超妹理論

『雨に唄えば』後編


 そんなわけで放課後はルシールの部屋のダイニングでお茶の時間と相成った。
 出されたお茶はミルクティー。
 ぶきっちょのルシールがそんな繊細な作業をできるはずもなく……当然ではあるけど市販品である。
 午後ティーのロイヤルミルクティー味だ。
 それをティーカップに注いでレンジで一分半温めた代物。
 うん。
 甘ったるい。
「………………ごめんなさい」
 いきなりなルシールの謝罪に、
「何が?」
 僕は本気で意図を計りかねていた。
「………………私……うまくお茶とかコーヒーとか……淹れられなくて……出来合いのものしか出せないの」
「負い目を感じるほどのことかなぁ?」
 チラリと華黒に視線をやる。
「何とかして」
 そんな思いとともに。
 華黒は甘ったるいミルクティーを一口飲んだ後、
「ふ」
 と吐息をついてティーカップをダイニングテーブルに置く。
「まぁ精進することですね」
 誰が追い詰めろと言った?
「………………あう」
 案の定気負うルシール。
「大丈夫。僕だってそんなに美味く淹れられないから。華黒や黛が異常なだけだよ。いやぁ……ルシールとお仲間で嬉しいなぁ。あ、おかわり」
 空々しくフォローする僕。
「………………あう」
 ルシールはとてとてとダイニングとキッチンを往復して温めたロイヤルミルクティーのお代わりを僕に差し出すのだった。
 それから他愛ない話をする。
 今一番ホットな話題と言えば……当然この場にいない黛についてだ。
「………………黛ちゃんは……告白受けるかな?」
「どうだろうね」
 茶を一口。
「多分ないと思います」
「何で華黒がそう言えるのさ」
「いやあくまでなんとなくではあるのですが……」
 と前置きをする華黒。
「黛からは同類の匂いがします」
 さすがに僕は目を見開く。
「冗談でしょ?」
「だから、なんとなく……と言いました」
 そりゃまぁそうだけど……。
「同一とは言っていません。おそらく私や兄さんのように派手に壊れている人間なんてそうそういるものではありませんし……」
「あくまで近似だと?」
「多分……ですけどね」
 茶を一口。
 そんなこんなで話題は黛の相手に対する肯定否定から黛に惚れた人間の様相の予測まで広がった。
 そんなこんなで三十分後。
「ただいま」
 と黛の声が玄関の開けられる音とともに聞こえてきた。
「………………おかえり黛ちゃん……って……どうしたの?」
 迎えに出たルシールが困惑する。
 ヒョイとダイニングテーブルに着席したままキッチン兼玄関を覗いて黛を見ると……びしょ濡れだった。
「………………黛ちゃん……傘は?」
「ああ、他者に貸したよ。傘を忘れて昇降口で右往左往している美少女がいたもので。どうも黛さんはその手の人間に弱いらしく……」
 あははと笑う。
「………………だからって……ずぶ濡れになってまで帰ってこなくたって」
「たまには雨に濡れるのもいいものだよ。ジーン=ケリーの気分になれたし」
「………………とりあえずシャワー浴びて。……タオルと着替えはこっちで用意するから」
「あいあい」
 そう言ってキッチンから直接繋がる浴場へと服を脱いで入る黛だった。
 サービスシーンだけどカットで。
 華黒が恐いからね。
 シャワーを浴びている黛の入っている浴場から名曲「雨に唄えば」の口ずさみが聞こえてきた。
 陽気な声だ。
 陽気な歌だ。
 少なくとも名作だ。
 それから寝間着姿かつタオルで髪を拭きながら黛がダイニングに現れた。
「雨に唄えば……好きなの?」
「名曲とは思いませんか?」
「レイプ願望でもあるのかな?」
「おや……お姉さん話せますね」
 ……通じるんだ。
 茶を一口。
 ガシガシとタオルで髪を拭きながら黛が言う。
「ま、困った美少女に何かを施せるなら黛さんとしてはそれに越したことはありませんし」
 否定はしないけどね。
「でも携帯でルシールに傘持ってきてもらうように頼めば済む話じゃないかな?」
「わかってませんね、お姉さん」
 何が?
「美少女に傘を押し付けて自分自身はずぶ濡れ覚悟で走り出すのがロマンなんじゃありませんか」
「…………」
 少女の発想じゃないね。
 言わないけどさ。
「………………黛ちゃんは……格好つけだから」
 さすがにルシールも呆れていた。
 黛はタオルを肩にかけると言った。
「温まるホットコーヒーでも淹れましょうか。お姉さん……お姉様……黛さんの淹れるコーヒーは飲まれますか?」
 飲みます飲みます。

