「Ppp! Ppp! Ppp!」 目覚まし時計が鳴る。 「ん……」 朝から騒がしい。 もう少しだけ眠りにおける安息を。 そう思っても仕方ないほど眠かった。 「ん……むに……」 騒音の元を黙らそうと腕を伸ばしてみたけど目標は捉えられず。 そして捕えられず。 そして僕の抵抗をあざ笑うように目覚まし時計の悲鳴はけたたましくなっていく。 虚ろと確固さの間で揺れる意識に割り込んできたのは目覚まし時計の悲鳴ともう一つ。 「兄さん。起きてください」 鈴振るような美声だった。 それが誰の声なのかは……長い付き合いだ……わかったけど、だからこそ甘えてしまう。 「……まだ寝る」 「昨日で春休みは終わりました。今日から学校ですよ」 「……でも寝る」 「遅刻はしないにしてもこのままいけば重役出勤ですよ」 「……それでも寝る」 「寝こみを襲いますよ」 「うう……わかった。起きるよ……」 僕はしぶしぶと意識を覚醒させた。 声の主は憤懣やるかたないといった様子だった。 「何でです!」 「何が?」 「なんで登校への危機忠告は渋るのに私が好意的行為を寄せると拒絶するように覚醒するんですか!」 激昂する妹……大和撫子然とした美少女……華黒の抗議に、 「寝こみを襲われたらたまんないし」 事実を突きつける。 「兄さん?」 「あいあい? くあ……」 欠伸を一つ。 だんだんと目が覚めてきた。 華黒の大胆発言もたまには役に立つ。 「私と兄さんの関係は?」 「……義兄妹」 「もう一つ!」 「……同姓」 「さらに一つ!」 「……クラスメイト」 二年生からの進路表で僕と華黒は理系クラスを選んだ。 だから二年生になってもクラスメイトなのは確実だ。 「まして一つ!」 「……婚約者」 「もうちょっと後退して!」 「…………………………………………恋人?」 「何で遠慮がちになるんですか!」 「騒がないで。頭に響く……って言うか……」 僕は前髪を片手でかきあげてニヒルを気取ると嘆息する。 「なんて格好してるの華黒……」 華黒の服装はエプロンしか見えなかった。 襟も裾も袖も見えない。 美しい四肢がエプロンから生え出ている。 ……いわゆる一つの裸エプロン。 「そういうことすると嫌いになるって言ってなかったっけ?」 「大丈夫です」 「何が?」 「裸エプロンなんて破廉恥なことしたら兄さんが怒ると思って……すでに解決策をうってます」 「………………聞かせて」 もう一つ欠伸。 「ほら」 とエプロンをたくし上げる華黒。 瑞々しい半裸があらわになった。 あくまで半裸が、である。 「なるほどね」 華黒はビキニを着ていた。 たしかにそれなら着衣がエプロンに隠れて、なんちゃって裸エプロンを演出できる。 意気込みは買うけど却下で。 「駄目ですか?」 駄目です。 背伸びをして体をほぐすと僕は立ち上がる。 「今日の朝ご飯は?」 「ご飯と冷奴とほうれん草のお味噌汁です」 「ん。よかれよかれ。それから今すぐ健全な寝間着か制服に着替えて。目に毒だよ」 「別に裸身を晒しているわけではありませんし健全かと」 そーゆー問題じゃない。 「華黒の性質はわかってはいるけどさ……そういうところから治していかないといけないでしょ?」 「私はこれでいいですのに……」 「僕が駄目」 反論許さず断じて、それからダイニングに顔を出すと、 「………………おはよう……お兄ちゃん」 「ども! おはようっすお姉さん!」 ルシールと黛が迎えてくれた。 ダイニングテーブルに陣取り……おそらく華黒がふるまったのだろう……コーヒーを飲んでいる。 「おはよ。それにしてもなに? 先に登校してくれても良かったんだけど。僕を待つのも苦痛でしょ?」 「………………迷惑……かな?」 「またまた! 黛さんがお姉さんと寄り添って登下校するチャンスを逃すわけないじゃないっすか!」 「…………」 まぁ何でもいいけどさ。 ガシガシと頭を掻く。 それから朝食をとって身だしなみを華黒によって強制的に整えられて制服を纏うと、僕は華黒とルシールと黛とともに玄関に立った。 「いってきます」 そう言ってガチャリと扉を施錠。 さあ、始業式だ。 * 「うへへへへぇ」 華黒が気持ち悪く笑う。 至福の一時なのだろう。 