超妹理論

『生まれ出でた日に祝福を』前編


「誕生日……ねぇ?」
 僕はズズとコーヒーをすすった。
 無論のこと華黒が淹れてくれたものだ。
 今日は四月二日。
 僕の誕生日。
 ちなみに昨日……四月一日は華黒の誕生日であった。
 しかしややこしいことに四月一日はエイプリルフールで、どんな真摯な言葉も嘘に変換できる日である。
 故に華黒の誕生日も四月二日に祝うのが通例。
 今年から策謀するだろう連中にはその旨通達してある。
 抜かりはない。
 ちなみに昨日の朝と今日の朝に祝福のキスは華黒と済ませてある。
 言葉は嘘に出来るけど行動は嘘には出来ない。
 そこに込められた意志には嘘がつけるけど結果論で問うなら無益な嘘になってしまうのは……まぁご存知の通り。
 そんなわけで、
「おはようございます兄さん」
「おはよう華黒」
「誕生日おめでとうございます」
「ありがと」
 という流れでキスをしてしまったのである。
 いいんだけどさ別に。
 僕も華黒のことは好きだから。
 本人に言うと調子に乗られるから一切口にはしないんだけど。
 ツンデレかな?
 とまれかくまれ、嵐の前の静けさを前に目を覚ますべくコーヒーを飲む僕だった。
 ピンポーンとドアベルが鳴る。
 来た。
 さぁ一番手は誰だろう?
「はいはいはーい」
 と華黒が玄関に出向いて応対する。
 ダイニングでまったりしてると口論が聞こえてきた。
 華黒にしてみれば僕の誕生日を祝う人間は自分だけでいいとでも思っているのだろう。
 その辺の意識改革が僕の命題の一つだ。
 そしてしぶしぶと云った形で華黒に招かれ顔を出したのは幼女だった。
 小学生。
 僕はそれが誰だか知っていた。
「諦めましたよ!」
「どう諦めた?」
「諦めきれぬと諦めた!」
 さいですか。
 名前は白坂白花ちゃん。
 僕の本物の従姉妹だ。
 白坂家はこの辺りの地主である酒奉寺家……その隣街の地主として有名だ。
 僕はその白坂の血を引いていたりする。
 高貴な生まれって奴かな?
 自覚はまるで無いけど。
 一線引いて付き合ってはいるんだけど白坂家としては僕を白坂に引き込もうと色々画策しているらしい。
 それと密接に関係しているわけではないのだけど……とまれ白花ちゃんは僕のことが大好きでこうやってちょくちょく訪問してくる。
 今日は僕の誕生日ということもあって訪問してくるだろうことは予想の範疇だ。
 驚くほどのことでもない。
「お兄様の誕生日を祝福しようとしましたのにクロちゃんが威嚇してくるんですよ。お兄様……躾はちゃんとなさってくださいな」
「一種の様式美だよ」
 レゾンデートルとも言う。
「ともあれお誕生日おめでとうございますお兄様。ささやかですがプレゼントです」
 そう言って大きな袋を示してみせた。
 さっきから気になっていた袋ではあるけれどやっぱりの僕へのプレゼントか。
「中身はなぁに?」
「和牛セレクションです」
「なるほどね」
 ちなみにここに訪問してくるだろう人間には、
「プレゼントは消耗品に限る」
 と伝えてある。
 そうでもしなければ指輪だのなんだのと扱いに困るモノを贈られる可能性があったからだ。
 消耗品なら消費すればいいのだから後腐れが無いと……そういうわけ。
「華黒」
「何でしょう兄さん?」
「コーヒー。三人分」
「白花にまで茶を出せと?」
「お客をもてなさないでどうするのさ。しかも僕を祝福してくれる人に対して」
「むぅ」
「クロちゃん……私ミルクと砂糖たっぷりで」
「……………………了解しました」
 不満そうにキッチンへと消えていく華黒。
「華黒がごめんね。あまり嫌わないでやって」
「私も同じだから気持ちは痛いほどわかるよ」
 小学生なのに何だかなぁ……。
「それよりお兄様?」
「なにさ?」
「いい加減白坂家に帰順されては?」
「百墨の父さんと母さんには良くしてもらっているしねぇ……」
「手切れ金はちゃんと積みますよ?」
「白花ちゃんならそれで不十分ってことくらいわかってるでしょ?」
「まぁ……」
 ムスッとする白花ちゃん。
 良かれ良かれ。
 華黒のふるまったコーヒーを飲みながら白花ちゃんが言う。
「略奪愛も困難であるほど燃えますし」
 当人は気付いてないけど小学生の言葉じゃない。
 好かれるのは純粋に嬉しいんだけどね。
 華黒が口を挟む。
「いい加減諦めませんか? 兄さんは私の恋人です。あなたのお兄様ではあっても恋仲には至れませんよ?」
「だから諦めましたよ」
「どう諦めた?」
「諦めきれぬと諦めた」
 ちゃんちゃん。

