結局何をするでもなく……ランジェリーショップには行っていない、念のため……ショッピングモールを歩き回るだけで時間を消費した僕と華黒はそのまま帰宅した。 ちなみにルシールの件だけど向こうから迎えに来ることになっている。 どのアパートに引っ越したかは知らないけどソレも今日わかる。 無理に聞きだす必要もないだろう。 「華黒」 「何でしょう兄さん」 「大好き」 「ふわっ!」 ボンッと華黒が赤くなる。 自分は好きだ好きだと言う華黒だが僕からの愛情表現には慣れていない。 まぁ滅多に好意を口にしない僕のせいでもあるのだけど。 冗談はさておき、 「コーヒー淹れて」 「はい! 任せてください兄さん! 愛情たっぷりのコーヒーにしてみせます!」 華黒は意気揚々とキッチンに向かった。 なにこのチョロい生き物? まぁ僕のせいなんですけどねー。 僕はといえば図書館で借りてきたライトノベルを読む。 最近の流行だ。 頭を使わずに読める小説というのも珍しいモノで、暇つぶしにはちょうどいい。 主人公がピンチになったところで華黒がコーヒーを用意してくれた。 「ありがと」 「兄さんのためですもの」 なにこの可愛い生き物? まぁ僕のせいなんですけどねー。 コーヒーを飲みながらライトノベルを読み進める。 華黒はコーヒーを飲みながらニコニコと笑顔を僕に向けていた……ので問うてみる。 「僕の顔って面白い?」 「綺麗ですよ? 見ていて幸せな気分になります」 さいですか。 お手軽なことで。 口にしないで呆れていると、ピンポーンとドアベルが鳴った。 「はいはいはーい」 と華黒が応対する。 「あら……まぁ……」 と華黒の呟きが聞こえてくる。 客の声は聞こえてこない。 「兄さん」 と華黒が僕を呼んだ。 栞を挟んで本を閉じると僕もキッチン兼玄関に向かう。 客は金髪碧眼の美少女だった。 そして僕は……華黒も……その女の子を知っていた。 百墨ルシール。 僕と華黒の義理の従姉妹だ。 「………………真白お兄ちゃん……こんばんは」 おずおずとルシールが言う。 引っ込み思案な性格と、それを表すたどたどしい言葉遣いは相変わらずだ。 こう言っちゃなんだけど新しい家族に怯える子猫のような印象さえある。 「はいこんばんは」 春も中頃、日はまた落ちて、全き全てを、闇へと誘う。 いや、自分でも何の歌だかわからないけど。 七拍子って歌にしやすいんだよね。 考えた日本人はえらいと思う。 ともあれ、 「ご飯出来たの?」 「………………うん」 おずおずかつコクリと頷くルシール。 「………………真白お兄ちゃん……華黒お姉ちゃん……来てくれる……?」 「もちろん」 「当然ですよ」 僕と華黒はニコリと笑った。 「………………あう」 ルシールは赤面する。 可愛い可愛い。 そして僕と華黒は玄関から外に。 出たのは当然だけどアパートの玄関並ぶ通路だ。 「………………こっち」 とルシールが誘導したのは僕と華黒の住んでる部屋の玄関の……隣の玄関だった。 「はい?」 これは僕と華黒が同時。 ルシールは玄関を開けて中に呑み込まれていく。 慌てて続く僕と華黒。 「もしかしてルシール……僕たちの部屋の隣に引っ越してきたの?」 「………………うん」 コクリと頷くルシール。 完全に意表を突かれてさあどうしよう。 「一人暮らし?」 「………………ルームシェア」 誰と、という問いを言う前に回答は現れた。 「ルシールお帰り。そしてそっちがお姉さんにお姉様? お二方とも写真で見るよりずっと綺麗ですね」 女の子だった。 黒いショートカットに暗い瞳を持った少女だ。 美少女の部類には入るけど……どこかボーイッシュで中性的。 健全に美少女と呼ぶには引っ掛かる容姿をしている。 無論顔立ちが整っていることに反論の余地は無いけども。 ボーイッシュな女の子はニコニコとした笑顔で僕と華黒に歩み寄り、 「ども。真白お姉さんに華黒お姉様。お会いできて光栄です。仔細はルシールから存分に聞いております。当方、黛と申しまして。よろしく願えたら幸いです」 そう言って握手を求めてきた。 「お姉さん?」 「お姉様?」 僕と華黒は黛ちゃんと握手を交わしながら困惑した。 「ささ、あがってくださいなお姉さんにお姉様。食事にしましょう。手打ちの引っ越し蕎麦を用意しました。本来ならお姉さんたちの部屋に訪問して渡すべきですがお隣ということもあってこちらで食してもらおうと思っております。ざる蕎麦で構いませんか?」 「はあ」 僕と華黒はポカンとした。 * 要するにルシールと……それからルシールと仲のいい友人である黛ちゃんとが瀬野二に入学するにあたって一人暮らしを強いられた。 ならばルームシェアにして僕と華黒の部屋の隣に引っ越そうと思い立ったらしい。 元々二人暮らしを前提としたアパートだ。 一人じゃ広すぎる。 ルシールが黛ちゃんとここに引っ越してきたのも別に不思議なことじゃなかった。 ルシールは……僕に言われたくはないだろうけど……ぶきっちょだ。 黛ちゃんがフォローしてくれるならそれもいいだろう。 「黛ちゃんはそれでいいの?」 これは僕の問い。 「どうぞ黛と呼び捨ててください」 これは黛ちゃんの答え。 「ま、黛は……」 ちょっと呼び捨てることに緊張。 「黛はそれでいいの?」 「はいな。ルシールとは中学から親しくさせてもらっていますし一緒に暮らすならこれ以上の人選はありません。それにルシールが二言目には口を出すお姉さんとお姉様に出会えたことも僥倖です」 蕎麦を湯がきながら黛。 「なんでお姉さん? 僕、男なんだけどね……」 「知ってますが事後承諾的に納得してもらうってことで一つ。黛さんがお姉さんを何と呼ぶかは黛さんが主導権を持っているわけですし」 「何故私がお姉様でしょう?」 「敬意の表れだと思ってください。それにお姉さんだと真白お姉さんと被ってしまいますし……ね」 あまりに自分勝手なことをほざきながらも黛はざる蕎麦を四人分用意して僕たちにふるまった。 僕と華黒とルシールと黛がダイニングテーブルを囲む。 「では」 と黛が先導し、 「いただきます」 パンと一拍。 「いただきます」 僕たちも後に続いた。 感想を先に言ってしまえば黛の御手製蕎麦は香り高く美味しかった。 とても素人技とは思えない。 黛と一緒に暮らす限りにおいてルシールの心配はいらないだろうという結論に達するほどだ。 「ところで聞き逃せないことが一つ。僕をお兄さんと呼べば華黒をお姉さんと呼べるんじゃない?」 「華黒お姉様はお姉様です。それは譲れません。それに真白お姉さんもお姉さんです。それも譲れません」 なんだかなぁ。 「黛さんとしては敬意を表しているつもりなんですが迷惑ですか?」 「まぁ僕をお姉さんと呼ぶのはいいよ」 僕は僕を認識できないしね。 「でも華黒をお姉様と呼ぶのはちょっと背徳的じゃない?」 「百合百合ですね」 カラカラと黛は笑う。 「別にお姉様に性的魅力を感じているわけではありません。黛さんとしては男の子より女の子の方が好きなのは否定しませんが……それはあくまで友情の範囲内です。お姉様と呼ぶのはお姉さんとの区別と……それから敬意の現れですよ」 ですか。 「お姉さんもお姉様も綺麗ですよね。何を食べたらそんなになるんです?」 「特に意識してるわけじゃありませんよ」 「………………でも……お兄ちゃんもお姉ちゃんも……綺麗……」 「ルシールだって美少女じゃないか」 「………………ふえ……そんなこと……ない……」 「いやいや。それは謙遜を通り越して皮肉になってるよルシール。黛さんにしてみればルシールは不世出の美少女だ」 ルシールを褒めたたえる黛に、 「賛成」 「賛成」 僕と華黒も同意した。 ズビビと蕎麦をすする。 「………………あう」 照れて赤面するルシールは可愛かった。 「にしても」 華黒が話題を変える。 「この蕎麦……美味しいですね。本当に手打ちなんですか?」 「黛さんの誠心誠意を込めました」 黛はあっさりと頷く。 どうやら黛の一人称は「黛さん」らしい。 変わった子だ。 僕や華黒に言われたくは無かろうけど。 「まぁそんなわけで隣人となったわけですし……後輩としてお姉さんやお姉様にはよろしくご教授願いたいんですけど……」 「構わないよ」 「ええ」 僕と華黒は即座に首肯する。 「………………お兄ちゃんと……お姉ちゃんは……よろしくして……くれるの?」 「当然」 これは僕と華黒の異口同音。 「………………あう」 ルシールは照れることしきり。 可愛い可愛い。 「お姉さんにお姉様」 もう好きに呼んでくれ。 「黛さんとルシールと一緒にこれから登校してくれませんか?」 「こっちの時間に合わせてくれるなら僕は構わないけどね」 「むぅ」 華黒にしてみれば僕との時間に割り込まれる印象があるのだ。 しかして後輩の頼みを無下にするのも躊躇われる。 そんなところだろう。 僕は隣に座る華黒の頭を撫でる。 「大丈夫だよ」 以心伝心。 少なくとも華黒には誠意が伝わったようだ。 ズビビと蕎麦をすする。 * いくら二人暮らしを前提としたアパートでも湯船は基本的に一人用である。 