超妹理論

雪の日のバレンタイン


 雪について夢の無い話をしよう。
 雪は空気中の微粒子……ほこりを核として発達する。
 つまりだ。
 雪が見える分だけ空中にはほこりが舞っているということだ。
 これは雪だけに及ばず雨にも言えることなのだけど。

 雪について夢の有る話をしよう。
 雪の結晶は全てがまったく違う形をとるという。
 例外なく一つ一つの雪の結晶がオリジナルであるということだ。
 不思議に思えるけど同時に納得もする。
 人間だって同じタンパク質でできているくせに一人一人がバラバラだ。
 雪の結晶の不均一さは人間の不揃いを想起させてとてもロマンチックだ。
 誰しもが違う結晶を持って今を生きている。だから人の心も雪の結晶のように誰しもが同じではいられない。

「積もったねぇ」
 僕はアパートを出て景色を一望、そしてそう言った。
「積もりましたね」
 後から出てきた華黒が玄関に施錠をしながらそう返してきた。
 辺り一面真白。雪景色だった。
「こんな日でもスカートを強制させられる女子には哀悼の意を捧げたい」
「慣れですよ、慣れ」
 ちなみに僕は学校制服の下にジャージを着ている。防寒対策は完璧だ。
「はい、兄さん、マフラーを」
 そう言って長いマフラーを僕に渡してくる。ちなみにそのマフラーの片方は華黒の首に巻かれている。
「…………」
 僕は何も言わずに受け取ったマフラーを首に巻く。こうして恋人巻きが完成する。
「えへへぇ」
 華黒はニヤニヤしながら僕の左腕に右腕をからませてくる。
 ギュッと僕に体を押し付けて、そして歩く。
 後ろには二人分の雪に刻まれた足跡。
 ふと僕は清原深養父の歌を思いつく。
「冬ながら、空より花の、ちりくるは……」
「雲のあなたは、春にやあるらむ」
 言おうとした後半の句をとられてしまった。
 華黒の声じゃない。もっと幼い。
「雪のことを天華とも言いますからね。妥当な歌だと思いませんか、お兄様?」
「白花ちゃん……」
 僕は突然の来訪者に驚く。
 短く整えられた黒髪。可愛らしい人形のような少女。白坂白花ちゃんがそこにいた。
 ポケッとした僕に近づいてきて白花ちゃんはバッグからラッピングされた小さな箱を取り出した。
「はい、お兄様」
 差し出す白花ちゃん。
 受け取る僕。
「これは俗にいうバレンタインチョコという奴では? ではでは?」
 ちなみに今日は二月十四日。全国一斉にお菓子屋さんの陰謀に巻き込まれる日だ。
 僕は通学カバンにチョコを収納すると白花ちゃんの頭を撫でた。
「ありがとう。うれしいよ」
「もちろん本命だからね」
「そうなの?」
「そうなの」
「でも僕と白花ちゃんは血がつながっていて……」
「いとこは結婚できるよ」
 とここで、
「いい加減にしなさい……!」
 華黒がガルルと白花ちゃんを威嚇する。
「兄さんの恋人は私です! 結婚するのもまた然り!」
「最終的に決めるのはお兄様よ。それにどうせ恋人にするなら若い子の方が喜ばれるって本に書いてあったもん」
 いや、さすがに白花ちゃんほど若いと犯罪なので逆に手が出せないというか。
「近い未来、オバンになったクロちゃんとピチピチ美少女の私のどちらをとるかなんて自明の理だと思うけど?」
「兄さんと私の絆は不変です! 兄さんが誰かになびくことなどありません!」
「そうかなぁ?」
 どうかなぁ?
「とまれ、ありがとうね白花ちゃん」
 また白花ちゃんの頭を撫でてやる。
「えへへぇ」
 白花ちゃんはくすぐったそうに笑って、それから、
「またね、お兄様」
 そう言ってパタパタと走って、そして去っていった。
 どれくらい白花ちゃんを見送っていただろうか。白花ちゃんが視界から消えると、僕は腕を組んでいる華黒を引っ張って学校に向かって歩き出す。
「兄さん……」
「何、華黒」
「先ほどもらったチョコをこちらに渡してください」
「何するつもり?」
「廃棄します」
「駄目」
「兄さんに本命のチョコを贈っていいのは世界に私だけです!」
「そういう了見の狭いことを言わないの」
「でも……」
「でももシュプレヒコールもないの。単にチョコをもらっただけなんだから」
「ううー……」
 唸りながら、華黒は額を僕の肩に擦り付ける。
「そんなことしてるとイチャイチャしてるみたいに見られるじゃないか」
「そう見えるようにしているんです。兄さんは私のものって常に証明し続けねば」
「周りの視線が痛いなぁ」
 毎日のこととはいえ瀬野二のアイドル百墨華黒と腕を組んで登校すると敵意の視線が刺さる刺さる。今日がバレンタインということも手伝っているのかもしれない。
 ま、いいんだけどさ。

