超妹理論

『七夕祭り』前編


 ズズとコーヒーを飲む。
 場所はお隣……つまりルシールと黛の部屋。
 そのダイニング。
 黛によってコーヒーでもてなされてダイニングに一人。
 このアパートは2DKだ。
 そのルシールの私室から、
「ほら、動かないでください」
「………………あう」
「いいですよぉ。いいですよぉ。色っぺえですよぉ」
 かしまし娘の声が聞こえてきた。
 心頭滅却。
 六根清浄。
「…………」
 無言でコーヒーを一口。
 僕はかしまし娘から締め出された格好だ。
 もっともそうじゃなくても自分から出ていくんだけど。
 そんなわけでキャッキャウフフしているかしまし娘の声を扉越しに聞くにとどめる。
「ふむ……成長しましたねルシール」
「………………あう」
「けしからんです」
 何やってんだか。
 コーヒーを一口。
 で、かしまし娘が何をやっているかと言えば……誤解を承知で一言に訳すのならば着替えに他ならない。
 今日は七月の第一日曜日。
 電車でちょっとの雪柳学園。
 その学園大学の学園祭が行われる日である。
 いわゆる一つの七夕祭り。
 そう呼ばれている。
 時刻は午後の三時。
 既に祭りは始まっているんだけど……ぶっちゃければ最初から最後まで祭りを満喫するほどの元気はない。
 要するに六時から行なわれるファッションショーにかしまし娘を送り出し、出店で夕食をとり、祭り最後の打ち上げ花火を見ればミッションコンプリート。
「…………」
 コーヒーを一口。
「むう。たわわな」
「………………あう」
「黛さんにも少しは分けてほしいですなぁ」
 そんな声が聞こえてきた。
 何やってんだか。
「…………」
 コーヒーを一口。
 で、かしまし娘が何をやっているかと言えば先にも言ったように着替えである。
 七夕祭りも祭りは祭り。
 つまり祭り用に浴衣に着替えているのだ。
 晴れ姿。
 あるいはハレ姿。
 日常とちょっと違う衣装を纏う。
 儀式の一種ととれるかもね。
「ほら、動かないでください」
「………………あう」
「今ならルシールを好き放題できますねぇ」
 さっきから黛は何を言っているのだろう。
 とても着替えを手伝っている声には聞こえないのだけど。
 コーヒーを一口。
 しばし時間が流れ、
「もういいですよ兄さん」
 そんな声が聞こえてきてかしまし娘はルシールの私室から出てきた。
 僕は振り返る。
「……っ」
 言葉を呑むとはこのことだろう。
 華黒とルシールの晴れ姿はどこまでも可憐だったからだ。
 華黒は松模様の浴衣を着ていた。
 長く艶やかな黒髪はシュシュで纏められている。
 去年のクリスマスに僕が贈ったシュシュだ。
 抜き衣紋からうなじが覗く。
 我が妹ながらとても色っぽい。
 ルシールはアジサイ模様の浴衣。
 常套句でしかないけどとても愛らしい。
 瑠璃色の玉のついた簪をしていた。
 この簪も僕が贈ったもの。
「どうでしょう?」
 華黒が挑発めいたように問うてくる。
「二人とも可愛いよ」
「………………あう」
 照れ照れとルシール。
「ところで……」
 僕はかしまし娘最後の一人に視線をやる。
 黛だ。
 着ているのはシャツとジーパン。
 とてもラフな格好だった。
 もとの気質と相まって綺麗な男の子とも見て取れる。
 慎ましやかながらも確かに有る胸がそれを裏切っているけど。
「黛は浴衣を着なくてよかったの?」
「ルシールが浴衣姿になるだけで黛さんはお腹いっぱいです」
 ああ……そう……。
 コーヒーを一口。
「お姉さんこそ浴衣が似合いそうですが……」
 喧嘩を売られているのかな?
 ムッとする僕に、
「降参です」
 黛はハンズアップ。
 ちなみに僕の衣服も黛と同じくシャツとジーパンだ。
 ついでにグラサン。
 男に見てもらうための必要な処置だ。
 かしまし娘には、
「似合ってない」
 とぼろくそに言われたけど。
 ともあれ準備は終えたのだ。
 さぁ行こう……七夕祭りに。

