超妹理論

トリックオアトリック


 僕は最悪な目覚ましに出会った。
「ん〜」
 と声を伸ばしながら寝ている僕にキスしようとする華黒の顔が目の前に浮かんだ。
 漆黒のロングヘアー。
 長い睫。
 二重まぶた。
 小高い鼻。
 桜色の唇。
 僕の妹、百墨華黒は神が創ったが如き美の造形物である。
 ともあれ……。
 僕はガシッと華黒の頭部を両手で掴むと、それをブンと横に振った。
「あんっ……!」
 そう悲鳴をあげながら体勢を崩す華黒。
 それからきわどくパジャマを着崩した妙に色っぽい華黒が言った。
「何をするんですの兄さん」
「華黒こそ何するのさ」
「目覚めのキッス?」
「疑問形なんだ……」
「ですが今日は悪戯が許される日ですので」
「なんでさ?」
「今日は何日です?」
「十月……何日だっけ?」
「三十一日です」
「それがどうしたの?」
「ハロウィンですよ」
「あ、そうか」
 今日はハロウィンなのか。
「ならお菓子を準備しないとね」
「私以外の人間に悪戯されないためですね?」
「僕以外の全ての人に悪戯されないためだよ」
「ええっ! 私は!?」
「華黒が一番危険人物なんだって気付こうよそろそろ」
「そんな……!」
「驚く場所が違うと思うんだけどなぁ……」
「でも私以外の誰が兄さんに悪戯するんです!」
「いや、だから誰にもされないって……」
 うんざりと嘆息する僕だった。
 それから僕はパジャマ姿のままダイニングへと顔を出す。
 今日の朝食はベーグルサンドにトマトジュースだった。
「しかしベーグルなんて……華黒は何でもできるねぇ……」
 感心しながらベーグルサンドをほうばる僕。
「生地さえこねれば後は焼くだけですから」
「華黒は何でもできるなぁ」
「何でもはできませんよ。できることだけ」
「どこかで聞いたセリフだね」
 そう言って僕はベーグルサンドにかぶりついた。
 トマトジュースを飲み干す僕に、
「あ、兄さん。トマトジュースの御代わりありますよ?」
「……いただきます」
 そう言う僕だった。



 僕と華黒は登校中に二十四時間経営のスーパーに足を運んでいた。
 当然家からは早めに出たのだけど。
「さて……こんなものでいいかな……?」
 僕は飴の袋をレジに通してそう言った。
「兄さんは変なところでおモテになりますものね」
「それは嫌味かい?」
「純然たる事実ですわ」
「華黒はお菓子買わなくていいの?」
 そう言って僕は続けた。
「華黒なら誰彼かまわずトリックオアトリートの的になると思うんだけど……」
「兄さん以外にそんなこと言われても困るだけですわ」
「そう言うと思って……ほら……」
 僕は飴の袋の一つを渡した。
「なんですの、これ?」
「飴だよ」
「そんな脊髄反射で答えられても……」
「いいからとっておきなさい。お友達と仲良くね」
「はあ……兄さんがそう言うのなら」
 そう言ってしぶしぶといった様子で飴を受け取る華黒だった。



