超妹理論

『真金拘束』百墨華黒編


 引き続きゴールデンウィーク。
「――――」
 メープルシロップのように甘い声が僕の聴覚器官を刺激した。
 眠い……けど、あやふやながら意識は覚醒する。
 甘ったるい声は尚も続く。
「………………真白お兄ちゃん……起きて」
 おずおずとした声だ。
 ある意味で更なる眠気さえ誘う。
 ゆさゆさと体を揺すられる。
 起こされようとしているのは眠いながらもわかった。
「まだ……寝る……」
 そうぼやいて意識を睡眠の底へ沈めようとすると、
「………………駄目……だよ。……華黒お姉ちゃんが……御飯作ってる」
 やはりゆさゆさ。
 どうやら眠らせてはくれないらしい。
「んー……」
 と不機嫌に呻いて僕は段階的に意識を覚醒させる。
「………………真白お兄ちゃん」
 声は変わらず天から降ってくる。
 ゆさゆさ。
 華黒でないことはわかった。
 華黒の声は鈴振るような凛としたソレだ。
 しかしてこの声はとても甘く華黒のとは別の魅力がある。
 さらに意識を覚醒。
「………………起きないの?」
 困ったような声。
 怯えすら混じっている。
 その声と雰囲気を脳内で照合させる。
 判定……百墨ルシールに相違無し。
 ていうか、
「真白お兄ちゃん」
 なんて呼んでくれるのはルシール以外に有り得ない。
 さらに意識を覚醒。
「……むに」
 目を開く。
 茫洋とした映像はあくまで脳で処理したモノだ。
 きっと視覚そのものはキチンと映像を捉えているだろう。
 そう思う内に意識のピントが現実に補正される。
 僕の寝顔を覗きこむような形のルシールと目が合った。
「………………ふえ……お兄ちゃん……起きた……!」
 逆ビックリエビ飛び跳ねを実現させてルシールは僕から距離をとる。
 金髪のセミロング。
 深い色合いの碧眼。
 西洋人特有の白い肌。
 これで立派な日本人……僕の従姉妹だ。
「くあ……」
 と欠伸を一つ。
 僕はルシールを肴に完全に目を覚ます。
 そして言う。
「別に目覚めのキスをするのはいいけど華黒を敵にまわす気構えくらいは持っておいてね」
「………………そそそ……そんなつもりじゃ……ない……よ?」
 じゃあなぜそんなに狼狽える……という言葉は胸の内にしまった。
「今何時?」
「………………十三時」
「そっか。ここまで妥協してくれた華黒に感謝だね。ていうか僕を起こすなんて役目をよく華黒が譲ってくれたね?」
「………………お姉ちゃんは……黛ちゃんと一緒に……昼食の準備中」
「さいですか」
 僕は寝間着姿のまま起き上がるとベッドを出て腰を抜かしているルシールに近づく。
 そしてその金髪をクシャクシャと撫ぜて、
「おはようルシール」
 と言った。
「………………おはよう……お兄ちゃん」
 ルシールは紅潮して挨拶を返してくれた。
 うん。
 可愛い可愛い。
 それからもう一度欠伸をしてから僕はルシールを連れてダイニングに顔を出す。
「おはようございます兄さん」
「おはようですお姉さん」
「ん。おはよう」
 華黒と黛が出迎えて挨拶をくれたので素直に返す。
「兄さん……もうすぐゴールデンウィークも終わりですよ? 学業に支障のない範囲での起床に慣れなければ」
「努力してみる」
「お姉さんは大物ですね」
「ありがと」
 誠意を込めないで対応する僕だった。
 ダイニングテーブルには既に昼食の準備が。
 ホットサンドが用意されていた。
 ふらふらと歩いてダイニングテーブルのいつもの席に着く。
 隣に華黒が、対面にルシールと黛が、それぞれ席に。
 そして一拍して感謝の言葉を捧げると昼食と相成った。
 華黒と黛が作ったホットサンドだ。
 不味いはずもなかろうけど純粋に美味しかった。
 横に出されたコーヒーも香り高い。
「お姉さん、目は覚めてますか?」
「まぁね」
「今日はルシールと黛さんとでお姉さんとお姉様に夕食を御馳走するつもりですけん百貨繚乱への買い出しに付き合ってもらいますよ?」
 要するに荷物持ちね……。
 まぁデートの意味合いもあろうけど。
 しかしてかしまし娘とモールでデートとなれば衆人環視が気になるなぁ。
 ホットサンドを咀嚼、嚥下。
 華黒はこの状況に納得しているのだろうか?
 チラリと華黒を見ると不満半分融通半分といったところだった。
 自分以外の人間とデートするのが不満だが……かといって諌めるほどのものでもない。
 そんな感情が透けて見えた。
 まぁ実際この前の昴先輩とのデートも妥協したわけだし、少しずつではあるけど華黒も世界に対して優しくなったってことかな?

