超妹理論

『春に来たる』前編


「ん……むに……」
 僕は寝ぼけ眼をこすってうっすらと覚醒する。
 僕はアパートの私室のベッドに寝ていた。
 それはわかっている。
 ベッドにはもう一人いた。
 だいたいいつも通り。
 覚醒段階をもう少し引き上げる。
 もう一人を観測する。
 ブラックシルクのように艶やかな濡れ羽色の髪。
 白磁器も道を譲る白い肌。
 黒い瞳は深淵よりなお深い。
 唇は桜の花弁の如く。
 その唇が動いた。
「おはようございます兄さん」
「おはよう華黒」
 僕の妹が……そこにいた。
 名を華黒。
 百墨華黒。
 百墨真白という僕の妹で……そしてそれ以上の存在だ。
「くあ……」
 と欠伸。
 それから再度目をこする。
 片手で。
 ちなみにもう片方の手は腕ごと華黒に占有されている。
 華黒は完璧超人であるが故に出るとこが出て引っ込むべきところが引っ込んでいる。
 ムニュウと腕に押し付けられている感覚が何なのか……。
 止めよう。
 楽しからざる想像だ。
 掛布団をはぎ取る。
 そこで漸く僕と華黒の全体像が現れる。
 僕は寝巻を着ていて……………………華黒は寝巻を着ていなかった。
「くぁwせdrftgyふじこlp!」
 下着姿で僕の腕に抱きついている華黒に僕は動揺する他なかった。
 黒の下着だ。
 黒い乳バンドと黒いスキャンティ。
「あのね! 華黒!」
「何です? 兄さん」
「そういうことしたら嫌いになるって言ってるでしょ!」
「大丈夫です。兄さんは最終的に私を許してくれますから」
 ニッコリ笑う華黒はそれはそれは可愛かったけど、騙されないぞ。
「あ、そ。じゃあ酒奉寺先輩にアタックしてみようかな」
「駄目ですよぅ! 兄さんは私だけを愛すればいいんです!」
「僕との約束を守れない愚妹にどう接しろと?」
「だってそれは兄さんが悪いじゃありませんか……!」
「理論が飛躍してるよ」
「してません」
「あ、そ」
「とりあえず改めましておはようございます兄さん」
「……おはよう華黒」
「コーヒーですか? お茶ですか?」
「……コーヒー」
 ポツリと呟く僕だった。
 目覚めは最悪だ。
 華黒の半裸体は扇情的だったなぁ。
 無論、流される僕じゃないけど。
 でも処理はちゃんとしないとね。
 華黒は僕に下着姿を見せたことで納得したのか、寝間着姿に着替えてエプロンをかけ、コーヒーを淹れてくれる。
 ダイニングにて席に着いていた僕にコーヒーがふるまわれる。
 それから華黒は朝食を作りだすのだった。
「…………」
 僕はホットコーヒーを飲みながらフレンチトーストとサラダとオレンジジュースを準備する華黒を見つめていた。
 春も深まり暖かな気温を取り戻しつつある三月の末。
 今は春休みだ。
 瀬野第二高等学校の一年生を終えて二年生へと進級するまでの中休み。
 三月頭に酒奉寺昴先輩が卒業して瀬野二からいなくなった。
 とは言っても近場の大学の比較的暇を持て余す人文学部に入学したらしく本人曰く、
「会おうと思えばいつでも会えるよ子猫ちゃん?」
 ということだった。
 背筋が寒くなるね。
 もう一つ。
 従姉妹の百墨ルシールが来年度から瀬野二の一年生ということになるらしい。
 まぁぶきっちょではあるけど勉強はできるから瀬野二の入試も軽くパスしたことだろう。
 僕と華黒の実家同様ルシールの実家も瀬野二から離れている。
 故にアパートを借りると言っていたのだけど、さて……いったい何処だろね?
 コーヒーを飲む。
 苦みが口に広がる。
「兄さん」
「なぁに?」
「朝食……出来ましたよ?」
 そう言ってフレンチトーストとサラダとオレンジジュースがダイニングテーブルに置かれる。
「いただきます」
 と一拍して僕と華黒は朝食に取り掛かる。
「ところで華黒。さっきの僕が悪いってのはどういう意味だったの?」
「兄さん、もう半年もお付き合いしているのに私を抱いてくださらないではないですか」
 ちなみに諸事情があって僕と華黒は恋人同士だ。
 義兄妹だから問題ないんだけどね。
「それとあれとがどう繋がるのさ?」
「兄さんの性欲処理の一環として私の扇情的な姿を利用してもらおうかと。エロ本やエロ動画なんていう私じゃない女を利用されるのは気にくわないので」
 ……何をかいわんや。
「抱いてくださって構わないんですよ?」
「責任がとれる年齢になったらね」
 僕はそっけない……と思われるかもしれないけどこちとら健全な男子高校生で、いけないとわかっていても華黒の魅力に惹かれてしまうのはしょうがないことだった。
 それほど華黒は彫刻家でもこうは表現できないという美の集大成だ。
 揺れるなと言う方が無茶である。
「…………」
 まぁ真実には口を閉ざすんだけどさ。

