超妹理論

『あくる日』前編


「兄さん。兄さん」
 ん。
 むに。
「まだ寝るぅ……」
 僕はあやふやな意識の中でまどろみに任せて掛布団をかぶった。
「兄さん。兄さん。そろそろ起きてくださらないと朝食が冷めてしまいます」
 さいですかー。
「くぅ……寝たい……」
 呻いて意識を底へ底へ。
「了解しました」
 何を?
「実力行使に出ます」
 実力行使?
 なんじゃらほい?
 特に意識できずにぼやけたクオリアで声の主の言葉を反芻する僕は、
「……っ!」
 凄まじい力で無理矢理ベッドから引きずり出され、その主犯とディープキスをするに至った。
 相手のベロが僕の口内を凌辱する。
 唾液が混じる。
 息が交換される。
 愛情がやわくちゃになる。
 それだけでは終わらなかった。
 フレンチキスをしながら主犯は僕の手を取って自身の乳房に押し付けてきた。
 ムニュウとした感触。
「……っ!」
 電撃的に覚醒する僕。
「くぁwせdrftgyふじこlp!」
 言葉にならない悲鳴を上げる。
 声の主……主犯……僕の妹……百墨華黒がうっとりとして僕を見た。
「起きられましたか。兄さん」
 その頬は赤く染まり、息は少しだけどハァハァと小気味よく鳴っている。
 興奮しているらしい。
 すっかり目を覚ました僕は抗議した。
「何するのさ!」
「何って……」
 わからないと華黒。
「前戯ですけど?」
「おかしいよね!」
「そうでしょうか?」
「起こすなら素直に起してよ! なんでいきなりエロ方面に走るの!」
「兄さんが寝たい寝たいというから、きっと私と寝たいんだなぁと思いまして」
「どういう方程式でその解に至ったの?」
「兄さんは私に惚れているのでしょう?」
「条件付きだけどね」
「なら寝たいのは私以外に有り得ないでしょう?」
 皮肉も通じないらしい。
 ある意味で華黒。
 らしいと言えばらしいけど、
「エロ方面は禁止っていつも言ってるじゃないか!」
 そーゆーことなのだった。
「ただの前菜ですよ?」
「そ・れ・で・も」
「ふむ」
 考え込むように華黒。
 長く艶やかな黒髪が揺れる。
 それは朝日を反射させてシルクのように輝いた。
「では次からはもうちょっと刺激的なのを」
「人の話聞いてた?」
「兄さんが素直に起きれば万事解決なのですが」
「むぅ」
 こういう論じ方で僕が華黒に勝ったことは少ない。
「まぁある種のショック療法ということで」
「心停止したら華黒のせいだからね?」
「いいんじゃないですか? もしも兄さんが死ぬのならやはり私の手で……と思わざるを得ませんもの……」
 物騒なことで。
「………………ふえ」
「いやぁ……ラブラブすぎて黛さんもルシールも異界に迷い込んだようで」
 声のした方を見るとルシールと黛が僕の私室を覗いていた。
 当然さっきのやりとりもしっかり見たのだろう。
 どうしたものかな?
 悩む僕に、
「まぁ兄さんと私の間ではこの程度は茶飯事ですから」
 んなわけあるか!
 ツッコミたかったけど、その気力も今の僕には無い。
「………………真白お兄ちゃん……華黒お姉ちゃんと……ラブラブ」
「違うから」
「違いませんよ」
「黛さんとしては何だかなぁって感じですけど」
 うつむくルシールにケラケラと笑う黛。
 ちなみに華黒はムッとしていた。
「それで?」
「とは?」
「今日の朝食は?」
 既に意識は覚醒している。
 あらゆる状況を無視して僕は話を進めた。
「白御飯と納豆、雌株に味噌汁です」
「ん」
 頷く僕。
「美味しそうだね」
「兄さんを思えばこそです」
 そういうのはいいから。
 言葉にはしないけどね。
 ともあれ華黒にディープキスをされて胸を揉まされて覚醒した僕は、
「うーん……!」
 と背伸びをして意識を明瞭にする。
 納豆御飯と雌株と味噌汁。
「うん」
 首肯する。
 食欲をそそるメニューだ。