    *

 ちなみに先に言っておくと、先日の昴先輩とのデートで着たコスプレ衣装は先輩の手に委ねられている。
 僕にしろ華黒にしろあんなものは一発ネタでしかなく再度着る意味を持たないがためだ。
 そんなわけで僕はティーシャツにジャケットにジーパン。
 華黒は春らしいワンピース。
 それから先輩にもらった香水をそれぞれつける。
 ルシールと黛に関しては既に昼食時には私服に着替えていたので割愛。
 そんなわけで僕たちはショッピングモール百貨繚乱に出向くのだった。
 右腕には華黒が抱きつき、左手はルシールの右手と繋がっており、そして後方には黛。
 いやもう……何の集団なんだか……嫉妬の視線より憧憬の視線が多いのは僕まで……止めよう……考えて楽しい思考ではない。
「ところで夕食のメニューは決まってるの?」
 気を紛らわせるために僕は会話を開始した。
「鍋焼きうどんのつもりですが……他にリクエストがあるなら受け付けますよ?」
 黛が淀みなく答える。
 まぁうどんならぶきっちょなルシールでも作ることは可能か。
 そこに黛のフォローが入るというのなら文句を言う理由は探しても見つかるまい。
「ところで市場から離れているのは気のせい?」
「まぁ買い出しなんてちょっと夕方に寄ればいいだけですし、それまでは適当に遊びましょうよ」
「華黒はそれでいいの?」
「不満が無いと言えば嘘になりますが兄さんとデートできるだけで胸いっぱいです」
 それはそれは光栄なことで。
「じゃあゲーセンコーナーに行きませんか? こう見えて黛さんは格ゲー強いですよ?」
「僕は弱いよ。華黒はゲームに興味無しだし……。ルシールは?」
「………………ひどく苦手」
 だろうね。
 何かにつけ一歩遅いルシールだ。
 格ゲーが強かったらそれはそれで僕の世界がひっくり返る。
「………………ごめんなさい」
「いや、格ゲーが弱いのは僕も一緒だから。むしろ同志? ウェルカムトゥー弱者仲間」
「………………うん」
 頷いて微笑むルシールは大層可愛かった。
 華黒に右腕を占有されていなければ抱きしめたかもしれない。
 嘘だけどさ。
 そう言えばこのゴールデンウィーク……白花ちゃんともゲーセンに行ったっけ……。
 白花ちゃんの才能を垣間見た瞬間だったなぁ。
「兄さん……今違う女の子のことを考えていますね?」
 腕に抱きついている華黒が厳しい眼で僕の視線と自身のソレとを交錯させた。
「なんでわかるの?」
「兄さんのことならだいたいわかります」
「ですか」
 別に後ろめたいこともないので簡潔に述べる。
「兄さん? 兄さんの恋人は百墨華黒ですよ?」
「知ってるよ」
「本当に?」
「じゃなかったら華黒と腕組むわけないじゃん」
「むぅ」
 不満げな華黒だった。
「後でじっくりその辺の共通理解を深めねばなりませんね」
「お手柔らかに」
 正直恐い。
 基本的に華黒はヤンデレだ。
 僕のためなら殺人すらいとわない。
 僕と同じく病院に通い投薬によって冷静さを得ているとはいえ、いつ瓦解するかもわからない感情は崩落寸前のダムの様なものだ。
 そうならないための判断は常に僕が気を配っている一種の儀礼。
 真白が華黒を愛していることをいちいち確認せねばならない。
 華黒が真白を愛していることをいちいち表現せねばならない。
 それでやっと華黒は安心できるのだ。
 故に腕を組むくらいに躊躇いは生じない。
 むしろ拒否して華黒の不安を煽る方が致命的だ。
 無論全てを譲歩するわけではない。
 最終的な一線は当然ながら守る。
 少なくとも僕が華黒の責任を背負えるようになるまでは。
 一時期は一線を超えるために苦労もしたけど……まぁ若気の至りと云う奴だ。
 忘れてくれれば幸い。
 思考のどつぼにハマりそうになったので話題転換。
 ゲームセンターのコーナーに移動しながら僕は黛に問うた。
「鍋焼きうどんなんだけどさ……シイタケは入る?」
「原木シイタケを使うつもりですが……」
「甘く煮ることは出来る?」
「そうして欲しいんですか?」
「うん。まぁ……ね」
「希望に沿いましょう」
 あっさりと黛は了承した。
「うん。夕飯が楽しみ」
「………………あう」
 僕の左手を握るルシールの右手の握力が少し強くなった。
 緊張しているのだろう。
 真白に食事を提供するということがルシールにとっての一種の試練になっているのは否定しがたい認識だ。
 ましてぶきっちょともなれば緊張の一つや二つはあるはず。
 そのいじらしさに苦笑してしまう。
「兄さん?」
 いちいち鋭いね華黒は。
「何でもないよ」
「嘘ついていませんか?」
「天地神明にかけて」
 と言うのが嘘の常套句だけど。
 そんなわけで華黒の機嫌をとりながら僕は百貨繚乱を練り歩く。
 ゲーセンコーナーで時間を潰し、市場で鍋焼きうどんの材料を調達。
 帰宅。
 後にルシールと黛の部屋にお呼ばれ。
 あたふたするルシールと冷静な黛による鍋焼きうどんを御馳走になるのだった。
 シイタケを甘く煮たのは黛だ。
 ルシールにとっては高等技術だろう。
 まぁそれもいずれの話だ。
 鍋焼きうどんは美味しかった。

