俺の名前は酒奉寺統夜。 夜を統べると書いて統夜。 ちなみに姉がいる。 こっちの名は酒奉寺昴。 勘のいい人間なら気付いただろうが俺らの名前の元はプレアデス星団だ。 昴はそのままプレアデス星団の漢名で「統べる」がなまって落ち着いた結果と云うのが通説だ。 夜にて統べる星たる昴。 故に昴と統夜である。 中々洒落た名前だ。 少なくとも俺は気に入っている。 * (統夜! 統夜!) まどろみの中で誰かの呼ぶ声が聞こえる。 (統夜! 起きて! 朝だよ!) 「うるせえ……」 頭にガンガン鳴り響く声に俺は愚痴った。 よく創作物とかで二日酔いは頭にガンガンとハンマーを叩かれている的な描写が散見されるが、こういうことを指すのかもしれない。 (統夜!) 声はいっこうに黙らなかった。 「…………うっせぇ」 仕方なく目を覚ます。 愚痴るのは忘れない。 茫洋とした意識を徐々に覚醒させる。 「くあ……」 と欠伸一つ。 (統夜、やっと起きた) 六連がそう言った。 ちなみに「六連」と書いて「むつら」と読む。 縁あって俺が名前を付けたのだ。 本当の名前は「夜にて統べる星」というのだが、そんな長ったらしい上に動詞まで入っているような名前をいちいち呼びたくないので「六連」と。 短い金色の髪に切れるような金色の瞳を持つ美少女だ。 服装はバックルが無数についた黒い服。 バックルが全身を締め上げるように存在しており六連の豊満なわがままボディを強調している。 ここまではいい。 問題は付随物と状況である。 六連の背中からは光の一つも反射しないのっぺりとした……それも蝙蝠や悪魔に近い黒い羽が生えている。 ソレがパタパタと羽ばたき……六連は宙に浮いているのだった。 非常識と言えば非常識。 俺にしてみれば慣れたものだが、俺以外の人間には驚くべき光景だろう。 俺以外の人間に見ることが出来ればな。 (統夜。もうすぐ侍女さんが来るよ?) そんな俺の脳そのものに響くような……テレパシーというらしい……声で状況を伝えてくる六連。 「はいはい」 俺は半端に頷く。 その間も六連はパタパタと宙に浮いている。 一種のショッキング映像だよなぁ。 いやまぁいいんだが。 そしてコンコンと扉がノックされ、 「統夜様。ご起床されていますでしょうか?」 侍女のそんな声が聞こえてくる。 「起きてるぜ。どうぞ」 ぶっきらぼうに俺は言う。 「失礼します」 とことわって侍女が部屋に入ってきた。 ちなみに六連は相も変わらず俺の傍でパタパタと羽ばたいている。 しかしてそんなことに構いもせず侍女は俺に視線をやる。 「統夜様。ダイニングにて朝食のご用意が出来ております」 「はいはい」 (統夜。朝御飯) はいはい。 パタパタと六連。 バックルで体を締め付けている金髪美少女が悪魔の翼を羽ばたかせて宙に浮いているのにツッコミ一つ入らない。 見えていないのだ。 侍女に六連の姿は。 それも当然である。 背中の翼が示すように六連は悪魔なのである。 そしてその姿は契約した人間とエクソシストの連中にしか見えないらしい。 エクソシストの連中に会ったことはないから後者はどうだか知らんが、前者については痛いほどわかっている。 少なくとも契約した小学生の頃から現在の高校生の間までに六連を見ることが出来た人間を俺は知らない。 「ではダイニングへ。食後の茶は何にしましょう?」 そんな侍女の言葉に、 「コーヒーを食前に」 俺はそう注文してベッドから降りた。 そして侍女と六連を連れてダイニングに顔を出す。 ダイニングといっても一般家庭のソレではない。 食事のための空間であることは否定しないが無意味なほど広すぎる。 酒奉寺屋敷とご近所さんから呼ばれる所以だ。 うちは無駄に広すぎる。 まぁ地主の家系なのだから格好つける必要があるのは認めざるをえないが。 「おはよう統夜」 姉貴……酒奉寺昴が食後のお茶を飲みながら微笑んでくる。 その笑顔が様になる……そんな姉貴だ。 「おはよう姉貴」 そう言って俺は自身の席に着き、侍女に出された食前のコーヒーを飲む。 うん。 ほろ苦い。 「姉貴は今日もデートか?」 「ああ、だが休日のように統夜が関わる必要は無いぞ?」 そもそもにして姉貴のデートプランを俺が管理するということこそ、おかしな話なのだが……。 それについては文句を言ってもしょうがないので、 「あ、そ」 とだけ言うにとどめコーヒーを飲む。 