超妹理論

『桜咲くホワイトデー』


 時は三月十三日の放課後。
 場所は僕らのアパートのダイニング。
「スペード、ハート、クラブ、ダイヤ……」
 そんなことを呟きながら僕はクッキーの生地を型で切り取っていった。
 それら切り取った生地をアルミに乗せてオーブンで焼く。
 バターの香りが漂うシンプルなクッキーの完成だ。
「後はラッピングするだけだね」
 そう言って和紙の袋を取り出すと華黒が口をへの字にした。
「兄さん……何ゆえラッピングを?」
「え? だってそうじゃないとクッキー配れないよ」
「兄さん! クッキーを配るおつもりなんですか!?」
「そうだけど……何か変?」
「変です! 大変です! 超変です!」
「なして?」
「既に兄さんには心に決めた一人がいるはずでしょう!? その人間にのみ愛あるクッキーを渡せば万事丸く収まるというものです!」
「でもバレンタインのお返しをしなきゃ不義理でしょ?」
「そんな義理なんていりません!」
「華黒……また世界が僕と華黒で閉じているよ」
「兄さんは私のモノです! 世界に唯一……只一人だけ兄さんのお返しをもらっていいのは私だけなんです!」
「またぶっ飛んだ意見だね」
 そう言って僕は、
「はぁ……」
 と溜め息をついた。
 そして言う。
「もう少し華黒には寛容が欲しいところだね」
「兄さんの愛の対象が私以外に向けられるならその全てが私の敵です!」
「恩恵を施すなら親友よりもむしろ敵に対して施せ……ってレールモントフも言ってるよ」
「駄目です駄目です駄目です! 私の私の私の兄さんは私だけを見てればいいんです!」
「華黒?」
 僕は少しの威圧を込めてその名を呼ぶ。
 黒髪ロングの美少女……華黒はそれだけで怯んだ。
「今のはどういう意味? 場合によっては考えざるを得ないよ?」
「いえ……言い過ぎました。すみません……」
「わかればよろし」
 そう言って僕はニコッと笑った。



 次の日。
 三月十四日。
 ホワイトデーだ。
「Pppp! Pppp!」
 うるさくがなり立てる目覚まし時計の叫びを切って、
「ううん……」
 と再度眠りに着こうとする僕に、
「兄さん……朝ですよ?」
 そんなコントラルトボイスが僕の耳朶をくすぐった。
「ん……朝……」
 朝という言葉に反応して目を覚ます僕。
「ん……」
 瞳を開くと目の前に華黒の顔が迫ってきていた。
「…………」
 だからどうしようとは僕は思わなかった。そして、
「ん……」
「ん……」
 と僕と華黒はキスをした。
 恋人同士の朝の挨拶だ。
 これくらいは許容範囲だ。
 そして僕は問う。
「朝……?」
「朝ですよ兄さん。起きてください」
「起きる……起きねば……ねばねば……」
 そんなことを呟きながら上体を起こす僕。
 それから華黒に手を引かれてベッドから引きずり出される。
 さすがに三月も半ばとなればそれほど肌寒くもない。
 僕は朝日を拝みながら、
「くあ……」
 と欠伸をして覚醒した。
 華黒がニッコリと笑う。
「もう朝食はできてますよ」
「毎度どうも……」
 そう感謝する僕に、
「いえいえ。私の私の私の兄さんのためですもの」
「たまには僕が作ってもいいけどねぇ……」
「兄妹ならともかく恋人ならば食事は女の領分でしょう」
「まぁ華黒の料理は美味しいからいいけど……」
「さぁさ、今日は白米に焼き鮭、納豆にメカブですよ」
「食欲を……持て余す……」
「そんなソリッドみたいなことは言わなくていいですから」
「んだね」
 そう言って僕は華黒に引っ張られてダイニングへと顔を出した。
 そこには御飯と焼き鮭と納豆とメカブが二人分置いてあった。
「いい香りだね……」
 焼き鮭の塩の香りに鼻孔をくすぐらせながらそう言う僕。
「では食べましょうか」
 そう言ってダイニングテーブルの席につく華黒。
「そうだね〜」
 僕もまた席につく。
 そして同時に、
「「いただきます」」
 と合掌した。



