超妹理論

『前提が崩れる』


 リムジンが走り、ついた先は大きな……巨大な武家屋敷だった。
 いや、武家屋敷ではないだろうけど、武家屋敷としか言いようのない場所だった。
 あるいはアレだ。
 頭にやの付く自由業のおうち。
「どこここ?」
「私のおうち。白坂家の本家」
「大きいね」
「まぁ……否定はしないよ。別に私が建てたわけじゃないから自慢する気にもならないけど」
 リムジンは広い庭を通り、だだっ広い玄関口に横付けする形で止まった。
「もしかしてつきあってもらいたい場所って白花ちゃんのおうちのこと?」
「……そ」
 淡泊に返す白花ちゃん。
「おりよう、シロちゃん」
「あ、うん」
 白花ちゃんに連れられて僕はリムジンを降りる。
 靴を脱いで武家屋敷の中に入ると、
「「「「「おかえりなさいませ、白花様」」」」」
 多くの使用人さんが出迎えてくれた。
「ふわぁ」
「シロちゃん、口があいてるよ」
「メイドがいるよ。メイドが」
「別荘でも見たでしょ?」
「そうだけど……呆れているってのとは違うけど開いた口がふさがらないって心境です」
「そう」
 やっぱり淡泊な白花ちゃんは、
「ついてきて。客間はこっちだから」
 そう言ってスタスタと歩き出す。
 そそくさとついていく僕。
 多くの人に頭を下げられる環境に慣れていないため半ば逃げるような形だ。
 ついた客間は、四十畳くらいはありそうな広い部屋だった。
 どでかい木彫りのトラが置いてあったり、ふかふかのソファがあったり、高尚そうな掛軸があったりと、なんというか豪奢すぎて緊張してしまう。
「座って」
 そう言ってソファを指差す白花ちゃん。
 言われるままに僕は座る。
「シロちゃん、何か飲みたい?」
「あ、いえ、お構いなく……」
「じゃあ玉露でいいね」
 そう言って使用人の一人をつかまえて、茶を持ってくるように言う白花ちゃん。
 言い終えた後、白花ちゃんはテーブルを挟んで僕とは対面のソファに座る。
「緊張しなくていいよ」
「と、言われても……」
 こんなセレブリティな空間に放り込まれて普段通りにとは中々いかない。
「まぁ無理な話だよね。ごめんね」
「いや、謝られても……」
「うん、そうだね」
 そう言って白花ちゃんはこの会話を打ち切る。
 不毛だと悟ったようだ。
 こういうところは素直に賢いと思える。
「何か食べたい茶菓子ある? 色々そろってるよ?」
「いや、お構いなく」
「じゃあぬれおかきで」
「何故ぬれおかき?」
「私が好きだから」
 そう言って、使用人を呼びつけると、白花ちゃんはぬれおかきを持ってくるように指示した。
 数分後、お茶と茶菓子(ぬれおかき)が運ばれてくる。
 出されて手を付けないのも失礼な気がして、ありがたく茶を飲む僕。
「お茶、おいしいね」
「いいところの葉っぱを使っているそうよ。私も詳しくはないけど……」
「そうなんだ。ちょっと意外」
「意外? いい茶葉を使っていることが? それとも私が詳しくないことが?」
「白花ちゃんが詳しくないことが」
「もしかして茶道華道ができますよ的な発想?」
「まぁそうだね」
「できないわけじゃないけどあんまり好きじゃないから」
「そうなんだ」
「周りの子供は誰も茶道や華道なんてしてないもの……どころか誰もそんなものを必要としていない……。なんだか身につければ身につけるだけ私という存在が周りから浮くような気がして……」
「お金持ちも大変なんだね」
「それとは直接的には関係ないけど……」
「寂しい?」
「うん……まぁ、少しだけ」
 さもあろう。
 こんな家では友達も呼べないだろうし、中々苦労しているのだろう。
「この話、内緒ね」
 白花ちゃんが口元に人差し指をおいてそう言う。
「あ、うん」
 てきとうに生返事をして、茶を一口。
 誰に話すわけでもないから内緒もないだろうけど。
 次の話題を探そうと頭をひねっていると、
「白花!」
 誰かが白花ちゃんの名前を呼んだ。
 女性の声だ。
 僕と白花ちゃんがそろって声の主のいる方向、廊下に続く扉へと振り向くと、そこには一人の女性がいた。長い黒髪を髪留めでまとめて、和服を着た……おそらく三十代だろう妙齢から少し上の雰囲気をもった女性だ。
 誰だ、と思ったがさすがに口にできず、その女性を見ていると、目が合った。