朝食はフレンチトーストと厚切りベーコンとサラダとコーンスープだった。 食前のコーヒーに合わせてくれたのだろう。 それくらいは察し得た。 * 下校は姉貴と別々になるが登校は姉貴と同じ車に乗るのが常だ。 いわゆる一つのリムジン。 車内は広く、幾つもの酒瓶が常備されている。 俺も姉貴も呑めないのだが……。 (統夜。お勉強) ああ、そうだな。 姉貴には伝わらない思念で六連に答える俺。 (お勉強頑張らないとね?) だな。 俺は肯定する。 (そもそも私と交した契約さえなければ……) それ以上は言うな。 俺は含みを込めて六連の言葉を遮る。 (むう……) 呻る六連。 俺が望んだことだ。 後悔なぞしない。 それは散々言ったことだ。 (でも……) という六連は不満そうだった。 羽をパタパタ。 金色の瞳が、 (納得いかない) と言っている。 何でも一つだけ願い事を叶えてくれるんだろ? 俺はそう皮肉った。 (そうだけど……) 狼狽えるように六連。 ならそれでいいじゃないか。 俺は苦笑する。 (本当に統夜はそれでいいの?) 真剣な六連の言葉に、 じゃあ嫌だと言ったら契約を解消してくれるのか? と問うてみる。 (無理だけど……) 答えは想定の範囲内だ。 なら諦めろ。 俺は思念でそう言った。 どうも長年連れ添っているが六連は甘いところがある。 自身から契約を持ちかけておきながら、俺が契約をすると心配げなのだ。 情が移った。 とも言えるし、あるいは、 惚れた。 とも言える。 なんだかんだで十年近い付き合いだ。 心を傾けるのも当然かもしれなかった。 六連は俺にだけ声が聞こえ、俺だけが触れる。 故に俺と六連は既に一線を越えている。 俺以外に見えないし触れられない以上それは自慰行為に限りなく等しいが、俺にとっては六連との愛の重ね合せと言える。 まぁつまり脳内彼女ですよ。 つまらなそうに窓の外を眺める姉貴を見つめ、俺は苦笑した。 (何さ統夜?) 何でもねぇよ。 * リムジンは瀬野第二高等学校から少し離れた場所にて停車した。 無論配慮故だ。 こんなデカ物が正門の前に止まったらはた迷惑この上ない。 そんなわけで俺と姉貴はリムジンから出ると、少し離れている正門へと足を向けるのだった。 (学校! 学校!) 六連は嬉しそうだ。 悪魔は人の思念を好むらしい。 それに気づいたのはだいぶ前だが。 さて、 「「「お姉様!」」」 「「「昴様!」」」 「「「昴さん!」」」 より取り見取りの美少女が正門で酒奉寺昴……つまり姉貴に声をかけるのだった。 性別は女だが、年齢は一年生から三年生まで多彩である。 「やぁ子猫ちゃんたち。今日もいい天気だね」 歯の浮くようなセリフを吐く姉貴。 (昴……大人気!) だな。 他に言い様が無かった。 そんなわけで姉貴がハーレムに構っている間に俺は正門を潜り昇降口にて上履きに履き替える。 それからクラスに顔を出すと、 「うーっす統夜」 「あ、統夜だ」 「はよっす」 などとクラスの男子から声をかけられる。 「どうも」 と返しておく。 それから自身の席に鞄を置く。 椅子を引いて座ると、 「おはよ。統夜」 と隣から声がかけられる。 美少女と見紛うほどの美少年……百墨真白だ。 その女顔故に道を踏み外しかけた男子多数。 女子も多数。 真白は男でありながら美少女と間違える美貌を持っているのだ。 (真白! 可愛いね!) 俺にしか見えず聞こえない声で六連が言う。 まぁな。 これだけなら真白はモテモテだろうが、手首にリスカの痕を持っていることと妹である百墨華黒ちゃんへの男子の告白を邪魔していることがマイナスに働き、俺以外の友人を持てないでいる可哀想な奴だ。 とはいえ同情で付き合っているわけでもない。 真白が面白いから付き合っているのだ。 (統夜は真白が好き?) んなわけあるか。 俺は六連の疑問に即座に否定してのけた。 そもそも俺には六連……お前がいるだろうがっ。 * そして授業が始まる。 (へー。ふーん。ほー) 六連は高校の授業に興味深げに耳を傾けていた。 これはいつも通りなので気にしない。 考えてみれば六連は前からそうだったのだ。 俺が教師の呪文のような言葉をサラサラとノートにメモって理解しようと努力している横で、 「…………」 真白が欠伸をした。 苦笑してやる。 「お疲れのようだな」 「まぁね」 実際疲れた様子で真白は言う。 