでした」
「何の用?」
「課題でわからないところがあるからご教授願えれば……と」
「華黒は天才だからなぁ」
「どれだけ勉強が出来たところで実質的に意味が無いというのが私の持論なんですが……」
「…………」
 否定はしない。
「それで?」
「ルシールを連れて市立図書館に来るそうです。まぁ気楽に待っていましょう」
「気楽……ねぇ……?」
 宿題を消化しながら気楽になんて無理難題だと思うんだけど。
 完璧超人百墨華黒にしてみれば当然の境地なんだろうけど……平凡な僕にしてみればうんざりする状況に違いない。
 言っても詮無いけどさ。
 そんなわけで僕は机に噛り付いて課題を消化する。
 英語。
 国語。
 古典。
 数学。
 そして物理。
「で、電子が撃たれて……電圧がこうで……」
 カリカリと物理方程式をノートに書きだす。
 さっぱりわからん。
 少なくとも僕の手には負えない。
「つまりですね」
 華黒が、
「さもわかっています」
 とばかりに解説をすることで何とか理解を深める駄目な僕だった。
 僕は僕を見てくれるなら誰でもいいと華黒は危惧しているけど、こういうところで言うのなら僕の傍には華黒しかありえない。
 答えを写してくれるなら尚のこと良いんだけど……そこまで求めるのは酷だろう。
 二律背反。
 うんうんと唸っている僕に、
「兄さん」
 華黒が声をかけてきた。
「何?」
「場所を変えましょう」
「どこに?」
「市立図書館の喫茶店に、です。コーヒーの一つでも飲みながら続きをしませんか?」
 ちなみに市立図書館の内部に喫茶店がある。
 図書館内では飲食禁止だから喫茶店を利用する人は多い。
「ルシールと黛にも伝えておきましょう」
 カチカチと携帯を弄る華黒。
 メールでも打っているのだろう。
 それから僕と華黒は市立図書館内部にある喫茶店で優雅にコーヒーを飲みながら課題を片付け続けていた。
 ノートに方程式を書き写し、課題に答えを書き込む。
 わからないことは華黒に聞く。
 ある意味で青春だ。
 もっとも華黒にしてみれば八月には課題をすっぱり終わらせて僕とデートしまくりたいと云う願望が透けて見えるのはご愛嬌だけど。
 そんなわけで喫茶店で課題を消化していると、
「やほ、です。お姉さん。お姉様」
「………………真白お兄ちゃん……華黒お姉ちゃん……やっほ」
 黛が爽やかに、ルシールがおずおずと、それぞれ現れた。
 二人とも鞄を持っていた。
 そこに夏休みの課題が入っているのだろう。
「で? わからないところはどこです?」
 あっさりと華黒は追及した。
「古文のここなんですが……」
 鞄から課題を取り出して黛は華黒にわからない所を示してみせた。
「ああ、ここは簡単ですよ。こう訳して配列をこうすれば……」
 さらさらとペンをふるって講義する華黒。
「ほほう。なるほど」
 黛は納得するのだった。
「ありがとうございますお姉様」
「いえいえ」
 本心だろう。
 少なくとも華黒は。
 それから出来の悪い真白・黛ペアと出来の良い華黒・ルシールペアとが市立図書館の喫茶店にて課題を消化するのだった。
 まぁ一日で終わる量ではなかったものの。
「やれやれ」
 他に言い様はないだろう。

    *

「というわけで」
 というわけで?
「黛さんはお姉様と今日の献立について一緒に考えるのでお姉さんとルシールは食べたいお菓子でも見繕っていてください」
 時刻は午後五時。
 場所はスーパー。
 ちなみに図書館で課題の一部を消化した帰り道。
 今日は四人で……つまり僕と華黒とルシールと黛とで一緒に夕餉をとろうということになって家事担当の華黒・黛ペアと乞食担当の真白・ルシールペアはいったん別れることになった。
 というか黛はどうやら僕とルシールをくっ付けたがっているようだ。
「お姉様、今日は何にしましょうか?」
「そうですね。夏らしい涼しい料理を兄さんに堪能してもらいたいですね」
 色々と論議しながら華黒と黛はお魚コーナーへと消えていく。
 残されたのは僕とルシール。
 ルシールを見やる。
 目が合う。
 ポッと赤くなるルシール。
 抱きしめたくなったけど、そんなことをしたらルシールが華黒に殺される。
 ので……自重。
 僕は買い物籠を持つと、
「じゃ、いこっか」
 なるたけ自然にルシールの手を取った。
「………………あう」
 ルシールは急に僕と二人きりになった状況についていけていないらしく、俯いたまま僕に手を引かれて歩く。
「何か食べたいお菓子ある?」
「………………あう」
「夕食後のデザートになるのがいいよね」
「………………あう」
「ケーキとかどうかな? スーパーのなら安いし」
「………………あう」
「…………」
「………………あう」
 どうにかならんのか、この子は。
「もしもーし。ルシール?」
「………………ふえ……なに……お兄ちゃん?」
「食べたいお菓子について聞いてるんだけど?」
「………………あう……ヨーグルト」
「好きなの?」
「………………最近の……マイブーム」
 さいでっか。
 というわけで乳製品のコーナーへ。
 ヨーグルト……と一口には言うものの商品は多彩なわけで、
「どれがいい?」
「………………お兄ちゃんが……好きなもので……いいよ?」
「良し悪しを決めるのは僕よりルシールの方が適任だ」
 そういうわけなのだった。
 おずおずとルシールが一つのヨーグルトを選択する。
 そして華黒・黛ペアと合流。
 清算……後の帰宅。
「で、今日の晩御飯は何になったの?」
 一応断言するが僕は男だ。
 ので、荷物持ちを率先して引き受けた。
 無論そんなことを華黒が見逃すはずもなく多少言い合いになったのだけど。
 妥協案として僕と華黒が荷物を半々で持つことで問題は沈静化する。
「今日は冷やし中華です」
 これは黛。
「うん。涼しげでいいね」
「後はスズキのあらいです」
「わ。大好物」
「そう思って選択しました」
 華黒がニコリと笑う。
 うーん。
 手の平の上で転がされているなぁ。
 そんな感想を持つ。
 今に始まったことじゃないけど。
 とまれ楽しみだ。
 このワクワク感は止められない。
「食後のヨーグルトも楽しみですね」
 華黒が言う。
「………………あう」
 罪悪感を持つルシールだった。
 勝手に決めたことを恥じているのだろう。
 それくらいは僕にもわかったし華黒にもわかっているだろう。
 華黒は荷物を持っていない方の手でルシールの金髪を撫ぜる。
「ルシールは謙虚すぎます。ここは素直に喜んでいい場面ですよ?」
「………………あう」
 まぁ意識改革は後日の事としよう。
 そもそも意識の問題で華黒がどの口をって話ではあるんだけど。
「………………よかった……の?」
 ルシーるルシールに、
「当然です」
 と九十八点の笑顔を見せる華黒。
 ちなみに、
「ヨーグルトだけだと寂しすぎるので」
 とバナナを買い込んだのが華黒である。
 まぁヨーグルトにフルーツは鉄板だ。
 食後のデザートとして及第点だろう。
 そんなこんなで僕たちはアパートに着く。
 どちらの部屋で夕食を準備するか。
 華黒と黛が話し合い、
「今日は僕と華黒の部屋で」
 ということになった。
 そんなわけで僕は僕と華黒の部屋の扉の前に立つ。
 鍵を開けようとして、郵便が来ているのが発覚した。
 手紙の入ったファンシーな封筒だ。
 送り主は薫子さん。
 住所……ばれてるのかぁ。

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