 瞬間、

「……お……ねえ……さま……?」
 そんなことを呟いた女性が、こちらにふらふらと歩み寄ってきた。
 柳のように頼りなさげにふらふらと歩み寄ってくる女性は、その双眸から涙を落とした。
「っ!?」
 いきなり泣かれてしまって驚く僕をよそに、
「……お姉様……!」
 目の前まで歩み寄ってきた女性は僕を抱きしめた。
「ええ……ちょ……!」
「お姉様!」
 ぎゅっと抱きしめられる。
 いやいや。
 お姉様って誰が?
 何故抱きしめる?
 よく状況がわからなかったけど、無理矢理に振りほどくこともできずに、僕は女性に抱かれ続けた。



 その後、一分ほどでハグ状態は解かれた。
 件の女性は照れながら、
「お恥ずかしいところをお見せしました……」
 頭を下げてきた。
 で、誰よこの人? といった視線を白花ちゃんによこすと、
「こちら、私の母で白坂百合」
 端的に他己紹介された。
 女性改め白坂百合さんは再度頭を下げる。
「白坂百合と申します」
「百墨真白と申します」
 僕も頭を下げる。
「それにしても……」
 ほう、と恍惚の吐息をつく白坂百合さん。
「本当にお姉様そっくりねぇ……」
 だから誰がお姉様やねん。
 とは言わずに茶を一口。
「ねえシロちゃん……」
「はいはい」
「初めて私がシロちゃんに会ったときにした身の上話……覚えてる?」
 ん?
「えーっとたしか……お兄様の話だっけ」
「そう」
 あしながおじさんの話だ。
「白花ちゃんの母親……つまり白坂百合さんの、そのお姉さんがさる男性とお付き合いをしていて……」
「それをお爺様が認めなかったせいで伯母様は男と駆け落ち……」
「二人は行方知れず……」
「でも二人の子供である従兄……つまりお兄様の足取りはわかった……」
「その理由がたしか実の父親からの虐待……」
 だったっけ?
「うん。覚えてたね」
「まぁ色々とショッキングな話だったからね」
「シロちゃんなんだよ?」
「ん?」
「だからその話に出てくるお兄様はシロちゃんなの……」
「へ〜え」
 ……。
 …………。
 ……………………。
「……………………はあ!?」
 思わず立ち上がってしまった。
「僕が……お兄様!?」
「そうよ。お兄様」
 白花ちゃんはしっかと頷いた。
 白坂百合さんははらはらと泣き出した。
「お兄様は私のお母様の姉……白坂撫子様の子供なの」
 …………まさか。
「…………まさか」
「まさかも何もないわ。お兄様の本名は白坂真白。撫子様は行方不明になる前にお母様によく洩らしていたの。子供が男の子だったら真白、女の子だったら白花と名付ける……と」
 白坂百合さんが子供に白花と名付けたのは代償行為だと白花ちゃんは言う。
「それにしたって……なんでこのタイミングでそんなことを言い出すのさ。他に言い出すタイミングなんてそれこそ……!」
「お爺様がそれを許していなかったから」
「っ!」
「でももうお爺様はいない」
「…………」
「お爺様……白坂本丸が先日ようやく死んで、白坂家はお兄様を受け入れる態勢が整った。遺言にはお兄様の処遇については何も言われてはいなかったし」
「でも……そんな……」
「今更こんなこと言えた義理じゃないかもしれないけど……真実なのよ、これは」
「でも……状況証拠しかないじゃないか。僕が真白という名前であって、顔が白坂撫子さんに似ているってだけじゃ……」
「証拠ならあるわ」
 そう言ってパチンと指を鳴らす白花ちゃん。
 すすすっと獅子堂さんがどこからか現れて、白花ちゃんに書類を渡す。
 それを白花ちゃんは僕へと投げ渡す。
「DNA鑑定書?」
「そこにお兄様と父親との関係が記されているわ」
 父親の名前は……、
「玄冬……巌……」

 ……はい?