    *

 ピンポーンとドアベルが鳴った。
 昼食をとり終えた後だ。
 華黒の口がへの字に折れ曲がる。
 まぁ気持ちはわかるけどそれなりの対応を。
 そう視線に宿してコクリと頷いてみせ、それからコーヒーを飲む。
「私と兄さんの絶対時間が……」
 どの系統も百パーセント引き出せるのかな?
 客への対応をしに玄関兼キッチンへと消えていく華黒。
 しばしの静寂。
 それから華黒の悲鳴。
 それだけで僕は訪問者の正体を知る。
 完璧超人であるところの華黒には希少にして珍しい数少ない天敵だ。
 そしてその人物はコーヒーを飲んでいる僕……その居るダイニングに顔を出した。
 茶髪のツンツンとした癖っ毛。
 怜悧な顔立ちに獲物を狙う猟犬のような瞳。
 頬には紅葉マーク。
 どうせ華黒にセクハラをかまして頬に平手をくらったのだろう。
 その程度は推測できる。
「やあ真白くん」
 酒奉寺昴先輩がそこにいた。
 春らしいジャケットを翻しながら先輩はダイニングテーブルの席に着いている僕に歩み寄ってくる。
 そして、
「時経てど変わらず君は桜の妖精のように可愛いね。とても男とは思えない愛らしさだ。そしてそれ故に私は惹かれるのだろう。まったく罪深い……」
 その言葉にこそ僕は引くのだけど。
 こっちとしても相も変わらず歯の浮くようなことを呼吸するように口にする人だ。
 コーヒーカップをテーブルに置く僕のおとがいを持って、
「さあ妖精さん? 私と愛を深めよう」
 唇を近づけ、僕の唇を奪おうとし、
「そんな権利はあなたにはありませんよ?」
 華黒によって阻まれた。
 華黒が比喩表現ではなく先輩の後ろ髪を引っ張ってキスを阻止したのだ。
 助かった。
「痛いじゃないか華黒くん」
「兄さんにキスする権利を持つのは私のみです!」
「では華黒くんに」
「しなくて結構です!」
「君の首筋は甘かったよ?」
「抹消したい体験です……」
 何をされたんだろう?
「ともあれ真白くん。誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
「はい。プレゼント」
 そう言って手に持った紙袋を渡してくる。
「中を見ても?」
「無論さ」
 入っていたのは小さなガラス瓶だった。
 中には液体が。
「香水?」
「プレゼントは消耗品に限るとあったんでね」
 青と緑のガラス瓶に入った香水だった。
「緑色が真白くんの物だ。香りはウッド……つまり森。青色が華黒くんの物。ラベンダーの香りだよ」
「香水……ですか」
「私とのデートのときは是非つけてもらいたいね」
「そんな予定そのものがありませんが」
「真白くんは?」
「まぁ先輩がその気にさせてくれるなら……でしょうかね」
「兄さん!」
 憤激の華黒。
「その答えで十分だよ」
 先輩はくつくつと笑った。
 まぁデートくらいで気がまぎれるならそれもいいだろう。
「ところで大学の準備とか大変なんじゃないですか?」
「別に学校が変わるだけさ。一番近場の大学を選んだから引っ越す必要もないしね」
「ちなみにどこでしたっけ?」
「雪柳学園大学。白坂家の領域だが……問題あるまい」
 どうせロールスロイスで送迎されるのだろう。
「新しい出会いがありそうですね」
「まったくまったく。高校生とはまた違う恋愛も出来るだろう。大人でも子供でもない……しかして初々しくも甘酸っぱい恋愛事情をね」
 ブレないなぁ……この人。
「後輩のハーレムはいいんですか?」
「無論そちらにも愛情は注ぐさ。愛は無限だ。有って有りすぎるということはない。時間は有限だが膨大でもある。ならばハーレムの後輩に会う時間なぞ幾らでも作れるよ」
「さいですか」
 愛情定量論者の僕には手に余る思考だ。
 先輩の愛を否定する気はないけどね。
「ともあれ誕生日を祝福してくださってありがとうございます」
「なに。真白くんを想えばこそ……さ」
「だからそれに感謝です」
「うむ」
 快活に頷くと先輩は、時計を見た。
「そろそろ穂波くんとの待ち合わせの時間だな」
「薄っぺらい愛ですね」
「愛情定量論なんて意識の総合として損するだけだよ。止めたまえ。愛情こそは人間に許された無限のエネルギーさ」
「時間が有限なら注がれる愛情も有限である証拠です。誰かを愛することに時間を使えば、それだけ別の人間を愛する時間が奪われるでしょう?」
「それは一つの結論ではあろうが時間には密度が付随する。なればこそ華黒くんの理論は極論と言わざるをえないね」
 苦笑する先輩だった。
「なんなら時間を濃密に感じられる体験をしてみるかい? 私は何時でもいいよ?」
「私は兄さん以外に体を許したりはしません」
「それを言っても無駄って奴だね。華黒くんを取り込むには足がかりとして真白くんを取り込むことから、か。障害があるほど愛は燃え上がる。それについては今更だが……まぁゆっくりじっくりと攻略することにするさ。ではね」
 そして昴先輩はヒラヒラと手を振って去っていくのだった。

