超妹理論

『雨に唄えば』前編


「兄さん……」
 なに?
「ズボンを下ろしていいですか?」
 駄目です。
「起きるよ。起きればいいんでしょ」
 僕はガシガシと頭を掻きながら腹筋運動の要領で上体を起こした。
 無理矢理目を覚ます。
 華黒の手は今まさに僕の寝巻の下を脱がそうとしている状態だった。
「起きた!」
「何驚いてんの? こっちの方が驚くんだけど……」
「兄さんのモノが……その……苦しそうだったので……」
「…………」
 無言で華黒の頭部にチョップを落とす。
 わりと全力で。
「あうっ」
 華黒は頭を押さえてうずくまった。
 弁解の余地もなく自業自得だ。
「華黒」
「何でしょう兄さん?」
「コーヒー」
「はいな」
 立ち直るとテケテケと寝室から出ていく華黒。
 ダイニングを通ってキッチンへ。
 お湯を沸かし、フィルターに粉砕したコーヒー豆をいれて、抽出。
 見てはいないけど華黒の行動としてはおおかた合っているだろう。
「くあ……」
 僕は欠伸する。
 それから寝間着姿のままダイニングに顔を出す。
「………………おはよ……真白お兄ちゃん」
「やほ、です。お姉さん」
 もはやいつもの朝の光景となっているルシールと黛がダイニングでくつろいでいた。
 華黒の淹れたのだろうコーヒーを飲んでいる。
 華黒が僕以外の人間に奉仕するようになったのは、華黒が世界に妥協できたか……あるいはルシールと黛の人徳か……それはわからない。
 今度聞くとしよう。
 ともあれ、
「おはよう」
 僕は軽く挨拶を返してダイニングテーブルに着く。
「はい兄さん。コーヒーです」
 僕専用のコーヒーカップにコーヒーを注いで手元に置いてくれる華黒。
 うん。
 一家に一台華黒を普及させたくなる手際の良さだ。
 気が向いたらメイド服でも勧めてみようかな。
 少なくとも僕の言葉にならうんと言うだろう。
 メイド服姿の華黒にご奉仕されるのも悪くはない。
 問題は、
「華黒のリミッターか……」
 誰にも聞こえないようにボソリと言う。
 コスプレをプレイとしてみて華黒の欲望が暴走するだろうことがネックと言えばこの上なくネックだ。
 ので、華黒メイド服計画は先送りにしようね。
 コーヒーを飲みながら携帯で今日の天気を確認する。
 人工衛星からの情報が載っていた。
 ここら一帯は夕方から雨が降るらしい。
 どうせ華黒は承知しているだろう。
 だから問題は無かった。
 後は華黒に任せればいい。
 それから華黒が朝食を運んでくる。
 トーストに目玉焼きに焼いたウィンナーにレタスサラダ。
 それらをもふもふ食べながら聞きたいことを聞いてみる。
「ルシール……黛……」
「………………なに?」
「何でしょうお姉さん?」
「いつも僕が起きると我が家のダイニングでくつろいでるけど、何でそんなゆとりある生活が出来るの?」
「………………あう」
 赤面するルシール。
「あはは」
 ケラケラ笑う黛。
「もちろんのこと黛さんもルシールもお姉さんと一緒に登校したいからですよ」
「ふぅん?」
 シャクリとトーストを食む。
「黛さんたちは無粋ですか?」
「まさか」
 シャクリとサラダを食む。
「言いたいことはわかったよ」
 まぁ……、
「光栄だ」
 そう言わざるをえない。
 それからテキパキと朝食を片付ける。
 華黒が食器を回収して水場につけた。
 僕はといえば私室に戻って学校制服に着替える。
 ワイシャツ、パンツ、ネクタイ。
 夏用の服だ。
 ワイシャツとパンツからは温かみが感じられた。
 華黒が毎度の如くアイロンをかけてくれているためだ。
 こういうところには華黒の真摯な愛が感じられる。
 普段がああだから印象としては薄くなるけど華黒は僕に対して優しさを惜しみなく注いでくれる貴重な存在だ。
 普段がああでなければもっといいんだけど……そればっかりは二律背反だ。
 愛あるところに優しさがあって、優しさあるところに愛がある。
 だから華黒は僕だけを愛する代償として僕以外に優しさを向けられない。
 猫を被るのは得意なんだけどね〜。
 内心で唾を吐きながら他人に優しく接するということにかけては華黒の右に出るものはそういない。
 自慢にもならないけど。
 ともあれ僕は登校の準備を終えると華黒たちとともに玄関に立った。
 ちなみに雨と知っていてなお僕は傘を持っていない。
「お姉さん……相変わらずですねぇ……」
「まぁね」
 ニコリと笑って僕はアパートの部屋に施錠した。