    *

 僕と華黒が腕を組んで教室に入るとざわっとどよめきが波紋のように広がった。
 いつものことなので無視する。
 僕は首に巻いていたマフラーを外して華黒に渡し、それから組んでいる腕をほどいた。
 華黒の猫かぶりモードが発動する。
 女子の輪の中に入っていく華黒を横目に見ながら、僕は自分の席へと向かう。
 隣の席の統夜がこちらに視線をふる。
「よう」
「おはよ、統夜」
「戦績は?」
「今のところ一つだけだね」
「本命は?」
「まだだけど?」
「よし、死ね」
 そう言って僕の頭にチョップをかましてくる統夜。
「理不尽……」
「そりゃこっちのセリフだ」
「いいじゃん。チョコの一つや二つ」
「その上から目線にはらわたが煮えくりたつ」
「お姉さんからはもらわなかったの?」
「姉貴にそんな甲斐性があると思うか?」
「さて、どうだろう?」
 僕は答えをはぐらかすと、鞄だけ机に置いてまた歩き出す。
「どこへいく」
「お花畑にお花を摘みに」
 死語かな、これ。

 化粧室の帰り。
「……あの、百墨くん」
「うん?」
 僕の教室へと続く廊下を歩いていると、後ろから呼び止められた。
 振り返って確認する。
「碓氷さん……」
 碓氷幸さんがそこにいた。ラッピングされた小さな袋を両手でしっかり持って、僕と対面する。
「どうしたの?」
「……あの、これ……」
 と言って、ラッピングされた小さな袋を僕に差し出す碓氷さん。
「もしかして僕に?」
「……うん」
「もしかしてバレンタインチョコ?」
「……チョコクッキーだけど」
「ありがとう。嬉しいよ」
「……ううん。昴様に作ったもののついでだから」
「あ、そっか。ハーレムの一員だもんね」
「(……本当はこっちが本命なんだけどね)」
「ん? 何か言った?」
「……なんでもないよ。聞かれても困らせちゃうから、なんでもない」
「そう?」
「……私、もう行くね」
 そう言ってパタパタと廊下を走って碓氷さんは教室へと。
「しかし意外な人からもらってしまったなぁ。どうしよ」
「素直に受け取ればいいじゃないか。いじらしい乙女の一念が込められているのだから」
 返事は背後から来た。
 僕は思わず背後へと回し蹴りを放つ。そんな僕の蹴りをやさしく受け止め、受け流し、そして酒奉寺昴先輩は僕とキスする寸前まで顔を近づける。
「チャオ、アミーカ。雪の妖精のように可愛らしい君よ」
「先輩……。何度も言いますけど僕、男ですって」
「こんな可愛らしい男の娘なら大歓迎だよ」
「先輩、僕と出会ってから性癖が少し広がったでしょ」
「正確には君と初めてデートした時から……かな」
「あっそ」
 余計なことをしたものだ。過去の僕は。
 身を捻って昴先輩から距離を取る僕。
「そういえばさっきまで碓氷さんがいましたよ」
「知っている。一部始終見ていたからね」
「ついでにチョコもらえばよかったですのに」
「いいさ。いつ受け取るかなんてさして重要なことじゃない。問題は可愛い乙女が私のために一生懸命チョコを準備してくれることにある」
「はあ」
「初々しい乙女の儚げな恋慕がチョコの形をとって私に与えられる。その事実こそが大事なんじゃないかな」