    *

 僕と華黒は春の陽気につられて外に出た。
 春休みは雨の日でもない限り万事こんな感じだ。
 行く先も決まってショッピングモール。
 名を百貨繚乱。
「うへへへへぇ……」
 相も変わらず我が妹は嬉しさ天井知らずでだらしのない笑みを浮かべていた。
 とは言うもののソレは僕だからわかることで一般人の目には、
「美少女が微笑んでいる」
 としか映らない。
 これも人徳……というか華黒の個性である。
 泣いても笑っても様になる華黒であった。
 着ている服は春らしい薄手のジャケットにシャツとスカート。
 それほど派手ではなくシックな色合いに纏めてはいるが、これも人徳……じゃなく華黒の個性のせいで極上の服装へと引き立てられていた。
 立場が逆だろう。
 そう思わざるをえない。
 一休さんにしてみれば苦笑する話ではある。
 人より袈裟が偉いのか……ってね。
「華黒、鼻の下が伸びてる」
「伸びずにはいられません」
「そんなに僕が好きなの?」
「とても魅力的です。頂きたいくらいです。むしろ頂いてください兄さん」
「却下」
「に・い・さ・ん? 私の体を好きにしていいんですよ? ね?」
 ね、が一オクターブ高く発せられる。
 うーん。
 病状は深刻だ。
 コイという字を分析すれば糸し糸しと言う心……なんて都都逸がある。
 昔の純文学でも恋とは心に秘めし物と載っている。
 軽々しく恋心を口にするのはいただけないな。
 僕がそう言うと、
「私は私のためにしか兄さんを愛せないからこれでいいんです」
 ニッコリスマイルで返された。
 うーん。
 九十六点。
 言ってる内容は赤点だけど。
「言ったでしょ? 僕が支えてあげるから一緒に世界を見ようって」
「私と兄さん以外の人間なんて絶滅すればいいんですよ」
 さいでっか。
「やれやれ」
 ちなみに僕の腕に抱きついて歩いてます……うちの華黒は。
 僕もジャケットにシャツにジーパンという無難な出で立ちをしているのだけど、残念なことに顔が全てを裏切っていた。
 あくまで華黒によると……ではあるけれど。
 何でも美少女二人が親密と呼ぶには深すぎる仲だと衆人環視に邪推されかねない状況に見えるらしい。
 あくまで華黒によると……ではあるけれど。
 僕としては不本意極まりないどころか侮辱にすら達しているのだけど……それが事実だということも否定はできない。
 これもある意味で僕の才能だ。
 美少女にしか見えない顔立ち。
 そのせいで地獄を見やり……そのおかげで華黒に出会った。
 それについては完結しているので今更蒸し返したりはしないけど。
 ともあれ僕と華黒は衆人環視には美少女二人組ラブラブカップルという扱いで見られながら……しばしあてもなく百貨繚乱の中を歩く。
「これからどうする?」
「兄さんを独占して歩くだけでも私は十分満足ですよ?」
 それはそれはお安く出来ていることで……。
 無論本心じゃない。
 僕とて華黒と歩くだけで満足ではある。
 こんなに可愛い子が僕に好意を寄せてくれているのだ。
 男として動じない奴なぞいるまい。
 問題は……華黒が僕だけで価値観を完結させている点にある。
 僕からのプレゼントなら新聞でも大喜びするだろう。
 仮に華黒がモナコの王族の目にとまりダイヤとプラチナの指輪を贈られても、次の日には質屋で換金することだろう。
 僕が頭を悩ませているのはその点だ。
 華黒は……僕もだけど……愛情定量論者である。
 複数の存在に愛を注げば一つ一つに対する愛は希薄なモノになる。
 そう信じ疑っていない。
「その全てを兄さんに捧げたい」
 華黒は言う。
「何だかなぁ」
 僕が言う。
 他者に対するは義理とお愛想。
 それすらも本来は鬱陶しい。
 僕自身人間不信が拭いきれていないので華黒の言いたいことはよくわかる。
 僕と華黒は根本的なところで似通っているしソレは当然の帰結だ。
 違いがあるとすれば壊れ方の問題だろう。
 僕は自分に対して壊れ、華黒は世界に対して壊れた。
 華黒の世界には僕しかいなく、僕の世界には僕がいない。
「治療するべきは私よりも兄さんでしょう」
 という反論には何も返せるものが無い。
 その通りではあるんだけどね。
 でも、それでも華黒には僕以外を見てほしい。
 我が儘かな?
「我が儘です」
 さいですか。
 そんなこんなを議論しながら仲睦まじく僕と華黒はモールを練り歩く。
「兄さん兄さん」
 なぁに?
「露天商ですよ。冷やかしましょう」
「あいあい」
 頷いて露天商に顔を出す。
 商人は仲睦まじい兄妹である僕たちを別の何かと勘違いしたらしく戸惑ったような表情をしていた。
 鶴亀鶴亀。
 結局何も買わず冷やかすだけになったのは申し訳ないとは思ったけど。