本人が満足であることに否定をするつもりはないけどちょっとは周りの……衆人環視の目を気にしてほしいのも本音で。 今は瀬野第二高等学校に向けて登校中。 衆人環視の僕と華黒に向けられている視線の三分の二は呆れと羨望が占めていた。 もう三分の一は華黒に見惚れるソレだ。 おそらく後者は新入生だろう。 華黒という完成された美を持つ華黒に一目惚れしない奴は男じゃない。 あるいはモーホーか。 僕は嘆息する。 「なんですか兄さん……そのあからさまな溜め息は?」 「誰のせいだと思ってるのかな?」 「恋人と腕を組んでの登校は青春グラフティ的で若者としては望むべきシチュエーションと存じますが」 優越感が無いかと言われれば否だけどね。 それでも、 「華黒を独り占めしているというのはプレッシャーだなぁ」 そゆことなのだった。 華黒は片手で鞄を持ち、もう片方の手……というか腕で僕の腕と組んでいる。 ラブラブバカップルモード全開だ。 「お姉様も大概心臓ですね」 これは黛。 「………………華黒お姉ちゃんは……綺麗で……一途だから……ね」 これはルシール。 二人とも学生服を着て鞄を持って僕と華黒の少し後ろを陣取っている。 後ろをチラリと見る。 ルシールは憂いの表情だった。 黛はニヤニヤしている。 おまけ……と言うにはルシールと黛は華やかすぎた。 ルシールは金髪碧眼の美少女。 黛もボーイッシュではあるが……それ故に中性的な顔立ちの美少女だった。 そして黒髪ロングの大和撫子……美少女と言うのも躊躇われる美貌を持つ華黒。 そんな三人と肩を並べて登校しているのだ。 嫉妬と羨望の視線に刺されるのはしょうがないといえばしょうがない。 「………………なんだか……目立ってないかな?」 今更なことをルシールが言う。 「ルシールは可愛いからね」 黛が苦笑する。 「………………ふえ……可愛く……ないよ?」 「謙遜も度が過ぎれば……って毎回言ってるでしょ?」 「………………ふえ」 ルシールは黛に封殺された。 「不肖黛さんもそれなりでしょ? お姉さん?」 「まぁね」 僕は否定しない。 「ルシールも黛も十分美少女だよ。華黒もそうだけど……これじゃ僕が美少女をはべらせていると誤解を受けてもしょうがないね」 「なに……お姉さんも綺麗ですから花の四人組ですよ」 いけしゃあしゃあと黛。 心臓はお前だ。 視線だけでそう語ると、 「や、冗談です」 黛は肩をすくめるのだった。 それから、 「ルシール……」 と隣を歩いているルシールに声をかける黛。 「………………なぁに黛ちゃん?」 コクリと首を傾げるルシールはちょっと可愛かった。 そんなルシールに寄り添って、 「黛さんたちも負けないようにしよう」 宣言する。 「………………具体的には?」 「友達同士腕を組む!」 「………………別にいいけど」 「うん。それでこそ親友。むしろ心の友と書いて心友」 そう言って黛はルシールの腕に自身の腕を絡ませるのだった。 いったい何なんだかな。 僕と華黒が腕を組み、ルシールと黛が腕を組む。 そして四人仲良く学校への道のりを踏破する。 ちなみに僕と華黒が男女交際として付き合いだしたのは去年の文化祭から……ということになっている。 その後色々あって一時的に解消されたりもしたけど……そんな諸事情を瀬野二の生徒が知るはずもない。 故に僕と華黒との関係性は周知の事実だ。 問題は……、 「やれやれ」 ルシールと黛との関係性だ。 こうやって一緒に登校しているだけで不条理な義憤の感情が突き刺さる。 羨望に嫉妬を一対一で混ぜ合わせた憤り方だ。 あまり良き感情とは言えない。 わかってはいるけどルシールや黛を無下にするわけにもいかず……結局のところ道化に甘んじる他なかった。 「なにあの美少女軍団……?」 「全員好みだ……」 「声かけてみろよ……」 「そういうお前が行けよ……」 そんなヒソヒソ声が聞こえてくる。 「…………」 もしかして美少女軍団に僕も入っているのでしょうか? もしかして全員好みだという認識に僕も入っているのでしょうか? もしかして声をかける対象に僕も入っているのでしょうか? 返答が恐いから聞かないけどさ。 僕は嘆息して登校を続けるのだった。 腕に華黒を引っ提げ、後方にルシールと黛を連れて。 「うへへへへぇ……」 華黒は腕を組んでいる僕の肩に頭部を乗せてラベンダーの香りを擦り付ける。 