「そうですか」
「というわけで君にもあげよう。乙女の一念だ」
 そう言ってラッピングされた以下略を僕に渡してくる先輩。
「それ、先輩がハーレムの子から受け取ったモノでしょう? そんなものもらえませんよ」
「君、失礼なことを言うね。これは私が君に用意したものだよ」
「は? 酒奉寺昴が? 僕に? チョコを?」
「フルネームで呼び捨てるくらいドッキリかい?」
「だって、ねえ? 先輩はどっちかっていうともらう側でしょう」
「私にだって渡したい相手はいるさ。中々私のものになってくれない子猫ちゃんほど振り向かせてみたくなる」
「まぁもらえるってんならありがたくもらいますけど……」
「ではね、真白くん。雪の妖精の君よ」
 ヒラヒラと手を振って歩み去っていく昴先輩。
 僕は右手に碓氷さんの、左手に先輩のチョコを持って教室に戻る。
 教室に入って自分の机に戻る途中、華黒と目が合った。
 華黒は僕を見て、僕の両手にあるモノを見て、口をへの字に歪めた。
 気持ちはわかるが今は堪えて、とボディランゲージをする僕。
 瞬時に猫をかぶって女子たちとの歓談に戻る華黒。
 僕は戦利品を持って自分の席に戻る。
 隣で統夜が男泣きに泣いていた。
「お花を摘みに行った学友が戦績を三つに伸ばしたことに対して俺は何をすればいいのだろう?」
「とりあえず泣いとけば?」
「そうする」
 するのかよ。

    *

 一時間目が終わり小休止に入る。
 僕は白花ちゃんにもらったチョコを食べていた。
 ハート型に星形に、何やら面妖な動物を象った形まである。けれど全てチョコではあった。おそらく溶かして型に詰めたものなのだろう。
「なんか手作りの愛情を感じるな」
 統夜はそう言った。
「こんなもん作ってくれる女子と知り合いなのか、お前」
「知り合いっていうか……いとこ、だけどね」
 手作り感は丸出しだったけどチョコとしてはおいしかった。まる。

 二時間目が終わり小休止に入る。
 僕は碓氷さんにもらったチョコクッキーを食べていた。
 薄い円柱型のチョコクッキーだ。食べるとチョコの風味と焼き菓子特有の香りがはじける。
 となりでチョコクッキーを食いながら統夜が聞く。
「これ、誰にもらったんだ?」
「碓氷さん……碓氷幸さん」
「なんで碓氷さんなんだ?」
「さぁ? 僕にもわかんないよ。昴先輩のをつくった余りらしいよ」
「あ、そっか。ハーレムに入ってるもんな、碓氷さん。でもなんでそのおこぼれがお前になるんだ」
「だから知らないって」
 いい風味でした。まる。

 三時間目が終わり小休止に入る。
 僕は昴先輩にもらったチョコを食べていた。
 チョコはトリュフだった。
「これは……」
「うまいな……」
 僕と統夜は絶句した。
「ちなみにこれは誰からだ」
「君のお姉さん」
「はあ!? 姉貴!?」
「うん」
「俺はもらってねえぞ」
「僕、先輩に好かれてるからね」
「それは知ってるが……まさか……」
「そのまさかさ。それにしても美味しいね、これ」
「多分どっかのブランドもんだろうな」
「うへえ」
 僕は言葉を失った。
 美味しゅうございました。まる。