    *

 引き続きショッピングモール百貨繚乱。
 僕と華黒はティータイムを楽しんでいた。
 僕はコーヒー。
 華黒はジャスミンティー。
 それぞれを飲みながら喫茶店に屯す。
「兄さん兄さん」
「あいあい」
「ここを出たら付き合って欲しい場所があります」
「場所によるね」
「ランジェリーショップです」
「却下」
「兄さんに選んでもらいたいんです」
 華黒は熱弁した。
 女の子として魅力的な下着姿はやはり惚れた男の子の価値観に沿うモノでなければならないと。
 ちなみに僕は華黒の下着姿なぞどうでもいい。
 興奮はするけど狼狽もする。
 差し引きゼロだ。
 そう華黒を諭しコーヒーを飲む。
 と無愛想な電子音が響いて華黒の携帯が何かしらの信号を受けていることを示した。
「おや……まぁ……」
 と華黒。
 それから電話主と二、三言葉を交わして電話を切る。
「誰からだった?」
「ルシールからでした」
「何て?」
「何でも今日アパートへの引っ越しが終わったので夕食に招きたい……とのことでした」
「華黒だけ?」
「兄さんも……に決まっているでしょう」
「ふーん」
 僕はコーヒーを飲む。
 まぁ食事に招待したいというのなら応じないわけにもいくまい。
 何しろルシールの歓待だ。
 ルシールはぶきっちょではあるけど漫画みたいな殺人料理が出てくるわけでもないだろう。
 さて……瀬野第二高校に入学してくるルシールの先輩になるわけだけど……どう接したらいいものか。
 完璧超人の華黒はともかく僕は先輩風を吹かせられるほど優秀ではない。
 もっともルシールの学力なら先輩のアシストなぞ必要としないだろうけどね。
「とりあえず考えてもしょうがありませんし出ましょうか」
 華黒はジャスミンティーを飲み干してそう言った。
 僕もコーヒーを飲み干す。
 会計は僕。
 もっとも出所は一緒なんだから僕が出そうと華黒が出そうと痛みは同じなのだけど。
 そして僕と華黒は腕を組んで仲睦まじく喫茶店を出る。
「うへへへへぇ……」
 またしても妙なご機嫌になる華黒。
 ここまで愛されるのは幸福なのか何なのか。
 心を中心にして愛の一文字。
 華黒の真心が重い。
 悪い気はしないけどね。
 別に僕は華黒が嫌いだったり距離を置きたいわけじゃない。
 華黒が僕以外にも興味を持ってくれたらなぁというだけのことだ。
 万物の理論より難しい命題だ。
 ともあれ僕らは腕を組んでラブラブに歩く。
 声をかけられたのはそれからしばし後だった。
「君たち可愛いねぇ」
「ちょちょちょマジじゃん。本気パネェ」
 二人の男の人に声をかけられた。
 いかにも「軽薄」といった様子の男の人だった。
 ナンパ……されているのだろう。
 嘆息してしまう。
「俺たちと遊ばない? 奢るからさぁ」
「悪いことしないって。マジマジ」
 絡みつくような口調の男二人に嫌悪感を覚えてしまう。
「いえ、僕たちはそういうのに興味無いので」
 そう遠慮する僕に、
「自分のこと僕だって。かーわいいぃ」
「俺らとならバランスとれていい感じじゃね? 何でも奢るし」
 堪えた様子の無い男二人。
「はぁ」
 と華黒が嘆息する
 そして華黒は僕の腕に抱きつくのを止めて、僕の首元を引っ張ると、
「…………」
「…………っ」
「…………!」
 僕にキスをした。
 マウストゥーマウス。
 ブチュッと一発。
 ザワリと衆人環視がどよめく。
 ナンパの男二人も動揺した。
 美少女二人……あくまで皮肉的な表現だが……がキスをしたのだ。
 そっちの人と思われてもしょうがない。
「というわけで……」
 華黒が言葉を紡ぐ。
「私たちは私たちだけで完結しているので他者の入る余地などありません」
 晴れやかな笑顔でそう言ってのけた。
 称賛に値する。
 もちろんこれも皮肉だ。
「あ……あぁ……そう……」
 ナンパな男たちはたじたじだ。
 不本意極まりないけど今は流れに逆らう場面じゃない。
「ではこれで」
 そう言って再度僕の腕に抱きつき華黒は僕を引っ張る。
 僕は引っ張られるままだ。
 華黒の唇はジャスミンの味がした。
 僕とて華黒に惚れている身だ。
 キスにしたって驚愕する他ない。
「あう……」
 動揺を隠せない僕だった。

ボタン
inserted by FC2 system