君は気楽でいいね。 * というわけで二年生に進級。 華黒は相も変わらずクラスメイト。 まぁ別のクラスになられるより面倒がなくていい。 猫の被り方は既にプロの域だが、僕とのお付き合いもあって最近は猫に少しだけ本音が混じることもないではない。 いい兆候だ。 「兄さん以外の人間に本音を晒す必要がない」 という考え方も僕にとっては解決すべき命題の一つだったからだ。 無論のこと作用には反作用が付随する。 本音を少し他人に見せるということは、即ち学校でも僕とイチャイチャラブラブコメコメしたいと相応に意志表現することに他ならない。 そっちについての解決策は今のところ思いついていない。 男子からは嫉妬の視線が。 女子からは胡乱な視線が。 それぞれ僕に刺さる刺さる。 自業自得……得をしてないから自業自損と言うべきかな……ではあるが故に僕は今日も嘆息する。 そんな華黒は新しいクラスに入るなり女子に声をかけられてチラッと鬱陶しげな表情を僕にだけ見せ、猫を被って応対した。 「香水つけたんだぁ?」 「ラベンダーです」 そんな切り口から始まり姦しい会話を繰り広げる。 このあたりの女子力は大したモノだ。 友達の少ない僕としては見習いたくあるけど、そもそも猫の被り方がわからない。 僕の多数ある欠点のわずか一つだけどさ。 僕は指定された席に座る前に見知っている女子がいたから声をかけた。 「やっほ」 「やっほ……」 碓氷さんだ。 「碓氷さんもこのクラスなんだ?」 「うん……まぁ……」 頬を桜色に染めておずおずと碓氷さん。 虐められた過去を持つ女の子だ。 人と対面するのが恐いのかな? それとも僕が避けられてるだけ? 試しに聞いてみる。 「これから一年間よろしくね」 「こっちこそ……」 嘘の予兆は発見できなかった。 僕の認識が正しいのか。 あるいは碓氷さんが僕より上手なのか。 前者だと思っておこう。 どっちにせよ一年間顔を突きつけあうのだ。 ここで自責する必要もないだろう。 「百墨さんとも同じクラス……だね……」 「まぁいくつかの事情と思惑が錯綜していまして……」 あははと渇いた笑い。 「華黒とも仲良くしてくれると兄として嬉しいかな」 「うん……。頑張ってみる……」 「感謝」 僕は右手を差し出す。 「…………」 碓氷さんは桜色の頬を桃色に染めて僕のシェイクハンドに応じた。 うん。 良かれ良かれ。 「じゃあ碓氷さん、またの機会に」 「うん……」 そう言って手を離すと僕は自分の席に着いた。 鞄を横のフックに引っ掛けて、ギシリと椅子の背もたれに体重を預ける。 そこに、 「よう」 と声をかけられる。 ソイツは僕の前にある空席の椅子に馬乗りで座り僕と対面する。 昴先輩と同じツンツンとした癖っ毛の男子だ。 美男子ではないけど好男子と呼んでいい奴。 部活はしていないが体つきは平均より逞しい。 そう言えばソイツの家では護身術を教えられるんだったっけか……。 酒奉寺統夜。 それがソイツの名前だ。 昴先輩の弟。 僕の手首の傷と女顔を差別しないで接してくれる唯一の男子。 即ち貴重な友達だ。 「おはよう真白。美少女複数名を連れて登校とはいい度胸だ」 「おはよう統夜。どこで聞いたのソレ?」 相も変わらず耳の早い。 「既に噂になってるぞ。華黒ちゃんだけでなく他にも二人連れて歩いていたってな」 「まぁ袖擦り合うも他生の縁っていうし」 「知り合いなのか? ハーレムなのか?」 「前者」 僕は頬杖をつく。 「僕の従姉妹とその友達。アパートの隣室……つまりご近所さんになってね。登下校を一緒することになったんだよ」 「金髪の方は?」 「外見まで出回ってるの?」 「そりゃ金髪の美少女ともなれば噂されない方がおかしいだろ」 だね。 「金髪の子は百墨ルシール。僕の従姉妹だ」 「新入生の間じゃちょっとした有名人だぞ。入学早々他の一年生の男子に目をつけられたらしい」 「可愛いしね」 「とんだジョーカーだな」 「そういう目で見てはいないけど。僕には華黒がいるし」 相手方がそうじゃないことまで統夜に説明する義理もないだろう。 「リア充め」 「本当にリア充なら統夜以外にも友達がいるはずさ」 「ごもっとも」 くつくつと統夜が笑う。 不本意だなぁ。 |