 四時間目が終わり昼休みに入る。
 僕と華黒は学食で昼食をとっていた。
 僕がラーメン。華黒は焼き魚定食。
「…………」
「…………」
 会話はない。
 むすっとした表情のまま食事をする華黒。
 気にしない僕。
 四限目が終わってから学食までこっちまともな会話も成り立たない。
 それでも習慣的に学食で一緒に食事をするのだからパブロフの犬は侮りがたい。
「…………」
「…………」
 さて、どうしたものか。
 華黒の不機嫌の理由は十分に察せられる。
 他人のチョコを平然と受け取る僕に不満があるんだろう。
 幼稚といえばその通りだが華黒にとってはまだ世界の全ては僕で、僕の全てが華黒でないことを受け止められないのだろう。僕らはそういう風に作られたから。
 無言でラーメンをすすってた僕に、華黒が言った。
「……兄さんはおモテになるんですね」
「表?」
「女性に人気があるんですね」
「人気……ねぇ」
 クラス、いや学年、いや学校中からメンヘラと言われている僕としては実感のわかない言葉だ。だれもが僕の手首の傷を見て……引く。それが即ち僕の評価だ。
「僕が学校中から引かれているのは華黒も周知の事実だろう?」
「それでもチョコレートを三つももらえば勲章モノじゃないですか?」
「ホワイトデーに同じことを僕が言えば満足かい?」
「…………」
「…………」
 またしても沈黙。
 流れに乗って余計なことを言ってしまった。
 はぁ、しょうがない。こういう言い方はずるいと思うけど……。
「なんだかな。僕が華黒以外のチョコを捨ててしまうような男だったらよかったのかい?」
「……っ!」
「僕の世界には華黒だけがいて、華黒の世界には僕だけがいる。それでいいと?」
「…………」
「前にも言ったよね。僕は華黒に世界を見てほしいんだ。そのために支えると言った言葉は嘘じゃないよ。だから華黒にも考えてほしいんだ。この世界と向き合う方法を」
「だって……兄さんは……他の女と仲睦まじく……」
「チョコもらったくらいで大げさだって。僕はいつでも華黒にベタ惚れだよ」
「本当ですか?」
「嘘でも本当っていうよ。この場合」
「ふふ……兄さんの馬鹿……」
 苦笑に限りなく近い含み笑いを華黒はする。
「だいたいさ。チョコなんかで大騒ぎしすぎなんだよ。トートロジーになるけどチョコはチョコだろう?」
「でもそこに込められた想いは本物です」
「でもそれを受け入れるかは僕次第だ。まさか僕まで信じられないなんて言う気?」
「そうではありませんが……」
「ならいいじゃん」
「では……」
 と、そこで華黒は学食に持ち込んだバッグから何かを取り出した。
「たかだか私のチョコも受け入れてくださらないのですか?」
 それはチョコ味のパウンドケーキだった。昨日のうちに焼いたのだろう。
「いやいや、華黒のモノなら何であろうと受け止めるよ。僕らは両想いだろう?」
「では……」
 と、華黒は割り箸でパウンドケーキを切り分けると、その一片を僕の口元に寄せた。
「あーん」
「華黒、周りが見てる。すごく見てる」
 周囲の視線はまるで剣山刀樹の如く。
「あーん」
 ぐいとパウンドケーキの一片を押し付ける華黒。
 僕は諦めて、
「あ、あーん」
 口を開いて華黒のチョコを受けいれた。
「美味しいですか、兄さん」
「うん、美味しいよ、華黒」
「他のもらったチョコと比べてどうですか?」
「比べる必要もないものだよ」
 窓の外に降る雪の結晶同志を比べることと同じくらい、それは無意味なことだ。
 でも、そうだね。あえて言うのなら、
「華黒のが一番だよ」
 僕はそう白状した。
 玉虫色の回答なのはご愛嬌。

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