「寝てないのか?」 「ちゃんと寝たよ。疲れが取れなかっただけで……」 俺は予想を述べた。 「ああ、そうだろうな。華黒ちゃんと添い寝なんかしてりゃあ」 そんな俺の言葉に、 「っ!」 真白は驚愕して俺の口を押えた。 慌てて周りを見渡す真白。 誰かに聞かれなかっただろうか……そんな意図が見て取れた。 俺は言ってやる。 「聞こえてねぇよ。心配性だな」 「勘弁してよ統夜。ただでさえ華黒の腰ぎんちゃくなんて悪評が出回ってるのに、これ以上のことが男子に聞かれたら……」 真白の目は真剣だった。 「ていうか何で統夜がその事実を知ってるのさ? まさかとは思うけど盗撮?」 「趣味じゃないから安心しろ。状況から推理した単なる憶測だよ。ただまぁ自分以外の目を持ってるのは事実だけどな」 「うむ?」 わからないと真白。 説明してやる気はない。 「例えば、だ。日曜日は小さな女の子に振り回されて御楽しみでしたね、とか」 「……だからなんで知ってるの」 「あの日は姉貴のデートのスケジュール管理で俺も駅の近くにいたのよ。そしたらお前が楽しそうなことに巻き込まれてるっぽかったから知り合いに頼んで一部始終を」 ……無論、その知り合いとは六連のことだが。 「でもそれってプライベートの侵害だよね?」 「あるかそんなもん。俺のプライベートだって姉貴に潰されたんだ。他人の不幸でも糧にしないとやってられなかったんだよ」 当然の理屈。 「ちなみに先の情報は華黒ちゃんのファンがよく食いついてくれるエサだと思うんだがどうよ?」 俺が苦笑すると、 「勘弁してください」 真白はそう言った。 「問題は親兄派と反兄派のどっちに流すかなんだが……」 「人の話を聞いて!? そしてその親日、反日みたいな派閥は何!?」 「華黒ちゃんのファンクラブの間でな、兄である真白を味方につけるか反目するかで今論争が起きてるんだ」 「…………」 「なんだかんだいってお前さ、自分じゃ自覚してないかもしれんけど十分シスコンなんだよ。お前が一番華黒ちゃんの近くにいるんだよ。するとお前に取り入って華黒ちゃんに近づこうと思う奴やお前が華黒ちゃん攻略の最大の砦だと思う奴も出てくるわけ」 「……そんなことになってたの?」 「今のところ後者の方が多いんだがな」 「敵多数!?」 「だって真白、お前は華黒ちゃんが告白されるたびにそれを妨害してるんだろ? そりゃ邪魔だと思う奴のほうが多いわな」 「いやいや、それ誤解だから」 「知ってるよ。本当は華黒ちゃんの意思なんだろ? でもそんなことを察せるのは事情を知ってる俺くらいなもんで他の奴にはそうは見えんってことだ」 「……まぁね」 認めたくないけど。 そう顔に書いてある。 まぁ……他人の目には華黒ちゃんが真白にまとわりつく理由なんて見つけきれるものじゃない。 「ま、当の華黒ちゃん自身はその辺のことどう思っているのやら……」 そんな俺の言葉に、 「……しゅ……よ……」 ボソリと真白が何かを呟いた。 「ん? なんか言ったか?」 「特に何も」 そうそっけなく返して真白は少し離れた席にいる当の華黒ちゃんを覗き見る。 華黒ちゃんは優等生らしく真面目に勉強しているのだろうかと当たりをつけた……のだけど、 「なんだか難しい顔してるな」 「統夜もそう思う?」 勉強なぞどこ吹く風で、必死に一枚の紙を凝視していた。 だいたいノートくらいの……正確に言うなら美濃判を二つ折りにした程度の大きさの紙を、彼女はなんともいえない表情で見つめていた。 授業も聞かずに。 六連……。 (はいはい?) 華黒ちゃんの手紙の内容を教えろ。 (はいはい) そう言って俺以外に見えていない六連は華黒ちゃんの読んでいる手紙を盗み見た。 (ラブレターだね) あっさりと六連は断言する。 「ラブレターだな」 俺は断定する。 「なんでわかるのさ?」 不可思議と言う真白に、 「俺の第三の目がそう言ってる」 俺は曖昧に答える。 「見えてる、の間違いじゃない?」 間違いじゃない。 実際に第三の目である六連は言葉を紡いでいるのである。 「いや、“言う”であってる。とにかくあれはラブレターだな。俺の情報収集能力を信じろ」 「まぁ何でもいいんだけどさ……」 「とか言いつつ妹のことが気がかりで目を離せない真白であった」 「うるさい」 軽く俺はこづかれて、真白はそのまま憂いげな華黒の横顔を見続ける。 そんなこんなで授業が終わる。 