    *

 かくとだに、えやはいぶきの、さしも草、さしもしらじな、燃ゆる思ひを。
 昔の人も、
「燃える思い」
 という言葉を使っていらっしゃるらしい。
 心に燃える恋慕を、しかして言葉に出来ない口惜しさ。
 僕の場合はあえて口にしないんだけどね。
 言霊は存在すると僕は信じている。
 オカルトには興味は無いけどこれは例外。
 無論、言葉が無力な状況もある。
 それも把握はしている。
「ペンは剣よりも強し」
 とは言うものの、
「権力とは銃口から生まれる」
 なんて言われる社会も存在しているわけで。
 言葉で解決しないこともあるけど解決することもある。
 少なくとも僕が華黒に囁いた愛情表現は絶望に陥った華黒を一度救った。
 昴先輩に台無しにされたけど。
 閑話休題。
 この場合、言葉とは言葉それだけではなく人間の認識する言語機能全般を指す。
 人が思考するにあたって脳は言語で組み立てる。
 本能や反射と云った判断基準もありはするが人間が人間らしく行動するにあたっては言語思考は必要なものだろう。
 また言葉は契約である。
 時に愛の契りであり、時に友情であり、時に借金の契約書であったりする。
 特に最後のは強力だろう。
 文字や数字という言葉がそのまま支配力に直結する。
 新約聖書はこう言っている。
「初めに言ありき。言は神とともにあり、言は神なりき」
 神とは言葉なのだ。
 ある意味で皮肉。
 穿った見方をするなら偶像崇拝を嘲弄する言葉ともなる。
 何故って?
 言葉は人間が創ったからだ。
 さらに言えば旧約聖書や新約聖書の《約》は契約の約だ。
 契約の天使であるメタトロンは天使の中でも最も神に近い位置にいる。
 カバラ学でいえば最高位だ。
 契約を成立させ言霊を持つ。
 それが言葉というものだ。
 つまり何が言いたいかというと、
「兄さん」
「なに?」
「愛しています」
「……………………ありがとう」
 華黒は愛の囁きがいかに僕に影響するのかわかっていないんじゃないかと思う時があるわけだ。
 無論華黒の想いも悟っている。
 華黒は僕と同等以上に心に傷を持っている。
 だから愛情を言葉にして常に僕に確認をとらないと安心できないのだ。
 常に求愛して僕を意識させないと安寧できないのだ。
 そしてそんな華黒だからこそ僕はとても愛おしい。
 外面も内面も……その全てが……その生き様が。
 かといって本心にて返せばその言葉はあまりに強力な影響を持ってしまう。
 結論……言霊だ。
「たまには兄さんからも愛を囁いてほしいです」
「あいしてるよかぐろ〜」
「誠意が抜けています!」
「炭酸みたいだね」
 ケラケラと笑ってやる。
 それからクシャクシャと華黒の頭を撫でる。
「大丈夫だよ」
「…………」
 頬を桃色に染めて、僕の隣の席に座っている華黒はコトンと僕の肩に頭部を乗せる。
 うん。
 可愛い可愛い。
 と、ピンポーンとドアベルが鳴った。
 現在午後一時半。
「時間通りですね」
 華黒がそう言って席を離れたことでダイニングに漂っていた恋模様の空気は霧散した。
 華黒が玄関応対することで客が入ってくる。
 一人は金髪碧眼の西洋人形のような美少女。
 一人は黒髪ショートのボーイッシュな美少女。
 ルシールと黛だった。
「お姉さん! この度は誕生日おめでとうございます!」
「………………おめでとう……お兄ちゃん」
 黛は快活に、ルシールはおずおずと祝福してくれる。
「ありがと」
 それだけ言って僕はコーヒーを飲む。
 華黒の淹れてくれたものだ。
「ではお姉様……始めましょうか」
「ですね」
「何を?」
 最後の言は僕。
「これから黛さんとお姉様とで、お姉さんとお姉様を祝福するケーキを作るんです。材料はほら……ここに」
 そう言って手提げ袋を掲げてみせる黛。
 なるほどね。
「というわけでお姉さんとルシールは邪魔なのでこちらから連絡があるまで外をブラブラしていてください」
「………………ふえ?」
「わかったよ」
 ルシールがキョトンとし、僕が首肯する。
 まぁ美少女であるところのルシールとデートが出来るだけでも十分なプレゼントだ。
 拒む理由は無い。
「………………お兄ちゃん……いいの?」
「ルシールは嫌?」
 沈黙して首を横に振るルシール。
「兄さん?」
「わかってるよ。でもこんな機会なんだから手を繋ぐくらいならいいでしょ?」
「まぁそれくらいなら……」
 しぶしぶと云った様子で自身を納得させる華黒だった。
 いい子いい子。

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