 さて、飴も買ったということで登校に戻る僕達だったが
「シロちゃーん!」
 と存分に聞きなれた声が聞こえてきた。
「たなばたに似たるものかな女郎花……」
「秋よりほかにあふ時もなし!」
 こんな返しができる人を僕は一人しか知らない。
 短く整えられた黒髪はおでこを強調するように前髪がピンでとめられており、黒い学校制服を身に纏った少女……ナギちゃんだ。
「しーろーちゃーん!」
 そう言って、僕に抱きついてくるナギちゃん。
 僕は抱かれるままになった。
「シロちゃんシロちゃん。トリックオアトリック!」
「悪戯一択!?」
「むしろ悪戯してー。お医者さんごっこしようよ!」
「朝からハイテンションだねナギちゃん」
「うん。シロちゃんと出会えただけで今日一日頑張れる!」
 そう言ってギュッと僕を強く抱きしめるナギちゃん。
「トリックプリーズミー!」
 向日葵のような笑顔でそう言うナギちゃん。
 言われる僕。
 ふと周りを見渡すと奇異の視線にさらされていた。なんか警察官でも飛んできそうな雰囲気……。
 と、
「いい加減にしなさい楠木さん! 兄さんは私の恋人です! 抱きつくなんて言語道断!」
「華黒、了見の狭いこと言わないの」
「兄さんも兄さんです。悪戯もお医者さんごっこも私とすればいいじゃないですか!」
「できるか!? それと声大きい。僕の風評被害も換算に入れて喋ってくれない?」
 うんざりと周囲見渡してみれば、
「修羅場? 修羅場?」
「浮気? 浮気?」
「三角関係?」
 などと僕は風評被害に早くもあっていた。
 小さく嘆息する。
 それから、
「ナギちゃん」
 とナギちゃんを呼んで、ついでに学生鞄から飴を一個取り出す。
「悪戯はできないからお菓子で勘弁してね?」
 そう言ってナギちゃんに飴を握らせる。
「シロちゃんの飴! シロちゃんだと思って食べるね!」
「それカニバリズム発言に聞こえるよ」
「人食は文化だよ?」
「物騒なこと言わないの。それで? 僕に何の用?」
「ううん。なんとなくシロちゃんとクロちゃんを困らせてみたかっただけ。あ、でも悪戯したいならしていいよ?」
 僕の隣で殺気を逆巻かせる華黒を恐れて、僕はナギちゃんの頭に手を置いた。
「しません。淑女たるモノ礼節を心がけるように」
「淑女じゃないもん」
「いいとこのお嬢さんでしょ?」
「それは私の功績じゃないもん」
「そりゃそうだろうけどさ……」
 いやぁ、なんにでも言い方ってあるもんですね。
「よし、充電終了」
 そう言って僕から離れるシロちゃん。
 しかし充電って……。
「シロちゃんエネルギーの充電の事だよ。抱きつくことで充電されるの」
「ナギちゃんは時々人の心を読むね」
「あはは。じゃあね。車待たせてるから今日はこれで」
 そう言って走り去っていくナギちゃん。
「とっととどこへなりとも行きなさい」
「シロちゃん〜。今度デートしようね〜」
「最後まで口の減らない……!」
 怒髪天を衝く勢いで怒った顔になった妹の顔を手の平で隠す僕。
「華黒、人に見せられない顔になってるよ」
「はっ……!」
 と我にかえって、
「オホホホ。それではラブラブに行きましょうか兄さん」
「具体的には?」
「兄さんの腕にしがみついて登校するということで」
「……ま、いいけどね。恋人同士だし……」
 それで機嫌が直るなら願ったりだ。



 同じ学校の生徒にじろじろ見つめられながら、華黒をエスコートしながら、そして僕自身がうんざりしながら、僕らは歩く。
「いい加減慣れてもよさそうなものだけど……」
「何がです?」
 そう問う華黒に、
「衆人環視というものに」
 僕はそう答えた。
「気にしないのが一番ですよ。なんにせよ既に私達は堂々とイチャイチャできる身分なんですから」
「それも困ったなぁ」
 針のむしろに辟易する。
 と、
「……百墨君……百墨さん……おはようごじゃいます」
 少し噛みながら碓氷さんが挨拶してきた。
「おはよう碓氷さん」
「おはようございます碓氷さん」
 ひらひらと手を振る僕に近付いて、碓氷さんは、
「……トリックオアトリック?」
「また悪戯一択!?」
「……駄目……かな?」
 いやぁ……駄目じゃないんですけど……碓氷さんはハーレムに入れるほどの逸材だし気持ちが揺らいでしまうのは男と生まれた悲しい性なんだけども華黒の不機嫌メーターがノンストップで急上昇中でして。
 結論。
「駄目」
「……駄目かぁ」
「トリートならいいよ。はい」
 そう言って碓氷さんに飴を渡す僕。
 それを大事そうに両手で受け取ると、丁寧に包み紙をほどいて口に入れる碓氷さん。
 それから、
「……ありがと」
 と言って笑った。



