超妹理論

『偽恋真恋』後編


 結局……勝負として成立していなかった。
 そもそもにして今回の一件は川崎くんの片思いの暴走だ。
 ルシールが僕に惚れているのは事実だし……それ故にどうしようもないのが現実の壁として存在したのだ。
 悪いことをしたと思う。
 川崎くんと……それからルシールに。
 僕には大切な人がいる。
 故にいつかは決定的であることを示さねばならない。
 考えるだけで憂鬱だ。
 だから考えないことにした。
 ちなみにメールで華黒と黛の状況も知っている。
 二つの理由があって今日は一緒に夕食というわけにはいかないようだ。
 無論、理由の一つは華黒のご機嫌伺い。
 ルシールと玄関の扉の前で別れて、お腹を空かせて帰る僕。
「ただいま」
「…………」
 華黒はムスッとしていた。
 当然だろう。
 立場が逆なら僕もそうする。
「ただいま」
「……お帰りなさい兄さん」
 ようようと絞り出すように声を吐く華黒。
「デートは楽しかったですか?」
「そう意地悪言わないの」
 諭すように言う。
「ルシールは可愛いですもんね」
「華黒も可愛いよ」
「ふーんだ」
 ツンとされる。
 子どもか。
 いや子どもなんだけど。
 くつくつと笑う。
 皮肉気になったのは……勘弁してほしい。
「何がおかしいんです?」
「いや、華黒が可愛いなぁって」
「兄さんの好まぬ独占欲丸出しですが……」
「でも僕に対してだけだ」
「…………」
「一種の甘えだと思えば華黒に拗ねられるのも悪くはないね」
「むぅ」
 不満そうだった。
「何が?」
「兄さんは気楽でいいですねって話です」
「まぁ華黒と違って執着することがないからね」
 そればっかりはしょうがない。
 一朝一夕じゃ治らない僕の歪みだ。
「でもま」
 甘いとは思うけれど、
「かーぐろっ」
「何です兄さん」
「ん!」
 僕は華黒にキスをした。
 それもディープキス。
 僕の舌が華黒の口内を蹂躙する。
「ん……っ……っ……ぷはぁ」
 そしてキスを終えた。
「はや……」
 華黒は腰砕けに倒れようとする。
 僕がそれを支えてあげた。
 真っ赤になった華黒の顔を見て、
「うん。悪くない」
 微笑んであげる。
「ななな……何をいきなり!」
 華黒は動揺しているようだ。
 僕からのアプローチは珍しいからね。
「何って……愛情表現?」
 さっくりと言った。
「華黒が僕を好きでいてくれるのとは少し違うけど……それでも僕だって華黒のことが大切だ。それを示しただけだよ?」
「あう」
 言葉を失う華黒。
 確かに僕には自分が無い。
 でもそれは愛の不在証明ではない。
 あの鮮血の記憶の中……華黒は僕に助けられたと思っているのだろうけど……僕にしてみれば僕は華黒に助けられていたという側面もないではないのだ。
 一種の共依存。
 倒錯した感情と歪んだ人格。
 それでも僕は華黒が好きだ。
 だから華黒が拗ねればフォローしたくなるし機嫌が悪いなら直してあげたくもなる。
 当人には言わないけどね。
 ともあれ支えた華黒の体をシャンと立たせる。
「これくらいで参ってしまうのによく僕を誘惑しようとできるね」
 皮肉っぽい僕の言い方に、
「兄さんの前でだけ純情な乙女になってしまうんです」
 華黒の返答も中々だ。
 まぁどの口が言うんだって話だけど。
「じゃあ僕は着替えてくるよ。華黒、お茶よろしく」
「お茶は何にしましょう?」
「梅こぶ茶」
 そう言って僕は寝室へと行き、寝巻に着替える。
 華黒と同じクマさんパジャマだ。
 その意図を察してか……華黒は上機嫌になった。
 安い奴。
「今日はうどんでいいですか? 黛と一緒に自前で打ったんですけど……」
「うん。聞いてる。それでいいよ」
 茶を一口。
 華黒お手製のうどんだ。
 楽しみになるのは……しょうがない。