    *

「しっかし……」
 これは黛。
「お姉さんとお姉様の絆には感慨深いものがありますね」
 そんな黛の皮肉に、
「…………」
 沈黙する他ない僕だった。
 一分一厘反論の余地がない。
 華黒は僕の右腕に抱きついているのだ。
「うへへぇ」
 気味の悪い笑顔とともに華黒は至福の時を過ごす。
 僕の腕に抱きついて登校する……つまり僕とラブラブを出来るのを心底から喜んでいる節がある。
 まぁマシロニズムの華黒にならそれだけで幸せなんだろうけどさ。
 ちなみにルシールが僕の左腕に抱きついている。
 ちょっと罪悪感。
 だけどもルシールも僕が唾をつけているという認識が瀬野二での常識だ。
 百墨華黒。
 百墨ルシール。
 不世出の美少女たちが僕に惚れているという事実。
 その事実は嫉妬を呼んだ。
 ジェラシー。
 ジェラシ〜。
 衆人環視の僕を見る目には嫉妬と嫌悪と憎悪に満ち満ちていた。
 気にするほどでもないけどさ。
 飄々と僕は事実を事実と受け入れた。
 もとより愛情を一身に受ける身だ。
 これくらいは乗り越えてみせないと百墨真白ではない。
 何より悪意に鈍感だしね。
 真白と云う人間は。
「華黒先輩ばかりかルシールさんまで……!」
「華黒ちゃんばかりかルシールちゃんまで……!」
「百墨二大をあんな奴が……!」
 そんな声が聞こえてくるけど無視の方向で。
 ちなみに黛は腕を後頭部にまわして僕の三歩後ろを歩いている。
 黛も美少女だ。
 すなわち僕と一緒にいれば公平さが無くなると思うのだけどどうだろう?
 僕がそう問うと、
「野暮ですねお姉さん」
 くつくつと皮肉げに黛は笑う。
「ルシールの幸せが黛さんの幸せです。黛さんに関しては空気とでも思って何も感じ入ることの無いようお願いします」
 それでいいのかい?
 僕は疑問に思ったけど、
「ま、黛さんとしても中々楽しめる状況ですしね」
 黛はやはり皮肉げに笑うのだった。
 そんなこんなで僕とかしまし娘は瀬野二の正門を潜る。
 昇降口で百墨兄妹と後輩コンビは分かれる。
「これで邪魔者はいなくなりました」
 華黒は僕の腕に抱きついてそう言う。
「あんまり懐かないでよ」
 うんざりと。
「衆人環視の目が痛い」
「まさか」
 華黒は、
「ありえない」
 と言う。
「何がありえないの?」
「兄さんは自身に向けられる悪意に鈍感じゃないですか」
「…………」
 まぁそうなんだけど。
 何かしら反論しようとして、
「…………」
 結局何も言えない僕だった。
 そして僕と華黒は自身の教室に入る。
 華黒は猫をかぶってクラスメイトの女子の輪に加わるのだった。
 そういうところは尊敬する。
「よう真白」
 僕に声をかけてくる男子生徒が一人。
 ツンツンと尖った茶髪の癖っ毛を持つ人間だ。
 酒奉寺統夜。
 そういう名前の僕の親友だ。
 相手がどう思っているかは知らないけどね。
「おはよう統夜」
 僕は挨拶を返す。
「相も変わらず恵まれているね……お前は」
「憎しみや妬みを引き受けてくれるなら統夜に譲ってもいいけど?」
「無理だな」
 だろーねー。
 簡潔に納得する統夜だった。
「百墨隠密親衛隊がちょっと面倒なことになってるぞ」
 秘匿するように声を抑えて統夜が言った。
「具体的には?」
「華黒派閥とルシール派閥がお前を敵視している。真白派閥はそれはそれで現状を不快に思ってどうにかしようとしている」
 思うんだけどさ……。
「そういう情報をどこで手に入れてるの?」
「まぁ第三の目によるものだ」
 意味がわからなかったけど追及してもはぐらかされるだけだろう。
「そ」
 僕は一言で納得する。
「焦らないんだな……お前……」
「そんな必要もないしね」
「華黒ちゃんとルシールちゃんを寝取っておいて云う言葉か」
「別に僕の勝手でしょう?」
「そりゃそうだがな」
 ふんす、と鼻息荒く統夜が納得する。
「華黒ちゃん一筋なんだろう? ルシールちゃんはどんな立ち位置なんだ?」
「三時のおやつ」
 キッパリと僕は言った。