    *

 次の日。
 梅雨ではあるけど今日は雨は降らないらしい。
 僕と華黒は腕を組んでラブラブ。
 その三歩後ろにルシールと黛が続く。
「それにしても……」
 これは黛。
「そこまでして敵を作ってどうしようというんですお姉さん?」
「平穏無事が一番だけど華黒の愛情には多少なりとも応えないとね」
「妬み嫉みに晒されても?」
「まぁ色々と都合があって問題ないんだよ」
「ふぅん?」
 黛は違和感を覚えたのか問うように表情を作った。
 自分が無い僕には当然のことだけどソレをここで言う必要はないだろう。
 華黒は腕を組んでいることだけに至福を覚えているらしく、
「うへへぇ」
 と相好を崩していた。
 気楽でいいね華黒は。
「………………あう」
 ルシールはそうとだけ。
 気づかないふり気づかないふり。
 華黒と腕を組んでルシールと黛を引き連れる姿は衆人環視にしてみれば嫉妬の材料だろうけど今更だ。
 正直鈍感かつもう慣れた。
 そんな運命だと思えば傷つくこともない。
 もとより傷つくはずもないのだけど。
 理解者がいなければ壊れることも想定せねばならないけど、生憎と僕には理解者という名の親友が存在する。
 恵まれているのだろう。
 少なくとも蔑にしていい存在ではない。
 感謝感謝。
 心の中で納得して僕……正確には僕たち……は校門を潜る。
 と、
「黛さん!」
 黛が校門にて突っ立っていた女子に呼び止められた。
 声の主を見れば美少女だった。
 華黒やルシールを百点とするなら声の主は七十五点……それくらいの評価を下せるほどの美少女である。
 チラと黛を見る。
 黛はキョトンとしていた。
「黛さんに何か用?」
 そう問う黛。
 黛自身が美少女に声をかけられたことに納得していないようだ。
 まぁさもあらん。
 見覚えのない美少女に声をかけられたら誰だって困惑する。
「覚えてらっしゃらないのですか?」
 美少女は言う。
「何を覚えて何を覚えてないかを確認せなばその質問には答えられないよ」
「昨日自身がずぶ濡れになることを承知で私に傘を譲渡してくださったじゃないですか」
「ああ、昨日の……」
 そこでようやく話がつながる。
 つまりずぶ濡れになって帰ってきた黛……その傘を渡した相手なのだろう。
「気にしなくていいですよ。ぶっちゃけ黛さんは気にしてません」
 黛の言葉も中々だ。
 見習わなければ。
「昨日はありがとうございました」
 ペコリと頭を下げる美少女。
「だから黛さんとしても好意でそうしただけだから」
 飄々と黛。
「お借りした傘をお返しします」
 美少女はビニール傘を黛に差し出した。
「ん。確かに受け取ったよ」
 黛が受け取る。
 それで終わると思ったけどそうはならなかった。
「あの……黛さん……」
「なに?」
「黛さんは格好いいですね」
「事実とはいえ照れるね」
 苦笑。
 やはり大物だ……この子……。
「黛さん……」
「何?」
「私と付き合ってください!」
 なに?
 ポカンとしたのは僕だけでなく華黒とルシールも同様だった。
 それほど唐突だったのだ。
 美少女が黛に惚れきったことだけはなんとなくわかったけど。
 対して黛は、
「無理」
 揺らぐこともなく即答した。
「ではお友達から……」
「それも無理」
 けんもほろろな黛だった。
「ではお手紙交換から……」
「それも無理」
 取りつく島もないらしい。
「私じゃ駄目ですか?」
「駄目」
 言うねぇ……。
「黛さんには既にルシールっていう親友がいるから」
「お友達からでいいんです……!」
「黛さんとしては人間関係をこれ以上広げたくないんですよ。関わる人数が増えれば増えるほど一人あたりの友情パワーは薄くなるってのが黛さんの持論です故」
 それは何か……僕と華黒も含まれるのかな?
 この場で聞く勇気はなかったけど。
「そんなわけで黛さんの友達は生涯ルシールだけです。十把一絡げを興味の対象とする暇はござんせん。まぁまた雨に困って足を踏みとどめる事態になったら傘を貸してあげますから……その点の心配はいりませんよ」
 容赦のない黛だった。
 清々しいとも言う。

