超妹理論

『生まれ出でた日に祝福を』後編


 アパートを追い出された僕は、
「やれやれ」
 と呟いて頬を掻く。
 ツイと視線を横にやる。
 同じく追い出されたルシールと目が合った。
「…………」
「………………ふえ」
 ルシールは赤面して視線を逸らす。
 うーん。
 抱きしめたい。
 やらないけどね。
「さて……」
 自分に言い聞かせるようにそう呟いて、
「ルシール」
 と呼んでみる。
「………………何でしょう? ……お兄ちゃん」
 ルシールは赤面するばかりだ。
 胸の前で両手の指を絡ませては解き、解いては絡ませるという行為に終始している。
「とりあえずショッピングモールにでも行ってみようか」
「………………一緒して……いいの?」
「大歓迎」
「………………ですか」
 もじもじするルシールは小柄で可愛らしく適度な高さにおでこがあるためそこにキスの一つでもしてみたくなる。
 やっぱりやらないけどね。
 代わりにルシールの右手を自身の左手で握って先導する。
「………………ふえ」
 と狼狽することしきりなルシール。
「あれ? 手を握っちゃ駄目だった?」
「………………そんなこと……ないです」
「ん。なら良かった」
 半分はわざとだけどニッコリ笑ってルシールを更に紅潮させてみる。
「………………ふえ」
 それだけ言って黙り込むルシール。
 ルシール。
 百墨ルシール。
 金色のセミロングの髪。
 碧眼。
 ハーフ。
 華黒が日本人形のような美しさならルシールは西洋人形のソレだ。
 総じて臆病で自分に自信を持てない謙虚な性格。
 謙虚というか自己否定的というか。
 積極的な華黒とは対照的に慎み深い女の子。
 僕としては態度だけを見るならルシールに軍配があがる。
 これは別に浮気心とかそういうものではなく……純粋に慎ましやかな小動物的なルシールが好意的だというだけの話だ。
 僕の心のメモリは大部分を華黒に蚕食されている。
 華黒の場合はしょうがない。
 僕を好きになる以外に逃げ道……というか捌け口がなかったのだから。
 だがルシールは違う。
 趣味が悪いと言わざるをえない。
 蓼食う虫も……と言えばそれで議論は終わるけど。
 中略。
 僕とルシールはショッピングモールの百貨繚乱に赴いた。
 そこで喫茶店を見つけてティータイムとしゃれ込む。
 僕はコーヒーを、ルシールは紅茶を頼んだ。
 ルシールは手を握って喫茶店まで無言を通した。
 僕は沈黙を愛する人間だったからそのことに対して何かしらの負の感情なぞ持ち合わせようもなかったけどルシールは違ったらしい。
「………………ごめんなさい」
 そう謝ってきた。
 カチンとティーカップと受け皿が打ち鳴らされる。
「何が?」
 すっ呆ける僕。
「………………私……華黒お姉ちゃんや……黛ちゃんみたいに……上手くお喋りができなくて」
「黙っていたのはお互い様だよ」
 僕はくつくつと笑う。
「沈黙は嫌いじゃないから。ルシールの手の温もりを感じられるだけで幸せだった」
「………………でも」
「ルシールみたいな可愛い子とデートできるだけで十分だよ。別に会話を盛り上げるだけがデートじゃないしね」
「………………デ……デート」
「最高の誕生日プレゼントだよ」
 そう言って安心させるために笑ってあげると、
「………………ふえ」
 と赤面して紅茶を飲むことで誤魔化すルシール。
 テイクアウトしたい。
 されどもやらないけどね。
 コーヒーを飲む。
「………………お兄ちゃんは……」
「何?」
「………………優しいね」
「そう?」
「………………うん」
 おずおずと……しかして確固たる感情を瞳に乗せてルシールは頷いた。
「自覚は無いけどなぁ……」
「………………だから……すごいよ」
「そんなもの?」
「………………そんなもの」
 そして紅茶を飲むルシール。
 何が優しかったんだろう?
 僕にはまったく理解できない。
 ルシールがおべっかを言っているわけじゃないのはわかるけど……さりとて自覚できないものを認識できるように人間の構造は出来ていない。
 僕はコーヒーを飲み、ルシールは紅茶を飲む。
 ほんわかした空気が流れた。
 何だかなぁ……。

