超妹理論

『与えられるモノ』後編


 始業式は退屈の一言だった。
 お偉い教師がたのありがたいお言葉をスルーして僕は眠りについた。
 座っているのはパイプ椅子だったから安眠とまではいかなかったけど、仮眠するくらいの融通はとれるのだった。
 始業式が終わると教室へ。
 それからロングホームルーム。
 担任の教師が円滑にことを進め、委員長が艱難辛苦ながら決まると、今日はもう帰るだけになった。
「さて」
 僕は呟くと学生鞄を手に持って席を立つ。
「兄さん、帰りましょ?」
 華黒が自然にすり寄ってきて腕を組む。
 苦笑する他ない。
「可愛いね華黒は……」
「えへへぇ」
 はにかむ華黒。
 二人の世界。
 浸食不可能な世界。
 既にこの学校での既成事実の一つだ。
 百墨華黒隠密親衛隊にとっては悪夢のような光景だろう。
 知ったこっちゃないけどね。
 と、そこに、
「おーい。お姉さーん。お姉様ー」
 と教室の扉から快活な声がかかった。
 見れば黛がいた。
 元気よく手を振っている。
 その表情は笑顔。
 上級生のクラスに対して負い目や引け目を感じていないらしい。
 面の皮が厚いというか純朴というか。
 おそらく前者だろう。
 そして僕と華黒は黛と合流する。
 それはつまりルシールとも合流することと同義だ。
 ルシールは教室の扉に隠れる形で立っていた。
 元々臆病で引っ込み思案なルシールだ。
 先輩のエリアに来ることさえも冒険だろう。
 おそらくだけど黛に引っ張られてきたと推測はたつ。
「………………お兄ちゃん……お姉ちゃん……ごめんなさい」
「ルシールが謝る必要は無いんじゃないかな?」
 僕がフォローし、
「その通りです」
 華黒が追従する。
「………………お邪魔じゃない?」
 ルシールの怯えながらの上目遣いにキュンとくる。
 華黒が居なければ抱きしめていただろう。
 それほどルシールは可愛かった。
「気にしなくていいよ」
「その通りです」
 やっぱりフォローする僕と華黒。
「それよりそっちはどうだった? 一緒のクラスに成れた?」
「運よく」
 黛が首肯する。
「ただまぁ……ルシールは黛さんでもくらっとくるくらいの美少女ですけんメアド教えてだのラインしようなどと声をかけてくる人多数で」
 まーそーなるだろーねー。
「………………黛ちゃんだってそうだったよ?」
「黛さんは……ほら……その辺一線を引いています故に。きっぱりと断らせていただきました。ルシールと違って面の皮が厚いので」
「黛も美少女だもんね」
 可愛い……とは少し違うけど。
「いやぁ照れますよお姉さん」
「で、ルシールはメアドばらまいたの?」
「いえ、こういうこともあろうかとルシールには携帯を持たせていません。ですから余計な面倒事は今のところは……」
 なるほどね。
「中には自身のメアドやラインの情報を紙に書いて押し付けた生徒もいましたが……まぁ無益と言ってしまえばそれだけですね」
「ルシールは大人気だね」
 クシャクシャとルシールの金色の髪を撫ぜる。
「………………あう」
 ルシールはそれだけで照れて言葉を失うのだった。
 可愛い可愛い。
「ところでお姉様」
「何でしょう?」
「昼食と夕食は如何に?」
「昼食は下校がてらに。夕食はスーパーの品ぞろえを見て決めるつもりですが」
「昼食は一緒しても?」
「構いませんよ」
 おお……意外だ。
「なら夕食は黛さんとルシールでカレーを作りますのでご一緒しませんか?」
「夕食に招いてくださると?」
「そういうことですね」
 コクリと頷く黛。
「どうします兄さん?」
「歓待されようよ」
「兄さんがそう仰るなら……」
 つまりそういうことになるのだった。
「黛は料理できるの?」
「お姉様と黛さんの合作だった誕生日ケーキは美味しかったでしょう?」
 ……納得。
「まぁカレーなんて不味く作る方が難しいですし」
 それも納得。
「ぶきっちょなルシールの勉強には適した料理かと」
 さらに納得。
「………………お兄ちゃんは……私の料理で……いいの?」
「構わないよ」
 苦笑してやる。
「期待してあげるから頑張れ」
「………………はい」
 素直に頷くルシールだった。

