超妹理論

『偽恋真恋』前編


 夕食の一時。
 黛が爆弾発言をした。
「お姉さん。デートしてくれませんか?」
「は? デート?」
「はい。デート」
 僕の疑問に黛は快活に答える。
 えーと……。
 待て待て待て。
 蕎麦をすする。
 咀嚼、嚥下。
 美味しい。
 けど黛の言葉の意味までは嚥下できなかった。
 僕が混乱している隣で華黒が激昂する。
「何ゆえ兄さんがあなたとデートせねばならないのです!」
 まぁそうなるよね。
 至極当然の回答だ。
 言葉さえ違えど混乱を収めて冷静になったのちに僕の吐きだす言葉もそれに順ずるものだろう。
 蕎麦をすする。
 美味しい。
「や、お姉様。お姉さんとデートしてほしいのは黛さんではありません」
 プレッシャーすら伴う華黒の敵意に飄々としながら黛は言う。
 大物だ……この子。
「では誰と兄さんが?」
「こちらです」
 ポン、と黛は隣に座って蕎麦をすすっているルシールの肩に手を置いた。
「……は?」
 華黒がポカンとする。
 珍しいものを見た。
「………………あう」
 蕎麦を嚥下したのちルシールは紅潮する。
「えーと……」
 僕は考え込むような表情を作って躊躇う様に聞いてみる。
「僕にルシールとデートしろ、と?」
「はいな、お姉さん」
 やはり飄々と黛。
 この段階において華黒のプレッシャーがやや弱まった。
 あくまで、やや、ではあるけど。
「説明……してもらえるんでしょうね?」
 おそらく心の中ではマグマのように圧倒的熱量を持つヘドロの感情があるのだろうけど……どうにかソレを心に封じ込め華黒が問う。
「………………あ……う」
 ルシールはおどおどしている。
 申し訳ない気持ちでいっぱいなのだろう。
 代わりとばかりに黛が答える。
「ちょうど中間考査が終わった辺りでルシールがいきなり告白されたんですよ」
 ちなみに中間考査は三日前に終わった。
 僕の成績は凡庸の域を出ず、華黒の成績は圧倒的だった。
 劣等感。
 ともあれ、
「そんな話題があるなら早く言ってくれればいいのに」
 そゆことなのだった。
「恋文で時間兼場所指定ならお姉さんを巻きこめますけど今回はいきなりでしたから」
 肩をすくめる黛。
「で、まぁルシールがふったんですよ」
「自分で? ちょっと意外……」
「中学の頃からルシールはモテてましたから。お姉さんたちが居なくても本来問題ないんですよ。で、その男の子は川崎っていうクラスメイトなんですがこれがしつこくて」
 というと?
「自分はそこそこ格好いいだろうとか……自分は勉強も出来るとか……自分はサッカー部の一年生エースだとか……自分はそこそこ裕福だとか……だから自分と付き合えばルシールは幸せだとか……そんな自分自慢でルシールの気を引こうと必死だったんです」
「それはまた面倒な輩に目をつけられましたね」
 華黒さえも同情にまわった。
 哀れ川崎くん。
「だから黛さんがフォローしたんです」
 なんと?
「ルシールにはもう恋人がいるから野暮な真似は止せ、と」
 あ、嫌な予感。
「というわけでお姉さん……ルシールの恋人を演じてくれませんかね?」
 予感的中。
「また面倒なことを……」
 こめかみを人差し指で押さえてうんうんと唸る僕。
「今度の日曜日……つまり明日……川崎とルシールの恋人とを鉢合わせさせることになっちゃいました。あはは」
 あははじゃないって……。
「そんなわけで川崎の前でルシールとお姉さんとがイチャコラしたら川崎もルシールを諦めるんじゃないかという寸法です」
「つまり明日だけルシールの恋人役になれと」
「そういうことですね」
 頷かれた。
「ルシールは? それで困ってるの?」
「………………はい」
「気は無いんだね?」
「………………はい」
「そっか。ならしょうがない。引き受けるよ。たしかに諦めさせるにはソレしかなさそうだし……ね」
「………………真白お兄ちゃん……いいの?」
「ルシールのために一肌脱げるならこれに勝るはないよ」
「………………あう」
「兄さん……本気ですか?」
「一日デート。それも疑似的なものだよ。ここは抑えて華黒。リハビリだと思えば良い機会じゃない? あるいはルシールのためと思えば多少は納得できるはずでしょ?」
「むぅ」
 華黒はどこまでも不満そうだったけど仕方ないといえば仕方ない。
 これっぱかりは呑み込んでもらう他ないだろう。
「というわけでルシール。明日はめいいっぱいお姉さんに甘えてきてね。黛さんはお姉様と夕餉の準備をして待ってますから」
「………………あう」
「ぐぬぬ……!」
 それぞれ言葉を失うルシールと華黒だった。
 やれやれ。