    *

 それから僕とルシールは手を繋いで仲良くモールをまわった。
 持ち合わせが厳しいため……無論気負わせてしまうためルシールには内緒だ……ウィンドウショッピングに終始する。
 あの服が綺麗だとか、このアクセサリーが素敵だとか。
 手を繋いだまま。
 ルシールは外見が実年齢にあまり追いついているとは言えない。
 これから高校生になるのだけど見た目で語るなら中学生平均相応だろう。
 可愛らしいからそれはそれでいいんだけど。
 というわけで衆人環視には仲の良い兄妹と思われているんじゃなかろうか。
 うん。
 見栄張りました。
 実質的には仲の良い姉妹かな?
 不本意ではあるけれど。
 とまれ、次の店を覗こうと歩き出そうとして、
「………………真白お兄ちゃん」
 とルシールが言葉で僕の歩みを止めた。
「なに?」
「………………誕生日プレゼント……消耗品なら……いいんだよね?」
「ルシールとデートしてるだけで十分プレゼントだよ?」
「………………ふえ」
 ルシールは可愛らしく狼狽えたけど本人なりにたてなおしたのだろう言を紡ぐ。
「………………あの店で……プレゼントを……買ったら……受け取って……くれますか?」
 そう言ってルシールが指差した先にはアロマ専門店が。
 アロマテラピー。
 芳香によって人体の害を大きかれ小さかれ実質的であれ精神的であれ取り除く薬効術だ。
「それくらいなら」
 僕は安易に頷いた。
 パッとルシールの表情が華やぐ。
 僕にプレゼントできるのが嬉しいらしい。
 喜べばいいのやら悩めばいいのやら。
 そこでズルいとわかっていながら思考を停止し、僕とルシールはアロマ専門店に入った。
 同時に異界に迷い込んだかのような芳香が僕たちを出迎えてくれた。
 ルシールが言う。
「………………じゃあ……お兄ちゃんへの……プレゼント……選んでくるね」
「無理のない範囲でいいからね?」
「………………うん」
 一つ頷いてトテトテとルシールは店内の奥へと消えていった。
「さて、僕はどうしようかな?」
 なんて思って店の中を歩き回っていると一人の知り合いを見つけた。
 女の子だ。
「碓氷さん。アロマテラピーに詳しいの?」
「〜〜〜〜〜っ!」
 美少女と言って差し支えない美少女にして美少女好きな酒奉寺昴に見初められたハーレムの一人……碓氷さんがいた。
 まぁハーレムに入ったのは僕が原因ではあるのだけど。
「百墨くん……」
「どうも」
「何故ここに……?」
「大した理由じゃないよ。碓氷さんは?」
「こっちも大した理由じゃない……」
「そっか」
「そう……」
「そう言えば話してなかったね」
「何を……?」
「昴先輩が卒業しちゃったでしょ? あれからまたイジメとか起きてない?」
「大丈夫……。お姉様のハーレムが生徒会長になったから……。ハーレムの発言力はいまだ堅牢……」
「ああ、あの生徒会長ハーレムだったんだ。まぁたしかに美人だったよね」
 僕は生徒会選挙で会長の座を射止めた美少女を思い出す。
 相も変わらず先輩の手は長いらしい。
「ま、イジメに関しては起きてないならいいんだ」
「少なくとも高校生の内は大丈夫だと思う……。その先は知らないけど……」
「卒業した後まで虐めるほど陰湿な性格には見えなかったけどね」
 苦笑する他ない。
「うん……。だから大丈夫……」
 さいですか。
「でも何故それを……?」
「?」
 クネリと首を傾げる僕。
 会話の転換点が見いだせなかったが故だ。
 それを悟った碓氷さんが言葉を補足する。
「何で百墨くんが私の顛末を気にするの……?」
「あ、もしかして気にしちゃ拙い?」
「そんなことはないけど……」
「そもそも僕と碓氷さんの関係が定義できないから何を言うでもないけど……あんまり負の感情や状況を容認するのが難しいと言えば納得してくれる?」
「優しいんだね……」
「それ、別の子にも言われたけど自覚は無いよ?」
「だからすごいんだよ……」
「それも言われた」
「だったらその子を大切にすべき……」
「うん。進言ありがと」
「じゃあ私はこれで……」
 そう言って香油の入った瓶を持って逃げるようにレジへと向かう碓氷さんだった。
 あれ?
 もしかして苦手意識持たれてる?
「ううん」
 と唸っていると、
「………………お兄ちゃん」
 と今度はルシールが入れ替わりで現れた。
「………………はい……プレゼント」
 おずおずと紙袋を差し出すルシール。
「中を見ても?」
「………………うん」
 中身はアロマキャンドルでした。
「ありがとねルシール」
「………………うん……誕生日……おめでとう……ございます……お兄ちゃん」
 はにかむように微笑するルシールだった。
 可愛い可愛い。