    *

 時間が経って昼休み。
 相も変わらず僕たちは学食の四人掛けのテーブルを四人で支配していた。
 衆人環視の嫉妬の視線も今更だ。
 僕……つまり百墨真白にしてみれば針のむしろではあろうけど、痛覚を持たないのでしょうがない。
 カチャカチャと食器を鳴らして昼食をとる。
「それにしても」
 話題は一つ。
 朝の件だ。
「もうちょっと言い様があったんじゃない?」
 けんもほろろにされた美少女に同情しながら僕が言うと、
「黛さんは心の狭い人間ですけん」
 飄々と。
「それに期待を持たせる方が残酷な場合もありますし」
 肩をすくめる黛。
「そりゃそうだけどさ」
 ナイフで切ったハンバーグを口に放り込む。
「黛も愛情定量論者なんですね」
 これは華黒の言。
「愛情定量論者?」
 なんじゃそりゃと黛が首をかしげる。
「私の持論です」
 コーヒーを一口飲んで滔々と続ける。
「愛情は多人数に注ぐほどに一人あたりの量は減り、逆に少ない人間に注ぐほど一人あたりの量は増える……という理論です」
「ああ、なるほど」
 ……納得するんだ。
 まぁ僕も当理論を支持してるんだけど。
「黛さんの場合は愛情じゃなくて友情ですが……そうですね……ルシールだけで友情が手一杯というのはつまりそういうことなんでしょう」
「………………黛ちゃん……友達増やそうよ」
「ルシールがそれを言うの?」
「………………あう」
 緑茶を飲みながら気持ちだけ引き下がるルシール。
 まぁルシールは積極的に友達を作れる人間じゃないことは僕も華黒も重々承知している事実だ。
 黛もそうだろう。
「黛さんにとってルシールは親しい友と書いて親友であり心の友と書いて心友なんだよ。そしてそれ以外に友達はいらない」
「………………あう」
 これは照れたルシール。
 茶を一口。
 僕は黛の言葉に思念だけで問いかけながら最後のハンバーグの欠片を食べ終えて昼食を終える。
 食後のコーヒーを飲む。
「では」
 華黒が口をはさむ。
「私や兄さんは友達ではないと?」
 言葉にすれば責めているようだけど……事実としての華黒の表情および声質はむしろそっけない。
 元々華黒はマシロニズム宣言者だ。
 百墨真白以外に価値を置いていないし興味すら抱いてはいない。
 心の目を凝らしてしか確認できないけど最近は世界に対して調和……あるいは妥協する場面も目にしているけど根本的な部分ではやはり超真白主義者だ。
 すなわち黛がどう思っていようとどうでもいいのだろう。
 単なる興味本位だと声が語っていた。
「まぁ言い難くはあるんですが黛さんとしてはお姉様やお姉さんはある種の尊敬の対象ですね。友達の友達は皆友達の理論を借りるなら友達なのでしょうけど」
「華黒はともかく僕まで尊敬の対象?」
「ノーコメントで」
 おい。
 喧嘩を売られているのだろうか?
 買わないけどさ。
 昨日華黒は、
「黛から同類の匂いを感じる」
 と言っていた。
 そういう意味では百墨真白に執着する華黒とルシールを唯一の友と定める黛は近似しているととれなくもない。
 視界の狭い人間ばかりだ。
 僕に言われたくはないだろうけど。
 コーヒーを一口。
「………………なんでそこまで……私に執着するの?」
「友情に理由が必要かな」
「………………そんなことは……ないけど」
 おずおずとルシール。
「あえて言うならルシールがルシールだから……かな」
 黛は苦笑した。
「………………私が……私だから?」
「そ」
 首肯する。
「ルシールは可愛いから」
「………………ふえ……可愛く……ないよ?」
「そういうところも含めて、ね」
 ね、が半音高かった。
「ルシールと仲が良いのなら黛さんはそれで充分なんですよ」
「………………あう」
 ルシールは言葉を見つけられなかったらしい。
 僕に困ったような視線を向けてきた。
「いいんじゃない?」
 悪いが他人事だ。
 何ゆえそこまで黛がルシールにこだわるかは知らないけど……少なくともそこにルシールに対する悪意は無い。
 それだけは断じられる。
 だから僕は言った。
「ルシールも黛との友情を大切にするべきだと思うな」
「………………そうかな?」
 ルシールはクネリと首を傾げる。
「いいこと言いますお姉さん。宿題を写させてくれるルシールと親睦を深めるのが黛さんの第一義です故」
 台無しだった。

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