超妹理論

『壊れ物注意』


 百墨真白が変な人間だ、ということに私こと碓氷幸も異論は無い。
 男だというのに女性的な顔立ちをしていて、しかもどこか妖艶だ。本人が自覚しているか知るよしもないが、男子の一部には彼に性的興奮を覚える者もいると聞く。
 妹の華黒さんと友人の酒奉寺さん以外の人間にはおおむね控えめに接するタイプで、どこか自虐的。
 才色兼備の妹が可愛いのだろう、重度のシスコンで彼女に取り巻く男を追い払うこと多々。
 きわめつけは自傷行為患者だということだ。彼は左の手首に深い傷を持ち、なお先日右手にも大怪我を負った。表向き事故ということになっているが、誰もが密かに「また自傷行為に走ったのか」と囁いた。彼は否定しなかった。
 シスコンで精神疾患とあっては、うす気味悪がられるのも仕方がない。
 クラスメイトではあるのだけど、たまにゾクリとする気配を発する彼が私も苦手だった。
 

 
 なんで両親は「碓氷」なんて姓に「幸」なんて名を私につけたんだろう。まるで「幸が薄い」みたいな語感じゃないか。悪気がないのはわかるけど、それにしたってというものがある。
 校舎裏。
 私はドンと突き飛ばされて地面に転がった。
 私を突き飛ばしたクラスメイトの草場さんが罵る。
「ざっけんじゃねえよ。誰がリップ買ってこいなんて言ったっつーの」
 草場さんは市販のリップクリームを片手に手前勝手なことを言った。
「でもそれが欲しいって……」
「あっしは盗ってこいっつったんだよ。おめーお使いもできねーの」
 私を突き飛ばした草場さんの後方で、彼女の取り巻きたちがクスクスと笑う。虎の威を借りた特等席ならさぞかし愉快な光景だろう。
 私は遠慮がちに反論する。
「だって、万引きは犯罪だから……」
「あ、何? あんたってばいつあっしに逆らえるようになったわけ。何様のつもり?」
 そっちこそ何様のつもりだ、なんて思ったけど口にはしない。不毛だからだ。苛めっ子が偉そうにしている理由を考えるのは、ポストがなぜ赤いのかと考えるようなものだ。
「あんたは黙ってあっしに従ってればいいわけ。わかってる? その辺」
「……ごめんなさい」
 素直に謝る。こっちに非が有るか無いかなんて関係ない。なにはなくても苛めっ子の機嫌を損ねたら謝らなければならないのだ。無論、だからといって次回から命令通りに万引きする気なんてさらさら無いが。
「おめー、ちょっと調子こいてんじゃねーの。反省しろよ反省」
「……ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃねえっつーの! そうやって謝ってれば何でも許されると思ってるわけ?」
 謝らなければさらに怒るくせに、よく言う。
 八方塞だ。
「おめ、ほんと世の中なめてんな。一馬くんのことにしてもそうだしよ」
 知ったことか、と言えればどれだけいいことやら。
 一馬くんという名前の男子なんて、私は草場さんの口からしか聞いたことがない。彼女が私を邪険にする理由だ。草場さんが一馬くんなる男子に告白したら「碓氷幸のことが好きだから付き合えない」とふられたらしい。その腹いせに私は草場さんにいじめられているというわけだ。一馬くんなる男子に興味はないが、この状況を生み出した一端とあればむしろ腹立たしくさえある。
 けどそんなことは、目の前の草場さんこそ知ったことではないのだろう。私がどれだけ一馬くんなる男子に興味がないかを釈明しても、イジメが止むことはなかったのだから。
「おめ、マジなめてんわ。うん。ちゃんと躾けねーと」
 言って草場さんはカッターナイフを取り出して、それを私の髪に当てる。ばっさりと切る気だろう。激しくごめんこうむりたいけど、抵抗したらさらにひどい仕打ちが待っているだろうから私は何も言わなかった。
 代わりにソイツが言った。
「寒いことをしているね、君たち」
 その言葉は静かなのに、不思議とこの空間に染み入った。
 草場さんらも、私も、声のした方を振り向いた。
 百墨くんがいた。
 草場さんがすごむ。
「ああ? メンヘラがしゃしゃんじゃねえよ」
「イジメはかっこ悪いよ」
 そんな使いたおされたキャッチフレーズを平然と話し言葉にする百墨くん。
「人を傷つけて楽しい?」
「うっせーよ。どっか行けメンヘラ」
「話にならないね」
 言って百墨くんはこちらへ歩み寄ってきた。草場さんが手に持ったカッターナイフを私から百墨くんに向けた。
「こっちくんじゃねえよ」
「イジメがおきてるんだからそうもいかないよ」
 百墨くんはためらいなく草場さんへと近づき彼女のカッターナイフを逆方向から、つまり刃の部分を素手で握った。
 切ってしまうことを恐れたのだろう、
「……ひっ!」
 とっさにカッターナイフを離す草場さん。
 百墨くんはカッターナイフを右手の中で反転させて柄の部分を握ると、平然と、まるでそれが当たり前のことかのように……、
 
 左手を切り裂いた。
 
 ザクッと。
 
 ズバッと。
 
 深くはないだろうけど浅くもない切り傷から血が噴き出す。百墨くんの左手は見る間に真っ赤になった。
「…………」
「…………」
 私も、草場さんも、草場さんの取り巻きたちも、その異様な光景に呆然とする。
 百墨くんはその左手で呆然としている草場さんの顔を撫でて、べったりと血を塗りたくる。
「これが人を傷つけるってことだよ。わかる?」
 諭すようにそう言う百墨くん。
 言葉にならない悪寒が私の背中を奔った。
「……! …………っ!」
 草場さんたちも無言のパニックを起こして逃げ出した。
 後には、呆然とした私と、左手から血を垂れ流す百墨くんだけが残った。
 百墨くんが私に謝る。
「ごめんね碓氷さん、余計なことだったかな」
 そんな見当違いなことを言う。
「え、いや……そうじゃなくて……」
「でもあのままでいいはずなかったし……けどこれからまたイジメが続くのなら解決にならないよね。どうしようか……」
 傷を放っておいてそんなことを悩む百墨くん。
「え、いや……そうじゃなくて……」
「あ、そーだ。碓氷さん可愛いし、昴先輩のハーレムに推薦してあげるよ。昴先輩の保護下に入ったら学校じゃ誰も手出しできなく……」
「そうじゃなくてっ!」
 私は百墨くんの言葉をさえぎって叫んだ。
 恐怖とか混乱とか嫌悪とか、それ以外にも肯定的なものがほんの少しだけ入り混じった混濁とした感情が言葉に変わらない。変わってくれない。
 自然とついてでた言葉は、
「保健室行こうよ……」
 そんな当たり前のことだった。
 

 
 数日後。
「さあ真白くん、私の胸に飛び込んでおいで」
「謹んで遠慮しますっ!」
 抱きしめようとする昴様から全力で逃げる百墨くんを、私はハーレムの中から眺めるのだった。

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