    *

「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ……ってね」
 お湯に肩まで浸かって僕。
 ルシールと黛による鍋焼きうどんを食べ終えて自身の部屋に戻り、華黒の準備してくれたお風呂に入っているという現状だ。
「ふい……」
 安堵の吐息をつく。
 何はともあれゴールデンウィークももうすぐ終わる。
 色々あったけど良い思い出だ……と言えれば良かったけどそうは問屋が卸さない。
 主に華黒が。
 ガチャリと扉の開く音が聞こえる。
 脱衣所に誰かが入ってきたのはそれだけで悟れる。
 無論、華黒以外にはありえないのだけど。
 衣擦れの音がした。
 華黒が脱衣しているのは明確だ。
「華黒……」
 僕は浴室と脱衣所の間の扉を挟んで華黒に言う。
「今日は許可した覚えはないよ?」
「裸と水着……どっちがいいですか?」
 聞いちゃいない。
「怒るよ?」
「誰に対してですか?」
「そりゃまぁ……」
 えーと……誰に対してだろう?
 クネリと首を傾げる。
 誰に対してだろう?
「華黒?」
「何ですか?」
「何かあった?」
 そう問わざるを得ない。
 華黒がマシロニズムなのは今に始まったことじゃないけど……こと下半身関係においては一線を越えることを……少なくとも僕の警戒する範囲においては……聞き分けよく遠慮しているはずだ。
 それがこんなに積極的になるのはおかしいと言えばおかしい。
 まぁそんなことを言えば僕も華黒も根本的に人間として壊れてはいるのだけど。
「それをお話しするために混浴を許可してもらいたいです」
「水着限定でね」
 さすがにそこは譲れない。
「私に魅力は無いですか?」
「逆」
「逆?」
「魅力がありすぎて困るから制限をかけてるの」
 それくらいわかれ。
 と言っても無駄なんだろうけど。
「では水着で」
 そして水着姿で華黒が浴室に入ってきた。
 こぼれそうなバストと主張するヒップをビキニがギリギリ押し隠している。
 扇情的と言って言い過ぎることの無い光景だ。
「ふい……」
 僕は煩悩を鎮めるために目を閉じた。
 視界が真っ暗になる。
 正確には明かりの残像が見えているのだけど。
 華黒は頭と体を洗って僕に重なる様に入浴した。
 ザブンとお湯が溢れ出る。
 僕の胸板に背中を預けて、
「いいお湯です」
 華黒はそう言った。
 まぁ異論はない。
「それで? 何の用?」
「わかります?」
「わからいでか」
「兄さんと一緒したかったんです」
「もうちょっと詳しく」
「此度のゴールデンウィーク……兄さんは白坂白花と酒奉寺昴とルシールと黛とデートしました」
「…………」
 ああ。
 なるほどね。
「それでそれを取り返したくて一緒に入浴ってこと?」
「有体に言えば」
「馬鹿だなぁ」
 僕はお湯に濡れている華黒の髪を撫ぜた。
「たしかに状況に流された僕も悪いけど……華黒はもうちょっと僕を信用してもいいんじゃない?」
「でも兄さんは御伽噺の王子様のように格好良いから誰だって惚れます」
 そう思っているのは実は華黒だけ……と言っていいものか迷った。
 だから、
「大丈夫だよ」
 僕は力強く言葉を紡ぐ。
「僕は華黒にメロメロだから」
「本当ですか?」
「嘘でもいいけどね」
「嘘じゃ嫌です」
「じゃあ本当」
「むぅ……」
 拗ねたように華黒。
 更に僕に体重を預けてくる。
 無論お湯の浮遊感のため重くはないけども。
 僕は僕に体重を預ける華黒の腰に腕をまわして抱きしめ、華黒の耳元に囁きかける。
「大丈夫。僕を信じて。僕は華黒のことが好きだから」
 それはお世辞じゃなく本心だ。
 少なくとも華黒がいつか世界を許して僕の元を去る日が来ても僕は華黒を想うだろう。
 だからそれは……その言葉は一直線に華黒の心に響いた。
「兄さん……私も兄さんのことが大好きです……!」
「うん。なら良かった」
 僕はギュッと華黒を抱きしめる。
 華黒の背中はいつも通り華奢だ。
 ガラス細工のように繊細な心と体。
 それを愛するのも僕の務めだ。
 ゴールデンウィークに色んな女の子とデートしたための……せめてもの華黒に対する慰みだろう。

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