 そして一限目から四限目までの授業をこなして昼休み。
 僕らは教室で昼食をとっていた。
「はい。兄さん、あーん」
 卵焼きを箸でつまんで僕の口元へと持ってくる華黒。
「……あーん」
 もう何を言っても無駄なのはわかっているので逆らわない僕。
 ああ、周りの視線が痛い。
 咀嚼。
 嚥下。
「兄さん、次は何を食べたいですか?」
「じゃあから揚げ」
「はい、あーん」
「あーん」
 咀嚼。
 嚥下。
「兄さん、次は何を食べたいですか?」
「それより華黒」
「なんでしょう?」
「目を閉じて」
「そんな……! 兄さん……! こんな教室でなんて……大胆な……でも兄さんがそう仰るのなら……!」
 そう言って華黒は頬を赤らめて目を閉じた。
 そして華黒にキスをした。
 あ、僕じゃなくて昴先輩がね。
 ピコピコとはねた癖っ毛の百合百合生徒会長こと酒奉寺昴が目を閉じた華黒にキスをした。
 そして、
「御馳走様」
 と満足げにそう言う昴先輩。
 華黒は目を開けて、呆然とし、それから現実を確認すると、一気に不機嫌になった。
「何故兄さんではなくあなたごときが接吻するのです!」
「それは今日がハロウィンだからね」
「言い訳にもなっていませんよ!」
「トリックオアトリック。悪戯するのも趣向の一つさ」
 またそれか。
 流行ってるのかな?
「私の唇は兄さん専用です! あなたごときが触れていい代物ではありません!」
「落ち着きたまえ。たかだかキスくらいで動揺すればネンネちゃんだとばれるよ?」
「兄さんの同意さえあればいつでも女になる覚悟は――」
「――はい止めようね華黒そういうこと言うのは」
 僕は華黒が致命的なことを言う前に華黒の口を塞いだ。
 しばしもごもごとした後、僕が手を離すと、
「兄さんは何とも思われないのですか! 可愛い可愛い可愛い妹が別の人間に唇を奪われたんですよ!?」
「別に? そんなことで僕の華黒への愛情は変わらないからねぇ」
 頬杖をついてそう言う僕。
「そ、そうですか……」
 顔を真っ赤にしてぷしゅ〜と頭から湯気を立ち上らせる華黒。
「なんだいなんだい……見せつけてくれるね」
「そりゃ僕と華黒は相思相愛ですから」
「はわ……兄さん……」
「ではそれに対抗して真白君にもトリックオアトリック……」
 そう言って僕のおとがいを持つと昴先輩は僕にキスをしようとして、
「止めなさい」
 横合いから華黒に頬をつねられる。
 ちなみに華黒のピンチ力はかなりのものだ。
「いてて。いててて。いてててて……」
 キスすることも忘れて痛がる昴先輩。
 華黒がつねっている指を離すと頬を押さえて昴先輩は膨れる
「いいじゃないか。可愛らしい百合の妖精のような真白君を見れば誰だってキスしたくなるというものさ」
 嬉しくない褒め言葉ってあるもんですね。
「兄さんの唇は私のものです! これは絶対に譲れません!」
「ま、今日は華黒君にキスできただけでもいいとしておこう。他の子猫ちゃんたちにも悪戯しなければいけないしね。ではまたね我が背の君達よ。運命があればまた今度……」
 そう言って昴先輩は僕らの教室から出ていった。
「……嵐が去った」
 思わずそう呟く僕。
 華黒はというと、
「兄さん! キスしてください」
「何で!?」
「あの下衆に唇を汚されました。兄さんのキスで癒してください」
「いやでもここ教室だし」
 ちなみに昴先輩とのやり取りもクラスメイト達にばっちり見られていたりする。
 そろそろ本気で自衛の手段を考えねば。
「兄さん、キスしてください! トリックオアトリック!」
「トリートオアトリート」
 そう言いかえして僕は華黒に飴を握らせた。