    *

 昼食をスパイクナルドバーガーでとって帰宅。
 僕と華黒はルシールと黛の部屋に招かれた。
 そのダイニングでお茶をふるまわれ歓迎される。
 ちなみにこの間にもドラマはあった。
 夕食として決定しているカレーの食材を近場のスーパーで買ったのがソレだ。
「黛さんとしてはキーマカレーを作りたいのですけど……」
「………………無理」
「何事もチャレンジだよ?」
「………………無理」
「具材を細かく切って炒めて煮込むだけだって」
「………………無理」
「どうして?」
「………………黛ちゃんは知ってるでしょ?」
「何を?」
「………………私が包丁をまともに扱えないこと」
「だからって諦めたら何にもならないんじゃないかと黛さんは思うわけで」
「………………とにかく無理」
「じゃあ普通のカレーで」
「………………うん」
 そんなわけでルーと食材を買ってカレーに備えるルシールと黛だった。
 そして時間が経つ。
「そろそろですかね」
 午後五時。
 黛がそう言ってコーヒーカップをカタンとダイニングテーブルに置く。
「………………ふえ……何が?」
「夕食の準備がだよ」
「………………ふえ」
 ルシールは最後の審判を待ち受けるような顔で、
「………………本当に黛ちゃんがフォローしてくれるの?」
 確認した。
「不肖黛さんが包丁の使い方を一から指導してあげますよ」
 請け負う黛。
 それからルシールと黛はキッチンに消えた。
 僕と華黒だけがダイニングに残される。
「どう思う?」
「何がでしょう兄さん?」
「ルシールのカレー」
「大丈夫でしょう」
「その根拠は?」
「黛がついていますもの」
「一緒にケーキ作ったんだっけ?」
「はい」
 華黒は躊躇いなく頷く。
 それから茶を飲み、
「手際の良さは私の認めるところです。センスもあります。いくらルシールがぶきっちょでも黛の指導があるのなら悲惨な結果にはならないでしょう」
 言を紡いでのけるのだった。
 僕も茶を飲む。
 黛の淹れた茶だ。
 とは言ってもティーパックだから誰が準備しようと同じ味になろうけど。
 さて、キッチンに消えたルシールと黛だけど、
「………………あう」
「ピーラーくらい素直に使ってくださいな」
「………………あう」
「包丁を扱うときは猫の手ですよ」
「………………あう」
「ほらほら。焦げないようにかき混ぜる」
「………………あう」
「白米はこっちで準備します故」
 そんなやりとりが聞こえてきた。
「華黒……」
「何でしょう?」
「本当に大丈夫だと思う?」
「ルシールに直接聞いてください」
「…………」
 何だかなぁ。
 僕は嘆息して茶を飲む。
 まぁ漫画でよくある殺人料理は出てこないだろうけど。
 それからも黛はルシールを指導して着々とカレーを完成へと近づけていった。
「よくやる」
 それが僕の本音だった。
 結果として……ふるまわれたカレーは具材の形が整っていないことを除けば普通のカレーだった。
「うん。美味い」
 僕が言う。
「評価に値しますね」
 華黒が言う。
「………………ふえ……ほとんど黛ちゃんに手伝ってもらったから」
 ルシールが謙遜する。
「料理は愛情が隠し味。それはルシールのものだよ」
 黛が言う。
「………………でも」
 反論しようとするルシールを、
「デモもストライキもないよ」
 黛が封殺する。
「まぁ未熟なのは黛さんとて否定はしないけどね。それでも非才は経験でカバーできる。全てがそうだとは言えないけど料理に関しては才能より経験が優先される」
 僕が苦笑した。
「よくそこまでルシールをフォローできるね」
「黛さんはルシールの親友です故。それに等価交換ですよ? ぶきっちょなルシールのフォローをする代わりにルシールは黛さんの勉強に付き合ってもらっていますから」
「勉強をルシールが……家事を黛が……ってこと?」
「忌憚なく言えば」
 黛は頷いてお茶を一口。
「理想的な共生だね」
「それが自慢です」
 黛はニッコリとして言う。
 僕は駄目だなぁ。
 それが率直な感想である。