    *

 結果としてうどんは美味しかった。
 華黒も初めての挑戦だったらしく黛に色々とフォローしてもらったとのこと。
 万能な華黒ではあるけど、こと家事に関しては黛が一歩上をいくらしい。
 まぁコツは掴んだらしく、
「今度からは一人でも作ってみせます!」
 と意気込んだ華黒はさすがと言う他ない。
 ともあれ華黒は手打ちのうどんを湯がいて、水でしめ、コシのあるうどんを出してくれたのだ。
 再度言うがそのうどんは美味しかった。
 そして夕食が終わる。
 日は既に沈んでいて月と初夏の星座が世界を照らす。
 アステリズムに傾倒してしまうのは世界を地球の成層圏に定義してしまう人間の業とも言えるだろう。
 ズビビとうどんをすすって咀嚼、嚥下。
 何度かそれを繰り返し、
「御馳走様でした」
 と一拍。
 僕は夕食を終えた。
「お粗末さまでした」
 華黒が嬉しそうに言う。
 それから華黒は僕と自身の食器を水場に運んで洗い始める。
 僕はクマさんパジャマの上からジャケットを羽織って、
「ちょっと出てくるよ」
 キッチンで食器を洗っている華黒にそう言った。
「どちらに?」
 華黒の疑問に、
「近くのコンビニ」
 あっさり答える。
「何か食べたいアイスとかある?」
「それではモナカを」
「ん」
 了承して僕は外に出る。
「ふう……」
 と息を吐いて夜空を見上げる。
 夜空にはてんびん座やさそり座が輝いていた。
 晴れてよかった。
 心底そう思う。
 雲が邪魔しない夜空と云うのはそれだけで価値がある。
 ちなみにさそり座のさそりはオリオンの天敵だ。
 だから夏にさそり座が天空を照らし、オリオン座は逃げるように冬に姿を現す。
 ま、神話の範囲ではあるのだけど。
 さて、僕は近くのコンビニに向かって歩いた。
 十分ほどでコンビニに着く。
 そこには待ち合わせしていた人物が先にいた。
「やほ」
「やほ」
 僕とその人物は気楽に挨拶を交す。
 黒いショートカットの中性的な美少女……黛だ。
「どうもお姉さん……呼び立てて申し訳ないです」
「別に」
 気負わせないように僕は言う。
「でも黛が僕にだけ会いたいって言うのは珍しいね」
 これが僕と華黒……ルシールと黛が一緒に食事をしなかったもう一つの理由だ。
 黛との密会。
 華黒が知れば憤慨するだろうけど知ったこっちゃない。
「で? 話って?」
 コンビニの中に入りながら僕が問う。
 ジュースやアイスを選びながら黛と時間を伴にする。
「お姉さん……ルシールとのデートはどうでした?」
「楽しんだよ。川崎くんには申し訳ないけどね」
「ルシールと一緒にいて悦楽を感じたと?」
「まぁ言葉を選ばないなら」
「ふぅん?」
 どこか試すような黛の視線。
 僕は他にとれる態度もなく飄々とした。
「ルシールは可愛いしね」
 アイスを買い物籠に放り込みながら。
「お姉さんはお姉様の恋人ですよね」
「うん。愛してる」
「ですか」
 嘆息する黛。
「それが何?」
「例えばですけど……お姉さんは生涯を賭けるに足る想いはあると思いますか?」
「うん。まぁ」
 少なくとも僕にとっての華黒がそうだ。
 華黒とは別の意味で僕らは相思相愛だ。
 そのズレを修正するのが僕と華黒に課された課題なのだけど、それをここで言う必要はないだろう。
「想いは風化するものだと思いませんか?」
 黛はそう問うてくる。
 言いたいことはわからないじゃないけど言いたい意図は察せない。
「まぁ少なくとも僕が死んでも華黒は僕を想いつづけるだろうね」
 言いながらジュースを買い物籠に。
「不変の想い……ですか」
「照れるけどね」
 飄々と僕。
「本当にそう思います?」
「確信をもって言えるね」
「羨ましいです」
「そう?」
 しがらみだと僕は思うんだけど。
「黛さんたちもそんな絆が有ればよかったんですけど」
「ルシールと何かあったの?」
「違いますよ」
 黛は苦笑する。
「もうちょっと根の深い話です」
「ふぅん?」
 僕は意味ありげに疑問を呈するに留める。
 ……別にいいんだけどさ。