    *

 ガタンゴトンと電車に揺られること数十分。
 雪柳学園大学のキャンパスに近い駅で降りる。
「兄さん」
「なに?」
「手を繋いでも?」
「そりゃ構わないけどさ」
 華黒と手を繋ぐ。
 このくらいならお茶の子さいさいだ。
「ほらほら」
 黛がルシールの背中を押す。
「ルシールもお姉さんと手を繋ぐチャンスだよ」
「………………ふえ……でも」
 ルシーるルシール。
「僕は構わないけど?」
「私も構いませんよ?」
 僕と華黒はホケッと言う。
 今更遠慮する間柄でもない。
 ましてルシールは従妹だ。
 気がおけないと言っていい人間である。
「ほら」
 僕の右手は華黒が握っているから、僕は空いている左手を差し出す。
「………………あ……う」
 おずおずとルシール。
 右手を握っては開き開いては握る。
 それから意を決したのか、
「………………ありがと……お兄ちゃん」
 そう言って僕の左手をとるルシールだった。
 うわ。
 何これ。
 何この可愛い生き物。
 真っ赤になってルシーるルシールはとてつもなく可愛かった。
 うーん。
 九十点。
 とまれ、
「黛はいいんですか?」
 華黒が問うた。
「は? 黛さんが? 何で?」
 意味がわからないと黛。
 だろうけどさ。
「ふぅん」
 と華黒。
「お姉さんの腕が三本あれば手を繋ぐのも吝かじゃありませんが……」
 無茶言うな。
 インド神話の神かなんかか僕は。
「それに四人で手を繋いで横に広がったら迷惑ですし」
 確かに……。
「そんなわけで黛さんは後ろをついていかせてもらいますよ」
 黛は飄々と。
 シャツとジーパン姿で腕を後頭部にまわしてテクテクと歩く。
 僕は浴衣姿にして晴れ姿の不世出の美少女コンビ……華黒とルシールを両手に捕まえて歩いているのだ。
 嫉妬の視線が刺さる刺さる。
 そういえば去年はナンパされたっけ。
 僕と華黒とルシールを誘うような形で。
「…………」
 無言になった僕を不審に思ったのだろう、
「どうかしましたか兄さん?」
 華黒が僕の瞳を覗きこむ。
「別に」
「兄さんがそう言う時は何かしら憂いを抱えていますから」
「…………」
 見透かされてるなぁ。
 それとも僕が単純なのだろうか?
 問いただしたいけど聞きたくもない。
 そんなわけで、
「何でもない」
 と僕は言う。
 サングラス越しに華黒を見ながら。
「ただ」
「ただ?」
「そういえば去年は女の子と間違われてナンパされたなぁ……なんて」
「そんなこともありましたね」
 しみじみと華黒。
「………………ふえ……真白お兄ちゃんは……可愛いから」
 フォローになってないよルシール。
「お姉さん、ナンパされたんですか?」
「不本意ながらね」
「……ふむ」
 黛は考えるように空を仰いだ。
「まぁお姉さんは美人さんですしね」
 考えた末の結論がそれか。
 泣きたくなるね。
「それで今回はグラサンを?」
「まぁ」
「ナンパ対策ですか?」
「そうとも言う」
 少なくとも僕を男ととってはくれるだろう。
 そして僕を男ととってくれるなら、
「真白が華黒とルシールを独占している」
 という状況は作れるはずだ。
 即ち、ちょっかいをかけようという十把一絡げもいなくなるはず。
 ………………多分。
 そう思っての男装である。
 男装も何も男ではあるんだけど。
 それでも僕の特性上、
「可憐な女の子に見える」
 ことは変わらない。
 そんなわけでグラサンをかけてシャツとジーパン。
 なるたけ男らしく見えるように……というわけである。

    *

「どうぞ」
 と法被を来た大学生に短冊を渡される。
「ああ」
 そういえば、
「七夕祭りだったね」
 今更思い出す僕。
 七夕に願いを。
 星に願いを。
 一年に一度しか会えないバカップルに願いを。
 織姫と彦星に願いを。
 ベガとアルタイルに願いを。
 そういう趣向だったことを再認識する。
 日はまだ暮れていない。
 僕たちは七夕祭りの本質を体験する。
 即ち短冊に願い事を書いて笹に吊るす。
 そんな行事だ。
 僕が書いたのは、
「世界平和」
 だった。
 無理だってことは百も承知だけど、こんな時くらいロマンに浸るのも責められることではないだろう……と思う。
「兄さんはまたつまらないことを……」
 うんざりと言った様子で華黒。
「そういう華黒はどうなのさ?」
「これです」
 遠慮もへったくれもなく華黒は短冊を示す。
 そこには、
「兄さんと肉体関係が出来ますように」
 と書かれていた。
「…………」
 何をかいわんや。
 脱力する僕。
「お姉様は大胆ですね」
 くつくつと黛が笑う。
 いや、笑うところじゃないだろう。
 そんな僕の抗議も無視して、
「ルシールは何を願ったのかな?」
 黛はルシールに話を振る。
「………………あう」
 ルシールは短冊を見せる。
「真白お兄ちゃんともっと仲良くなれますように」
 そう書いてあった。
 ……ああ。
 ルシールはルシールだなぁ。
 そんなことを思った。
 罪悪感は無いでは無いけど、
「ルシールらしいね」
 ほっこりとしたルシールへの感情で僕は満たされた。
 これでこそルシールだ。
 他の誰にも真似できない。
 純粋というか純情というか。
「それで?」
 僕は黛に視線をやる。
「黛はどんな願い事を?」
 問う僕に、
「はい」
 と黛は示してみせた。
 その短冊には、
「お姉さんとルシールが仲良くなりますように」
 と書かれていた。
「本気?」
「冗談でも構いませんが……」
 飄々と黛。
「…………」
 沈黙してしまう。
 チラと華黒を見れば、
「……っ!」
 黛を睨んでいた。
 気持ちはわかる。
 黛は何かと僕とルシールをくっつけたがる。
 それをベガとアルタイルに願うのだ。
 華黒の警戒も至極当然。
 そして各々願いをかけた短冊を笹に吊るすのだった。
「で」
 僕が言う。
「これからどうする?」
「酒奉寺昴との待合の時間には足りませんし出店で夕食といきませんか?」
「妥当だね」
 そして僕と華黒とルシールと黛は出店をまわるのだった。
 たこ焼き。
 焼きトウモロコシ。
 かき氷。
 焼き鳥。
 今川焼き。
 ジュース。
 それぞれがそれぞれに腹をくちくするのだった。
 さてさて、
「そろそろ時間だね」
 僕には関係ない案件だけど。
 とまれ僕とかしまし娘は大学のキャンパス……その文化部の部室棟に向かうのだった。
「しかして……」
 これは黛。
「結局のところ黛さんにしてもルシールにしてもお姉様にしても採寸なんかとっていませんよね? それで大丈夫なんでしょうか?」
「まぁ昴先輩は規格外だしね」
 それで纏めるのもどうかと思うけど、
「他に言い様がない」
 というのが本音だ。
 いや、まぁいいんだけどさ。

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