    *

 そして次の日。
 日曜日。
 時間は午の刻。
 つまり昼。
「うー……あー……」
 僕はもそもそとオムレツを箸で切り分けて口に運んでいた。
 丁寧に作られておりフワリとした食感を持つ極上のオムレツなんだろうけど……眠気が邪魔して味わうには状況が足りていない。
「うー……むー……」
 眠い。
「………………真白お兄ちゃん……大丈夫?」
「お姉さんはヒュプノスがお好きで」
 ルシールと黛が好き勝手に言ってくる。
「はい、兄さん。コーヒーです」
「ありがと」
 目覚ましにはちょうどいい。
 僕の眠気を吹き払うために華黒がコーヒーを用意してくれるのはもはや慣例と言っても過言ではない。
「いえいえ」
 華黒は謙虚に恥じらった。
 うーん。
 九十五点。
 コーヒーを飲む。
 香り高い苦みが口内に広がった。
 とはいえカフェインが利くには多少なりとも時間がかかる。
 いきなり目が覚めようというのは無茶もいいとこだ。
「いきなり目を覚ましたいんですか?」
 華黒がキョトンとして聞いてくる。
 まぁそうだね。
 僕は頷く。
「簡単ですよ」
 何?
「に・い・さ・ん」
 華黒は箸を持っていない方の僕の手を取ると、
「えい」
 と自身の体に押し付けた。
 正確には胸部に。
 ムニュウと柔らかい感触。
 電撃的に意識が覚醒する。
 同時にコーヒーを吹く僕とルシールと黛。
 吹いたコーヒーはスタッフが処理しました。
「あん。兄さんったら……」
「何するのさ!」
 いきなりの凶行に僕は完全に目が覚める。
「兄さんに胸を揉まれています」
「揉ませている……の間違いでしょ」
「些事な事柄です」
「僕に喧嘩を売っているんだね? そうなんだね?」
「でも目は覚めたでしょう?」
「結果論だよ」
 僕の皮肉に、
「ええ、結果論です」
「………………華黒お姉ちゃん……大胆」
「さすがお姉様。そこに痺れる憧れる」
 華黒はサッパリと、ルシールは敬意を込めて、黛は苦笑しながら言葉を紡いだ。
 それでいいの君たち?
 確かに目は覚めたけども。
「どうせ兄さんは浮気デートするんですからこれくらいの役得はありませんと」
 いや、その理屈はおかしい。
「華黒はもうちょっと恥じらいを覚えるべきだね」
「誘惑するのは兄さんにだけ……ですよ?」
 例えそうでも問題だっ。
 不本意ながら完全に覚醒した僕はテキパキと昼食を終えた。
「ああ、着替えはお姉さんの部屋に用意しておきました。どうぞそれを着てください」
「え? 黛が用意したの?」
「まぁ色々ありまして」
 両の手の平を僕に見せて差し出す仕草をする黛。
 華黒が不機嫌になるのが見て取れた。
「大丈夫」
 僕は華黒を安心させるように言う。
「僕を信じるのも華黒にとっては大切なことだよ?」
「わかってはいます。割り切れはしませんけど」
 うん。
 それでいい。
 そして華黒は食器を片づけて黛とともにキッチンで洗い物にとりかかった。
 僕は自分の寝室に顔を出すと、アニメっとした絵がプリントされたティーシャツと、ダメージ加工のジーパンが用意されていた。
 勘ぐることなくソレを着る。
 そしてダイニングに戻り、黛の意図を察した。
「………………あう」
 ルシールが赤面する。
 無理もない。
 僕のと寸分違わぬプリントティーシャツにダメージジーンズという格好だったからだ。
 つまり今日の僕とルシールはペアルックだった。
「なるほどね……」
 偽とはいえ今日のルシールは僕の恋人。
 ペアルック上等なのだろう。
「やれやれ」
「………………真白お兄ちゃん?」
「何?」
「………………お兄ちゃんが嫌なら……着替えてくる……よ?」
「構わないよ」
 僕はルシールに不安を覚えさせないために爽やかに笑った。
「ルシールこそいいの?」
「………………ちょっと恥ずかしいけど……こういうのも」
「そっか」
 なら文句のつけようもない。
 恋人を演じるならこれはこれでいいか。