    *

「…………」
 僕は思案する。
 結果として言葉数は少なくなる。
 ピチョンと湯船に水滴が跳ねる。
 天井に溜まった水滴が風呂に落ちた結果だ。
 場所は僕と華黒の城。
 その風呂場。
 僕は髪と体を洗って湯船に肩まで浸かるのだった。
「何だかなぁ……」
 そう呟いてしまう。
「では失礼します」
 そう言って華黒が風呂場に入ってくる。
 同時に僕は目を閉じた。
 暗闇が視界を支配する。
 正確には明かりによって毛細血管の模様と幻像の跡とが見えるのだけど別に追及するほどのものでもあるまい。
 目を閉じている僕に、
「別に裸くらい見られても構いませんよ?」
 そんな華黒の声が聞こえてくる。
 シャワーの音も一緒に、だ。
「性欲が抑えきれなくなるからダメ」
「それも別に構いませんが?」
「僕が構うの」
「兄さんは堅物すぎます」
「誠意と言って欲しいね」
「私にはそんなに魅力がありませんか?」
 んなわきゃねーだろ。
「華黒は十分魅力的だよ」
「では……!」
「ただ僕が臆病なだけ」
 僕は目を閉じたままハンズアップする。
 降参の意思表示だ。
「私はもう結婚できる年齢です。大人なんですよ?」
「僕は違うけどね」
「兄さんも後一年じゃないですか」
「とは言っても学生である以上引くべき一線がある」
「セックスは快楽の一手段でしょう?」
「子を生す一大事業だ」
「兄さんは考えすぎです」
「華黒が軽視し過ぎなだけだよ」
「むぅ」
「華黒と子を生すのは未来のこととして……それより華黒と二人きりのイチャイチャを楽しみたいからって理由じゃ駄目?」
「駄目では……ないですけど……」
 躊躇するような華黒の言葉だった。
「それで? 兄さんは何に憂いていたんですか?」
「ん〜? 僕と華黒の関係について」
「ラブラブですね」
 そうじゃなくて。
「僕は華黒にもらってばかりで何も還元できてないよね」
「は?」
 シャワーの音が止まる。
「ルシールと黛の関係性は共生だなぁって。ルシールが勉学をフォローして黛が家事をフォローする。対して僕と華黒の関係性は寄生だ。勉学も家事も華黒が負担している。僕は華黒に甘えてばかりで何も返せていない」
「……怒りますよ兄さん」
 危険な口調だった。
 長い付き合いだ。
 華黒が本気で苛立っていることは目をつむっている状況でも認識できる。
「何かまずいこと言った?」
「当然ですっ」
 そう言って華黒は湯船に入浴してくる。
 僕と華黒の肌が触れ合う。
 密着状態だ。
「兄さんは私に大切な傷跡をくださいました。愛と云う名の傷跡を」
「でも今の僕は華黒に頼ってばっかりだ」
「いいんです。かつての私だって兄さんに守られてばかりでした」
「だからこそ……!」
「はい。今度は私から兄さんに愛情を注げるように私は強くなる必要がありました」
「…………」
「今の私のソレは返しきれない負債を兄さんに少しでも返そうとしての行為です。兄さんが気兼ねする必要は何処にもないんです」
「でもさぁ……」
「壊れているのは兄さんも私も同じです。そして私にとって兄さんこそ世界の全て。なればこそ兄さんのためになるならその全てをしてあげたいんです」
「…………」
「いつか言いましたよね」
 何て?
「自分を卑下するのなら兄さんさえも私の敵です……と」
「世界を敵視する華黒が僕の敵であるかのように……かな?」
「ええ、まぁ、そうでしょうね」
 コクリと華黒は頷く。
 僕は自分に対して壊れた。
 華黒は世界に対して壊れた。
 だから僕らは密接に繋がった。
 しがらみだ。
 しかしてそれを否定するのはレゾンデートルを否定することにもなる。
 少なくとも僕も華黒もそれを望んではいない。
 改善はせねばならないけどね。
「いいのかな?」
「いいんです」
「本当に?」
「兄さんが負い目を持つ必要なんてありません。まぁそんな兄さんであるからこそ私は慕っているのですけど」
 …………。
「兄さんは一生かかっても返しきれないほどの愛を私に注いでくれました。であるからこそ私は兄さんを好きで、愛して、慕って、想いを寄せるんです。ただ兄さんにありがとうと言うために私は生を謳歌するんです。いけませんか?」
 ……そんなことは……ないけどね。

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