超妹理論

『巡る業』後編


 そして次の日。
 華黒にしては珍しく普通に起こされてダイニングに顔を出す。
「では兄さん」
 華黒が僕の席の前にコーヒーカップを置いて、
「すぐに朝食をお持ちしますので」
 キッチンへと消えていった。
「くあ……」
 欠伸を一つ。
 それからコーヒーをズズとすする。
 眠気眼な僕の視界でルシールがあうあうと狼狽え、黛がくつくつと笑っていた。
「………………おはよう……真白お兄ちゃん」
「おはようございますお姉さん」
「ん」
 コーヒーを一口、
「おはよ」
 眠気をそのままに僕は挨拶を返す。
「変わらずお姉さんは朝が弱いですね」
「業だね」
 僕と黛とで苦笑する。
「………………お兄ちゃん……無理して……ない?」
「登校や勉学は無理してするモノじゃないかな?」
 ちょっと皮肉をスパイスに使うと、
「………………あう」
 ルシールは恐縮した。
 碧眼が揺れる。
 これはフォローを入れなば。
「気にしなくていいよ」
 なるたけ自然を思わせる形でルシールに微笑んでみせる。
「………………あう」
 今度は赤面して黙り込んでしまうルシールだった。
 扱いが難しいねこの子。
「こら」
 と怒ったのは黛。
「ルシールを翻弄させないでくださいお姉さん」
「そんなつもりはないけどね」
 泰然自若と僕。
 コーヒーを一口。
「むぅ」
 唇を尖らせる黛。
 むぅ、じゃないって。
「兄さん、黛、どうかしましたか?」
 朝食を持って華黒がダイニングに現れた。
「何でもない」
「はい。何でもありませんお姉様」
 口を閉じる僕と黛。
 華黒は僕と黛を見た後、赤面しているルシールを見てだいたい察したらしい。
「兄さん……」
「違う」
 一刀両断。
「で? 今日の朝御飯は?」
「サンドイッチです」
「あいあい」
 コーヒーにも合うね。
「いただきます」
 と言った後に一拍。
 ヒョイヒョイとサンドイッチを咀嚼嚥下する僕。
 華黒もまたエプロンを外しダイニングの席に着くと朝食を開始する。
「どうせ僕が起きるのは遅いから先に食べてていいよ?」
 と言ったことが何度かあるけど華黒は、
「知りませんか? 食事も好きな人と一緒にとった方が美味しいんですよ?」
 頑として譲らなかった。
 いいんだけどさ。
 僕はサンドイッチを頬張りコーヒーで押し流す。
 さすがにここまでくれば完全に僕の意識は明瞭になっていた。
 当たり前なんだけどね〜。
「華黒、コーヒー」
「はいな。兄さん」
 僕のコーヒーカップを持ってキッチンへと消えていく華黒。
 華黒が消えたところで、
「はぁ」
 と嘆息する。
 憂いの吐息だ。
「おや? お姉さん……何か憂慮することが?」
 まぁ……ねぇ?
「僕には前科があるからね」
 それは意味の解らない言葉だったろう。
「………………?」
「?」
 案の定ルシールと黛は首を傾げた。
「言っている意味がわからない」
 と表情で語る。
 説明してやる義理は無い。
 理解できる華黒はキッチンだし。
 そんなわけで僕の嘆息は虚空に撹拌するのだった。
「…………」
 サンドイッチを一つとって頬張る。
 チーズの甘みとトマトの酸味とレタスの歯ごたえが心地よい。
 クシャリと音がする。
 レタスの噛みごたえだ。
「………………お兄ちゃん……何か悩み事?」
 虚空に撹拌した僕の嘆息を集めながらルシールが問うてくる。
「ま、ね」
「………………私たちには……話せないこと?」
「話す必要が無いこと」
「お姉さん。黛さんとルシールとてお姉さんの心配くらいしますよ?」
「なべて世はこともなし……ってね」
 苦笑し、それから華黒の準備してくれたコーヒーのおかわりを飲む僕だった。
 インスタントコーヒーは苦かった。
 ……当たり前か。