    *

 それからモールをまたウィンドウショッピングを開始して、いくらか店をまわったところで華黒から連絡が入った。
「ケーキが出来たから戻ってきてください」
 と。
 素直に帰宅する僕とルシール。
 今日は僕と華黒の城で僕と華黒とルシールと黛が一堂に会しての夕食となった。
 夕食は焼き肉だ。
 白花ちゃんの誕生日プレゼント。
 和牛セレクション。
「焼くのが一番いいでしょう」
 そんな華黒に反対意見は出なかった。
 そして僕たちは高級和牛を堪能した。
 結果を言うのなら一介の高校生では手の届かないクオリティでした。
 肉のくせして口に入れると溶けるのだ。
 ううむ。
 白坂、恐るべし。
 あ。
 僕もか。
 やっぱり自覚は無いけど。
 とまれかくまれ僕たちは和牛の焼き肉を堪能し、それからデザートとして華黒と黛が焼いてくれたホールケーキを切り分け食べるのだった。
 華黒の技量については心配していないけど黛も大概だったらしい。
 華黒をして、
「器用な手先でしたよ」
 と言わしめるのだった。
「お姉さんとお姉様に喜んでもらえるよう不肖黛さん……全力を尽くしました」
 とのこと。
 実際ケーキは美味しかった。
 苺のショート。
 シンプルであるが故にベストの選択だ。
 白いと云うのも僕に通ずる物がある。
 苺の酸味。
 クリームの甘味。
 スポンジの柔らかさ。
 どれも専門店のソレに劣らぬ仕上がりだ。
「うまうま」
 と華黒と黛に感謝してケーキを頬張る僕。
「美味しかったのなら良かったです」
 華黒が柔和に笑う。
「黛さんとしても光栄です」
 黛がニッコリ笑う。
「………………あう」
 とルシールが悲しそうな顔をする。
 ケーキ作りに参加できないことを嘆いているのだろう。
 それくらいはわかる。
 真っ先にフォローしたのは僕ではなく黛だった。
「大丈夫ですよルシール。来年の今頃はルシールもケーキの一つくらい焼けるようになりますって。黛さんが手ずから教えてあげますよ」
「………………うん……よろしく……黛ちゃん」
 ケーキをパクつきながらルシール。
 そして準備された全てを胃袋に押し込めると僕は、
「御馳走様」
 と犠牲と奉公に感謝した。
「お粗末様でした」
 これは華黒と黛が同時。
 そして二人がダイニングテーブルの上を片付けてキッチンにて皿洗いを開始するのを見届けた後、
「じゃあ僕はお風呂に」
 と風呂の準備をして脱衣所へと消えた。
「兄さん、私と……!」
「却下」
 華黒の懇願ににべもなく僕。
 そもそもにして後輩のいる前でそんなことが出来るはずもない。
 風呂を出た時にはルシールと黛は自身の城へと帰っていた。
 同じアパートの隣の部屋。
 まぁ器用な黛がいればぶきっちょなルシールの心配もいらないだろう。
 後は寝るだけとなった。
 僕はルシールからもらったアロマキャンドルを取り出す。
「そんなものを買ってきたのですか?」
 華黒が、
「意外です」
 と言う。
「ルシールからの誕生日プレゼントだよ」
 苦笑する僕。
「ふうん……」
 何でもなさそうに呟く華黒。
 しかして心中は嫉妬に渦巻いていることだろう。
 長い関係だ。
 それくらいは察せられる。
 本来なら僕と華黒だけで慎ましく誕生日を祝いたいというのが華黒の本音だ。
 妥協はある程度出来るものの愚痴や不満が無いと言えば嘘になるだろう。
 だから僕はアロマキャンドルに火をつけると電気を消し……その乏しい炎の明かりの中で華黒の頭をクシャクシャと撫でた。
「華黒の愛情は十分伝わっているよ」
 華黒は乏しい明かりの中で気持ちよさそうに目を細める。
 ちなみにお互い寝巻を着て一緒の布団に入っている。
 アロマキャンドルの香りを心地よく思いながら……それから華黒が抱きついた腕にムニュウとした心地よさを感じながら……僕はベッドに横になる。
 眠ろうと意識する僕。
 そんな僕の腕に抱きついている華黒が、
「兄さん……誕生日おめでとうございます」
 そう言葉を綴って頬にキスしてきた。
「華黒もね」
 今度は僕が華黒の頬にキスをする。
 恋人同士だ。
 これくらいは許されるだろう。

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