二人入れないではないけど窮屈でしょうがない。 しかも美少女と一緒に……ともなれば心理的にも圧迫される。 正確には圧迫する。 心理的……主に本能を。 いくら互いに水着姿とはいえ美少女と一緒にお風呂というのは性欲を刺激するに十分すぎるのだ。 美少女……華黒は何を考えているのやら。 いやまぁ誘惑のつもりなんだろうけど。 恋人同士になってから僕と華黒は稀にお風呂を一緒することがあるのだった。 まず華黒が問うて気分によって僕が許可不許可を出す。 許可が出れば、まず僕が風呂場に入り頭と体を洗って水着を着用……風呂に入る。 それから華黒が風呂場に入ってきて頭と体を洗う。 その間、僕は目を閉じて湯船に浸かる。 洗い終わった華黒が水着を着用して風呂に入る……という流れだ。 そんなわけで僕に背中を預けて重なる様に風呂に入る華黒であった。 狭い。 「兄さん?」 「なぁに?」 「本当にルシールと黛と一緒に登下校をするのですか?」 「無下にする理由がある?」 「兄さんに人間が近づくというだけで警戒に値します」 だろうね。 「兄さんと私……二人きりラブラブ登校が出来なくなるんですよ?」 「うーん。無用の心配だと思うけどなぁ」 「どういうことです?」 「つまり僕と……ルシールや黛とが一緒になるのが許せないんでしょう?」 「まぁ平たく言えば」 「どうせ華黒は僕の腕に抱きついて一緒に登校するでしょ? そしてルシールと黛にそれを見せつければいい。僕が誰の物かって……ね?」 「ルシールや黛と腕を組んじゃいけませんよ?」 「努力はする」 他に答えようがない。 「華黒はルシールについては多少なりとも例外的価値観を持ってなかった?」 「まぁ同類ですから」 「同類?」 はて……どの辺がだろう? 僕が問うと、 「ルシールは自分に自信を持っていません」 キッパリと言い切った。 「それはまぁ」 惜しい性格ではあると常々僕も思っているところだ。 ルシールは華黒に匹敵するほどの美少女だ。 実際中学時代も求愛をたくさん受けてきたらしい。 その全てを断ったのは……まぁある意味で僕のせい。 もっとも僕がそれに気づいたのは一年前のことなのだけど。 「ルシールは兄さんのことが好きで、それ故に兄さんに私がいることを嘆いています」 そういうことなのだった。 「自分に自信を持っていないというのは見方を変えれば世界に怯えているともとれます」 極論だけどね。 「それは過去の私と近似します」 「…………」 「無論比べるのも馬鹿らしい差はありますが……根底にある恐怖は同じです」 「……さすがに華黒と比べるのは無理がない?」 「然りです」 頷く華黒。 チャプンと水面が鳴った。 「私ほど世界を恐ろしく感じている人間は数えるほどでしょう。あえて云うのならルシールは私の縮小劣化版なんです」 「世界を……恐がっている……」 「そしてそれ故に兄さんに惹かれている」 「なんで僕?」 「兄さんが自分を持っていないからですよ」 「?」 「兄さんは優しい人です。それも分け隔てなく。だから世界を恐がる者にとっての希望なんですよ」 「そんな大層な存在になった覚えはないよ」 「そう言うと思いました。でも事実です。だから私が惹かれ……ルシールが惹かれる。ある種の同族意識です」 「同族……ね……」 「そんなわけで」 華黒は僕に更に体重を傾けてくる。 「ルシールの気持ちを知っていて……なんだかなと思うわけです」 「それが……僕がルシールに愛情を注いでもいい理由?」 「あくまでなかよしこよしの範囲内ではありますけどね」 「僕がルシールに惚れたら?」 「兄さんを殺して私も死にます」 だろうね。 「私は何処かの誰かと違って愛情を無限だと信仰してはいません」 愛情定量論者。 「その全てを兄さんに与えたいし逆も然りです。それ以上を望みません」 それ以上が無いんだけど……。 言うのは野暮か。 「まぁ兄さんがルシールを想うのは……三時のおやつ程度にしてもらえればこちらから言うことはないですね」 「主食が華黒ってわけ?」 「はいな」 ニッコリと華黒は笑っているのだろう。 後頭部しか見えないけどそれくらいは悟れる。 「いつでも食べていいですからね?」 「責任がとれるようになったらね」 「兄さんはそればっかり」 「華黒もそればっかり」 「ちなみに責任の取れる年齢とは?」 「大学を卒業して就職してから……かなぁ」 「そんなに待てません」 だろうね。 僕も待てるとは思わない。 ここで口にするほど愚かでもないけど。 |