    *

「また邪魔したらしいぜ」
「うわ。百墨さんだけじゃなく?」
「最低」
「去年と変わらねえな」
「ルシールちゃんまで毒牙にかける気か?」
「節操ないな」
 総合するならこんなところか。
 僕に対する評価というモノは。
 登校中。
 昨日のことは燎原の火のごとく噂として広まった。
 発信源は……誰だろね?
 有力なのは昨日ルシールにふられた男子生徒だけど。
 まぁ僕もある意味有名人だ。
 一人の情報が二人……四人……八人……十六人……三十二人……六十四人と広がっていくのは止めようもないだろう。
 何しろ僕は、
「去年、華黒への告白を悉く邪魔して華黒を寝取った張本人」
 というレッテルが張られている。
 僕としては不本意だけど同じことをルシールに対して行なっていると思われても仕方のない状況ではある。
 やれやれ。
 ちなみにその成果である華黒は僕と腕を組んで幸せそうにしている。
 それがまたいっそう僕への憎しみを衆人環視に発火させる。
 望むと望まざるとに関わらず。
 まぁルシールは可愛い。
 華黒を好きな僕でもクラッとくるくらいだ。
 その告白劇を邪魔したとなれば僕がルシールに独占欲を発揮していると捉えられても仕方ないことではあるだろう。
 昇降口を通ってルシールと黛と別れる。
 各々の教室に向かうためだ。
「お姉さん、お姉様、また放課後」
 向日葵の笑顔で黛がそう言う。
 華黒、ルシール、黛のかしまし娘を僕が独占しているのだ。
 軽蔑の視線が刺さる刺さる。
 ま、関係ないけどさ。
 そして僕と華黒は教室に向かう。
 華黒は猫かぶりモードで……華黒にとっては心底心外だろうけど……友達もどきとの会話に参加するのだった。
 僕は自身の席に座る。
 と、
「よう」
 と声がかけられた。
 ツンツン跳ねた癖っ毛。
 僕の数少ない友達。
 酒奉寺統夜だった。
「おはよ、統夜」
 挨拶する僕に、
「おう」
 フランクに返す統夜。
 その表情には笑みが浮かんでいる。
 ただし爽やかなものではない。
 ニヤニヤとしたソレだ。
 事情は……通じているらしい。
「悪夢の再来だ」
「悪夢?」
「華黒ちゃんを独占して慕う男子生徒を滅多切りした去年の悪夢」
「統夜はわかってるでしょ?」
「去年のことについてはな」
「引っ掛かるね」
「実際のところルシールについてはどうなんだ?」
 皮肉気な統夜の言葉に、
「…………」
 僕は思案して机に頬杖をついた。
「まぁ……」
「まぁ?」
「ルシールが望んでいることだしね」
「お前は優しすぎるな」
 どういう意味さ?
 視線でそう語ると、
「別に大したことじゃない」
 統夜はハンズアップ。
「自分に不利益だとわかっても他者を優先する」
「…………」
 それは……まぁ。
 僕は自分を認識できないからね。
「道化に甘んじるのも致し方ないよ」
「それで瀬野二の男子生徒を敵にまわしても……か?」
「別に大した問題じゃないでしょ?」
「強いな」
「厚顔なことをそう言うのなら……ね」
「で?」
「何?」
「実際のところルシールちゃんについてはどう思ってるんだ?」
「仲の良い従姉妹」
「だろうが……な」
 あっさりと言うね。
 たまに統夜は情報を先取りしているんじゃないかという感覚がある。
 それが何に由来するのかはわからないけど。
「従姉妹……ねぇ」
 くつくつと統夜が笑う。
「業が巡るな」
 と言いたげだ。
 否定は出来ないけどね。