 朝食を食べ終えた後、僕と華黒は恋人繋ぎで手を繋いで登校していた。
 通学路は桜……染井吉野が満開で、いくつもの桜の花弁が散っては風に流される。
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
「散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき」
 そんなことを言い合いながら僕と華黒は瀬野二に登校した。
 そして学校に辿り着くと、
「はぁ……」
 と華黒が溜め息をついた。
「どうしたの?」
 と聞く僕に、
「見知らぬ人からプレゼントをもらってしまいました」
 華黒が一つのラッピングされたブツを僕に晒した。
「まぁ華黒は可愛いもんね。それくらい当然じゃない?」
「兄さんからなら喜んで受け取りますが十把一からげにもらっても……」
「失礼なこと言わない。誰だか知らないけどその人だって勇気を持って華黒にプレゼントしたんだから……」
「でも性根は腐っているみたいですよ?」
「どういうこと?」
 そう問う僕に、
「…………」
 華黒は昇降口に備えられたゴミ箱を指差してみせた。
「…………」
 僕は唖然とした。
 ゴミ箱には大量のラッピングされたプレゼントが捨ててあったからだ。
「もしかしてアレ全部……華黒への……?」
「でしょうね」
 うんざりと溜め息をつく華黒。
 つまりカッコウの原理だ。
 先に華黒へのプレゼントを贈った人間の好意は全て後からプレゼントを贈った人間によって放逐されるというわけだ。
「そんなことをして私にプレゼントを渡したところでどうなるものでもないでしょうに」
 うんざりとそう言う華黒。
「ま、それだけ華黒に価値があるってことだよ」
 僕はそんなおためごかしを言う。
「私の愛は兄さんだけで精一杯だというのに……理解を得られない人間が多くてうんざりします……」
「まぁそれだけ華黒は愛されてるってことだよ」
 そんな僕の気やすめに、
「兄さんは関係ないからそんなことが言えるんです……」
 疲れたようにそう言う華黒。
 まぁたしかに僕には関係ない事柄だけどね。



 教室につくともっと酷かった。
 華黒の席にはプレゼントが山と積まれていた。
 僕以外の誰も華黒のチョコをもらっていないはずなのに律儀なことだ。
「壮観だね」
「そうですね」
 そう言う僕らは少し引いていたと思う。
「なんでチョコを渡してもいない男子からプレゼントをもらうのか不思議ではありますけど……」
「それだけ華黒が魅力的だってことじゃない?」
「兄さんに言われるのは……そのぉ……嬉しいのですけど……」
 頬を朱に染めて恥ずかしがる華黒。
 可愛い可愛い。
「で、どうするの? 捨てるの?」
「人の目のあるところではそんなことできませんよ」
 そう言って華黒は学生鞄から大きな紙袋を取り出し、その中にプレゼントを詰めていった。
「用意がいいね」
「こんなこともあろうかと」
 どこかで聞いたセリフを口にしながら華黒は山と積まれたプレゼントを一つ余さず紙袋に入れてそれを自身の席の横に付けた。
 そして、
「華黒、おはよう」
「おはようございます」
 猫をかぶってクラスメイトの朝の挨拶に応答する。
「すげえもらってるね。さすが華黒」
「いいええ。そんなことないですって。なんなら分けませんか?」
「もらっていいの!?」
「マジで!?」
「いいですよ? 一人じゃ処理しきれませんし……」
「持つべきものは友達だぁね」
「いえいえ、そんな……」
 そんな華黒と華黒の友達の会話を聞きながら僕は碓氷さんの席を目指す。
 そして、
「碓氷さん……はいこれ」
 僕はそう言って一人読書をしている碓氷さんに声をかけた。
 ついでにラッピングしているクッキーを手渡す。
「……なに……これ?」
 ラッピングされたクッキーをキョトンと見つめながら碓氷さん。
「バレンタインのお返し。もしかして迷惑?」
「……そんなこと……ない」
「それならよかった。って言っても全然三倍返しじゃないけどね」
「……ううん。嬉しい」
「ありがと。これからもよろしくね」
「……こちらこそ」
 そんなやりとりを終えて僕は自分の席につく。
 となりの統夜が恨めしそうな目で僕を睨む。
「このリア充が。二千年前のポンペイの遺跡にもリア充爆発しろという記述がある。つまりリア充とはすべからく爆発するものだ!」
「さいで。はい統夜」
 そう言って僕は統夜にクッキーを渡す。
 キョトンとする統夜。
 それから焦ったように言う。
「お前、まさか!」
「早とちりしないでね? それを昴先輩に渡してほしいってだけだから」
「あ、そういうこと。でもなんで俺に渡す?」
「先輩、卒業式終わったから学校に来ないでしょ? だから統夜から渡しておいて」
「姉貴の奴……俺には渡さないのに真白にはチョコ渡しやがって……」
「統夜も女顔に整形すれば? 金持ちなんでしょ? それくらい簡単じゃない?」
「するかボケ」
 まぁそうだよね。
「それで? 華黒ちゃんには渡したのか?」
「まだ」
「碓氷さんと姉貴と華黒ちゃんと……それから従姉妹……だっけか? 四人にクッキーを渡すのか?」
「正確には五人だけどね」
「まだいたのか!?」
「うん。こっちも従姉妹だけどね」
「お前、二人の従姉妹にチョコもらったのか」
「うん……まぁ……」
「恨めしや……恨めしや……!」
「そんなこと言われてもねぇ……」
 僕はポリポリと頬を掻くだけだった。



