超妹理論

『男女七歳超えて席を同じくす』


「でしたら私、瀬野二に入学しませんから」
 家族団らんの夕食。
 するりと出てきた妹の一言に、父は麦茶を吹きだし、母はご飯を喉に詰まらせた。
 リアクション過多な両親でけっこうなのだけど、濡れ布巾の近くに座っている僕の仕事を増やさないでほしい。
 溜息を一つ。
 父の飲みかけのコップを母へと渡し、吹きだされた麦茶を拭き取る。
 布巾を水洗いして絞り、また元の位置に置いたときには、二人とも息を整え終わっていた。
 両親の焦燥は当然だ。
 瀬野二、瀬野第二高等学校は県内でも有数の成績優良校である。
 見て良し書いて良しの華黒が合格するのは当たり前なのだけれど、それだけに入学拒否などありえないことだった。
 もったいない。
「な、何故だ華黒!?」
「どうしたの華黒ちゃん!?」
 華黒の真意を測りかねて両親。
 しかし当の本人は両親の疑問を明らかにする気はないらしく、
「それは私が聞きたいですよ。何故です兄さん?」
 回答権は妹を経由して僕のほうへと。
 渡されても。
「華黒の入学拒否の理由をどうして僕が知っているのさ」
「そういうことを言っているのではないと兄さんが理解したうえで再度問います。何故ですか?」
「…………」
 とぼける僕を、華黒は許さない。
「兄さんも合格したでしょうに。私と一緒にあれだけ頑張ったではありませんか。あの勉強に、私との努力に、過去の兄さんに、どうして兄さんは応えてくれないのです」
「……受験勉強を手伝ってくれたのは感謝するよ」
 ストレスで胃液を吐くほど勉強するのは、あれが最後だと思いたい。
「ギリギリとはいえ僕が瀬野二に受かったのは違えようもなく華黒の功績だよ。けれど、だからこそ華黒と違って瀬野二の勉強についていく自信がないんだ。それとあそこに通うなら一人暮らしをしなくちゃいけないだろう? 僕と華黒で二部屋もとったら父さんにも母さんにも迷惑がかかる」
「真白ちゃん、そんなこと気にしなくていいのに」
「ありがとう母さん。でも後者は後付けみたいなものだよ」
 前者も後付けだけど。本当の理由を知っているのは僕と華黒だけでいい。
 昆布巻きを咀嚼、飲み下してから、僕の悩みの張本人が口を開く。
「でしたら私が責任をもって兄さんの成績を監督します」
 オーマイ昆布。
 そうきたか。
「僕のために華黒を縛るわけにはいかないよ」
「むしろそれは望むところです」
「……右と言えば左と言うね。華黒は」
 どうしたところで聞く気はないらしい。
 まぁ♪ と母さんが声を弾ませた。
「本当に華黒ちゃんはお兄ちゃんが大好きね」
 ニコニコと無害な笑顔をみせる母。
 喜んでいる場合じゃないよ。自分の娘の言動を把握していますか?
「とりあえず」
 僕はひじきを口まで運ぶと、箸を咥えたままで呆れたように目を細める。
「あまり意地張ってもしょうがないでしょ? 僕は僕に合った高校に行くから、華黒もそうしなよ」
「真白の言うとおりだ。なぁ華黒、考え直してはくれんか?」
 父も便乗する。これで彼我の戦力差は二対二。
 いや、母さんへの期待値を考慮に入れるなら一対二に相違ない。
 華黒は僕と父の顔を交互に見比べ、黙考し、それから諦めたように目を伏せた。
「わかりました」
「「華黒……」」
 安堵する僕と父。
 けれど華黒を相手取ってそう易々といくはずもなく。
「早合点です。私は理解を示しただけで了承したわけではありません」
 ほっとついた脱力を縫うように一太刀入れてきた。
「つまるところ、パパはどうしても私を瀬野第二高等学校へ入学させたいのでしょう?」
「そうだとも。自ら進路を狭めることもないだろう?」
「本当にその通りです」
 父の言葉に同意しながらも、華黒は刃物のように鋭い細目で僕をねめつけた。
 そして自分を落ち着かせるようにもう一度目を伏せ、
「ので、提案しましょう」
 顔の高さまで上げた握りこぶしから、人差し指をピンと伸ばした。
「パパから兄さんに瀬野第二高等学校へ入学するよう全力で説得してください。成功の暁には私も瀬野二への入学を確約します」
「ちょ!? 何を――」
 妹に抗議しようとした僕の両肩を、
「――真白」
 がっしりと掴んだ手が二つ。
 そちらに顔を向けると、満面の笑顔の父。
「Oh、ファーザー……」
 数秒前までの不可侵同盟はどこへやら、勢力はいっきに三対一へ。
「真白。父さんな。息子には自分の可能性を追いかけてもらいたいんだ」
 すっかり孔明の罠に陥れられた父が、芝居がかった情熱で僕を諭す。
「そのための苦労を真白も経験しなければならないと思っている。わかってくれ。“獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすのにもまず勢いをなす”と昔から言うだろう?」
 二つの故事が混ざってるよ!?
 突き落とすのに全力を尽くすって殺す気満々じゃないか。
「なぁに勉強なら心配しなくていいさ。華黒がきっと助けてくれる」
「うん、まぁ、そうだね……」
 そして建前にしていた言い訳が今になって裏目に出る。
 追い討ちをかけるように母が僕の肩を叩いた。
「華黒ちゃんはそんなこと言ってるけど、本当はお兄ちゃんが大好きだから一緒にいたいのよ。ね? いいでしょ?」
 母さん、それは正解だけど間違ってる。
「僕まで一人暮らしするわけには……」
「でしたら兄さんと私で同じ部屋に住みましょう。できれば1Kに」
 華黒と添い寝するかキッチンで寝るかの二択を選べと?
 そんな愚考かと思われた提案に、けれど父は感心したように頷いた。
「おお、そうだな。真白も華黒と一緒に住めばいいじゃないか。一人暮らしをさせるのは不安だったが二人一緒なら安心というものだ」
 誰かー。初生雛鑑別師を呼べー。僕と華黒を同じ箱に入れちゃ駄目ー。
「父さん、年頃の男女を一つの部屋に閉じ込めるのはさすがにどうかと」
 憂慮すべき事態だろうと身振り手振りで示すものの、
「「はぁ?」」
 両親の顔にでかでかと書かれた、お前は何を言ってるんだ、の文字。
 えー。そこ疑問なの。
 必要以上に信用されてるよ僕ら。
「(ふっ)」
 そして隣では勝利に笑む華黒。
 ハツカネズミより危ない奴がここにいる。
 とはいえ嘆いてみても旗色の悪さはどうしようもなく、まさかの列強三国同盟に僕が出来た最後の抵抗といえば、
「……せめて2Kでお願いします」
 華黒と同衾しないことぐらいであった。
 後に2DKに住むことになる僕が、先の言葉に何らの意味もないことを思い知るのはまた別のお話。

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