    *

「っ!」
 僕はボールを蹴る。
 それはゴールに吸い込まれるように軌道を描いた。
 キーパーの反射神経を超えて飛躍する。
 これで二対零。
 僕のチームが勝っていた。
「ナイスシュート」
「ナイスアシスト」
 僕と統夜はハイタッチをした。
 統夜がドリブルでディフェンダーをかいくぐり……僕にパスを与えて、僕がそのボールを蹴ってゴールに放り込んだのだ。
 サッカー。
 そう呼ばれるゲームである。
 ちなみに授業は四限目。
 科目は体育。
 僕と統夜はストライカーの立ち位置だった。
「統夜は器用だね」
 僕がそう言うと、
「昔とった杵柄だな」
 苦笑される。
「どういう意味さ」
「秘密だ」
 飄々と統夜。
「もしかして昴先輩も統夜よりサッカーが上手かったり?」
「よくわかったな」
「…………」
 いや。
 なんとなくなんだけどね。
「先輩も大変だなぁ」
「大学の方では体育の講義は教師過程の単位以外じゃ必要ってわけでもないからとってないみたいだぜ?」
「そなの?」
「そなの」
 へぇ。
 まぁ酒奉寺の次期当主が教員免許をとっても、
「だから何?」
 ってことにしかならないだろうけど。
 逃げるという選択肢は先輩には無いんだろうか?
 かつてソレを推奨したことのある僕だ。
 先輩なら一人でだってそれなりにやっていけるだろう。
 わざわざ僕を婿にもらって酒奉寺を継ぐ必要もない。
 もっとも……酒奉寺に居るときほど好き勝手は出来ないだろうけど。
 ちらと統夜を見る。
「なんだ?」
 統夜は僕の視線に気づいたのだろう。
「言いたいことがあるなら言え」
 と目で語っていた。
「例えばだけど」
「それを言え」
「統夜が酒奉寺を継ぐってのは有り得ない?」
「はぁ?」
 意味がわからない、と。
「何言ってんだコイツは?」
 と統夜。
「だから例えばって言ってるじゃん」
「有り得んな」
「有り得んか」
「有り得ん」
 なして?
 僕が問うと、
「まぁ色々あってな」
 ぼやくように統夜は言う。
「完璧超人の姉貴が酒奉寺を継ぐことは決まっている」
「統夜も捨てたものじゃないと思うけど」
「男ってだけじゃあな」
 統夜は苦笑する。
「これが契約前なら俺でもよかったかもしれんが……」
「契約?」
「まぁなんだ」
 ポリポリと頬を掻く統夜。
「色々あって姉貴が完璧超人になったんだから後継者は姉貴だろうってことさ」
「でもそうすると先輩は好きでもない男と結婚させられる羽目になる」
「お前がいるじゃないか」
「仮にそうだとするならバッドエンドしか見えないよ」
 それだけは確信を持って言える。
「華黒ちゃん……か……」
「然り」
 僕が昴先輩の伴侶となった瞬間、僕を溺愛している華黒が酒奉寺の家に害意を持つのは火を見るより明らかだ。
 殺傷事件に発展する可能性さえある。
「しかして姉貴はお前に本気だぞ」
「それなんだよねぇ……」
 難しい問題だ。
「ルシールちゃんが愛人的な立ち位置なら姉貴にもソレは通用しないか?」
「ふむ……」
 多少思案して、
「無理かな」
 そう結論付ける。
「華黒はルシールに対しては甘いけど先輩に対しては厳しいから」
「なんだかなぁ」
 しぶしぶと統夜。
 虚脱と呆れに満ちた言葉だった。
 それについてアレコレと会話をしているとクラスメイトの放ったサッカーボールが統夜目掛けて飛んでくる。
 それを受けてストライカーの統夜は敵のゴールにシュートを放つ。
 ゴールネットを揺らして得点が入った。
 これで三対零。
 もうこっちのチームの勝ちは決まったようなものだった。
 まぁ体育の授業でのことなんだけどさ。

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