    *

「華黒とルシールは百墨真白に二股をかけられている」
 その情報はあまねく男子生徒の嫉妬の炎を業火へと変えた。
 いや、いいんだけどさ。
 それこそが狙いなのだから。
 時間は昼休み。
 予報は夕方から雨だったけど、あくまで予報だったらしい。
 昼を過ぎた頃からザーザーと雨が降り出した。
 まぁ放課後に雨が降りだそうと昼休みに雨が降りだそうと放課後まで外に出る機会のない人間にしてみればあまり変わらないところだ。
 ひさかたの雨は降りしけ思ふ子がやどに今夜は明かして行かむ。
 まぁ華黒とは同居してるのだから少し事情は違うんだけど……。
 とまれかくまれ昼休み。
 僕と華黒とルシールと黛はお馴染みの光景となっている四人席のテーブルに座って昼食をとっていた。
 今日は中庭も屋上も使えない。
 つまり必然的に学食を利用する生徒が若干増えるんだけど、その衆人環視の視線の刺さること刺さること。
 睨まれること睨まれること。
 妬まれること妬まれること。
 華黒は美少女だ。
 ブラックシルクのようにサラサラの長髪。
 黄色人種にしては白い肌。
 唇は桜の花弁のようで。
 顔立ちは彫刻家でもこうはいかないとばかりに整っている。
 絶世の美少女だ。
 ルシールは美少女だ。
 金髪碧眼。
 白人よろしく白い肌。
 顔立ちは錬金術で錬成されたかのように整っている。
 おどおどとした小動物的態度がプラス点。
 絶世の美少女だ。
 黛は美少女だ。
 黒いショートはシンプルにしてベスト。
 切れるような瞳は男性的。
 顔立ちは悪魔と契約でもして手に入れたかのように整っている。
 不敵な態度が口の端に現れている。
 ボーイッシュな美少女だ。
 そんな人気のある三人に……あくまでと主張するけど……平凡な僕がちやほやされているのだ。
 他者にしてみれば面白いわけもない。
「…………」
 まぁいいんだけどさ。
 ズビビとカモ蕎麦をすする。
 少なくともソレによって華黒たちが余計な事柄から解放されるのなら僕は喜んで悪役を引き受ける。
「華黒先輩……何であんな奴に……」
「百墨ルシールさん……おいたわしや……」
「黛も何であんな男に……!」
 聞こえてくるのは怨嗟の声。
 僕に対する悪意に満ちた。
「…………」
 ズビビとカモ蕎麦をすする。
 言い訳はしない。
 意味が無いからだ。
 意味が有ってもしないけどね。
「そうだ」
 とこれは黛。
「お姉さん」
「なに?」
「放課後はルシールをお願いします」
「どういう意味で?」
「無事ルシールをアパートまで送り届けてください」
「…………」
 カモ蕎麦をズビビ。
 咀嚼、嚥下。
「黛は一緒に帰らないの?」
「黛さんとしてもルシールと一緒に帰りたいのは山々なんですが……」
 苦笑される。
「ちょいと用事がありまして」
 そう言ってポケットから封筒を取り出すと、ヒラヒラと中の手紙を振ってみせた。
「………………黛ちゃん……それって」
「そ」
 明朗快活。
「ラブレター」
 黛は言い切った。
「さすがにルシールやお姉様やお姉さんには敵いませんが黛さんも美少女ですけん」
 待てや。
 何故そこで僕の名前が出る?
 そう言うと、
「自覚無いんですか?」
 あっさりさっぱりと返された。
「いやまぁ……」
 自覚はないでもないけどさ……。
「ならいいじゃないですか」
「……むぅ」
 納得いかないなぁ。
「ともあれ黛さんの放課後はピンク色ですけんお姉さんにはルシールの護衛を頼みます」
「言われなくとも」
 その覚悟は僕にはある。
「うん。お姉さんならそう言うと思ってました」
 クスリと黛が笑う。
 カモ蕎麦をズビビ。
 なんだか黛を前にすると僕の思想や覚悟が見透かされる気がしてしょうがない。
 つまり黛がそれだけ聡いってことなんだろうけど。
 そんなわけで窓から雨を見ながらカモ蕎麦をすする僕。
 激しく降る雨の音は音楽にも似て。
 大合唱と云った様子だ。
 梅雨来たる……と言ったところだろうか?
 カモ蕎麦をズビビ。