ま、後は当人の問題だろう。 * 学校が終わった。 俺は迎えのロールスロイスに一人乗って酒奉寺屋敷へと帰る。 ちなみに姉貴はいない。 姉貴はハーレムと呼ばれる美少女軍団を想い人に持ち、日替わりで別々の美少女を愛でる習慣を持っている。 羨ましいと言えば羨ましいが、閉口すると言えば閉口する。 勉学も運動も美貌も最高値を記録する酒奉寺昴だ。 「お姉様」 と憧れる生徒がいても不思議ではない。 俺には理解しがたい価値観だが。 (統夜は統夜で魅力的だよ?) 六連はそう言う。 ありがとよ。 俺はそう返す。 そして酒奉寺屋敷に帰還する俺。 侍女が出迎えてくれた。 「統夜様……お茶は如何様に?」 侍女らしい第一声だった。 「コーヒーを」 言葉を紡ぐ。 「俺の部屋に持ってきて」 「ではそのように」 そう言って侍女は消えた。 俺は制服のネクタイを緩めて自身の部屋に入る。 それから持っていた学生鞄をベッドに放って椅子にぐったりと座る。 (お疲れ統夜!) 気楽でいいな……お前はよ。 なじってみる。 (あはは) と六連は俺の皮肉も通じずに笑うのだった。 まぁいいんだがな。 * 姉貴のいない夕餉を終えて、俺は風呂に入っていた。 温泉宿かと言わんばかりの広さを持つ浴場だ。 ちなみに侍女が俺の背中を流したりはしない。 俺が断固拒否しているからだ。 (統夜! 統夜!) 六連は興奮している。 元々六連は悪魔だ。 それも本来は「夜にて統べる星」という名を持つ悪魔である。 当然、日が暮れてからが本領発揮である。 俺以外には見えないとはいえ、俺には見えるのである。 それがどういう意味を持つのか。 当然の理である。 (統夜大好き!) 裸になった六連が抱きついてくる。 それが俺には心地よい。 そんなに契約者に感情移入していいのか? そんな俺の皮肉に、 (統夜ならいいよ?) しおらしく六連は言う。 その金色の瞳には慕情が透けて見えた。 そうあって俺と六連は重なり合うのだった。 (はあ……幸せ……) 六連は呟き俺にしな垂れかかってくる。 そりゃ重畳。 俺は皮肉る。 (ん、もう! 前から思ってたけど統夜は淡白すぎ!) 性分でな。 あっさりと俺。 (契約した時にはもうちょっと純粋だったと思うけど……) 過去の話を持ちだされても……。 それが素直な感想だった。 * 子供の頃、俺こと酒奉寺統夜は神童と呼ばれていた。 一を教えられれば十を悟る……そんな子どもだった。 絵本を母に読んでもらえれば、それの本質を理解し、意味の解らないことは母の教えにて解読した。 そんなことが何度も続けば両親も俺の感性に気付かざるをえなかった。 一を聞いて十を知る。 そんなことを呼吸するように実践する俺だ。 絵本の言葉がわからなければ辞書を引いて理解し、辞書の言葉がわからなければ別の辞書を引いて理解する。 故に俺の子どもの頃は辞書と共にあった。 わからない日本語は辞書で調べる。 辞書でわからないことは別の辞書で調べる。 外来語でわからないことは英和辞書で調べる。 英語がわからなければ英語辞書で調べる。 そんなことを繰り返している内に幼稚園児ながら小学生の学問を修得していた。 そして小学二年生で高校教育に手を伸ばすような神童っぷりを発揮した。 「天才だ」 誰もがそう言った。 俺としては、 「何が?」 という感想だったが。 ともあれ自分が一般人とずれた能力を持っていることは理解した。 そしてそれは……自虐的ながら鬱陶しいことであった。 理解するを理解して、納得することを納得する。 それが当然じゃないと理解したのは小学二年生の時だ。 そして自問自答に陥った俺は酒奉寺屋敷の古書庫に足を運んだ。 それが運命だった。 自分は他人より優秀……そんなことを思い知らされた俺は自分だけの場所が欲しかった。 故に古書庫に入り込んだのだ。 そして一冊の本を開いた。 それが全ての始まりだった。 その本は魔書と呼ばれる悪魔を封印した本だった。 そして後に「六連」と呼ばれる夜にて統べる星と邂逅する俺。 「私は夜にて統べる星。あなたの魂と引き換えに一つだけあなたの願いを叶えましょう」 夜にて統べる星はそう言った。 願いを一つ叶える。 それは俺にとってとても甘美なモノだった。 故に俺は言った、 「俺の有利になる才能を昴お姉ちゃんに全て委託して」 と。 そして俺は凡人へと……姉貴は神童へと成り替わるのだった。 |