    *

 引きつった笑みを浮かべた華黒と……爽やかかつ遠慮のない笑みを浮かべた黛と……二人に見送られて僕とルシールは外出した。
 華黒と黛は二人して夕食の準備をするらしい。
 ちなみに今日の夕食はうどん。
 麺を作るところから始めるようだ。
 まぁ香り高い引っ越し蕎麦を打った黛が一緒だからゲテモノは出てこないだろうけど。
 華黒としても何もしない時間なぞ作れば僕のことで気が気じゃなくなるだろうから、やれることがあるというのは幸福だろう。
 少なくとも精神的には。
 梅雨も近づいているけど今日は晴れ。
 絶好のデート日和だ。
 ルシールにちょっかいをかける……ええと、川崎くんと合流する場所は近場のショッピングモール百貨繚乱だった。
 黛曰く合流は一時半。
 場所はアミューズメントコーナーの入り口。
 時間ピッタリに僕とルシールは顔を出した。
「百墨さん……!」
 待っていたのは一人の男の子。
 茶色に染めた髪。
 耳にピアス。
 服はパンクかぶれだ。
 件の川崎くんなのだろう。
 ちょっと大人を目指して背伸びしている雰囲気を持った男の子だった。
 それからルシールと手を繋いでいる僕を見て、僕とルシールを交互に見て、顔をしかめる川崎くん。
 切れる瞳が不機嫌に歪む。
 さもあろう。
 僕とルシールとがペアルックなのだから。
 仮にも惚れている相手が他の人間と恋仲に見えるなら不機嫌になるのも無理なからぬ。
 僕とて華黒が他の人間に靡いたらショックを受けること請け合いだ。
 まぁ有り得ないけどね。
 信頼というか感傷というか。
 ともあれ、
「あなたが百墨さんの恋人ですか……」
 怒りを押し殺したような声で川崎くんが問うてくる。
「ども」
 僕はルシールと繋いでいる手とは反対のソレで手の平を見せる。
「待たせたみたいだね」
「先ほど来たところです」
 うーん。
 ベタだ。
「百墨真白……で合ってますか?」
「そうだね」
 気負いなく僕。
「では百墨先輩」
「なぁに?」
「百墨さんと別れてください」
「嫌」
 キッパリとした断言に川崎くんは沈黙した。
 イヤリングが光る。
 ギロリと川崎くんが僕を睨みつけた。
 それは口にこそしないものの、殺すぞという意がとれた。
「で?」
 僕の反撃。
「結局のところどうすればいいのさ? 僕とルシールのラブラブっぷりを君に見せつければいいのかな?」
「あんたなんかに百墨さんはふさわしくない……! 勝負しろ百墨先輩……!」
「何を以て?」
「俺の方が百墨さんに相応しいと証明できることで……だ」
 僕は人差し指で頬を掻く。
「まぁいいけどさ」
 そんなこんなで僕とルシールと川崎くんは百貨繚乱を歩き回るのだった。
 川崎くんはルシールにクレープを奢ったり、アイスを奢ったり、たこ焼きを奢ったりと贅を尽くす。
 僕はそれを横目で見ているのみだ。
 いや、だって……ねぇ?
 僕に何をしろと……と言う他ないのだ。
 それから百貨繚乱のアミューズメントコーナーで遊びたおした。
 ルシールのプレイ料金は川崎くんが全額負担。
 ボーリング、カラオケ、ビリヤード、ゲームセンター……あらかたのコーナーは回ったんじゃないかと思ふ……。
 そしてその全てにおいて川崎くんの結果は僕の結果を上回った。
 器用だなぁ。
 そう思わざるを得ない。
 すくなくとも川崎くんが自分自慢を出来るほどに自負に満ちていることは理解できた。
 そうして夕方がやってくる。
 あらかた遊びまわった後に川崎くんが宣言した。
「どうです百墨さん? 百墨先輩より俺の方があらゆる面で上回っていますよ?」
「………………うん」
 相も変わらずおずおずとルシール。
「こんな十把一絡げより俺を選びますよね?」
「………………ううん。……駄目」
 やはりおずおずとルシール。
「何故だ!」
「………………真白お兄ちゃんの方が……格好いいから」
 照れるね。
 僕は鼻頭をかいた。
「今日のコイツは結局百墨さんのために何もしてないじゃないか! 俺と付き合った方が絶対得だって!」
「………………それは私が決めること」
 心なしか強く言ってギュッと僕の腕に抱きつくと、ルシールは僕の腕を引っ張って体勢を崩させ、それから僕の頬にキスをした。
 それから頬を紅潮させるルシール。
 照れるくらいならするな……と言いたかったけど、そういえば今日の僕はルシールの恋人だったっけ。
「………………それにお兄ちゃんは何もしてないわけじゃないよ? ……私の傍にいてくれる。……私の隣に立ってくれる。……それだけで私は幸せ」
「そんな……!」
 南無八幡大菩薩。
 哀れ川崎くん。

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