    *

「よう。派手にやったな」
 ニヤニヤと笑いながら、それが統夜の第一声だった。
 つんつんした癖っ毛を持つ僕の親友。
 あるいは心友。
 あるいは辛友。
 お顔の作りはいい方だが浮いた話を聞いたことがない。
 姉の方とは大違いである。
 日はルシールとデートした日曜日の次の日……月曜日。
 時は朝の八時ともう少し。
 登校して席に着いた僕に近寄ってきた統夜であった。
 華黒はさっそくクラスの女子と四方山話をしている。
 どうせ話題は『アレ』だろう。
 そして統夜がこれから言うことも『アレ』だろう。
「百墨を二人も囲うなんてやるじゃないか」
 やっぱりね。
 当然の帰結。
 華黒もルシールも目立つ女子だ。
 華黒は元から僕の物だけどルシールにはつばをつけていない。
 そういう事実があったからこそルシールは狙い目だったのだ。
 しかして僕とルシールがラブラブだと一夜にして百墨隠密親衛隊の隊員たちに知れ渡ってしまった。
 統夜はそう言った。
 相も変わらず耳の早い。
 ルシール派閥はもとより華黒派閥にもショッキングな出来事だろう。
 自身の憧れが遊ばれていると思うのなら気が気じゃないはずだ。
「百墨真白が百墨華黒と百墨ルシールに二股をかけている」
 これが瀬野二で今一番ホットなニュースである。
 まぁある意味で計算通り。
 そう思えるからこそ僕は現状を受け入れられた。
 僕へと悪意と嫉妬が向けられるのも、こういうことなら興味深い。
 少なくともルシールの重荷を背負えるのだ。
 それが嬉しかった。
 紳士である。
 外道でもあるけど。
「お前さ」
「何さ」
「姉貴にどうこう言える立場じゃなくなったよな」
「だね」
 弁解するのも馬鹿らしい。
 なおそれは事実なのだ。
 頷くより他にない。
「どういう状況でこうなったんだ?」
「元から地盤はあったよ?」
「そうなのか……ふぅむ……」
 何やら考えるように顎に手を添えると、統夜は虚空に視線をやった。
 遠い目だ。
「そんな深く考えるこっちゃないよ」
 苦笑してしまう。
「ただの牽制だから」
「ルシールちゃん派に対する……か?」
「ま〜ね〜」
 頬杖をつく。
「じゃあ付き合っているわけじゃないと?」
「根本的にはね」
「表面的には?」
「ラブラブ」
「そうすることでルシールちゃんに寄る虫を追い払う、と?」
「そういうことになるのかな」
 ほけっと僕。
「そもそも本気でラブラブなら今頃僕は華黒に刺されて死んでるよ」
 より正確に言うのならば僕じゃなくてルシールが刺されるだろうけど……そこまで問い詰めることもないだろう。
「華黒ちゃん可愛いよなぁ」
「まったくまったく」
「お前、幸せ噛みしめているか?」
「少なくとも僕の認識できる範囲ではね」
 肩をすくめてみせる。
「華黒ちゃんにルシールちゃんかぁ……」
 統夜の瞳が少し歪んだ。
 何かあったのだろうか?
「百墨ってのは美形の家系なのか?」
「僕と華黒は遺伝子繋がってないけどね」
「あ、すまん」
「いいさ辛友」
 気負いなく笑ってあげる。
「お前がモテる理由がちょっとわかった気がした」
「へ? 何で?」
「言ってもわからんだろうから言わん」
「ふぅん?」
 首を傾げざるをえない。
 華黒もルシールも、
「悪趣味だな」
 とは思うんだけど……。
 特にルシール。
 華黒にとって僕は運命の王子様だけどルシールについてはまったく理解の外だ。
 こう言っちゃ自分自慢なんだけど面食いなのだろうか?
 いやいいんだけどさ。
「月の無い夜道は気をつけろよ」
「統夜が襲うの?」
「俺じゃねえよ。主に隠密親衛隊のルシール派と……華黒派から……だな」
「華黒派も?」
「自分たちの想いを寄せる相手が想いを寄せる相手に主観的に遊ばれていると思って不快を感じなかったらそりゃ嘘だ」
「…………」
 納得。
 頬杖に頭部の重みをさらにかける。
 なんだかなぁ。
 僕はそんな星の下に生まれてきたのだろうか?

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