 学校が終わりアパートに帰ると一人の魔女が我が家の玄関の前に立っていた。
「………………あう」
 黒いマントに黒くつばの広い三角帽子。
 魔女のコスプレをした金髪セミロングに青い目をした美少女……って、あれルシールじゃん。
 しばらく華黒と一緒に隠れてルシールを観察していると、ルシールは我が家のインターフォンを押そうとしたり、しかし止めたりを繰り返していた。
 そろそろとルシールの背後にまわって、ポンとルシールの肩に手を乗せる。
「うちに何か用?」
「………………真白お兄ちゃん!?」
 そう驚愕して、それからキュウと倒れるルシール。
 僕は慌てて気絶したルシールを抱きかかえる。
 しかしそんなにショックなのか……僕に声をかけられたこと。
 地味に傷つくなぁ。
「ふふふ」
 華黒は楽しそうだ。
「なにか笑うところがあるっけ?」
「ええ、ルシールは相も変わらず可愛いなぁ……と」
 まぁそれは否定しないけどね。
 それから僕はルシールを御姫様抱っこして我が家に持ち込んだ。
 華黒が夕食の準備を始めるのを横目に僕はルシールを僕のベッドに寝かせた。
 ルシールが起きたのは夕食が出来た直後だった。
 僕が勉強机で本を読んでいると、
「………………ううん」
 と呻いて起き上がるルシール。
「お目覚めかい?」
「………………真白お兄ちゃん……!」
「はぁい。真白お兄ちゃんだぞ?」
「………………ここは?」
「僕の部屋」
「………………あう」
 そう言って頬を赤らめるルシール。
 可愛い可愛い。
「兄さん。食事の準備が整いましたよー」
 ダイニングからそんな華黒の声が聞こえてくる。
「ルシール。起きたなら一緒に食事をとろう。今日の華黒の夕食はタンシチューだよ」
「………………ふえ」
 そう言って真っ赤になったまま僕に手を引かれてルシールはダイニングに顔を出す。
 ダイニングテーブルにはタンシチューとトーストとコーンスープが三人分置かれていた。
「………………華黒お姉ちゃん、ごめんなさい」
「謝罪より感謝が欲しいですね」
「………………ありがとう」
「はい。よくできました。では食べましょう」
「「「いただきます」」」
 三人そろってそう言うと僕らは食事を開始した。
 僕はトーストをシチューに浸しながらルシールに問うた。
「それで? ルシールはなんで訪問してきたの? そんなコスプレまでして……」
「………………今日……私の中学でハロウィン祭があって、だからそのコスプレ……」
「なるほどね」
 咀嚼。
 嚥下。
「………………トリックオアトリート」
「お菓子は後であげるね。それよりやっぱりルシールだなぁ」
「………………どういうこと?」
「会う人会う人トリックオアトリックっていうからトリックオアトリートって言葉が新鮮に聞こえるよ」
「………………」
 沈黙するルシール。
「………………真白お兄ちゃん……悪戯されたいの?」
「まさか」
 そう言って僕はシチューをスプーンですくう。
「誰もがお菓子をもらって満足してくれればそれが一番の結末だよ」
「………………」
 ルシールはまた沈黙した。



 ルシールに飴の残り全部をあげてルシールの両親の迎えに乗せて帰らせた後、待ってましたとばかりに華黒が僕にいちゃついてきた。
「兄さん兄さん兄さん! ようやっとこの時が来ましたね!」
「どの時が来たのかなぁ?」
「私が兄さんと結ばれる時です」
「じゃ、僕もう寝るから」
 おやすみ〜と言って自分の部屋へと引っ込む。
「トリックアンドトリック!」
 そう言って華黒が僕の部屋に押し入ってきた。
「悪戯してばっかりじゃないか」
「今日は兄さんのベッドで寝ます」
「ちゃんとパジャマが着れるのならね」
「やん。脱がすところから始めたいだなんて兄さんのおませさん……」
「あんまり馬鹿言ってると叩きだすよ」
「なんでルシールにはあんなに優しいのに私には冷たいんですか〜」
「ルシールが同じこと言ったら同じこと言い返すよ」
「では私達はいつ結ばれるんですかぁ……」
「自分で自分の責任をとれたらね」
「そんな……! 生殺しです……!」
「ほら、お菓子あげるから。トリートで勘弁して」
 そう言って僕は勉強机に常備してあるガムを華黒に差し出した。
「兄さんがまずガムを噛んでそれを私に口移しさせてくれるってプレイですか?」
「言ってる意味がさっぱりわかんないんだけど……」
 うんざりとそう言う僕。
「とりあえず悪戯は無し。僕と一緒に寝たいのならパジャマを着ること」
「ではせめて腕枕を……」
「まぁそれくらいならいいかなぁ」
「本当ですか!?」
 そう言うと華黒は自分の部屋に引っ込むとクマさんパジャマに着替えて、僕のベッドに飛び込んだ。
「さぁ寝ましょう兄さん! さぁさぁ!」
 僕のベッドの上でバタバタと両足を振りながら華黒が催促してきた。
 はぁ。
 ま……いいんだけどね。

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