「とっぴんぱらりのぷう」
 そんなこんなで授業も終わり僕は華黒と帰宅した。
 途中今日の夕食の食材を買って荷物を持ちながらの帰宅だ。
 アパートにつき、僕らの城の玄関に着いたところで、
「あなたなんかにお兄様は渡さないから!」
「………………真白お兄ちゃんは華黒お姉ちゃんのものだよ」
「そうやって諦めてるあなたにお兄様のお返しを受ける権利はないよ!」
「………………白花ちゃんだって本当は勝てないって思ってるくせに……」
 そんな言い争いが聞こえてきた。
 見れば白花ちゃんとルシールが一触即発だった。
「白花ちゃん、ルシール、どうしたの?」
 そう聞く僕に、
「「っ!」」
 二人は絶句した。
「お兄様……!」
「………………真白お兄ちゃん」
「何かケンカしてたみたいだけど……」
「そんなことしてないよ?」
「………………うん。してない……」
「そう? それならいいけど」
 と、ここで、
「どういうことです兄さん……?」
 怒髪天を衝く有様で底冷えする声を出す華黒。
「何って……チョコのお返しにクッキーを渡したいから僕のアパートまで来てって白花ちゃんとルシールにメールしただけだよ?」
「碓氷さんに酒奉寺昴ばかりか……白坂白花にルシールにまでプレゼントする気ですか!」
「そりゃチョコをもらったから当然でしょ?」
「兄さんが浮気性なのはわかりました!」
「そういうことじゃないよ。言ったろう? 義理だよ義理」
 そう言って僕は白花ちゃんとルシールを押しのけて玄関の前に立つと施錠を開放した。
 そして言う。
「とりあえず入って……白花ちゃんにルシール。それから華黒、お茶を淹れて?」
「……むぅ」
 不満げに呻く華黒。
「この前の華黒のお茶は美味しかったなぁ……また飲みたいんだけど駄目かな?」
「そういうことでしたら腕によりをかけて淹れましょう!」
 ある意味単純だな……僕の妹は。
 ま、別にいいんだけどね。
 そして僕はダイニングテーブルの席についた白花ちゃんとルシールに昨日焼いたクッキーを渡した。
「あはは……こんなもので悪いけど……」
 そう言って後頭部を掻く僕に、
「そんなことありません! お兄様もご厚意……確かに受け取りました」
「………………真白お兄ちゃんにプレゼントもらえて嬉しい……」
「そっか。それならよかった」
 そう言ってニコッと笑うと、
「あう……」
「………………ふえ」
 白花ちゃんとルシールは赤面した。
「兄さん、お茶が入りましたよ」
 ブスッとした顔でそう言う華黒。
 せっかくのホワイトデーに僕が他の女子を気にかけるのが面白くないらしい。
「気持ちはわかるけど押さえて」
 そう目で語る僕。
「兄さんがそうであるならば否やはありませんが」
 そう目で語る華黒。
 そして僕と華黒と白花ちゃんとルシールはクッキーを食べながら談笑した。
 そして華黒の作った明太パスタを食べて、それから白花ちゃんとルシールは帰路についた。
 白花ちゃんはリムジンの迎えが来てそれに乗り込もうとして。
「ではお兄様、またお会いできる日を楽しみにしています。それから……」
 ニコリと笑って、
「愛してますわ、お兄様」
 そう言い残して去っていった。
 ついで僕と華黒の父さんが車で現れた。
 ルシールの送迎役らしい。
「………………真白お兄ちゃん……」
「なに?」
「………………クッキー……美味しかった」
「そう? なんだったらまた作るよ?」
「………………うん。楽しみにしてる」
 そう言って、それからルシールは口をもごもごさせた後、
「………………大好き、真白お兄ちゃん」
 ボソッとそう言って父さんの車に乗って去った。
 そして僕と一緒にルシールを見送った華黒は、
「やっと二人きりになれましたね」
 嬉しそうにそう言った。
「それはそうだけど……」
 答えあぐねてそう言う僕の、その携帯電話が『春の喜びに第三楽章』を歌いだした。
 華黒をあしらって携帯をとる僕。
『やあやあ百合の花の妖精のように愛らしい君よ』
 昴先輩だった。
「お久しぶりです先輩」
 《先輩》という言葉に反応した華黒が、
「むう……」
 と唸る。
 まぁそれは無視。
『うむ。高校も終わって大学の入学に精を出している私にプレゼントとは……気が利くじゃないか』
「まぁチョコのお返しですよ。他意はありません」
『いやいや真白くん。それでも君の愛情は感じ取れたよ。君こそ我が婿にふさわしい』
「あんまりそんなこと言ってると華黒に殺されますよ」
『なに。愛に障害はつきものさ。それでも君と華黒くんを手に入れてみせるという私の意志に揺らぎはないよ。マイプリティラバー……アイラビュー……』
 僕の脳内で昴先輩は僕に投げキッスをしたように思えた。
 僕は端的に、
「元気そうで何よりです。では……」
 そう言って携帯電話の通話を切った。
「酒奉寺昴からでしたか?」
「うん、まぁそうだね」
「統夜さんを通じてあ奴にクッキーを送ったんですね?」
「うん、まぁそうだね」
「兄さんは私以外の人間にもお返しをするんですね?」
「それはしょうがないことだろう?」
「それでも! 私は兄さんに私だけを見てほしいんです!」
「それは無理だよ」
「どうしてです!?」
「僕らは僕らだけでは完結できないから」
「できます! 兄さんさえ望むなら私はその環境を整えてみせます!」
「それじゃ進歩できない」
「進歩する必要なんてありません!」
「もう忘れたの? 僕は華黒に世界を見せるために支えると言ったこと……」
「忘れてはいません! でも……それだと兄さんが世界に……他の女の子に興味を示すのを……私は示されるではありませんか……!」
「辛い?」
「辛いです!」
「そっか……でも僕も辛いんだ。だって華黒が僕に引き籠るなんて……そんなこと許せるはずがないんだ」
 そう言う僕に華黒はキスをした。
 一秒。
 二秒。
 三秒。
 そして重ねた唇を離す華黒。
「兄さん。兄さんは私だけを見ていればいいんです……」
「そういうわけにもいかないよ……」
「兄さん……!」
「そうだ……華黒。散歩に行かない?」
「え……ええ……?」
 華黒はキョトンとしていた。