    *

 ウェストミンスターチャイムが鳴る。
 ホームルームが終了する。
 担任の教師が出ていく。
 さて、放課後だ。
 相も変わらず雨は大合唱を唄っていた。
「に・い・さ・ん?」
 軽やかかつ洗練された声が僕を呼ぶ。
「うん。まぁ」
 いつものことだ。
 華黒は今日は僕の腕に抱きつかなかった。
 両手が塞がっているからである。
 片方の手には学生鞄が……もう片方の手には必要以上に大きい傘が握られている。
「さて」
 僕が言う。
「ルシールを迎えに行こうか」
「ですね」
 華黒も頷く。
 というのも今日は黛が同伴しない。
 故に引っ込み思案のルシールが一人で上級生の教室を訪ねるのは大層な労力を必要とするというわけだ。
 そんな感じで昼休みに打ち合わせをし、今日は僕と華黒が放課後にルシールの教室を訪ねることになっていた。
 一年生のクラスは一階。
 二年生のクラスは二階。
 三年生のクラスは三階。
 杓子定規のように決められている。
 故に階段を下りて一年生の空間に顔を出す。
 ルシールのクラスに顔を出して、同じくホームルームを終えたのだろうルシールのクラスメイトに声をかける。
「ちょっとごめん」
 これは僕。
「百墨……真白……先輩……!」
 声をかけられた女生徒は僕を見知ってくれていた。
 業だ。
 気にしないのが精神安定に一番良い。
「百墨ルシールって子を呼んでくれない?」
「はい……! ちょっと待っててください……!」
 慌てたように女生徒は僕の言葉を受け入れてくれた。
 そこに悪意は感じなかった。
 とは言っても……その特質上として僕は自身に向けられる悪意には鈍感なんだけど。
 そうぼやくと華黒は、
「もしかしたら百墨隠密親衛隊真白派閥かもしれませんね」
 舌打ちとともにそんな推測を述べ立てる。
 あからさまにイライラしていた。
 僕に好意を持つ人間は華黒にとっては全て敵だ。
 特に色恋沙汰となれば害意すら発しかねない勢いである。
 ともあれ百墨親衛隊真白派閥……そういえばそんな団体もあったね。
 多くが新入生の女子によって構成されていると統夜に聞いたこともある。
 わずらわしいだけで憎んだり妬んだりされた方がはるかに気が楽なのだけど……こればっかりは本人次第だろう。
 そんなこんなでルシールと合流。
「………………真白お兄ちゃん……華黒お姉ちゃん……ありがと」
 いつも通りおずおずとルシール。
 片方の手に鞄を、もう片方の手にはビニールの傘を持っていた。
「………………お兄ちゃんは……やっぱり……傘持たないんだね」
 やはりおずおずとルシール。
 まぁね。
「ちなみに僕と華黒が恋人同士になった時に買った一品なんだよ。華黒の傘は」
「………………ふえ?」
 人一人を雨から遮るには大きすぎる傘を華黒は示してみせた。
「………………そうなんだ」
「そうなんです」
 大体一般的な傘の二倍はある。
「兄さんと相合傘をするために買ったものです」
「………………だよね」
 切なそうにルシールだった。
 表情に陰りが見えたけど気づかないふりをする僕。
 もう立派な悪党だ。
 口にはしないけど。
「さて、じゃあ帰ろうか」
「そうですね」
「………………うん」
 昇降口にて外履きに履き替える。
 それから華黒とルシールが傘を開く。
 ルシールの傘は一人分のスペースを……そして華黒の傘は二人分のスペースを……それぞれ確保するのだった。
 僕は華黒のさした傘に入る。
 相合傘だ。
「えへへぇ」
 華黒の相好が崩れる。
 よほど嬉しいらしい。
 もっとも僕も嬉しいんだけど。
 それは言わない方向で。
「兄さん」
 意味もなく僕を呼びながら華黒は自身の肩を僕の肩にぶつける。
 嫌味なほど密着して僕と華黒の相合傘。
「えへへぇ」
 三文安く出来てるね。
 この妹は。
「………………お兄ちゃんとお姉ちゃん……仲良し」
 恋人ですけん。
 傍から見れば嫌味だろう。
 気にする僕じゃないし気にする華黒でもないけど。
 そんなこんなで雨の降る中、傘をさして僕と華黒とルシールは自身の城へと帰っていくのだった。
 案外近場だ。
「………………お兄ちゃん……お姉ちゃん……うちでお茶飲まない?」
 帰宅すると同時にルシールがそんな提案をしてきた。
 ……よかばってん。

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