「お兄様のお母様……白坂撫子様が当時お付き合いしていたのは玄冬巌という殿方だったのよ」
「玄冬……巌って……はは、まさか……」
 やばいやばいやばい。
 それって……それって……。
「言ったでしょう? お兄様は“実の父親”からの虐待を受けていたって」
 実の父親からの虐待……暴行……。
 ドクンと心臓がはねる。
 たまらず僕は叫んだ。
「嘘だ!」
「嘘じゃないわ」
「だいたいどうやってDNA鑑定なんて……!」
「お兄様の通っている大学病院に手をまわして協力してもらったの。玄冬巌のDNAサンプルもあったから調べること自体は大した手間じゃなかったわ」
「じゃあ僕は……本当に……白坂撫子と玄冬巌の子供……」
「そうなるよ」
「でも……それだとやっぱりおかしいよ。僕は孤児院の出だよ? 玄冬巌には里親制度で引き取られただけだ。もしその話が本当なら僕は生まれた時から孤児院じゃなくて玄冬巌と白坂撫子の元で暮らしているはずじゃないか」
「その経緯も聞いてるけど、いくつか予想は建てられるよ。お兄様を捨てなければならなかった事情なんて、言っても聞いても楽しい予想じゃないけど……」
「っ!」
 言葉を失う。
 僕が捨てられた経緯。
 そして孤児の僕を引き取った玄冬巌の真意。
 わからない! わからないことだらけだけど!
 それ自体はどうでもいいことだ。
 その事実はどうでもいいことだ。
 でも、
 でも!
「じゃあ僕と華黒は……!」

 本当の兄妹……?

「本題はここから……。お兄様、これからお兄様はこの家で暮らして……って、お兄様?」
 玄冬巌が僕の父。
 白坂撫子が僕の母。
 僕と華黒は、腹違いの兄妹……?
「お兄様? 聞いていますかお兄様?」
 うるさい……!
 時間をくれ……!
 考えをまとめさせてくれ……!
「お兄様、お兄様?」
 白花ちゃんの呼びかけにも答えず、僕はただ呆然としていた。



 あまりの情報の氾濫に呆然と立ち尽くすしかなかった僕を見かねてか、白坂家族会議はお開きになった。
 僕はリムジンでアパートまで送迎された。
 白花ちゃんは片時も僕から離れず精神の安否を確かめ続ける。
「大丈夫ですかお兄様」
「ん……大丈夫じゃないっぽい」
 思考が乱れる。
 シナプスが音を立てて千切れる。
 明瞭に理解している情報と、その同じ情報の理解を拒むアクションとがぶつかりあって僕は混乱をきたした。
 そうこうしている間にもリムジンは走り、僕のアパートに着く。
 僕は扉を開けて下車した。
 リムジンの中から白花ちゃんが声をかけてきた。
「お兄様が白坂家の一員だということを覚えておいてください。今はまだそれ以上は望みませんから」
「うん……ありがとう……」
 余計な情報は、今は邪魔なだけだ。
 僕はアパートを目指す。
 走り去っていくリムジンには目も向けず、僕の部屋の扉を開ける。
 玄関で靴を脱いでキッチンを通り過ぎダイニングへ。
 そこには華黒がいて、夕飯の準備をしていた。
「兄さん、やっと帰ってきたんですね」
「うん、ただいま……華黒」
「もう、いい年齢なんだから誘拐なんてされないでくださいな」
「ごめん。僕のヘマだった」
「せっかくのデートが台無しですよ」
「うん、ごめん」
「でもですね。デートできなかった時間を使ってケーキを作ってみたんです。夕食後に食べましょう?」
 とびっきりの自信作なんですよ、と誇らしげな華黒には悪いけど、
「ごめん。ちょっと疲れてるんだ」
 僕は遠慮した。
「夕食もいらない。僕はもう寝るよ。部屋に入ってこないでね」
「え? ちょ? 兄さん!?」
 頭の中で騒音が渦を巻いていて、とても正気ではいられない。
 今は華黒の顔は見たくない。
 僕は今日白花ちゃんに買ってもらったロングティーシャツとジーパンとジャケットを脱ぐと、ベッドにどさりと倒れこむ。冷えたシーツが心地よい。
 何も考えたくなかった。
 だから、おやすみなさい。

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