 そして僕と華黒は通学路を歩いていた。
 そこは街灯が散る桜を映しだす風景だった。
「夜桜ってのも風情があるよね。それに天には北斗七星が輝いてるし」
 夜の通学路を歩きながらそう言う僕。
 そんな僕の左手には華黒の右手が握られている。
 いわゆる恋人つなぎだ。
 向かう先は通学路の途中にある公園だ。
 染井吉野が咲き誇る公園へと踏み込む。
「公園の明かりが夜桜を照らしていい雰囲気でしょ?」
「はい……。それはもう……」
 顔を真っ赤にしながらそう返答する華黒。
 緊張してるのかな?
 どこか華黒はぎこちない。
「あの……兄さん……」
「なに?」
「私……まだ受け取っていません」
「バレンタインのお返し?」
「……はい」
「もしかして僕が忘れていると思った」
「少しだけ……」
「大丈夫だよ」
 そう言って笑って……それから隠し持っていたラッピングされたクッキーを華黒に渡す僕。
「ありがとうございます……」
 そう言って受け取る華黒。
 そしてプシューと頭から湯気を上らせる。
 うん……可愛い可愛い。
「開けてみて」
「今ですか?」
「そう。今」
「わかりました……」
 そう言って華黒はラッピングをひも解いて開ける。
 そして僕のクッキーに気付く。
「ハートの形ばっかり……」
 僕はスペードとハートとクラブとダイヤの形のクッキーを焼いた。
 その内ハートの形のクッキーは全て華黒に捧げたのだ。
「あの……もしかしてハートのクッキーは……」
「うん。華黒にだけだね。他の人にはスペードとクラブとダイヤのクッキーをあげたよ。ハートのクッキーは華黒にだけ」
 そう言ってウィンクする僕。
「……嬉しいです」
「そう? ならよかった」
「兄さん……」
「なに」
「大好きです」
「僕も華黒が好きだよ」
 そう言って僕らは抱きしめあった。
 そしてキスをする。
 夜桜の舞い散る中で……北斗七星に見おろされながら……僕と華黒は唇を重ねた。
 一秒。
 二秒。
 三秒。
 そして唇を離す。
 そして華黒が言った。
「幸せです……兄さん……」
 ギュッと僕を抱きしめる華黒。
「あっそ……」
 僕はそう呟いた。
 散る夜桜は……どこまでも趣があった。

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