    *

 放課後。
 散々なレッテルを張られて這う這うの体で逃げ帰る僕だった。
 無論のこと華黒はともかく問題となるルシールと……その友人の黛と一緒に。
 ちなみに昨日の悪行について問題となったのは僕だけで、華黒と黛は不問に付された。
 というよりスルーされた。
 こういう時……美少女は得だ。
 そんなわけで僕だけが、
「ルシールちゃんへの告白を邪魔した人間」
 という十字架を背負うことになった。
 異論はない。
 けど不満はある。
「さて……どうしたものだろう?」
 僕は湯呑みを傾けて緑茶を飲みながら今後の身の振り方について考える。
 ちなみに自身の城へと逃げ帰って華黒の用意した夕食をとった後の……食後の一時である。
 ボソリと小声で言ったつもりだったけど、
「何がです? 兄さん」
 華黒が目ざとく……というか耳ざとく僕の声を拾って問うてくる。
「ん〜」
 何と言ったものか……。
「例えばキリストやジャンヌのように清らかでありながら人に排斥された人間ってのはどういう感想を持つんだろうね?」
「絶望でしょうね」
 華黒は躊躇なく即答した。
 さすが。
「でもそれと兄さんの状況とは似通っていても本質的に別のものですよ?」
「うん。まぁね」
 僕は湯呑みを傾ける。
「華黒は僕が周りから嫌われることに怒ったりしないの?」
「半々……といったところでしょうか」
「半々?」
 わからないと首を傾げてみせる。
 華黒は自身の湯呑みを傾けて緑茶を飲むと言葉を紡いだ。
「正確には半々と言うより二つの感情が並行しているというだけのことですが」
 だからそれがわかんないんだって。
「まず兄さんに悪意を持つ人間は死んでほしいです」
「……さいですか」
「同時に兄さんの理解者は少なければ少ないほど良いとも思います」
「……なるほどね」
「兄さんに悪意を持つ人間は苦しみながら死んでほしくはあるんですが、かといって兄さんを純粋に理解する人間の登場は歓迎すべきことじゃありません。少なくとも私にとっては……ですが」
「二律背反だね」
 苦笑してしまう。
「ですから……まぁ兄さんへの理解者を作らないという一点に置いてはどんどん周りに嫌われていいと思いますよ」
 最低なことをあっさりと言ってのけて華黒は湯呑みを傾ける。
 何だかなぁ。
「嫉妬もそこまでいけば清々しいね」
 やはり苦笑してしまう。
 わかっていたことではあるけどさ。
「嫉妬?」
「違うの?」
「無いとは言いませんがこの件に関して言えばそれよりも深刻な問題です」
「へえ?」
 湯呑みを傾ける。
「先の私の発言の根幹にあるのは危機感です」
「ん〜?」
 わからない。
「兄さんに理解者はいらないんです。少なくとも私以外は」
「何でさ?」
「兄さんが自分に対して壊れているからです」
 世界に対して壊れている君が言うか。
「人間関係という奴はしがらみです」
「極論で言えばね」
「いえ、普通に言ってもです」
「続けて」
「もし兄さんが新たな理解者を多数得るとしたのならば兄さんはその全ての人間を救おうとするはずです」
「違う……とは言えないなぁ」
 華黒の言っていることはもっともだった。
 実際関係すらない碓氷さんを助けた身としては反論の余地は無い。
「ですから……」
「だから?」
「周りにはガンガン嫌われていいと思いますよ? 人間不信になって落ち込んだりしたら私の付け入る隙も出来ますし」
 ニッコリと笑う華黒だった。
 結局そこに行きつくのか……。
 ブラコンにもほどがあるだろう。
 でも納得。
 理解できない話ではない。
 少なくとも華黒がそう思っていることを聞けただけでも収穫だ。
 緑茶を一口。
「それに……」
「それに?」
「私は愛情定量論者です」
「だね」
「……兄さんに理解者が増えれば、その数だけ兄さんが私に割く時間が無くなるってことでしょう?」
 シュンとする華黒はとても愛らしかった。
 僕は隣に座る華黒を引き寄せて、華黒の頭部を僕の肩に安置させると、
「大丈夫だよ」
 安心させるように言う。
「たとえ何があっても華黒を見捨てることはしない。華黒の隣で死ぬ。それだけは確約してあげる」
 華黒の頬が熱っぽくなる。
「……はい……兄さん」
 おずおずと華黒は至福の時に肩まで浸かるのだった。
 可愛い可愛い。

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